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やまばとデザイン事務所便り

やまばとデザイン事務所便り①

 

「hatenamixi is your sad daily bread」

 

線ではなく点でなくてはいけないと決めていたのに、宇宙はどうやらひもで出来ているらしいし、バスーンには束という意味があるし、旋律なんて人生の束でいいのでは、とふと思ったのが出だしの失敗だった。線でいいのなら、音楽にはタンゴ対インドとかいった振り付けはいらない。リアリティさえキープできればタイムマシンの使い方に関する責任などない。音楽の、そうしたあまりにも自由な内部に馴れてしまうと、外で罪を犯すようになった。点には倫理がないが線には善悪があるから、商売上うたのリアリティーのためには「悪にでもなる」歌手の、出だしの線的な失敗から旋律が始まってしまった。「リアリティー、それが鍵だ」 という 「メタル・マシーン・ミュージック」 のルーのライナーを読んで以来ずっと、そうやって私小説で音に額縁をつけるようなことをしてきた。ルーは犯罪者のリアリティーを教えてくれただけだった。愛よりも文体が、王国よりも美が、善悪よりもリアリティーが上に置かれたことから結果する苦い実を刈り取りながら、修正し呼び交わしながら進む二羽の、永遠に負性を帯びた旋律たちが頭の中に生まれてしまうことをインスピレーションというのだと観念していた。ところがクールな人々の間では音を出す前には頭の中に音はなく、偶然出した音が必然に取って代わることを音楽というらしかった。それは「書きながら手で考える」という言い方と奇妙に一致しており、その由来はといえば、ヴィトゲンシュタインが左足を出してから右足を出して、とブロックを積み上げるように考えていかなければ歩けないようなアスペルゲンガー症候群にかかっていた所為に違いなかった。病気の上に乗っかったモダーンミュージックの展開などより罪に結果する歌は予め定められていたのかどうかだけが問題だった。動機を調べられるからだ。ぼくはうたうために人を不幸にしたのだろうか、それともうたと不幸は無関係に同時にすすんだのだろうか。それにしてもぼくのもんだいは体でも心でもなくゾーエーというものを持たされているかどうかなのであった。それはひとの光のようなもので、それが取り去られたらたとえ生きているように見えても死んでいるのであった。音楽家はリアリティのためには人も殺すが、今やリアリティはネットの中にしかなく、人と繋がっていたい欲望は食欲や性欲よりリアルだから、ネット環境は音楽と愛と憎しみと嫉妬だけで構成されるようにさらになっていくだろう。生活している振りをした日記を見せ合いながら空の畑の中で感情を栽培されているだけだというのに、旋律だけが昔と変わらぬリアルさで振舞おうとするなか、それでもなお人のコミュニケーションの基本は変わらない、といったことを前提にしたさらっとした社交の流儀が、ある種の肯定性に到達することは可能なのだろうか。例えばネット上で「富士日記」は可能だろうか。富士日記は生活の代表のように考えられているが、実際は東京の生活ではなく山に行ったときのハレの生活のことしか書かれていない。書かれていないことの方が重要であるような仕方で、広げられた心がどうでもいいことを書き連ねている。ネットの中で自分の「富士」をどこに置くかで態度を決めることができるのかもしれない。今はそれしか言えない。

 

 

 

やまばとデザイン事務所だより②

 

器のうちそと

 

土をただ塊のままで焼くと破裂してしまうから、陶器師は否応なく内部が虚ろになったオブジェを作ることになる。それはどうやってもうちそとのある器形となり、器形である以上彫刻ではなく焼き物と呼ばれる。

砥部の磁土の轆轤引きは器形の内側を右手の指でなぞりあげる感覚で伸ばしていく。見るのは外側だから、最終的には外側が内側にならなければならない。そのために、鹿の皮くらいの硬さに乾燥させた後、薄皮を剥くようにして鉋で外側を削る。その時、作り手は、当初思い描いていた器形に関する内側の指の記憶と外側の新しい現実との乖離に直面することになる。

萩の三輪和彦は「内側の景色も見るため」茶碗に指で穴を開けてみせた。陶器師は常に、そんな手の事情で、左と右の闘いというよりは、内と外のメビウスのようなせめぎ合いを問題意識として持つことになる。器は、体が思い通りに動かないということだけを示そうとするアルトーの演技のように、内と外とに引き裂かれたまま焼結し、引き裂かれ方、或は引き裂かれた地点からの着地の仕方そのもの(高台)が景色として鑑賞されてゆく。

わたしたちの体も同じようにひとつの器として鑑賞されているに違いない。じっさいわたしたちの体の組成は、地球とほぼ同じ珪酸とアルミナとアルカリ土金属でできているのだから、人は土から造られているといっていい。

土の器に光を入れて、明滅している蛍のような心をはらはらして記録するのが宇宙の仕事であるなら、わたしたちの生とは、善と悪に向かう進路を測定され記録されていく轆轤の上の、軌道を外れて小さな台風のように振れ飛んでゆく失敗した土の器のようなものなのだろうか。

去年の春以来、突然落雷にあったかのような内と外との電位差に引き裂かれたまま、ローカルなコミュニティーの中で内側の半分だけを使って生きてきた。1年経ってみると、案外半分の心でもなんとか生きていけるものだと分かった。そのかわり、外側は人と喋っていても、内側を半分しか使っていないものだから、人に親切にしたり、新しい言語や学問に取り組んだりといった余裕はないのだった。

リアリティーだけはバコバコする心臓の動悸の数だけあったが、手法としては何も考えずにそれまでの人生の退行した手持ちのイディオムで済ませるしかなかった。心臓を押さえながらオリンピアのKで録音し、帰りの飛行機が落ちればいいのにと願った。帰って半年経っても、体の内側は外側を告発し、三輪和彦の指でどてっ腹に穴を開けられた茶碗のように、表と裏が瞬間に激しく入れ替わるような、裏を裏返しにした「あ」を発音して外と入れ替わろうとするのだった。

心臓に刺すturminal love という香立てを何百個も作り、思い出のなるべく少ない、雑草を焼くような匂いの香を常に部屋に焚き込み、引き裂かれたハートにlong been half hearted と紅く絞り出したスリップウェアの皿を際限なく作り、unify my heart という歌詞だけを歌い続けた。雪を見ても白くなれないのは分かっていた。「外側を作った者は内側も作ったのではありませんか」とイエスは言った。(ルカ11:40)ごめんなさい。

ただ李朝の白磁になりたかった。

 

やまばとデザイン事務所だより③

moving without Ark

 

地層の上下について書こうと思っていた。ゴシックの天辺から騎士の言葉を出していたかった。元気だった頃、蜜蝋の舟は高いところをすすみ、ライオンの死骸からは蜜が流れ出ていた。しかし同じ蜜蝋の部屋で取り調べは続き、気付いたら罪の地層にしかリアリティがなくなっていた。悪いことをしていないのに苦しい目に遭うならヨブのように言葉も立つが、悪いことをしたから苦しいなどという惨めな男の地層から出る言葉は犬も喰わないだろうから、山を越えても、表現領域は狭くなるだろうなと観念していた。確かに山は超えたが頂上付近はまだ風が強くてうたえないうたがごろごろしているのだった。地上には自分を滅ぼすものがなくなったからもうどこにも行かない、という鮎川信夫の一節がこれで理解できたのだと思った。  

RAVENのルーのライナーは、ポーに影響されたのか、いいことをしようと願っているのにどうしても悪いことをしてしまう、というパウロめいた主題に意識が集中しているようだった。太極拳も罪の意識を打ち消すためだろうし、彼も「うたえないうたがごろごろ」状態なのだろうかとふと思って、実際に富士ロックの演目に当たってみると、表現領域はやや狭くなっているものの、「犬も喰わない」領域を無理やりブーストさせて言葉を結果させようとしているのだと知れた。許されない恋愛の始まりの様相が何種類か歌われ、神秘に逃避し、毒づき、疲れたといい、イエスに謝り,また痴話喧嘩し、快感に走り、夢想に逃げ、消えてしまいたいと願い、やっと罪と向かい合ったと思ったら、ポーによってnever more、と呟き、押韻に逃げ、最期は蒔いたものは刈り取ると結論する、といった溝板の下の流れのような筋書きは、偽悪のハードボイルドというより、愛してしまったことのリアリティを形にしたらこうなった、ということなのだと思った。 別に不毛の開拓者のように無理に領域を捻り出してまでうたわなくてもかまわない、 固いケーキのようなうたのリアリティのためにひとを傷付けるのはもうこりごり、と言ってしまえば幸せなのにそうは言い切れないミュージャンがそのフィールドに雪崩れるのは必至だった。源に触れるフルボディの層に居ながら伊達で砂の地層から言葉を出してみせる渡邉浩一郎のような重層的非決定の「まだの王子」も今は死に、軽い地層に棲むミイラ取りとリアリティの殉教者ばかりになってしまって久しい。駐車場のない不安のなかで何をひねり出すのか。カフカのように真中から上下に、原因と結果の方向に生長する植物を夢想しながら契約の箱を持たずにさまよう荒野で。  

 

地層の上下について書こうと思っていた。久谷辺りの切り通しの崖で灰や赤や黒の土を採取して焼いてみるのが好きだった。リーチのような文系の陶芸家は、どの地層の土を焼けばいいか文学的な思い入れで決定してしまう。 

窯は本当はどの地層が最善かを知っているが、こちらの不完全な決定に合わせて融通を利かせてくれることがある。それが向こう側の親切というものだと思う。向こう側の親切に甘えてゾアルに逃げるロト。そこに最後の望みをかけていた。

 

やまばとデザイン事務所だより④

kidneys

 

波をつかまえる。まわりが瀬戸内海のように凪いでいたとしても、ひとり善悪の津波を立たせては生き死にのかかった落差に溺れていく。霊的なサーファーならば自分の腎臓に糾されるようにして次の波を捉まえなければならない。リアリティーのためには罪でウェットスーツの中身をいっぱいにし、基準をただ波高に置き、寒暖などおかまいなく、海岸のゴミなどには目もくれず、明鐘崎のポイントブレイクから意味の砕けるチェホフのカレントに連なろうと、プローンスタイルでパドリングしていく。北からの知らせにもかき乱されることのないグラッシーなドルドラムズを、自らの罪を定点にヘッドオーヴァーに変えていく。

 

或る朝パジャマの上にコートを羽織りコンヴァースの靴紐を踏ん付け敷居に躓き乍ら実家を転び出ていつものようにやつらを振りほどこう、と思う。力が自分から去っていることにはまだ気付いていない。波が立たず落差が無くなった時良心が死ぬ。死んだから痛まないだけなのに、峠を超えたと思っている。故意の罪がロックボトムを突き抜け、洪水は魂を超え、もはや執り成しはない。愛は目をくじり取られて刺し通されたというのに、それでもまだ次の波を捉まえようとしている。眠れない多くの人は川の寝床のなかで 石の携帯を握りしめ、それが震えるのを待っているから眠れないのだろう。もう震えないことが分かった人から死の眠りに入っていくのだろう。

 

 

やまばとデザイン事務所だより 

FALL

擦り切れたずぼんをはいた父とわたしは「こけし屋」で場違いなランチコースを食べ、店を出たばかりだ。猛烈に暑い日だった。開演前までどこか涼しいところに居なくてはならないが、食後のコーヒーを飲んだばかりなのでもう駅前のルノワールに行ったりは出来ない、とりあえず道の向かい側のみづほ銀行に入って涼む、と父が言う。みづほ銀行はATMだけ空いていて涼しかったが、座りこんでいるとカメラで看視されているのが分かるのですぐに居心地が悪くなって外に出る。どこか別の涼しいところに行かなければならないが、食後のコーヒーを飲んだばかりなので喫茶店に入ったりは出来ない、霜田のやっていた八百屋に行く、と父が言う。八百屋は野菜も萎むような暑さだったが上の階の本屋に上っていくと「精神世界」の本が並んでいて少し冷房が効いている、こっちのほうが涼しいぞ、と隣りの部屋にいる父が叫ぶ。わたしはクーラーを使うのは好きではないが、あまりに暑かったのでクーラーの下に並んで立って、知っている本があるのをぼんやり眺めている。父はのら書店の片山健を二冊買い、滝がパイプラインのようになっているところをねずみが潜りぬけながら俳句を詠んだりしているほうをわたしにくれて、こんど会えたときまた交換しよう、と言う。外に出ると、どこか涼しいところに行かなければならないが、食後のコーヒーを飲んだばかりなのでもう喫茶店に行ったりは出来ない、石川さんの奥さんのやってる店に行く、と父は言う。店までは少し遠かったが、入ってみると涼しく、貸しボックスの中に「作家さん」の作品が沢山並んでいる。父はそこで眼に止まった手刷りのTシャツを買ってくれる。店を出てまた歩く。どこか涼しいところに行かなければならないが、食後のコーヒーを飲んだばかりなのでもう喫茶店に行ったりは出来ない、そこの「サンクス」に行って涼みつつスコアをコピーする、と父は言う。サンクスは涼しかったが探しているスコアがなかったので水だけ買って外に出る。しばらく行くと神社があり、大きな楠が生えていて涼しそうだが入れないし覗いてみるとベンチもない。学校にも教会にも木陰があったが門が閉まっていて入れない。ビルの隙間に少し風が吹いているところがあったのでそこに居ようかとも思ったがもっといいところがある筈だと思い更に歩いていく。ここら辺には何もないね、と私が言うと、父は地下の店を指してここは有名なジャズ喫茶でここでジャズ界の序列が決まるのだ、と怒ったように言う。その近くに少しかっこいい喫茶店があったが、食後のコーヒーを飲んだばかりなので行かない、と父は言う。なんで冷房の効いた画廊に戻らないの、とわたしは尋ねる。だって人がいたら内輪の話ができないじゃないか、と父は言う。そこから少し行くと、まだ開いてない飲み屋の前の露地の日陰に風の吹くところがあったのでそこに座って、わたしが学校に提出する絵本のストーリーを考えようということになる。寒い日にわたしたちは街を歩いている。なんとかして暖まりたいのでコンビニとか電話ボックスとか犬小屋とかいろんなただでは入れる場所を探す。最後にわたしが父に、なんで暖房の効いた画廊に居ないのかと質問する。父は、だって人がいたら内輪の話ができないじゃないか、という。そのあとわたしたちはやっと立ち上がり、個展会場に戻る。コンクリートの床には色とりどりの風船が転がっていて、父は座りこんでZo三ギターに風船を押し付け鷲掴みにしてハウリングの音を変え、圧しすぎて爆発すると次々に取り替える。父のズボンは更にすりきれていく。荒野でサンダルは四〇年擦り切れなかったらしいが、と父は言う。おれのズボンは楽園までには擦り切れそうだ。父を見送って高層ビルの下に来たときわたしが、あの風船はわたしでしょ、と言うと、父はよく分かるね、と言う。分かるわよ、とわたしは言う。わたしたちは抱き合う。わたしは高層ビルを見上げる。風船よりいいでしょ、とわたしは言う。うん。と父は言う。

 

やまばとデザイン事務所だより⑤

ぶどうの丘

 

20年振りに娘に会った。男は神話的な罪を犯そうとしていた。それを阻止しようとして空から星が戦った。恐怖が整列した。満月の夜だった。キリストが死んだ日だった。罪を犯せない苦しさに身体中の血が白黄色になって噴き出した。男は聖霊に守られていた。おれはおまえのぶどうの丘に上りたい、でも閂で閉ざされた園の入り口をケルブが守っている、おまえはどうなのか、娘よ、と男は尋ねた。おとうさんはりんごの木のようです、それは甘い、でも、愛がその気になるまではそれをわたしの内に目覚めさせないと約束してください、と娘は答えた。その夜男は20年前のユーフォニウムを吹いた。娘は20年前の音にサインをいれてもらった。楽屋代わりの階段の踊り場で娘が笑う度に風が立った。娘が生まれたころぶどう園に吹いていたのと同じ風だった。

 

2006年

Iの食卓

食事をしたから体が動くのだと思って済ませるのではなく、食物を摂らなくても動くことそのものが食事になっていくような、或は受けるのではなく与えることが逆に自分の食物になるのだとでもいうような効率のよい永久器官でありたいと思う時期があった。死なないつもりだった。不死はあまりに当たり前のことだったので荒川修作の天命反転の悪足掻きを哀れに感じた。音楽より「テムポ正しく握手」することのほうがおおごとだった。身体性の問題に関してはだから ”歩行より舞踏” でも ”舞踏より歩行” でもどちらでも良かった。いくら頭尾を折り返して雨に落ちる花などと言ってみても凡ては霊と肉の優先順位を巡る個人的な物語のぶつかり合いに過ぎないのだ。宝のあるところに心があるから、大方は美の王国を彷徨うだけで王国の美はみどりごにしか知らされないと見えた。吉本は老いては尚立派な思索者だと思うが真理の外縁をなぞっていくことが出来ているだけだし、大江は同郷だから四国的な温(ぬる)さがよく伝わって来はするが、不治の病名を伏せて時間を稼ぐような文体を生きているだけだと思った。絶望の果ての希望などといった主題はすべてまやかしだ。二人の男が野に居る。ひとりは取られ、ひとりは絶たれる。目が明るければ体全体が明るいだろうし目が暗ければ体全体が暗いだろう。それだけの話だ。

10月にタスマニアで旧日本軍の光線治療を受けて立たなくなった腰の、折り返された春の体のまま立ち寄った北半球の実家で、食生活を第一、デザインを第二、恋愛を第三にしろとぼくの父がぼくの息子に説教するのをぼんやり聞いていたら、室野井洋子の魂と過食症の魂が並んで踊っているのが見えた。ぼくはぎりぎりだが相変わらずセリーヌのように人の話を聞く地平に居る。親族や配偶者を喪失したことがほとんどの問題の核にある。彼らへの共感疲労のなかでぼくの手が自動的にこれを書いている。

 

 

scotland

 

朝鏡を見て老人になったことを知る。相応の悪事を重ねてきたのだ。本当の事は何も書けないから生きられていない感じがする。そういう意味では充分に毀れている。それでもずっとツアーが続けばいいのにと思うのは、追って来る罪と同じ速度で逃げおおせていられるからだ。

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スコットランドに入る渓谷で例によって少し雨が降るがその後はさしたる変化もなく、置き去られながら進む。焦げ茶が混じってきた丘々の向こうに白い山がぬらっと見え、高層集合住宅の暗くカラフルな丸屋根を過ぎるとフォルカークに着く。スズキやスバルの代理店を過ぎ、シェリフ・コートがあるあたりからやっと坂の多い古い街並になる。パブの外で仰向けにごつんと倒れたまま動かない若い男の横を復活祭のバニーの耳を付けた娘たちが往き過ぎる。夕陽を浴びながらブラックビーン・ソースの野菜を食べる。

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運河を見に行く。船は観覧車のようなウィ−ルで段差のある川を上り下りする。もう海運用というわけではなく、高い所を進む船から地上が一望できるというだけの余興だが、産業革命を担ったスコットランド人は、技術を持つこと自体に誇りを持っているのだろう。

かつて首都だったこともあるダンファームリンという、整っているががらんとした石造りの町で演奏する。建物の隙間から完全に昔の油彩風景画のパースペクティブが俯瞰できる。

会場がカーネギーホールという立派な名前なのは、ニューヨークのカーネギーホールの所有者でもあった鋼鉄王カーネギー氏がこの町の出身だからだ。

スコットランドは産業革命によって今の英米世界帝国の基になっておきながら、自身はこの寂れた首都のように、ローマにもイングランドにも完全には征服されなかったという自負だけで生きているように見える。

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未だに暖炉に石炭をくべているパブで、エジンバラのカレドニアンのエールを勧められて飲む。フォルカークを出てグラスゴーに近づくと、ランドアバウトにゴミが溜まり、枝にイグゾーストが引っ掛かり、珍しく送電線が空を区切っている。グラスゴー市街に入ると学生が多い所為か街に1本脆弱だが暗い線が入ったような感じになる。マッキントッシュの縦線がまだ街のあちこちにあるからなのだろう、目線はたまにふと縦に動く。

明治政府が音楽教育にスコットランドの唱歌を導入したことにより、ケルト民謡の旋律は日本人の第二のルーツになってしまった。そのすっきりした上部の地層に安住したい世代が、音楽のセントラル・ステーション或はデスティネーションをロンドンより天井の高いグラスゴーのフラットのトイレに塗られた淡いペンキの色のようなものに定めて聖地化したのだろう。としてモノレールで自家製のジンジャービ−ルを飲む。TVパーソナリティ−ズの新作の7インチは「オール ・ラヴ ・イズ・グッド ・ラヴ」という、いかにも、出所したてのダン・トレーシーの、ドレッシングルームのビールを箱ごと持って帰る後姿が浮かんで来そうなタイトルで、ヨテンボリのイエンス・レックマンもカヴァーした「サムワン・フー・シェア・マイ・ライフ・ウィズ」のような殺し文句が詰まっているのだろう。グラスゴーの連中は皆なTVパーソナリティ−ズを嫌っている、とスティーブンが嬉しそうに言う。カレッジ・オブ・アートに隣接するCCAで演奏する。

日本人がスコットランドの北限をツアーするということの意味は、明治以前のルーツ、侵略者としてのギリシャ・ローマの旋法例えばディアトノン・マラコン、を彼らにぶつけ、その衝撃によって彼らが自身のケルト的な3度下降のルーツを再発見するのを手伝うことだ、と仮に考えてみた。3度の下降はインディアンとケルトにしか見られない。それはギリシャのように四度五度のオクターブを招来しないから死なない。

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フォルカークの図書館でメールを見る。世界の何処に居ても、ネットを1時間もすれば頭の中は同じになってしまう。風景から疎外されたままスターリンに着く。山の天辺に城があり、牢獄跡は観光地になっている。運転手が、かつて我々は集合し、歩いてロンドンのすぐ近くのダービーまで攻めていったことがある、と言う。ダービーはそんなにロンドンに近くないじゃないですか、というと悲しそうな顔をする。

スコットランドはローマにはなんとか支配されなかったがイングランドには負け続けている。映画「アヴェンジャーズ」でもスコットランドはさんざん馬鹿にされていた。ショーン・コネリーが天気を制御する装置を発明してイングランドに雨を降らせ続け、それによって世界を支配しようとするというものだった。

ゴール前までボールは持って行くがそこまでのプロセスに酔って得点にはならないというようなコンプレックスがいつも彼らにはある。

牢獄を改造したトルボスというホールで演奏する。

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フォルカークを出てロモンド湖沿いに”ラスト ・グレイト・ウィルダネス”を走り、オーバンに着く。家々は珍しく違う色に塗られているから寒いが大陸的な雰囲気がある。牡蠣の屋台があり、ここの人たちはシングルモルトをかけて食べるらしい。素っ気無い待合所で待っていたら鯨のように口を開けながらマル島行きのフェリーが入って来た。船の中で紅い頬の大柄な女の人がA管のリコーダーで解決のないトラッドを吹きつづけている。大人も子供もなんとなくそれを聞いて安心している。

現在のトラッドではケルト的な三度が装飾的な2度4度に埋もれているので、偽装的なバグパイプ的な通奏低音が可能になっているが、それはほんとうのケルトの本質ではない筈だ。

グリーンスリーブスのレファーソラーシラのシがナチュラルだというのは三度下降の名残りだと思いたい。モダンなトラッド、つまり下にランニングベースをくっつけたような”トラディー”な仕事をビルのようなコルトレーン的でないジャズマンが嫌がるのはその通奏低音がほんとうではないと思うからだろう。或いはそれは今ゲール語を話す人々の中にオキも喜名昌吉もいないことによるのだろう。マル島では年に何回か大規模なトラッドの大会が開かれる。無伴奏のワークソングのようなものだけのフェスティバルまである。ではかつてヴァシティ・ヴァニヤンがドノヴァンに誘われて行ったスカイ島のコミューンみたいなのは今はあるのか、と同行のドラマーのカトリーナに訊ねると、隣のアイオナ島かなあ、と言う。

トバモリ(鳥羽守という漢字を連想した)という町の、アントバーという、廃校を改造したギャラリー兼ホールで演奏する。月の満ち欠けを主題にした、ケルト的な暗い金属の抽象作品が展示されていて、感想を書き込むよう置かれたノートにはなぜか来館者自身の家族に関する内省的な悩み事が次々に書き連ねられている。

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朝早くフェリーでオーバンに戻り、アバディ−ンに向かう。パースを過ぎると木と家が増えることによって風景が褪せて来る。ウイスキーで洗い流すようなつもりでいるので、立ち寄る先々で試飲したが、アードベグというアイラ島のシングルモルトがピートの香りが一番強くて、なんだか煙を飲んでいるようだ。

早く着いたので市中を2時間程歩く。ラ・タスカというタパスの店に入ると混んでいて、軟陶(砥部では煉瓦にしか使わない)に盛った少量のムール貝(松山の人はバカ貝と呼んで捨てている)を食べシャルドネを飲む。ジョイスやイエイツの詩を飾り、名前の前にO’ の付く約束のアイリッシュパブで若い男が弾き語りをしていて、パブ時代のピーター・ペレットのソロのことが思い出された。

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昼タイのビュッフェに行く。水を頼むと1ポンドのスティルウォーターのボトルが出て来る。

隣に座ったエディマーフィー似で教会帰り風のスーツの黒人が飲み物はと訊かれて何を言ってるんだ水道の水(タップウォーター)でいいよと言っているのを聞いて、これからはこう言えばいいんだと思う。彼は十字を切って食べ始め、食べてないときはずっとBGMの流行歌に合わせて歌っている。彼の勧めるレッドカレーは甘すぎる。レモントゥリーというホールで演奏する。招待されてまたカレーを食べる。インド料理屋はどこも歪んだソウルのBGMが流れている。終わった後インタビューされ、アバディ−ンの印象を訊かれる。アバディ−ンは産出する大理石が白いので街並に荒んだ軽さがある、教会は半分位パブになってはいるが、半分は繁盛している、トイレや電話ボックスにヴァンダリズムが多くみられるのはそのあらわれだ、アバディ−ンはhalf-heartedだ、俺のように、と答えるとそれ以上質問されなくなる。

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北海沿いのアバディ−ンからまたもやハイランドを横断して大西洋側のウラプールに向かう。これから行くルイス島には、とカトリーナが言う。生地のブランドとして有名なハリス・ツイードがある、あとカワウソとパフィンとアザラシがいる、クジラもたまに居る、ストーンサークルの古代遺跡がある、人々は英語よりゲ−ル語を話す、ウラプールからフェリーで2時間半かかる。途中エルギンという町に立ち寄る。町のミュージアムに入ると、例によってローマ軍の侵入前と後の暮らしのようすが再現されている。

顔にインディアンのように絵の具を塗った男のマネキンの前に立ち止まる。それがピクツという先住民だと知る。きっと3度音程の下降も彼らのものだったのだろう。やっと会えたな、と思う。ゴダールの「アワーミュージック」でサラエボに立つインディアンの幻想と同じだ。

インバネス(印旛沼と語感が似ている)を通りまた原野をひたすら走るとウラプールに着いた。家の壁は今度は皆白い。霰がひどいのでもらったばかりの傘が一日で駄目になる。

パブに逃げ込み出航まで地元のエールを飲んで暖炉で服を乾かす。フェリーの甲板は風が強く、後で帽子をなくしたことに気付く。ストナウェイ港に着くまで繋がれた犬を構いながらサイダーをハーフ・パイント飲む。案内書ではストナウェイは面白い町ではないがルイス島や周辺の島々の中心地であり、ケルト文化とゲーリックの学習センターになっている、とある。宿は床が傾いていて古めかしい。

バーでプールを一ゲームして寝る。

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ストーンサークルの遺跡を見に行く。暦と祭壇に使われたらしい巨石群が木の生えない原野に突っ立っている。余程肥料をやらないと木は生えないらしい。子羊が顔を上げたまま目を閉じて日を浴びていると笑っているよう

に見える。船で帽子をなくしたのでツイードのハンチングを買って被っていたが、宿に帰ってみるとフェリーから帽子が届けられていた。

夜ストナウェイの、たぶんゲ−ル語で「灯台」という意味のホールで演奏する。ここの教会のコミュニティは声楽だけで、オルガンを使わない。音楽に打ち興じたり酒を飲んだりすることを自制する気質が培われてきたのだろう。バーは表立って看板を出していない。宿ではロータリークラブが会合を開いている。ガムを捨てる箱を道端に設置したのは彼らかもしれない。アイルランドの小説だったらこういう会合の後ウイスキーをコップ一杯づつ飲んで村八分の家を燃やしに行ったりするのだ。

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船着場の近くに小さいブルワリーがあったが閉まっている。ミュージアムがあった。領主のハリス家はグラスゴーでの豪奢な生活を好み人々を搾取するようになり両者の関係は悪化した。島は農業に適さないので飢饉が多く、暮らせるようになったのはごく最近になってからだ。何百頭ものクジラが湾に入って来たことがあって、そのときの素朴画風の油絵が遺されていたが、その油等で島の経済が一時持ち直した。

荒野の真中にあるギャラリーに行く。他に何もないところなのに、陶芸だけはやはり世界的な傾向を追いかけている。「人」と「草」を買ってくれる。その後ポッタリーに二軒行く。一軒は型で、もう一軒はロクロだった。ロクロのほうの夫婦とかなり話しこんで仲良くなりアドレスを教え合う。ブリッジ・トゥー・ノーウェアという橋があり、その先はなにもなかった。ピート(泥炭)の層が広がっている。粘土の層は見当たらない。羊は好奇心はあるが、飼い主の声にしか反応しないからこちらが近づくと遠ざかっていく。海沿いの崖の上に立ち、崖の下に降りて洞窟を見、砂浜に直立する巨岩を廻と雨が降って来たので帰る。町には中華が2軒とタイが1軒ある。夜タイに行ったがここも甘すぎた。プールを1ゲームして寝る。

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朝7時のフェリーに乗ってウラプールに向かう。船内でやっと昨日のローカルなブルワリーのエールを見つけて飲むと酸っぱくて強かった。甲板から昨日降りた崖が見える。カモメが付いて来る。船の前方を見ていると、波が電気的にちかちかして見える。ウラプールでロビン・ヒース「太陽、地球、月」という、古代の図形や計算式の沢山出てくる本を買う。ウラプールから東に向かう。ナインという町のカフェで偶然カトリーナの従妹に遭う。アードベグを買収したグレンモーレンジ社のディスティラリーでアードベグのべりーヤング(6年)を見つけて買う。ひたすらスモーキーで、ワインで言えばヌーヴォーとかポルトのヴィーニョ・ヴェルデのようなものだ。海沿いを北上してウィックに近づく。砂丘を抜けてライス・アートセンターに着くまで、陽が射して、最北端なのにおだやかな風景が広がっている。瑞浪市と同じような感覚があり、住んでみてもいいところだと思う。粘土の層があるのかもしれない。風景が美しければ美しいほど昔のいやな事が思い出されて辛くなる。このアートセンターも荒野の真中にある。自炊式の宿泊所がついていて、吹き込んで来る風の音が笛のようだ。ウィックのシティセンターに出てテスコで不安に駆られて晩用にキャンティを買い、中華を食べる。3年前のジョン・ピール・セッションをラジオで聴いたという人に会う。アサチャントジュンレイを知ってる、などと言う。

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ライスアートセンターを管理している老人は付属の住居に先祖の写真に取り囲まれて暮らしている。彼の曽祖父はピート掘りだった。

祖父がオーストラリアで儲けて金を送ってきたので両親がここに家を建てた。演奏後の片付けの時彼がレイシーをかける。地元の老人達の前で演奏し、夜遅くまでダークエールを飲みつづける。彼と連弾する。昨日と今日のようないい天気の日は1年で1日か2日だけだ、と言う。

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朝ブリテン島の北端に行き、しばらく居てからギルス港発のオークニー行きの小さいフェリーに乗る。スレート色の海を見ていたらいきなり我に返る。オークニーやシェットランドはスコットランドの人たちでさえ行ったことのない人が多い最果てにあり、日本で言えば千島列島に行くようなものだ。セント・マーガレット・ホープという港に着く。ここにはハイランド・パークという最北のディスティラリーがあり、風味に求められる要素の全てが揃ったモルトを作る。島々はUボート対策と思われる、乱雑に投げ込まれた岩塊の上に敷かれた橋によって結ばれている。春なので小学校3、4年くらいの子羊が沢山いる。たまに中学生くらいのもいる。会場のウッドペック・ハウに機材を搬入する。ソフィンという白猫が居て、最初リチャード・ヤングスの死んだ犬と同じ名前かと思ったが、違う綴りでゲ−リックの王の名だった。テーブルクロスはモリス商会、蜂の目から風景という変わった絵、藤棚、あちこちに客が拾ってきたという海岸の石が置かれて客とオーナーのニューエージ的な共同幻想が窺える。地元のエールを3種(ノーザン・ライト、レイヴン、ブラック・アイランズ)飲む。レイヴンが一番濃い。

演奏出来ず直前まで寝ていて、開始直前に草の上を「もうしませんもうしません」と叫びながら海までダチョウのように走って行き戻って来てやっと演奏する。終了後居間ではベン・ハ−パーがかかっていて、レコード棚を見るとストリングスが入ったフォークが多い。今迄にここで演奏した人たちの記録を見るとトラッドやブルースが多く、バートヤンシュの名も見える。シェットランドから見に来た女性がブリストルに居たことがあるというからムーヴィー・トーンのケイトを知っているかと訊ねたが居た時期がずれているらしく知らないようだった。夜遅く、PA担当の長髪の男がちょっと来いという。ジョイントだったらどうやって断ろうかと思いながら藤棚を抜けて外に出ると上を見ろと言う。見上げると、もし飲んだら腹の中まで真っ黒になりそうな夜空で、銀河がプラネタリウムよりも沢山見える。中崎が呉れたローカル・ヒーローズという映画を思い出した。それもここら辺の星空の話だった。

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朝食にポーリッジとニシンと庭で放し飼いになっている鶏の卵が出る。今日はトマトが入った、と嬉しそうに言う。野菜が貴重なのだろう。食器は地元の陶工が作っており、鉄の多い青磁っぽい還元透明釉の、形の面白いもので、あとで見に行くことにする。庭の外れに平たい石だけで組んだシェッドがあり中に入ると棚まで同じ石を積み重ねて作ってあり、すべての棚にロウソクが置かれ、祭壇のようなものがある。蔦が内部にまで侵入している。ここで結婚式を挙げるのだという。スカラ・ブラエという海沿いの遺跡を見に行く。宿の庭のシェッドと同じ様式でレゴのように二進法の端から決めていく発想で作られた紀元前3000年頃の集落で、海岸には素材となった粘板岩系のスレート様の石が未だに俎板のようにごろごろしている。

ストロムネス港に寄ると、昨夜のシェットランドの女性が店でへリングを食べている。今日は一日中崖から海を見ていたのだという。やはりどう見てもケイトに似ている。シェットランドはオークニーの数倍美しいとあまり力説するのでいつか行って見たいと思う。彼女のフェリーが来たので別れる。

ハリーという集落にある、朝食の時の食器を作ったポッタリーに行く。宿のブロシュアーには、にこやかに笑う彼の写真に添えて、「本物のハリーポッターに会いに行こう」とある。リーチのやり方を踏襲した取っ手の造りを褒めると喜んでフランスの土の天目のカップを呉れる。冬の間はフランスで薪窯をやっているそうだ。リーチが砥部に来たときのことを話すと喜ぶ。セントアイブスにも訊ねて行ったことがあるが、リーチは日本に行っていて留守だった、という。宿に帰ってキャンティの残りを飲みながらまた海岸で石を拾う。

多くの石の中で特別な石を探していると偏執狂的になっていく。ロザンヌが探険に出かけるといって出て行き、海岸沿いに遠くで点のようになっている。湾の端に見える城のようなものを目指して近づいて行って見ると、例の石積みの様式で作られた船を入れる小屋だった。夕食に庭の鶏とハギスが出る。

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朝セント・マーガレット・ホープでフェリーを待っている間切り通しで粘土を採取する。ギルからグラスゴーへ向かう。撮影担当のロザンヌは学生に戻って宿題をしている。途中詰まらないスキー・リゾートやテスコの駐車場で休憩しながらグラスゴーには夜着く。迎えに出て来たスティ−ブンとパブでパスタを食べ、運転手のジョンにカードを贈り、そこで別れる。

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一年振りのホテル・スミスで、朝食に降りて行く時、顔見知りの女主人に、すれ違い様あなたなの(is it you?)、と言われる。