◎2019.1
泡立草嗄れて薄となりにけり
阿木追悼を書いたからとpepperlandのブロシュアーを頂いた。固有名詞が主語になったり述語になったりしている吹き寄せとかき揚げで、こんがりティンクトゥーラがクレアトゥーラ界面になっている。即ち俺とジャーマンロック、みたいな。
量ではなく比率で染まるのだ物心区別無く
アンダー・ザ・シルバーレイクに「ジャックコーク」と注文する場面があるので小瓶とコークを買って交互に飲んでみたが不味かった
呼ばれてピアノの前に座ってママ~とやったらセツがあたしも観たわよ良かったわよねえと言いながらそのまま即興的に即興的なまま雪崩れ込んだのが良かった
人を殺しちゃったとかすごい歌詞だけどあれ自分のことなのよねーとか打ち上げの時も言ってた
初夢はなんということはない、コンサートに遅れる、というものなのだった。会場は「20世紀」というのであった。時間には共時的と通時的という2種類があり、僕にはその折り合いが悪い、ということらしかった。でも起きたらまだ12時前なのであった。
頭士君に言った感想。この太陽系には太陽が1つしかないから僕らは3つ以上になると数えられない。でも後半は1つでもいいか、というところにまで持っていった。
萩
やがても密柑の如き夕陽、
欄干にこぼれたり。
この蜜柑は夏みかんのことで山口にはこれしか生えてない
多くの歌曲がつまらないのは、音にこの推敲がないからだ。
ピアノとは、書き直される詩である。
日本列島はプレートの縁に擦り付けられたマーマレードのような付加体accretionary wedgeに過ぎない
この石灰のプラトーは日本のむき出しなのだ
閾値は感覚の堪忍袋であり 刺激に対して一次関数ではなく対数で緩やかに推移する
日本の急激な没落が感知されないのはそのためである。
氷河期は突然に襲う。
issue売りに閾値があり死にたがるきみにも閾値がある。四方の風を抑えている者たちがいる。大凶大風呂敷とはそのことなのだ。
YCAMとか今世紀初頭の勢いを保つためにはその対数部分にだけ食らいつく必要があったのに、彼らの二進法は、なにがしかのアルゴリズムを呉れ、という時のインターフェースのゆらぎを後ろに投げ捨て過ぎたのではないか
AIのアートがヤマハの想像力を超えない限り。即ちキーボードに統失というボタンがあるか、とか。
そのキーボードが分配されないのが野山獄だ。或いはフォレストリミットのエレピには鳴らないキーが三つあり、その鳴らないキーでのみ演奏出来た。つまりそれがそのボタン
“See that nobody gets to know it.”
紀伊国屋には茂一という喫茶室があっていつも茂一さんが居そうな雰囲気だったがかれの没後その一画は無くなってしまった。レモン画翠とかと同じトーキョーの空気感だった。そういう昭和が払底されたということでしょうか。ばけもののような若いアベ支持世代の台頭で。
差異だけが地図化される。山も海も私たちの心も白紙となった。 海のなかでは 何万の いわしのとむらい するだろう。
ハン・ガンの「ギリシャ語の時間」図書館車に積んだ。
人生ってなんなんだろうねー
人生とは寒い夜にベッドからずれ落ちる布団だ
布団が人生だ
布団には二つある
右にずれ落ちるか左にずれ落ちるかのどちらかだ
僕は布団ではない
僕はホメオパシーの錠剤を噛むだけだ
真顔でピエタ
もうあなたを、私は産めない
布団から裸で出てピアノ弾いてまた布団から出てというのをやろうと思いましたが布団がないので空気で
1.9
last super flux
@superdeluxe
1.9 /eiko ishibashi “last super flux”@super deluxe
スーデラはマヘルでよくやっていた。アジアいちイケてるスポットだという触れ込みだった。マイクさんがモントリオールのコミュニティーから来たことが知れて気安くなった。フルートとかも入って大人数でやったthe book of lifeという曲はchapter musicのsong for Nao というアルバムに収録された。次にやった時はテーブルを囲んで全員アコギを弾いたりした。ねこをすてたときという曲が良かった。五〇人くらい来るだけでは儲からないのであまりじぶんからはやらなくなった。それでもたまにpsf絡みで呼ばれるとやった。今井和雄は勝手に兄貴と思ったりしていた。あでもほかにもたくさん対バンを組まされた。「東京の恋人」しか知らなかった豊田君とは仲良くなってそれからも一緒にやったりした。リック・ポッツは尊敬しているので再会出来て嬉しかった。一番良かったと思うのは二〇一二年にやったマヘルで、塩ヶ森というリズムに遅延がある曲を映像を使ってやって、そのあと草枕という震災とカレーを扱った詩を読むでもなく歌うでもないフォーマットでできたことかな。ジェイコブ・ウレンのあたりからはたいてい演劇仕立てで練ったものが多かった。マイクさんはただ笑っているので、何をやってもいいんだという気がしていた。あるいはそういう気にさせてくれていた。経営が大変だという話は聞いていた。一〇年くらいの間に経済情勢はすっかり変わってヘビメタ世代のノイズは拡散し、アートの中心も東京から香港だとかほかのまちに移った。遺産のようなものは遺せただろうか。ぼくはこの前の、メロディーを聞き取って壁に書いていくマヘルはよかったと思ってる。みんな笑ってたけどね。
「それはこういうことか」
包囲網は狭まって パンクは極南の満潮の島に爪先立ち寝起きの音ズレを狙う
包囲網は狭まって
満ち潮の環礁の
立つ瀬も無くなるパンク島
ノー技術 脳舞台
観照テオリア
完勝感傷干渉鑑賞
寒仕様
原美の腹は偽ブログ展示だった
every body needs a bottom.
切れ切れになった腸は混ぜ合わされ
切れ切れになって凧は揚がる
東京は海老大根挟み揚げのように生冷たい
金が成増貧困舘
飛び下りても底が無ければいつまでも落下しながら生きていける
落下を回転に回転を落下に変えるにはたいようがもういくつか必要だ
あとは画像編集機能
来なければずっと待っていられる
昨日不全
不全
imperfections
insufficiencies
不全のともしび
音楽不全
不全音楽
疾走マルチメディア
いじめに遭ったら
落下しても落上しても青空
自殺しても殺されても魂死タマジニ
1.19
utacodrip
w/eddie marcon “itaco trip”
セットリスト
寝落ちスマホを片手で探すどこが今日やら昨日やら
ところどころにまだコンビニが寄ってもさみしいだけなのに
シャンパンタワーは上から満ちるとうとうお金の夢を見た
わたしの体は日本のようだ嘘を吐くよに息を吐く
溝ノ辺騒動
left alive yet
遠い音楽
オクターバーが追いつかないように速弾きしてる
ディープリスニングとメタローグって相反しそうだが何故オリヴェロスがベイトソンなのか。ディープミスリーディングならぴったりだ。人の出す音なんて分かるわけない。
バンドという名前がフェミなのだ。ダンみたいに虫同士のコミュニケーションの音を拾って解読すれば害虫だって駆除できる。でも虫はバンドなんてやらないでしょ。誤解して暗闇で気合掛け合ってりゃ済んだ時代は終わった。
せいぜいアフォーダンスバンドだ。音楽は鬼の首だ。うたには身を切られるだけで済むがロジカルタイプを曖昧にすると音に寝首を掻かれるぜ。
ベートーベン馬鹿にしとったらどついたるぞ。男でも女でもないところに一度触れたらそこから逆戻りするのは衰えをしか意味しない。そこから神々も生まれたのだ。
アコーディオンとはロジカルタイプ間のleapingであるべきだ。それはexaltして「ぐるぐる廻る」。
キュアロンの「ローマ」はメキシコ版猫村さんなのであった。
だいたいベイトソンパパが学者身分のまま神を語ろうってのがあれだ、弁神論の伝統からも外れたメタな狡さを感じるんだよね。これはサイバネティクスとか言ってないでアカバネで立ち飲んでりゃいいような話なんだ
アンテパスのようにロシアを振舞わせる
あのきつねのアンテパスを!
シェーファーのように耳を澄ませてもサウンドスケープは人工音ばかりだったし人間同士の即興はディープリスニングのふりをしているだけだった。ダンの仕事はプログレ崩れの古楽やノイズ横滑りのフィールドレコーディングとは訳が違う。虫同士のコミュニケーション音を精神と同じものとして捉えたのだ。
耳鳴りこそノイズだ。耳鳴りに耳を澄ませば 24時間ノイズコンサートだ。
平成を装う
風池に貼る海路
Euroaquilo有楽論
でマルタ島
mundane music, mondaine life
松山揚げと麦味噌はおしゃれなおんがくとはいっせんをかくして
零下になる前に生の徳利と猪口の養生せねばと戻る
湯上がりの二十畳間で読む半章鬱は腸内細菌の所為
風池てふ経穴在りぬ背面の首の下から風は吹き込む
教皇は米国に付き、やはりロシアが出てきた。ベネズエラもバルカンになる。ブラジルのダム決壊は大患難直前の世界的な災害の増加を反映している。
国も自殺するのだ
国を主語にして
主語がなくなれば
自殺は自殺する
死が切り離されるのだ
あらゆる死は国においての死だった
人口とは死者数と同義だった
生きていることも死んでいることもない述語として我々難民は主語国を脱出しさまよう
永遠の隣国
隣国はない
リンゴは食わない
David Dunn
ベイトソンの音楽的実践
幻野祭の「池の水は濡れている」とか
men in black2の「雨が降るから悲しいんじゃなくてきみが悲しいから雨が降るんだよ」
が近い
勿論モネはそこに居た
池は彼の心だったんだ
高周波や電磁波ではなく、こうした音の収集と分析によって農薬を使わない方法を探ってゆく。
カナブンを撃退できる
地元のラジオ番組をつけっぱなしにして農作業する人が多いが、農業チャンネルを作ってこういう音をブロードキャスティングすればいいのだ。
シェーファーからの流れ
Renato Rinaldi – The Time and the Room 2004
言語に囚われた演奏者を部屋の客と捉え言語を介さぬ直截なホスピタリティを示そうとした、イタリアのラジオ番組用摘採作業の記録
スクリーンの丘でGに居直るメンソール 禁令前に死ねばいいのか
これもまた、真綿で窒息する布団を回避するためのざらつきをまぶしているので今回は質の悪いヘッドフォンで聴くのがおすすめ。