◎2014.7
7.5
kagawa@razybones
「蟻の首大音楽祭」
香川県三豊市詫間町蟻の首という地名をそのまま使ったノイズイヴェントで、発酵の音に合わせて憲法9条を切れ切れに朗読してみた。
7.9-13
nishiogi@fall
7.12 performance
ceramic exhibition “layer betrayer”
今回は練らない土たちの政治性をテーマにします。高嶺格が「在日の恋人」で、洞窟で器を作るところに行き着いたのと同じ理屈でものをつくる。高嶺さんはベルリンのマヘルの客席で「避難所」のインスタレーションをした。建物の外には「想定外」の垂れ幕が掛かっていた。ベルリンのほうが福島に近かった。遠いほうが生々しく、近くにいるとその近さに遠ざかりながら沈んでゆくのが超ひも理論的な心理の流れで、それを時系列を無視して個人的事件或いはモノローグとして天命反転地的に提示するのがベルリンのユダヤ資料館だった。女流陶芸家が何人か、収容所の中に居るようにして轆轤を挽いた。そんなディスプレイだった。そこもまた、洞窟だったのだ。
7.13
hatagaya@forestlimit
sutons-the sutons plays kaneko jutok-
この日は福岡さんのリクエストで金子の曲を3人で演ります。
この、改変期という歌は、時間を遡行することが正しい清めであるという考えに貫かれている。
修学旅行のバスガイドに唱わされる「四季の唄」よろしく、三番まである歌詞にそれぞれ春、冬、秋、と、季節が逆順に付されているのは、歌詞にはないけれども、今が、逆に、存在の苛酷な「夏」である、ということなのだろう。 時間を正しく遡って辿り着くのは「エデンの園の真ん中」、命の木のある場所である。そこ「に」消えてゆく「涙」、という表現が、黙示録の最終部分と重ね合わされる。
Rev. 21:4 「また[神]は彼らの目からすべての涙をぬぐい去ってくださり,もはや死はなく,嘆きも叫びも苦痛ももはやない。以前のものは過ぎ去ったのである」。 「時計の針」、「ラジオの声」、「機織る音」の 「清らかさ」といった、失楽園から復楽園への憧憬の、群馬の中学生らしい素直さに僕は泣き、同時に、その後の彼を覆った暗黒の巨大さを想う。
かなかなが哭いたら泣くだろういつかどちらか死んで一人になったら
7.30
koenji@ufoclub
mshb
2014年にhappyであるとは認知・行動学的にどういうことでしょうか。野毛に対抗して、ファレルのhappyを使った即興のフォーマットを考えました。参加者は体を動かしてはいけません。音の出し方は、音程を追うようなものではなく、身体的なものに変更してください。