tori kudo

Back to the list

浜風文庫2020.4

4.1

最後の日に
disった
素麺は
フックだけ残して
降りかかる
刺さる
神社は無くなる
黄色に白の腹

頂以外
大きすぎて
人だかりする
懐の翳
コロナ離婚の輪の
泡(アブク)としての
額のない
耳鳴りのなかで
「五輪終です

外側も清めず
内側も清めない
そんなことまで自分で決めた
雨に滲むピンク

あなた、ぶちとまだらの羊,焦げ茶色の若い雄羊,まだらとぶちの雌ヤギ
一人称のあなたがたの袖を掴んで
「一緒に行かせてください
「別にしてください
袖をつかんで「いかせて欲しい
「別々に住む人を探しているんです
国民が絡むと一人を複数系で呼ぶ
外側も飲み内側も飲む
なら容赦されない
他の人より沢山クッキーを食べるわたしに
別の家に住むことを
それがねー
いい感じなのー
とか勧めたりはしない
人に知らせたりしない
同好会を立ち上げたりしない
わたしも間違いをさせたくないからいいねしない
いわれを問わない
あなたはかつて素麺の言葉をフックに吊るしかけた

いわれを問われるはよい。問われるままに、こたえる都であったから。笠をぬぎ、膝へ伏せて答えた。重ねて北條と。かどごとに笠を伏せ、南北に大路をくぐりぬけた。都と姓名の、そのいわれを問われるままに。

だがいわれを問われるはよくない。問われるままには、こたええぬ都であったから。笠をぬぎ、膝へ伏せて答えなかった。重ねて北條と。あなたはかどごとに笠を伏せ、南北に大路をくぐりぬけられなかった。都と姓名の、そのいわれを問われるままに、こたえることはΠνεῦμα ἅγιον(Pnevma ágion)に逆らうことだった。
ほめないならあなたのためになる
ほめられるあなたもほめるわたしもさいごまでΠιστός(pistos)を保たなければならないことを理解している
数が増えているということは
心配する必要はない
疾患のために信じていることもあるからだ
集計には選ばれたと思い込んでいるあなたの数も含まれている
残っているあなたの数は分からない
給食センターのバイトに遅れて来たのに一万もらったあなたの
ぶちとまだらの羊,焦げ茶色の若い雄羊,まだらとぶちの雌ヤギ
あなたが都にいくことの
いわれを問うてはならない

4.2

千円カット

床屋の日常などない
黒髪も白髪も
共に落ち
吹かれるか吸われるか
籾殻のように跡形もなく
かつておれが坐っていた日常は
高さを調整されて
静止している

動脈静脈の絡み合いで
やっと直立していた
観葉植物の猿人は
マンドレイクという名で
令和姫とレイチェルはスーパーで彼を根こそぎ争奪し合い
お蔭で地球は空洞になってしまった
ジルパとビルハは軽くなった腹を撫で回し
GIFにもされなかった自分たちの気楽を啜った
ジルパもビルハも
借り腹の絡み合いの紐を
立体にしたのだ
それをカットしたのはおれだった

かつておれが坐っていた日常は
いまや正しさを調整されて
絡み合いながら静止している

 

4.3

千年カット

わたくしとはひとつのうち捨てられたアルシーヴである

戦火のなか詩どころではない、ではなく、だから詩しかない、とジジェクは書いたが、
この災厄のなかで詩よりも上に来るのが写真のアルシーヴであるような場合、ひとは墓所を購入したことになる

生まれた村を出ぬまま
庭の柿の下を掘り進んだ
渡り歩くのは山窩や家船だけであり
ライブツアーなど考えも及ばなかった
恋愛のために、さらにはそのあざむきのために、生きているのは数日のように感じられた
スクリューの轟音のなかで掘り進み
四人の妻は地の溶鉱炉に達した
ネガティブな情報は最小限にとどめられ
母より大きい娘が
アルシーヴの轟音のなかで解決策に注目しやる気を教えていく
二人の黒い影がアフリカンシンセ風に揺れている
どんな人であろうとシンコペーションを拒否した歌で耳から教え
目の見えない人には後ろから話しかけてはいけない
鍛冶屋の親しみやすさと散髪屋の気遣いは
詩の轟音のなかで
以前のようには啄めないまま
この災厄を経て
千年の間カットされる
端女の時間割は白紙に戻す
スクリューのテクノロジーはハリー・スミスが
コンテンツの統合は天使が請け負う
最後の日に神殿で
アルシーヴ化をdisられる
写真群はギゼン者の外面に降りかかる
一円玉が内面に落ちる音を聞くために
電子的に人を呼び寄せる
石はとてつもなく大きいが
轟音のなかで崩される
種に食い込む外側

 

4.6

千年安全剃刀

彼は川の地方の雇われたかみそり、と呼ばれていた
どすのメッキーとか
京成サブ
みたいなものだ
(ずっと咳してる奴がいるな)
悪が悪を挫くという
白竜みたいな図式が
イニシエからあったのだ
(ずっと咳してる奴がいるな)
いまや悪い奴らの方が真剣だ、とは「ソシアリズム」の台詞だが、
時代はさらに進んで善人も悪人もともにコロナの婚宴に招待される道ゆきとなった
(ずっと咳してる奴がいるな)
彼の真剣さが意味をなさず
十部族の(真剣な)曖昧さも意味をなさなくなったのがこの春だ
(ずっと咳してる奴がいるな)
春はコロナを見ておらず
コロナは春を見ていなかった
(ずっと咳してる奴がいるな)
おれはアーカイブ化に勤しんでいて
春にもあらずコロナにもあらず
大他者になり得ぬそれらを通して
小文字の欲望を形成することなどしなかった
最後の春はそのように換骨堕胎されて過ぎる
(ずっと咳してる奴がいるな)
春の手の中で石のように硬く
コロナの手の中で粘土のように柔らかい
でもあと一周走り忘れています、
と顳顬の光る平面によって構成されている多面体としての頭部が語る
人種の違いよりもパーツのアフォーダンスのようなものが際立つ
(ずっと咳してる奴がいるな)
経験とは後追いの電影であり
知っていたが見るまでは思い出せない記憶だ
(それにしてもずっと咳してる奴がいるな)

 

4.7

千年ランチ

 

音楽の中世化が必然であったのであれば思想もまた中世化しなければならない
必要なのは超越ではなく退却なのだ

栄光を示すと言う
これまで二回示したしこれからも示すと言う
目に見えないけれど声を出すことが栄光を現すことになるらしい
じゃあぼくは声を出し続けていてしかも目に見えるからずっと栄光を表していることになるけど
そうならないのは全てを反映させていないからか
その欠落の周りに欲望が生じているのか

演劇の一部として使って際立たせるというのが音楽を活ける方法だったが、詩に花道はあるか。

非対称が際立ちすぎてはいけない
自力で飛べないならリーダーになってはいけない
変哲ない木立の写真に
絡まった見えない羊を探せば
鉄格子越しのきみの顔が見えるだろう
羊頭からのその折り返しは変身しない隊員のようだ
スマートではあってもヒーローではない
コロナ怪獣対策の隊員はTVの中で
令和に昭和を滑り込ませている
お兄さんキャラがドブ板に白黒で立ち上がる
御同輩!と紙一重の電化羽根
パンシロンのバンカーは禁令下の駐在地で妻のランチを
首を切られた白鳥のように
詩を活ける室町にする
頬痩けたスーパーマンの力強くげっそりして
アメリカでも中国でもない
灰色のキャラメルごと飛ぶ宇宙船のなかの静止画像の地染め前の伏糊感
おお 立体よ
バナナのように直立しマカダミアの顳顬を持つ
一九六ニ年から西暦しか使わなくなった韓国に昭和はあったか
生き残る人に共通していたのは

掃除機の空洞を思い浮かべてみる
コロナじゃないよ花粉だよ
と抗弁している仮想の現実を
受け入れているかどうかだ
画面を見るとゆうちゃんて一家の中心なんだね
髪の分け目の用水路が上に延びて
今は令和だ
あらゆるGIFがあるように思える中で
欠落のみに注目しよう
英語にはないニュアンスは集められて
仕分けられぬまま
春のゴミ屋敷に
菜花として生え
生首として活けられる
天には無い光景として
生花は切られ
タイで絞められ
鯛は不躾に活け締められるから
称賛しないなら弟子にならないで済むと
花の下で論語教師の落としたUSBの
早口のワクチンのデータを届ける
光る柿の芽を早く食べなきゃ
大艱難が始まってしまうが
アーカイブは花瓶に活けられなければならない
選ばれることはミュージシャンの願いや努力にではなく憐みのあるコロナにかかっている
授業がストップして学力の差が出ることを心肺している
選ばれることと選ばれていないことの界面はない
アゴニストとアンタゴニストの汐に晒されるが
その内面は孤児レセプターのリガンドとして
高潔さを捨てずに歩む

アルシーヴに忙しすぎて見れない(ラ抜きすいません)と過ぎ越して
今年もやはり桜を見ることは出来なかったと桜の下でホカ弁のランチを食べながら思う
いつかきっと花を見れる(ラ抜きすいません)日が来る、
というのは決して充足することのない対象aであり
今年も花見なのに花の欠落を見るということになる

人の写真がアルシーヴに這入り込んでくる
見えない道徳律を守れないのだから見えないコロナから身を守るなどということはできない

いつ死ぬかわからないのに引き落とし契約などできない

4.8

千年花月

ユダの声色で
腑の出た魚
トリチウムの様(やう)に捨てられた旧神は剥(ムク)れる

千年花月

薄つぺらい写真で出来上がつてゐる菊人形状の身体から満月を剥がし
その欠落について補填するのなんの
減収のはなびらで装ひ
理由のある唯一の札を引くやうに
現実と永遠を重ねる
オートバイは失恋を吠え
罪のレセプターに給油する
その愛はリッター何兆円ですか
何かわるいことをしたのではないが質(むかはり)になつてねこの視線にまで入り込んだ
生き返らせるには写真アルシーヴの配列を変へるだけでいい
サイズでも作成日時でもなく人は名前で並べ
パオの中で火が燃え
ねこは内側に揺蕩(たゆた)ふ
外で繋がれてゐた人間はウヰルスのついた無酵母の煎餅様(やう)を食べた
とりわけ白茶けた一葉が抜き取られた
決して到達しない花月に向けて

ある種のマリン・ブルーを敷き詰めた部屋で
法律用語こそが最上等リアルだつた
それを知ることはそれを愛すること
その乖離に竦(スク)み
生き返つたねこの視線を骨組みとした天蓋の白を以て
いぬの目に降る花月に揺蕩へ

4.9

千年眼鏡

今日のあけがた
まつりの熾火はまだくすぶっていたが
さむさのなか期待してうろうろしていた
組内のヤクインたちが起きてきて(ずるいな)協議しているようだった
ここで暴力装置と自治会が系統を別にしていることが明らかになったのをあらためて感じる
ケーサツを呼べ
はまだ生きていた
反逆禁止条例は直接的には暴力装置とかんけいはなく
長の前で「うん」と言ったからといってどうなるものでもないのだ
罪状は大抵の場合突き上げによる
だからもうなにも応えなくていい
仕組まれた事件を扱う長はうらみや嫉妬まで見通しているものだし
なおかつ恩赦の餅撒きまで持つのが支配の生政治というものだ
ヤクインは薬院に集まり鯔背なまつりの死者のハレに衆の焦点を持って行った
まつりの死者はべつの満月のまつりをすでに昨晩用意していた
目の前にあった飲食物を回して与(アヅカ)るメモリアル、という簡素なカウンターであった
暴力装置は作動した
あざけりや唾をかけることはこんどは代理の暴力装置の仕事だった
罪状のパロディを演じるのは共生の実感がないからこそ出来る、虐殺に従順な軍の特色だ
群衆の代理としての暴力装置は個々人には冷たく、棒杭を運ばせられるなどしてとばっちりを受ける者もいた
長が訴訟の裏を見通しているのと同じように、群衆はゴルゴ13のように背面を取られないためにだけ想像力を用いる
まつりの死者はじぶんのまつりの中にいるが群衆はかれらのまつりの中で裏へ、裏へと情動をマネジメントするので
雷の声を聞いてもその解釈に於いてつねにずれていく
えりという語が発せられているのに聞き間違いを耳に強いてまで裏を取って意識決定をずらせてゆくのだ
それは消防団的なリーダーたちへの付和雷同という消極的な側面もあるが
苛められて来たゆえの防御反応でもある
昼なのに闇が垂れこめている
奥の奥に通じるとされていた幕が裂けてやっと裏がえしていたものが現実だったと知る兵隊もいる
動態視力としてのカメラは引かれまつりの外の大勢の女たちが映し出される
roll it on him!
読者よ想像力を働かせなさい
支配の複雑さと虐待のトラウマから来ているのかもしれないが
本当の場面に遭遇した時いつものように裏を想ってしまうならば
人の子を殺してしまうのだということを。

花の季節に閉じこもって花の写真を見ている
忙しくしていれば乗り越えられると信じて
欠落を見続けている
だが今日は見てやる
ちらとでも見てやる
花の永遠を
見たら爆発する
去年との違いを見てやる
おう 書き言葉 書き言葉
詩の役割語よ
腹を立てていた
自分に対してだけじゃない
ほとんどすべてのものに
そばにいる
画面にない手を見る
猫を見ていると
種の違いよりも
個体差の方が本質的であるように思える
千年眼鏡を外すと
聖霊なきシュールの彼方
ここまで画像整理に励んでいるということは
ほんとうに死者からのアルシーヴを実践しているということだ
平たく言えば今年からはサクラもガン見しようとせず既に死んだつもりになっているということだ
happy passoverなどというGIFが散見されることからすれば
地上性の開き直りの世俗は天に達している
すなわち滅ぼされる
きみはガクモンにヨリドコロを見てはいけない
天にも地にも居場所はない
緑の濃いとりわけにちゃらけた写真があった
セイタカアワダチソウの黄色が見えた
耳鳴りの中痙攣しながら自分で自分の肩を抱いて寝なさい

 

4.10

千年プリント

一切誓ってはならない
と言われて応える
一切撮ってはならない
死者からのアルシーヴが画像を消すことなのであれば
あと何枚心を消去すればいいのか
消去したことを書く算段が詩である
消去は欠落の充足のためでもある
速度を落とし
お婆さんに道を譲る
マイナス茶碗に注がれる消去という名の燃料
をデポジットとして飲む
崩壊後の水と食料は備えられるだろう
片桐ユズルのボブ・ディラン詩集の装丁は段ボールだったね
中身は読まなかった
段ボールの画像を消去しても
読まなかった中身が押し寄せてくるわけではない
段ボールみたいな声が充填されるだけだ
あとおれね、リッチモンドのマークボランが死んだ場所に行ってみたことあるよ
ガイって友達が教えてくれた
それから川沿いのパブに行ってサンデーブランチのウォッカトマトを舐めた
晩年の歌謡TVショーが見られるようになって嬉しいよ
今にぴったりだよね
写真はない

 

4.13

千年演劇

音楽が演劇の一部であることによって欠損を生きるのであれば
写真は死の一片であることによって充足を希求する
詩にはそうした充填がない
言語は神の一部であったが二重の意味で疎外されているからだ
ひとつはバベルであり
あ、サクラが散りはじめた
もうひとつは千年演劇に関わる言語をduolingoでは習得出来ないということなのだ
詩人は城外で犬と共に泣いたり歯ぎしりしたりするしかない
いまはそれを過度的に詩と呼んでいるだけだ
元気でなければ詩は歌えない
ところがいまは元気ではないことの領域でしか書き言葉は息をしていないのだ
それは充足の欲望とも違う
希望はないからだ
コミュニケーションの運動のみをあげつらうのは道教的現象学的経絡的であって命を賭けるに値しない
それに決着をつけるためにきみは若い頃
余はかかる思想に拠りては未だ行動すること能わず、とか言ってさんざん格闘したはずだ
それにしちゃガラ刑をライフワークとか帯つけて売ってるわね
あ、ホンダのn/が通った
ひかりは溢れているが
アルシーヴの密室で感染することが優先されるいま
サクラは黒い

今朝
怖れに満たされて女は走った
マルコのアルシーヴはそう結ばれている
そこにはスピードだけがある
サイケデリック・スピード・フリークはそこを目指した
なんだかんだ言ってその話かよ
だからコロナでこうなろうって話しでもないんだよね
えーっ、ギトギト水田商店自主休業かよ
演劇は美術と一緒でなんだかんだ助成もらって演劇とは何かみたいなところに突き進んでるけど、そもそも実験演劇って必要なのかな、とおれは思うわけ
雅歌劇鼎談風ね
音楽だと実験音楽というジャンルがあって
FBで日本のそういうの避けてるわよねあなた
でも演劇の一部という意味で言うと、実際は実験音楽じゃなくて音楽実験、つまり音楽を使った水爆実験みたいなものしかやる意味がないんじゃないかな、というところがあるんだけど、
演劇は初めから包括的なものだから、これは実験演劇じゃなくて演劇実験です、というずるい言い方は成立しないんだよね
いくら参加型にしたってそれは越えられない
美術は越えようとしてるけどね
でもそれはもはや美術じゃなくてただの運動で、金が動いているからに過ぎない
音楽の側から言わせてもらうと、音楽は演劇の一部とか謙遜に言ってあげてるわけなんだから、演劇には、なんか、こう、デーンと構えてて欲しいわけよ(笑)
でもじゃあ演劇は永遠かというとそうでもない
ローマのコロシアムでライオンに殺される側はじぶんたちを規定して、世に対して劇場の見世物であれ、と書いているんだけど、ミレニアムに於いては世そのものがなくなっていて、逆に彼らこそが復活してくる死者を迎える世そのものの側になってるわけだから、そこにはもはや演劇は存在しないはずなんだ
人類史に通底する大きな物語というレンズを通した光が焦点を結ぶまでが演劇で、彼らを含むたくさんの出し物が来るべきものの予表として置かれたわけだけど、彼らは演芸場で言えばトリで、それ以降は逆ではあるけれども暗室に映しだされる実体としての世界しかないんだ
演劇が存在しないってことはその一部ですとか言ってた音楽も存在しなくなるんだろうか
劇というものは二千年前からもう上演されなくなっていて、真の演劇というその意味のなさの殻のなかで音楽は宿を借りて住んでいたということになる
3月分の図書館の給料7千円だった
4月はゼロ
野菜売ってないので庭の蕗と野蒜食べてる
いまは骨壺作ってる
それに今まで撮った画像データ全部に「アルシーヴ」という曲を被せたUSB(まあ、映画ですね)を入れてバンキャンで売る
前にも「休日出勤」という曲と「worth to see」という写真集の入ったマイクロsdを専用の白磁の蓋物を作って売ったら久万美とかで変にウケたことがあって、それを思い出してやってみている
それで終わりにしたい

 

4.14

千年シネマズ

過ぎ去り方が速くなった
名詞や個体ではなく思惟そのものが一コマで消える
文尾まで聞き進むうちに動詞が肯定だったか否定だったか忘れている
間違いだけが結び目を、
大河内伝次郎の言い損じが映画を形作る
欲求だけ考えて感染させる
カメラのパンのみによって生くるにあらず
zoomの踏み外しによって事故は自己になるのだ
巻き貝が喋る時口を窄める
不従順なシラー・ペルピアナと共にオオツルボが犯す同じ過ち
ジャン・ ルイ・シェフェールが喝破(カッパさん大丈夫かな)したように、私たちは映画を観ているのではない
じかに倫理に触れているのだ
千年の営林
自分で春の雨のなかの甘い父を二百回演じる
コロナは一時的なものに過ぎない
骸骨バレリーナも操られて立ち上がる
フィッグ・バーの枕木がコマを区切り
無花果の位置軸が移動している
ハグが語源と共に過ぎ去る
a film
with constant sorrow
掘れない鉱脈の瞬きの移動のなか
一瞬目にする井戸
記憶できない美しさ
当局からの勧めに従い
記憶しない
映画よ滅びる国に従え
人の命を守れと言われたら守れ
もうすぐ滅びるのだから従え
映画よ滅びぬ国に従え
自分の命を守るな
滅びないのだから従え
死者が演じる六千年のロック史を撮影せよ

4.15

千年残像処理ソフト

 

あなたは何をしていたのか

いろいろ行き巡って観光してました

あなたは正しい人を見たか

いえ観光なんでそういうのはちょっと
でも爪痕は撮って

感光したわけだ
今は動けないから移動が懐かしいだろう

ションベン小僧の前とか人魚の前とか
自分が居ても居なくても一緒ですよ

わたしはずっと休日に働いてきた

桜桃ですかそれ
流星号応答せよ
休みながら働くのか働きながら休むのか
生きながらブルースに葬られ、ってありましたよね

殺されながら生きるのか生きながら死ぬのかどっちだ

おいしいウォッカかすごくおいしいウォッカしかないですよ

観光中でも仕事中みたいに缶コーヒー飲むのか

役に立たない血ですよ

せめてビーツ入りのスムージーだったら赤いのに
菌たちに平等に繊維食わせないと

ぼくは行かない どこにも 
地上には ぼくを破滅させるものがなくなった、ってやつか

宿便行ですかそれ

捨てるのは撮る何倍も手間がかかるから
生きた時間の編集は千年ではとても足りない
たとえ数年生きただけでも作業に百年はかかるだろう
生きるということは背後にその何十倍もの死後のアルシーヴを抱え込むということだ

石を積み上げて山を作り
その上で一緒に食事をするのだ
そうして折り合いをつけるのだ
追いかけて来る時間と自分との

編集は生きている時間の何倍もかかるということに皆気がついていない
それを知ったらこわくてそもそも生きられないだろう
老人になって連結が不活発になり蟄居するようになればなるほど枕木の間隔は伸びて作業は滞り編集時間は増える
高尾の篠田の老父の家に配達の仕事がてら行っていたことがある
庭の縁台のこれこれをこうするにはまずはホームセンターに行ってそれから
と考えだすと他のことは考えられなくなる
人頼みなのでその一件を処理するのに数週間かかる
子供はゲーム機を取り上げられるとそれが全てなので自殺するが
それも嗜好というより生まれてきてしまったことの処理の問題である

ファイルのデータを追い過ぎて
朝目蓋を開けないままだと数字の残像が縦に流れる
脳はすでに狂った数学者の隠れシェッドのようだ
下層には文系も理系もないが
死後のデータ処理の速さを競うのが全ての終わりのない頭の疲れる労働の基礎だ
髪の毛一本も失われることなく記憶しようとする
それさえできれば生きていることなど二の次だ
人口削減を口にするなら残像処理能力を手にした富裕層(you saw 富裕層)から死んでみせるのが理性的に考えて妥当だ

 

4.18

千年婚

同性婚の家の子が、うちのお父さんは女です、
と言うので
それは話が合いますね、
実はわたしの親も、男でも女でもないんです、
と返してみる
親子を語るときだけ人は厳粛になれる
no joking official publicである
有線では、たいていビリー・ホリデイかモンクがかかっている
マル・ウォルドロンばかりかかかっていたこともある
そういうのを親だという人もいたけれど
そんなとき、言うほうも聞くほうもまじめだったのを思い出した
子はあなたのことを二百回おとうさんと呼んだ
あなたは男でも女でもないので
イエのアレゴリーは便宜上のものだったと知っている
それでも
それは唯一効果的な説得の仕方だった
いくら家庭内暴力で評判を弱めようとしても
終わりのときまで家族に対する思い入れの大枠は生き続けた
エディプスはそれだけ筆に乗せやすかった
それでわたしも
実はわたしの親も、男でも女でもないんです、
と返したのだ
家族が重要なのではない
その制度を使った比喩こそが実体のアルファ・オメガなのだ

 

4,17

千年パース

消失点が一つの時
原理主義者が月夜の廃墟の大通りを歩いている
消失点が二つの時
死んだことのない善人と生き返って憑物の落ちた悪人が辻で鉢合わせする
消失点が三つの時
俯瞰した宮の外に犬を探す
消失点がそれ以上の時
苦い現実にパンを浸す
〈それを見ている〉〈それを見ている〉の視線のメタ連鎖が
まなこが二つ、太陽が一つの遠近法を振り出しに戻す
安息はカメラの中で反転している
雨戸の穴から障子に映った逆さの映像
あれが原点だった
そこから無数の消失点が生え出て
一葉の花の写真にさえ到達できなくなって

4.21

千年ブギー

 

音楽には失敗がある
失敗してもご愛敬なのは音楽だけである
この詩とかはだめなのか
失敗といっても大抵は音響的にであって
逃げたな
接続の不具合に加えてPAの意地悪や
嫌われるようなことするからだよ
ストラップが急に外れたり
それな
再生においても針飛びディスクの傷wifiやbruetoothの強度等による切断は度々のことである
笑顔でなければならない
ボランが最後に出演したTVショーにはボウイも出てヒーローズを歌った
番組の終わりにボランはさよならデイヴィッドもみんなもありがとうこれは新曲ですと言って演奏を始めた
ボウイもギターを弾いた
ヒーローズっぽいテイストも入っていて乗り遅れまいとする良い出だしだった
しばらくしてボウイがこれからどうすんだいと叫んだ
理由は分からないがボランはタイミングを外されてそれに和することが出来ず曲は唐突に中断され
一瞬彼の笑顔が画面右下に垣間見えた
その九日後に彼は死んだ
不当に扱われても笑っていたい
雇い主から解放されて笑いたい
いつもなんとなくうれしそうでありたい
雇い主が以前と同じ顔ではなくなっても笑っていたい
婚約から二十年待たされても笑っていたい
夜逃げしても笑っていたい
朗読の名手のように声色を使って
ゴキブリは這うので可笑しい
安心できる世の中が内臓に迫ってきて不思議だ
花が飾られて遠い
日本人は演奏で照れ笑いするとデレク・ベイリーから指摘された
恐れから来る笑いほど真面目なものはない
失敗のトラウマの強烈なフラッシュバックが堰を切らないように
完璧なTVの画面を観て公園に逃走する
可能なんだ
ゴキブリのように一人躍り出る
できる限りのことをして
内臓を顔に昇らせる
弱い人には弱い人になり
手紙の唐突や電話の夢物語のトーンを避ける
return visit to rock mass
政治家は私たち個人個人を知らない
個人対個人の関係のみが重要なので
どうか戻れるようにしてください
いなくなったボランを捜し
はぐれたボランを連れ戻し
けがをしたボランに包帯をし
弱いボランを力づける
終わりは極端には悪くはならない
どの家にも食物がなくなり
どの家からも病人が出るわけではない
時間的余裕がないまま突如として生じる
絵も声も必死で語る
海は荒海で向こうはモノクロの佐渡
白いコーンが並ぶ直島の船着場
物の凝集による薄明かり
城壁を崩す音
こんなに医学が発達したと思っていたのに
できることが家から出ないことだけということに絶望する
とある医者は言った
それでも
失われた写真を探し求める
迷った仔羊を探す勢いで
家と家族の違いを分からせてやる
間違った慰め
千年ブギー
音楽には失敗がある
失敗してもいいのは音楽だけである
取り返しがつかないことが分かっているからだ
その代わりに
迷った仔羊を探す勢いで失われた写真を探し求める
もしかしたらデータを復旧できるかもしれないからだ
そのようにして死んだ写真が見つかることもある
笑顔でなければならない
さよなら、デイヴィッドもみんなもありがとう
これからどうすんだい
失われた写真を探し求めている
失う家と失う家族を探す
間違った慰め
千年ソニック
音楽には失敗がある
失敗すると星が爆発するのは音楽だけである
笑顔でなければならない
最後にボランはTV画面の右下隅で笑っていた
失敗といってもソニックに成功も失敗もなく
笑顔は音楽以外のところから来る
笑顔でいなければならない
恐れが免疫系を弱め感染率を高める
とある漢方医は言った
終わりは極端には悪くはならない
どの家にも食物がなくなり
どの家からも感染者が出るわけではない
笑顔でなければならない
間違った慰め
千年ガンクラブ
ガン・イーデンは家として失われている
傾けて斜めから或いは仰け反って斜め上から正面を向くのなら
たまに首は真っ直ぐに立てなければならない
スピーチに関してアドバイスされたのだろう
言いづらいことを向正面から言って隔離される
自信がないと目が泳ぐ
本気で噬む
のっぺりした富士絵
空は木版
これからどうすんだい
その行節を読むのは今ではない
根拠はない
もっと考え詰めよ
ももクロはいいモノクロにしてくれ
長細く地に貼りついた図絵の春霞
桃色の帯は二点透視に垂直
鶉の卵型を噬む
自然に傾いている
首が据わっている
画竜点睛的に同色を隅に置く
山崎朋子は森崎和江から失われた家に招かれなければサンダカン八番娼館を書けなかった
澄ました鶉
家主に怖いと感じていると伝える
蛍光黄緑
家と家族は違う
再び得るのはもとの家ではない
目に見えないから惑わされない
諸天体に何が起きるのか分からない
マスクして
気を失いつつ
頭を上げる
まったく突然に
このスーパー全部
泥棒
そのあと任命する
取り返しのつかない喪失

 

4.22

千年桜

 

弘前城は枝垂れが満開で
お濠は花で真っ白だった
僕はハルコと四阿にいた
水面はハルコなら歩けるんじゃないかと思うくらい真っ白だった
毎年こんなに真っ白になるんだと思った
その頃の写真は失われている
あんなに真っ白になるんだった

齶田から津軽に入ると丘はウィーン幻想派のみどりで
浅虫海岸の黒は海鞘のにおいがした
弘前はユパンキという店に呼ばれていた
城址の桜が満開だった
僕はハルコとピアニカを吹いていた
僕が息を震わせるとハルコも音を震わせ
僕が勢い余って吹き口を外すとハルコは笑った
お濠は真っ白だった
毎年こんなに真っ白になるんだと思った
その頃の画像は失われている
5Gは希望を奪うんだろうか
全てを奪われた脳に残るのは失われた画像だけだ
お濠は花で真っ白だった
あんなに真っ白になるんだった
ああ あんなに
真っ白になるんだった

 

4.23

千年パーク

 

和歌

藤と八重が共に咲くので見に来たが藤と八重は今年も共に咲いていたことだ

 

和歌

今年はせめて藤と八重が共に咲いている(短い)期間だけでもお会いすることはできるでしょうか(いやできない)

 

和歌

藤と八重とが共に咲いているというコンセプトでコーディネイトしたのに今年は誰に見てもらえるのでしょうか

 

和歌

藤と八重とが共に咲いているのに大友山の霍公鳥は今年は来てくれません

 

和歌

(震災以来)藤と八重が共に空に打ち寄せられてデブリになって久しいのに(今年は)そうした空の廃墟を見ることすらできなくなりましたね

 

和歌

藤と八重とが共に咲いている写真アルシーヴ作りに忙しく、今年はもう終わっているだろうと思って来てみたら(見事に咲いている)、この公園の三番目の消失点を空に置きたいほどですねぇ

 

和歌

藤は寄り掛かるもの、八重は共に波に打ち寄せられるもの、毎年来ていますが、今年も一人で見るのでしょうか

 

和歌

大友山の麓にあるこの藤と八重の公園を、また巡ってくる千年後にもこんな風に眺めたいものですね

 

和歌

ジェノサイドの記憶が永遠に消えないようにスーヴェニールとしてこの藤と八重を植えたのでしょうか

 

和歌

藤と八重が共に咲くのを見て、東京の都のことを思ってしまうことだ

 

七重八重桜の空に藤浪は打ち寄せられて共に消えたり

 

4.24

千年のむき出し

人の限界の先は滝になっていて
生政治が落下している
MMAの勝者は丁寧語であった
カール・ゴッチも紳士であった
児童図書しか借りない引き籠もりの男は番付表を誦じていた
鮎川は叙情詩に落ち着いた
コロナは新型と呼び習わされている
正しく闘い続けるとは児童書を借り取組を覚えてコロナに新型を付けることだろうか
そうかもしれない
いつもそれはそういう感じなのだ
上からの照明で顔は変わる
姉と妹が照らされず内側から明るい
漫才ユニットの片割れ片割れのように明るい明るい
コンビニの前で世馴れた交渉をする危機に
下を向くレッスン
人気のある時はあラッスンだと差された
オタマジャクシたちの運営
ペニエルの取っ組み合いは明日の嫌なことを忘れさせた
昭和のくぐもり
をスマホの解像度が消す
ゲジゲジ眉が慰安所を作った
財産は家畜
唐を荒らしても稽を無くすな
八割れの牝牛
に似ているけどネコ
タプタプ
身頃に止める穴付き
カーテンの襞を垂直に垂らす強い力
言葉の使命
薄いモオブ
モオブ
濃いモオブ
ほとんど黒
濁音の排除
ペダル踏んで
構築され切った晩期資本主義脳
慣れない状況ではありますが
般若のアングルで
ドラクロワ
荒唐の堅さで
襞が三点透視
光で唇が溶ける
ご飯食べてない
赤トンボ色の
怖れ
もう重力ない

ネガティブなことを語り過ぎない
と言うと叩かれる
ジャコブは恵みを求めて泣いた
疲れ切っていたし
丁寧にお断りし
知らず知らずのうちに
にせものは目に見えるからわかる
ネコはぶぜんとする
壁があまりにもはっきりしているので
でもそこに戸口がある
千年平行移動して
城の周りを回る荒唐ハーモロディクス
八十八周回ってもも崩れない無稽の壁
ル・マンのボタンダウンの団栗頭
枝が柔らかくなって
もうすぐ終わるから
逃げ道​を​知ら​ない​さまざまな国​の​人々​が​レイモン・クノー​します
マックス・ジャコブに立ち
水も買った
拡大写真で何も分からなくなる
特に注意する人
甚だしい水曜日
こういう時だけ
荒唐は嘆きながら働く
真っ当なことを言えないので
無稽封じにはなる
真っ当なことが壁になって
荒唐のハーモロディクスが地に堕ちていく
この世界の敵たち全てのように
むき出しにされて堕ちていく

 

4.27

千年ラリってる不思議な映画で多幸感に襲われる

殆どの人より王は歳下であった
親しみを感じられるかどうかが生支配の分かれ目であった
ワケメ
果たして王は肥顔であった
彼岸過ぎ迄
マイナンバーで顔入りカードをつくれば五千ポイント、
生にチャージを加え
理由なき暴力と裁きの災害の差異間の領野を支配する
もはや型ではない来たるべきものの来てしまった後に
タコ焼きプレートを捨てる
二百二十度で八分
ヨモギ入り
他の人の体を汚そうとしたり
doughを流すシンクタンクが天動説のフチ子
日の果て
六十億人が攻撃を受けるtribulation
どのように逃れるか今は分かっていない
死支配にも程があるとんでもない命令だったらどうしよう
二万チャージで得られる五千ポイントが奥の部屋
タコ焼き幾つ買えるかな
ネギ焼はタバスコで胡魔誤魔化して
王宮に忍び込んだ泥棒の守宮はヨモギを練り粉に混ぜ込み
いとも簡単に限られた星で睡りこける烏骨鶏
pollos唐揚げ
ネッタミ
ズッ友
初夏の青は茶への嫉妬
ビデオで見合い結婚して宅配で子供作る初夏
王はヨモギでクッキー作った
雑草を引き抜かなければ良い脂質が育たなくなる
ザッソークッキーを食べるネッ民は持っているdoughで満足し自分をビスケットと比べません
白い地層にカメラを流し
瞼のチックをカウントに
王は儲かるのでサクラを切って櫁をやることにした
秡川櫁
妹は中国とロシアを支配することにした
生支配テクノロジーはそれほど変わらないと彼女は宣言した
あなたたちにとっては別に何も変わらないわ、ただ、支配するだけよ
雑草は民主主義ではなく妬みであった
青のストッキングで首を吊った
ドミネイトする青
われわれは青の軍団だ
桐部隊と富士額
残存雑草精力を一掃する
休む暇も妬む暇もなかった雑草は自分が雑草だということを知らなかった
自分で自分を引き抜くには自分をカード化して引き抜けばいいのか
キングの一三が畑に落ちていれば
王のオケラだと思って笑ってくれ
かつて自分を売った十一人を見送る時に、途中​で​いがみ合っ​たり​し​ない​で​ください、と冗談を言えた
逆さ燕で頭に赤が入っている
市民社会の中で私は盲目でなければならない
人のために何かしようとする時に初めてうまくいかなくなるのは盲目ではないと思い込んでいるからだ
この自発的なマスクにどんな意味があるのか
それは政治の問題ではなくアルケオロジーの問題なのだから歩け爺い
自分のアルシーヴを生活しながらまとめて論じることができなかったがコロナで死んで初めて二メートルの隔たりを確保してきみたちが敦盛どうぶつの生活をしている間に外からそれができた
自分が巻き込まれている現在を切り離せば直近のアルシーヴが可能なのだ
だからもはや近さの中に沈んでいく、ではなくて直近の中に離れてゆく、が正解だ
鬱のおまえは忘れてなかったか
界面とはそういうテントだった
外とは月は昔のように月ならずのあのひりひりする現在であり止め杭でありPCRなのだ
安全・領土・人口を巡って変容するのは政府ではなく自分であった
それが王のテクニックであった
新自由主義のアルシーヴほど、渦中の列島で見過ごされてきたものはない
世の中とはすでに世の中ではなくなっていたのだ
それは空気ではない
かつて空気であったものは今は空気ではないのだ
天幕用留杭を差異として打ち込むと界面はやっと夜空を切り離す
切り離すことで浮かび上がらせるのが還元不能なフカンゼンさである
理性とはことばの差異であるということ、自我が仮面の差異であるということはこうして経済的にやっと身につまされていく
この市民社会は本質でも何でもないのだ
それはたんなるぶっちゃけにすぎない
最後のアルシーヴが賭けるのはそこである
問題系を銀河系と取り違えた憶測は、愛をいじらしさと言い換えた
象徴王とは統治のつましさにかかわる何かであった
つましいあつかましさの中で市場には蚊がいなかった
畑一反の南瓜が五十円
それは競走だろうか
断じてそうではない
その額は寡婦の硬貨が象徴王において逆転したつましさなのだ
楽市楽座でその額をアリストテレスがエードスえ、と言いプラトンがそれでイーデアと言ったのだ
一反五十円のために王は統治する
それは経済ではない
買い叩かれるニンゲンというモデルをリベラルオーストラリアにばら撒いた
というのが現象学的直近アルシーヴだ
不可触選民としての遠ざかりのなかで限りなく買い叩かれていくコロナ野菜はいまやスムージーの繊維として相関する
写真付きマイナンバーカードとはそういうことだ
どうして繊維として回収されることになったのかわかりますか
人のことが心配でマイナス茶碗を作り過ぎてそうなったのだ
ポジティヴはネガティブの海に浮かぶヨットに過ぎないがそれは自分には決して知りえない
決して辿り着けないインターチェンジ
そこには羽虫がいる
自分がヒトのための活動をやめて引き篭もることにより知らず知らずのうちに、他の人々にとっても有益な効果がもたらされることになったりする予測不能性のなかで
逃走しながら人助けという奇妙さの画像が現れる
そのために盲目でなければならないのだわたしは
五十円市場の制御不能性はコロナ的原子論的引き籠り行動様式の店の合理を遠くから支援する
盲目であることが支えとなっている
この曲解は労働ではなく
盲目の我の方に重きが置かれた時に成立する
売れそうな野菜よりも絶対に売れない野菜のスムージー展開
その繊維こそが単なる不完全さという事実ではなく絶対に不可欠な白物なのである
私の自粛は、象徴王の天命ではなくむしろ、私固有の否定性そのものによってアルシーヴされるということだ
この引き篭り時間の有限性そのものによって支えられるものとしての聖霊なきアルシーヴこそが舞踏なのだ
これは有限の無限に対する逆転にともなう現実の成立というコロナな出来事なのである
可能不可能を語るということは無限が喉からデカかルトきそれはいカント有限を無限から解放できないことを反省することでもある
逆転有限無罪看護士は感染しながら無限をポジティブに否定する
それを外からアルシーヴする雑誌が東雲通りのジャズ喫茶mockに置いてあったヤギ雑誌エピステーメエであった
瞬間を有限と結び付けて悪さをしたのが六十年代ということになる
王権の分析がジャズの主流であった
そこから真の分断が始まった
我々は離散した
ある者はギリシャに行く
ある者はこっぴどく叱られる
それを外として捉えるのが死者のアルシーヴだ
安全・領土・人口は、王のテクニックまたテクノロジーでありテクノの暗示的送り返しはその生政治による
これに対しフチ子は足をぶらぶらさせることによりその界面を強調する
盲目でありながらしかも無力象徴王の把握できない周縁アカウントに棲む上下無能状態の出現からマスク配りの間には九・一一や三・一一があった
象徴王にとっては新たな領野の出現が必要であった
open fieldは標野(しめしの)と訳すべき事という宣言のもとに一連のインスタ映えスイーツ写真が撮られたがそれが二千一四年に終わったのはまさに標的にされた統失社会の、その相関参照アルシーヴのためであった
市民社会の名の下に為される善行がそうした介入の結果であるようなツイート及びインスタは差異と分断の盲目的爆発への王の介入地点となった
だからラカン流に言えばいまや被支配者は存在しない
市民社会は新たに出現した実際には存在しない狂気とセクシュアリティの夾雑物であってそれは象徴王に回収されている
見えないものを見えるようにするのは、見えるものを見えなくするより簡単だ
例えば貨幣
記憶置き場としてのクラウドは存在しない
すべての見えない記憶を可視化する介入は象徴王の相関物であり見えない聖なる力に対する一大楼閣なのである
求められているのは標野の奪回である
市民として、などではない
分断のさなかに自分を放棄できるかが鍵となる
王の策略の中に自分を探すこと
セツから始まった社会は自然でも自明でもなく王に対抗する何かでもない
そこからアルシーヴが始まる

4.28

千年朱鱗洞

とある路地口しげしげと虫が鳴いてゐし ー 野村朱鱗洞

 

押韻矢の如し
zoom town ratsも過ぎ去り
街はデストピアです
朱鱗洞の虫はしげしげと啼くが俺は耳鳴りの虫が酷い
朱鱗洞の墓のある小坂のネカフェ、
二軒共閉まった
朱鱗がスペイン風邪で死んだのは、
膝突き合わせる密結社をやってたからだが、
いま生きてたらそのどちらかのネカフェで感染したんじゃねえか
いま俺(ハムレット)は便宜上日本語を使っているが
バベル期はとうに過ぎ去りパラレリスムとアクロスティックしか技法はなくなった
以前俺にとって詩とは
悲劇詩
喜劇詩
歴史詩
田園詩
田園喜劇詩
歴史田園詩
悲劇歴史詩
悲劇喜劇歴史田園詩…
しかなかった
そのなかでライミングの技を競ったのだ
それらはすべて過去のものとなった
嘆きも叫びも苦痛ももはやない
以前の言語は過ぎ去ったのである
ただ虫はこれからも
二十六で小坂のネカフェで死んだ朱鱗君の所為で
永遠に
しげしげとしか啼かないのだ

4.29

千年合法ドラッグ

全てのことは合法であるが
全てのことを我慢できるわけではない
全てのことは合法であるが
だからといって全てのことが膨れ上がっていくわけではない
私(ホラティウス)はこのふた月毎日十八時間くらい‬画像整理だけしていた
世界に関心のあるふりはしていたがそれは普通の生活を送っているように見せかけるカモフラージュだった
映画も本も見なかった
全てのことが合法であるが
全てのことが空一面に広がってゆくわけではない
いつどこで何があったのか思い出せない
その期間内の画像数の比率によって経験の濃淡が決まる
紀元二千年以前の現像された写真の時代は人生の範囲外なので存在しないも同然で
思い出というものが撮影機器とネット環境に大いに左右されていることがわかった
重要なことだったから記録されているのではなく記録されているから重要なことになっていくだけなのだ
個人も全体主義国家もその点は同じだ
時系列が適当だがとうとう諦めがついて終わりに近づいてきた
あまりに忙しくてコロナとかどうでもよかった
カフェ”カルペ・ディエム”が閉鎖されることになりやっと頭を上げたらみなマスクしている
夢はみな娯楽映画のようで切ない
感染すると思う
全てのことは合法だが
少年よ聞け フーコー明媚なアレオパゴスはドラッグだ
全てのことがためになるわけではない
全てのことが許されているが
全てのラテン自動詞が増量されていくわけではないのだ

 

4.31

千年理性批判

 

ミルクラッパーは
古屋雄作の創作
原因があって結果があるのではなく
結果を夢想して演出していく
因果ではなく現実はヤラセだ
関東はカントだ
因みにデカルトはデカンショ節だから兵庫だ
カントは原因ではなく結果に押し出されたのだ
津波に押し流されたのだ
判断は果実で
根はいろいろだ
例えば橋の下に流されてきたのだ
夏の知識はいわれを問わぬ
枝が柔らかくなってきて先端が葉になる
実を生み出さぬなら枯れちまえ
さて俺(ジジェク)はコロナラッパー企画を打診された
俺はラカン派DJだからそういうときまず
コロナは存在しない
と見栄を切ってみる
そこから始めるのが俺たちのやり方だ
いつもそうやってきた
事物がそれを許さないところまで進んだとき
俺たちはカントのように千年に押し出されるだろう
滅びの前に祝祭が来る
死後はこんなにも美しい
俺の死後夕焼けは凄絶なまでに美しいだろう 
進化論を信じたまま死んだとしても
俺の死後夕焼けは凄絶なまでに美しいだろう
起きる前に起きたので寝る前に寝たら
ロシア語講座でアリョーシャの最後の演説をやっていた
悪霊の詳細については
あれこれ話す必要はない
いま大事なのは粉飾していくことではなく
果実として落下することだけだ