◎2018.8
寝落ちスマホを片手で探すどこが今日やら昨日やら
日向のチキン南蛮はミッションスクールの椅子の足のようだ
牧水を救っているのは耳川である
高森文夫が中也に貰った舊約には随処に中也の書き込みがある。傳9:8とか渋い傍線
日向に高森を訪ねた中原は牧水生家など回り、思い詰めた表情で「二人で製材所をやろう」と語ったらしい(笑)そのモチーフは「材木」という詩に歌われている
宮崎と岩手は酔い方としての地形が似ているが、違いとしては、岩手は実体に対して明る過ぎ、宮崎は実体に対してナイーブ過ぎる。
結婚出来なかった貞子さんとか喜志子さんのことは取り上げられているのですが、早世した同郷の日高秀子さんが説明無くなんか切ない
西郷が死んだ地の近くに高千穂がある。太田龍が最後の最後に西郷を異様に持ち上げたのを思い出す。渓谷は柱状摂理に巨人族の肋が乗っているだけだし神楽は自分のジュヌスではないのに、未だに神武から仁徳くらいまでは空で言える。血に至るまで抵抗したことのない「雑草を抜くこの雑草を
8.4
@osaka aotsuki
/uguisuiro/ihsa/moriyamafutoshi
D C C D C CEbEb EbEb EbCAD
材木
8.7
@forestlimit
+kayo makino “k/a/t/o massacre vol.233”
c’est ambiant comme un écocritique
8.8神保町試聴室 「棺」の最後に入っている「五月のさよなら」をアヤコレットが楽曲化したものを歌います
8.10野毛旧バラ荘 オンリーワンズ特集 チャージ500円投げ銭
8.11西荻FALL 祇園囃子みたいな人力トラックを作るので演奏に参加ご希望の方は笛持参でお越しください。
ざんねんなやきもの磁展
アルドゲイトは日和ったなギネスあるしモダンラヴァースかけてる
ワレ我ハ須ラク自ラノ具象性ヲ恥ジルコトニナル
光ることで色を消す
横浜には冷やかしで外部の者に紹介してはいけないバーがいくつかあるが、それはアンダーグラウンドが無いことが遠因となった風土性の漸進的横滑りの結果ではないか、とふと思った。
家系が地下のない平面を隙間産業的に横滑りして都内を席巻しているのもそのためだと思う
「ただしい自民党」のようなものが存在するとすれば、それしか存在しないのが横浜なのである。だとすれば、「横浜は存在しない」。夢の中の街だからアウトレイジの韓国マフィア役が伊勢崎のホテルオーナーだったりするのだろう
地下的だったVシネの「みなと」が店の前にエルヴィスのポスターを貼ったりするようになったのも遠因はそれなのだと思う
同じ発音の「味奈登庵」の前で休憩のタクシーがブレーキを踏むと、それは十分蕎麦チェーンとしての横滑りの音を聞かせることができてしまう
被曝以来見慣れた空気感だ
中空に漂う鳥たちが全部私たちを見張る天使だとしたら
随分仕事がやりやすい街なのである
随分仕事がやりやすい平面なのである、
かな
きのうはいちばん暑かったので
きらわれてもさむくなかった
わたしにはここはさむすぎて
レイヤーや次元を隠れ蓑に悪事を重ねてきた我々は横浜で一夜干しにされる
「プールサイド小景」は三つの顔が同じ平面に混ざり合う時、水面に首が浮かぶ、という話だった
アングラは、横浜で断罪されるのだ
墓は撤去された
理由のあるオーナメントは腐蝕して
フェミの彼方から逆照射する現在
jona jewelry
怒りのデスロードて感じでしょ
昭和15年から昭和33年までと、2000年から2018年まででは長さが違う
なんという戦中戦後を生きてきたのだろう
2005年の敗戦を死に漏れた特攻帰りとしてのぼくらは
違う道うすいピンクの百日紅
要約できない人生は、反歌として経験される
#プラハ1968フサ
新新三部作の四作目として於尾道フレンド
平成30年12月9日18:30/19:00
2500円(1ラーメン付)
予約 p_drop2011@yahoo.co.jp
フレンドは尾道ラーメン以前から存在する尾道のラーメン屋さんです。観光客にここは尾道ラーメンですかと尋ねられるそうですがいいえと答えると帰ってしまわれるそうです。
プロフィールを考えました
「好きなものはと訊かれカレーラーメンとブラームスと書いたことがある1980頃
その後花椒時代を経て現在は例えば二郎インスパイアはインスパイアードバイ二郎だろ!と思う」
宣伝に使う写真は旧姓山中さんがこの前の梅田ムジカで撮ってくだすったのをひきのばして使いました
カレーラーメンが始まった頃の横浜で
ぼくは誰と入れ替わっていたのでしょうか
ぼくはマヘルと入れ替わっていたのでしょうか
ぼくは尾道で誰と入れ替わるのでしょうか
総武線馬喰町の地下通路で楽園におけるゴードン・マッタクラーク的なものとは何かと考え始めてから美術が切実なものになってきている。今でしかやれないものというのはもう意味がないのだろう。
横滑りしがちな思い詰め方は美術ポアとでも規定し且つ退路としての昭和を断つこと、それは吉祥寺美術館的なものも念頭に置いて言っているのだけれどもおれは
くにたちの古本屋で店番していた時期を同業者に分かりやすく伝えようとすれば、赤川次郎に陰りが見え始めた頃だった、というような言い方になる。それらが壮大なゴミの山になった頃にはもう日本にいなかった。
すっきりした古本屋はそれ自体ひとつの暴力である
ひとつの書物に対してコアやポアのゴミ屋敷が優しさとして存在する。切り捨て教セレクトショップは愛の屠殺場だ。うらはらにこうも言える、「書物は存在しない。」
肉の書き板が生政治なら馬鹿刺と思って食わされてきたのはせいぜいスマホのしゃぶしゃぶだ。おれたちは生きながら駄句の彫られた石碑だ。
二十世紀(梨)が食べたい
eat your 20th century
nothing is delicious
so sweet
and so cold
C層ゲーム 死にたガール29/10/18@bonobo
皿が割れて何が悪い
何が割れて皿が悪い
悪いが皿が割れた
割れた皿が悪い
peter voulkos1924-2002
公民館に貼り出されたハザードマップによりますとうちは池の下でしかも活断層の真上しかも石垣も山下陽光途中でやめるという大変危険な場所に建っており地図上でうちだけ✖︎印が付いていました。どうりで長年人が住んでいなかったわけだ。井戸の水位が上がってきたら逃げます。
空は虹だらけだった
あまり多いので人々はそれを鰹節のように削って食べていた
ask her
Alaska
で韻踏んでんだと今更ながら分かった
木股さん知ってたんかな
(ウィンドウペインの)幻聴としての韻
この()はケヴィンの時の小山訳っぽいな
彼が前の奥さんと結婚したときの歌詞中のヒロインは最初ヘロインに聞こえた
きみのお母さんはね、ぼくらのヘロインだったんだよ
みたいな
さらに不在のハロウィンにその語感は滑ってゆき
ハロウィンは滅びに、アラスカはアヤワスカに
突っ込む母音の母艦に
心情的加速主義という居直りが並走している現在
あらゆるストイックは裏張りされて
資本主義はホラーとしての終わりを見据えるところまで来ているのだ
加速主義者たちは看守に呼び出される前に処刑台にちょこんと坐り、今日が処刑の日でしょ?と言いたいのだ。
いつまでもあると思うなアルトー機械
再びきみたちは外を求めている
「イランカラプテ」の意味をめぐるモヤモヤ
ヨースケが挙げるこういう浮世絵時代からの継承が気に入っていて、福岡さんに、ピアノリサイタルなどと言うなら宣伝美術はこんな感じでと伝えたら、これを描いたのは中西レモン君です、と。その時中西レモン君は偶然野球拳踊りに参加するために松山に居り、米山の書など見せたのだった。才人である。
woe