浜風文庫2020.9
9.1
Mort sans cadre
死んだのかなあ
嫌だなあ
夜にだって遠近はある
手前が一番暗い
透徹してしまうと死ぬ
ふたりだけになると死ぬ
ふたりだけになって死ぬ
月がきいろくふとっても死ぬ
星がテニスボールくらいにふとっても死ぬ
どんなにきれいでも死ぬ
ぶっしつに帰る
野晒しのまま朽ちていく
アザラシも野晒しに!
ただ死ぬ前は写真はきたなくなる
なぜだかはわからない
見えないものしか愛せないからかもしれない
いや死んでないよ
アーカンソーArkansasはアカンそうなので
イリノイIllinoisで割のいい仕事を探す
アイオワIowaで愛終わり
テキサスTexasで敵刺す
要するに
旅に出たんだ
写真が1947のフルトヴェングラーみたいに
詰まっていてきれいだ
フレームのない死は
もうすぐだとしても
9.2
jouissance
岩場に曳き摺っていく材木は頭より太く
完全な言葉と雖もキレネ人シモンの助けがなければ運べなかった
シモンはアレクサンデルとルフォスの父であった
アレクサンデルとルフォスは何故書かれたのであろうか
詩の場所を欲望に置き
書 かれることをやめない音声を捨て
書 かれないことをやめない剰余享楽を詩の場所として
書かれないことをやめる文字の沈殿を待つ
9.3
Sigismund Schlomo Freud
(זיגיסמונד שלמה פרויד)
きみが何も分かっていないことを思い知らされながら読んでいくと
今更乍らに驚かされる
多様性を弁え知る訓練になるとでも言うのだろうか
原父殺しがそんなものなら人生なんて楽勝だ
エチオピア演歌の夕暮れに
エフェクターを踏み込むだけだ
過払い金のCMが流れる路上が
解像度を間違えているのは
カバラを思い出すからだ
きみの父が三歳のきみにプレゼントしたのだ
革表紙を打ち直して
今更乍らにきみの居た路上は
まさしくこの風化した解像度であった
トラウマを小出しにして
この午後を過ぎ往かせよ
小屋で暑さに震えるウサギ
子らのやる菜の萎れて
死はここにもやってくるだろう
きみはユングとか弟子の多神教野郎達に本当は耐えられなかった筈だ
ただそのきみでさえ葛の花のように萎れて
この解像度の中で路上に散ったのだ
9.4
石鎚残照
石鎚の尾根伝いにトレッキングしていた知り合いのウェイターが
急にワアーッと叫びながら斜面を駆け下りていった
最近店で怒りっぽく躁に入っていたので心配していたところだった
ジェット機から見ると山は
駆け下りるのに丁度いいようにみえる
樹木などはじゅうたんのようだ
石随の岩は近場の滑川などより数段大きい
体は裂け,内臓が全部出てしまった
夜ラジオを聴いていたら
わたくし機長福山雅治がご案内します
と
宣伝していて
なにが機長や
ラジオでわたしらがジェット機に乗れるわけないやん
いくら美男子で人気あっても
そんな台詞言わされるくらいなら
死んだほうがましや
そんなんやから日本は滅ぼされるんや
役でやった幕末の志士とかさえあんぽんたんに見えてくるわ
と
怒りがこみあげてきた
ジェットストリームでは
末日記Ⅱがかかったこともある
伊武雅人が
パリの冬の焼き栗売りは・・
とかやってた頃は
キザやなとは思いつつも
ゲンズブール並みの重さはあった
地震前は
ここまで浮いたことを浮いたままで
風化させる乖離はなかった
わたしの体は日本のようだ
でおなじみのテン年代に
わたしらの言語は安倍化したんや
でも
スポンサーサイドから番組を眺めれば
至極当然の言語空間なのであって
その享楽にミヤシタパークみたいに馴らされていくのが
手に取るように分かる
JALが福山にこう言うてほし言うて
それでこうなっとるんや
この境目の門渡りが
あたらしい詩の場所だ
ここから奴隷の命の大切さに転がり落ちる
殴られてその場で死んだら殺人罪で
ニ、三日生きてれば無罪だが
目が潰れたり歯が折れたりしたらオーナーからは自由になる
胎児が死んだら殺人罪で
人を殺した動物は殺されるがそれを食べてはいけない
放置していたばやいは飼い主も殺人罪
元全共闘Oが言う
宗教的概念と伝統的言い伝えが食い違う時、
言い伝えのほうが真実である
例えば孝行したい時に親はなし
線香上げたって居ないものは居ない
親がないということがどんだけつらいか
分かって作るのが法律や
もう四人殺しちまった
獻身は
イカ焼きの網目
山に向かって被さってくれと言い
丘に向かって覆ってくれと言い出す
このトレッキングの片側が
転がり落ちる詩の場所だ
9.7
台風十号と政権交代
私の体は日本のようだ
ったが
それも今日でやめよう
スパンと切り替えゴキブリの鈍光
復活しない猫と共に
遠方凝視法で皿ヶ嶺の山の端を見よう
ソーシャルメディアを 使うことで寂しさが増す
必要以上でも以下でもなく
人間だった頃の自己評価のまま
猫になってみよう
雨は時々バラバラと打ち付けるが
月さえ見えている
凶風で家は揺れているが
私は死んでもいい状態だ
9.8
其日本及日本人
私たちは全員外国人なので
曲は努力しなくても夢に出てくる
努力しなくても自然に外国人には成れるので
タオルをマイケルの肌のように白くする
私は街の人をフィルムカメラで順番に撮っている
「外国人」という写真集を出すのが私の夢だ
その夢に
曲は自然に出て来るのだ
9.9
リヴァーシブルなポケットの着脱
縫い目のない編み方は輪っかからかなあ
石ころを転がして籤を引く顔たちがサバゲーとかしてそうな
近遠煙禁法の頭蓋の丘で
棒杭は立てられ
掃除婦はモップ掛けに勤しむ
全てが間違っていて毛ほどの接点もない
四次元では球を割らずに裏返すことができると言うが
裏返らなければパラダイスに一ミリの接点もない
奄美のメリスマが入り口だったが
今はゴルゴ13に見張られている
徒刑場の全員がマスクをしている
受刑者までが
マスクをしている
9.10
夜のシンフォニー
何処かの奥底でウシガエルの喉の声がヴァイヴ設定されたスマホそっくりの間隔で鳴り止まず
情緒は日暮しの身体全体の振動からしか来ないのかと思っていたが
喉の声調も捨てたものではなく
と言うことは
人の声に感動することだってありうるのかもしれない
とまで考えたら
音がやまった
やまる
は俗な言い方だが
やまった
と思ったら
さらに奥底で鳴り続けている
そう書くと
エッセイみたいだが
鳴り続けている
いや
いた
過去形だ
いまはまた聴こえなくなった
代わりにバイクの音がする
あれはピザ屋の原付の音ではない
いや
盗んだバイクで〜の音でもない
秋虫の非喉音と耳鳴りも浮上してきた
カタカタいうラチェット型の玩具の
あの効果音は
モーツァルトのシンフォニーにも使われていたし
ブリューゲルかなんかの
子供の凧揚げみたいな絵に出てきていたように思うが
ここで特定しようとすると堀江敏幸さんのエッセイみたいになってしまうので
そうした探究と出会いが人生ではないということを知らしめるために
ここで再び音に戻る
相変わらずウシガエルを通奏低音に
鈴虫と
遠くの夜中の国道の
サウンドスケープが
楽譜として描画される夜更け
素晴らしいループのコンプレックスの
シンフォニーじゃありませんか
ウシガエルの喉の通奏低音が人間の機械音を呼び込んで
いま夜の地表で神と人が肘タッチしている
9.11
メタフィジカル・ディスタンス
遂に消したな
扇風機の
風は必要だが
嘘の体
を
冷ましてしまうから
その向き
は巧妙にずらして
オトシイレようとする
押入れトイレ情報
によって 二世帯
が
冷えすぎないようにしている
公正なアカウント
の距離
について迷った時
は
悪を行う群衆
についての用語
を作ることに力強い者たち
に
付いていかないようにする
顔を出せない
プロフィール
の死者たち
を死者として気遣うアバター
に
あゝ福田くんは死んだ
と言わせる
送信イツダツする前に
ヨビモノとなっている同調圧力
のアロンに吹く風の流れを思えば
貧しい人の争い
も相手によって目線が変わるので
外国人の気持ち
が分かるきみは
目を半沢直樹みたいに大きくしてはならない
アロン・アゲイン
あゝ白髪なのに十年前からまだ生きている
心を働かせて
なよなよと吹く風の中でマイケルは
モーセの体について効率的に論じ合う
貧しい人や立場の低い人や弱い人が常に重要なので
新しい眼付とマイケルの髪型で法規を読む
敵対者を手伝うこと
について考えると
賄賂を受け取る気持ち
が分かってしょうがない
菅義偉官房長官はボードレールの髪型にしないといけない
土地を休ませなければならないと思うが
野生動物の気持ち
を朝まで聞き逃す
空き地には木を植えるので
親のない子が休めるようにしたい
洞窟は掘らない
金は隠さない
黒いレクサスは買わない
心配事を話すと優しくしてもらえるので
寒気を感じる部分の賄賂をシャットアウトした
悪意の無い中傷の肩幅
話したい衝動
もしおれがちゃんとしていたら
きみに怒っただろう、
でも自分の落ち度によりおれは
今の時期の扇風機くらい無力だ
目を閉じるとフレームが見える
タレルのopen fieldのように 見慣れた四角ばかり
フレームの中では離れれば離れるほど近くなっていくように見える
不意に
死者との距離
を忘れさせるサンフランシスコの
山火事
フレームのない山火事は宇宙からも見えた
きみの削除痕はきみの外からも見えるだろうか
居なくなったきみの近さの中へ
秋の扇風機はなよなよと風を送る
9.14
I’m Thinking of Ending Things
感染は内側が滑子になって
顳顬からぐしぐしと人が死ぬ
と百舌が語り掛ける
カキエダという名前だった
尖らせた口の定着したまま老いた
鳥が無くことにさえ気付かず
山火事を避けて歩くだけ
濡れたアスファルトに五円玉が浅く水没している
さざなみが立つ
巌谷小波
死は遺伝に似ている
ピグメントでは真理は表せず
学識ではなく理性が必要で
それは逃亡するヒムラーに追いつく
と鷺がゆったりと叫びながら湖面を征く
9.15
I’m Thinking of Ending Things 2
もう十分行くとこまで行ってると思うよ
命の価値と同じくらいに
裏返りは裏返り裏返り
時間軸なんて無いも同然
表も裏も無くなってから誕生した生権力
体はもはや日本でさえなく
脳死から心停止までの間を生きるだけ
受けるより臓器を与えるほうが幸福です
という原則で栽培される哺乳物
と鈴虫しか居ない
9.16
to Jesus
言葉は作れないのでフォントを作った
歳を取るのは今だけの特権なので
はみ出た絵画を白髪染めにしてみた
自分を捨てるのが好きなので
額縁は犬にやった
池のほとりで眠くなり
水草の上を歩くのを忘れた
小さい花が付いていた
Jesus
顎でブリーフな遺言を認め
病室で天敵にマウントを取った
昼食は酸い太陽だった
梅干しの核子のように捨てた種の中で
白いカップルが抱き合っていた
もう少し
死んでいようか
びっくりして飛び出した
賢い兎だったが
消し忘れてはみ出した白
点滴の逆さの青空
9.17
入院した日本語
顳顬から眼底にかけて疼き
薄らと吐き気を伴う
青寄りのピンクを引っ掻いて地が見えるのがアートっぽいがそれどころではない
白を巻いたきみは白本語を話さない
ただ家を燃やしたいだけだ
白の家を燃やす
束の間の無痛の他は
ただ白を燃やしたいだけだ
ただ日を燃やす
無痛分娩した憎しみを育て上げ
大学に送り出す
箱はピグメントの黒
扁桃腺に舌の先を当て
熱燗で作るカップ麺
きみは擂り下ろされて
白本語を話さない
エイの言葉を話す
エイはひらひら話す
「ああすがすがしい
戦争前夜の黒い溝の上澄みのような気分だ」
太い道が出来ちゃってるけどほっといたら治るんじゃないの
通行止めにするには警備員雇わないと
バイパスは作れない
先に新道作ってから後で旧道作るようなものだから
役者の自殺が多いのはそういうことか
重層的非決定へ、などと言えていた余生も過ぎ
日本語は多重を生きられなくなってきたのだ
9.18
おどなすてわーばみずでだんだが
まだ生きている
病室からの顔を分けて考えることが出来なくなっている
どうぶつの言葉
おねえさんはまだ暑い
モバイル器具はアカシアで作る
箱の中には
箱の上には
年に一度の出入りに意味を持たせる
その所有そのものには意味や力はなかった
二つのものは跪いて下を向いていた
跪く者を拝むことはない
声もそのものからそのものの声が出ることのないよう
そのものからは出ず二つのものの間から出て顔の前に置かれていたが向きがないような顔の前に置かれていた
一羽一羽
一話一話
助けて
犬みたいなにおい
一緒にコツウォルズに行った
五羽目はただです
帆を畳んで
膜が取り除かれたので
津軽弁で叫び
最後の痛みは酸味が勝った
支払いは完了した
領収が裂け箱が見えた
9.21
秋のrefuse
自由とは選べること
不自由とは選ぶこと
正確な情報を前もって知らされた状態で選べることが必要
春とは色が変わること
秋とは見え方が変わること
同じ色が黒枠で埋葬されることが必要
強さとは侮辱を喜ぶこと
弱さを知ることは強さの入り口に立つこと
自由な秋の強さとは強みをごみにすること
9.22
refuse collector
自由とは捨てること
不自由とは収集すること
排泄物であるかのように捨てることが必要
夏とは捨てるものをゴミのように憎むこと
冬とは収集してしまったことをクズのように憎むこと
refuse collectorが五味カス葛うどんを食べている
愛されるべきだったものは死後数週間放置されている
札が見つかることもある
断捨離とは捨てられないこと
貧乏性とは捨てられたいこと
to know himとは彼のゴミ屋敷の入り口に立つこと
自由な秋の強さとは強力粉と薄力粉を共に踏み付けて五味カス葛うどんにすること
9.23
depict
作りに行くかたちの場と時間の中に自分では操作できない要素が入っている時、やっと支払いは賭けや投げ銭によって完了する。例えば死にかけている時の所有物の分配や、死んだ後の埋葬の仕方などである。そこには自分より大きな胴元が動いていなければならない。
自分で処理できない護美芥はない。ゴミ・カス・クズの整理がアルシーヴであるとしたら、アルシーヴじたいに支払い能力はない。アルシーヴはロック史でなければならない。Yo soy とYo estoyの違いのように、焼成される私には二つの動詞が纏わり付く。それがdepictされなければならないのだ。
災厄は未だ限定的である。大火事はここからは見えないが宇宙からは見える。その赤の画竜点睛で時間と場への投げ銭は完了する。
死を飲む、或いは死を飲み込む者のように酒場の代金を払いなさい。
9.24
stanza
一つの詩を書くのに二年はかかり、長編小説一つ分くらいのエネルギーが要る
問題はそのためにもう千年生きてしまっているということだ
サックスで命を削るというのは嘘で、増やしているだけだ。
死んだのは単にクスリを飲み過ぎたからだ。
一日を一秒にすればきみも長く生きられるよ
二〇一九の電話帳で
行政機関や会社、商店を 探して、
手紙を書く、
あなた方はいつか私を憎み、
殺すだろうと
一つの手紙を書くのに時間はかからない
時計の時間と同じ長さの時間がかかるだけだ
二〇一九の電話帳で
行政機関や会社、商店を 探して、
手紙を書く、
あなた方はいつか私を憎み、
殺すだろうと
9.26
「株式会社」の表記について
行員にはハイとイイエが籤として心臓の上になければならなかった
賽を投げて出資を決めるのはいいがそれを心臓の上で行え、ということだ
裸は恥ずかしいものではなかったのに
煩沢、お前のせいで肌の露出を避けなければならなくなった
社名を彫った宝石を縫い付けるには台座がいるな
リネンの格子縞は上品で柔らかい
必ず黒字ビール化しますと言った糸の色覚えてるか
その色のダウン滋味ペイジの「株式会社」と「有限会社」の表記の仕方に違いがある。(株)と㊑,(有)と㊒だ。
お前は特に考えることなく,どちらの表記でも構いませんと伝えていたようだが、「株式会社」が会社名の前に付くか,後ろに付くかの違いがあった
例えば、◯◯(株)の場合は,株式会社◯◯となり,会社名の前に付く
◯◯㊑の場合は◯◯株式会社と会社名の後ろに付くんだ
有限会社についても同様になる
知らなかったじゃ済まされないんだよ煩沢
だから「ピッグアップル」の入居者の表記の仕方は,カッコいいで表記されている場合は,社名の前に(汗)と記入
丸で囲んでいる場合は,社名の後ろに(怒)と表記しろ
手巻きでリスカを作成している刺繍師には,李香蘭に「後」「前」と記入させろ
電子化はしばらく中止だ。確認後,修正したPDFファイルを改めて送る
煩沢、お前の確認不足で余計な手間を取らせたんだぞ土下座くらいで済むと思うなよ
9.28
TV、zoom、Twitter
テレビないから観てないけど半沢はもう小栗判官とかと同じ歌舞伎の演目になるんじゃないか
3C 12さんの国立のシェアハウスのはしりみたいな家に居候をさせてもらっていたがその頃彼は既におじさんだったのでもう40年以上おじさんをやってることになり人生の中でおじさん部分がビーフハートとかジャリ並に長い
男には二種類しかない
おじさん部分が長い奴と無い奴の二つだ
無い奴はいきなり老人になろうとする
おじさんも老人もほんらい必要ない
人間の独特の習慣である
それに対して老女は存在しない
1歳児から見て2歳児はおばさんである
生まれた時にオトメとして死んでおりおばさんとしてオトメを一日一日と生き延びているのだ
100歳になっても2歳児をおばさんと呼ぶ
今週はどうだったでしょうか
何を履いていましたか
蚊に食われました
ダーツが火矢だったら
扑はどうすればいいですか
冬瓜を請願しますか
肉に屈して未然に防ぎますか
半分透けたピンクの耳
顔とはラッセル車
かき分けてゆくのは死者
嘘つきは心の中に弁当箱を持っていない
わたしはそれを持っている
15
10
あ、映画の出口だ
このディスタンス
によって何が変わったかというと
俳優が死ぬようになった
ということだ
演技はいよいよデフォルメされていき
歌舞伎役者くらいしかそれを担えなくなる
俳優は演技で生きていたのではなく
演技の伝わる距離の中に生きていただけなのだ
役者において生と死は垂直に対立するものではなく水平に点滅する日常であったはずなのだが
その点滅が暴力的に間延びさせられたのが網の目の緩さに繋がった
私たちは死ぬのではない
網の目から零れ落ちるのだ
9.29
Östliche Hauptstadt
東京が陥没して
ヨハンナは本籍を失くし
都々逸を失くした
代わりに隆起した小江戸は無かった
総体が肥溜 と言ってもよかった
月も魚も
手を伸ばせば掴めるところにあったのに
今では全てが電話口に後退した
東京を通してしか存在しなかった京都たちがカウンターであることを止め
ラカンの言う「女は存在しない」が現実になった
逆に言えば
女しか存在しなくなったのだ
不在に関して
最も活発になるのは女たちだからだ
アンテパス家の管理人クーザ氏の妻ヨハンナは
そのような女の一人であった
彼女が
内部情報を電話口で医師に教えたのだ
座っていたのはイケメンの若者二人であった
フクシマで会おう、って言ったよね?言ったよね?今またもう一度言うよ、フクシマで会おう、確かに言ったからね
えーっ ヤバイヤバい 分かんない分かんない
その頃東京は植木屋の服を探していた
ついでに植木屋の体も探していた
植木屋は東京の声で
才ノヽ∋ ー
と言った
ヨハンナはかれの足を掴んだ
9.30
彼岸花がまだ咲いているうちに書き留めておきたかったこと
季節のない街に生まれたくせに今日で全てが終わるさとか昨日もそう思ったと頽(クズオ)れてみたりするのが七〇年代の青春であって
それらはせいぜい工場からの帰り道を変えてみたりハイライトをチェリーにしてみたりするくらいの中身と土台を欠いたものだったから
八十年代は空疎な人格のままネタ探しの旅に出るだけで次々に爆発してしまった
三上が辛うじて一廉の者になれたのは恐らくかれの鼻祖が花を飽きるほどに眺めていたからだ