tori kudo

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浜風文庫2021.1

1.1

poeta

なんで立って歌わないんだ

いつの間にか大きくなって
これじゃ町で会っても分からないなあ
そうか辛抱するだけじゃなくて
お茶を入れてあげたり
今はそこだね
まあいいか

立って歌え
土地の境界ずらすな
ギンと罅割れ
包丁持って
蕎麦植える

高千穂と闘って
三百万の宿営を掻き分けて
山羊捨てに行く

蟹の甲羅年跨いで繋がって
コーヒーミルで蕎麦挽く

そっか辛抱するだけじゃなくて
お茶を入れてあげたり

1.2

アンドロイドはキャンプホレブの夢を見る

あのまま行ったら
どうなってたかわかったもんじゃない
三角の
斜面だけに生きて
香川の雑煮の餡は泥井戸に

もしコロナがなければ
死んでいたかもしれない
坑に下って

僕から僕を引き剥がすために
コロナが興ったと
言えなくもない

そうすると
とんだとばっちり
ということになりますか
みなさん人類には

掘れば水が出たかもしれないが
掘る前に川となり
井戸から飲む前に出発した
そんな風にして
三八年僕に付いていった

 

1.4

姉ちゃんとおんなじ車に乗っとんのにしょっちゅう修理に出しよるわあ

世界電池に腐った金柑
謙遜な貧乏籤の男
違いを再び目にすることに
患難とか処刑とか
南らしい真逆のイントネーションで
両親を選ぶ時自分が入ることになる胎を

1,5

pass over musings

釘を踏み抜いて土方が出来なくなり、日野にあった血液検査のラボの徹夜の仕事に変わった。皆肝炎に罹って辞めていった。肝炎は勲章のようでさえあった。休憩室のMTVではレッグウォーマーのマドンナが「ライク・ア・ヴァージン」を唄っていた。そこで知り合った男からSGを借りて、週一で「unknown happiness」とか「河口湖畔にて」といった曲を練習していた。人体内部の病巣を見すぎて顔面がボコボコに腫れるので米軍基地の草刈りの仕事に変えた。朝、岩田を起こしてはキャンプ座間やキャンプ相模原に行った。その頃はよくダモのDUNKELZIFFERを聴きながら仕事していた。ライブは自分で企画しようとすると、国立公民館以外にはできそうなところはなかったので大抵はそこの地下音楽室でやっていた。貸してくれ易そうな「常磐会」という名前にして申し込んでいた。
マヘルが自分で発表したアルバムは、一九八五年の「マヘル・シャラル・ハシュ・バズ 第一集」と、「pass over musings」という二つのカセットだけである。「・・第一集」のタイトルは、「サヌルリム第一集」からの借用で、以前のNYの断片や、今井次郎ベースの京都のコクシネルなども入っていて、マヘルというよりその時点までの集大成的なニュアンスが強いが、「pass over musings」は純粋にマヘルで、テレヴィジョンで言うなら二枚目である。タイトルはジョイ・ディヴィジョンから取られていて、誰もその歌詞の意味を考えてみようとはしなかった八〇年代初期に、瞑想を拒否し、黙想を黙々に伏して、中天から家々の戸口に付けられた血を確認しようとしている。ジャケットの写真は浩一郎が釜山で撮ってきたもので(当時の釜山ではメイヨ・トンプソンとデヴィッド・トーマスの絵葉書が売られていた)、赤い文字部分は当時の、一字一字シールを貼るやり方で作られている。国立の北口から恋ヶ窪の方に上った台地にほら貝のスタッフが始めた、当時は珍しいピザのテイクアウトもできるハイカラな店が出来て(ヒッピーというのはいつもハイカラなものなのだ)、そこで三谷がカセットのダビングをさせてもらって編集して作った。作れば五〇部は売れた。それが昔も今も変わらない「スマートなオーディエンス」の規模であった。園田による録音が残っていた八六年二月の国立公民館での演奏は、「pass over musings」の発売記念として企画されたものである。対バンは光束夜で、彼らのその日の演奏もレコードになっている。

1.6

最後の努力

教えることはひとごとのように共に考えることに変わり
それでもそのひとごとを行為の契機にする動機付けを与えるための視覚効果が工夫されていった
走ることはたのしい
と言い聞かせるアスリートのように
一度は黒焦げになった頭蓋を焼杉板にして
塩害防止の黄土を目と耳に塗り
シナプスを組み替えていった
そんなふうにして
真珠採りの筏の家族は
最後の努力を
最後まで続けていった

 

1.7

金切鋸

バリアフリーの手摺のために
ステンのパイプを切る
(合金で鉄が切れるんだ)
モリブデンかタングステンか
(よくそんな鋸持ってたな)
銀が金に、銅が銀に代わるように
石も鉄に底上げされる
そんな時代が来ますか
僕は石で切れます
石で髪も切ります
午後にはリハビリの人が来ます

1.8

great song after great song

全てをカレーにして
ステップ・ファミリーも鍋に入れて
前にも見たヴィデオも溶けるまで煮て
エアコンは強に
数の子はもう潰して
シーツは部屋で干す
降る降る言って雪は降らない
風は強い
財布はポケットに
充電器で手の甲が熱い
ナミさんが横浜でライブ中にステージで死んだ
大きな鍋に
ヒット曲を次々と投げ入れて

1.11

凍結

左と右が千切れて飛んだ構造の中で
愛国心というものを風花の軽さに浮かせて
ぼやけさせた未来の雪曇りに
ひとときの麻痺を狙うマヌーヴァー

愛によって絡め取られ
我方他方(アバンタバン)を 失い
凍結され永絶されて
雪曇りの中にひとり
完全な孤独の中にひとり追いやられる

1.12

新しいプラットフォームはもう

新しいプラットフォームはもう
tweet
とは言わないのであった
新しいプラットフォームは
toot(吹く)
と言うのであった

百閒先生曰く、東京から大阪までプラットフォームを 繋げれば乗り換えなくて済む、と

そんな呑気な近代もあったな、と氷雨降る品川駅で墓川は思った

同じプラットフォームでは幾ら吹いても手も声も震えて

1.13

to the big tech

世界に参画していることが朝イチで行者ニンニクを開き朝鮮人参の苗をチェックすることであるなら
私は領土紛争の水域に蕎麦の種を播き親切を心掛けるだろう
雑草を土に戻すのは全米ライフル協会の仕事でも全米トラック協会の仕事でもない
これは善と悪の戦いではなく不完全さと不完全さの戦いだからだ
愛国主義で結ばれた人々は萱鼠のように刈り取られるのを待っているイネ科の雑草の穀類を食べなさい
レメクの妻たちよ
「敵は本能寺」とテレビでも吹いているではないか
ポキポキ球根を埋め
玉葱になりたい野蒜の思い出を掘り返し
ラジオから流れる蓄膿気味の歌唱を聞いている
「ペンフレンドの二人の恋は
言葉だけが たのみの綱だね」

1.14

billboards

原発事故は一瞬全能の地位に置かれたが鮪を食べるほどには風化させられ、コロナ選挙では善悪の視野の両端を狭められた。
上下と左右を押し付けるそうした策略は悉く失敗し、今はただ脳内の標野のビルボードとなっている。
北が南で勝つことはない
問題は南で勝つことではない
あの三本立ての映画の看板のように
過ぎ去るということだ

 

1.15

daily beast

夢の中では突飛なことが起こる
主体の感情はそのままなので
胸が張り裂けそうで苦しい
大体それはオールナイトの三本立てである
そこでは善悪と欲望が錯綜している

現実の細い畦道には彼岸花のリゾームが張り巡らされている
包丁を持って押し掛ける議事堂という隣人を俯瞰し
白鷺は旅立った 
祈りの聞かれるミジンコ型の島へ

テレグラムで詩編二三編を引用するリンウッドは
夢の中にいる
現実を剥がしたプリント基板に
銀杏の葉が半田付けされている

1.18

ghost apples

一六日 天寒
どんなに良さそうに見えても欠けたところに穴があり
それは見える軍隊であったり
内向き過ぎのバランスそのものであったり
民俗風習への無批判の迎合であったり
何よりあたしであったりするので
距離を置かなければ同化してしまう
だから白鳥は食べない
自傷はしない
障害があっても食べていけるよ
あたしのように子供を火あぶりにはしてはいけない
あたしのように偏見を持ってはいけない
リベラルであってはいけないんだ
永続する国は米を通しては来ないことを知ってほしい
一七日 天上大風
あたしの考え方や感じ方に合っているから、と言うのは間違っている
それはあたしの感じ方や考え方に合っていない筈だからである
そしてあたしの考え方や感じ方を肯定する必要もある
その上であたしとは異なった考え方や感じ方にあたしを合わせるのである
一八日 ghost apples
洪水前の性欲を地表に満遍なく持ち続けている一派と
洪水後の国務野獣的な当該の仲が相当悪い
口癖が「本当の敵は」であるような
スローガンとしての米帝が遠ざかった内ゲバと同じ結構である
指を落としても目先の力任せの突破
悪よりもスピードを上げて
説明のために指を落とし続ける法廷逃走
あたしの指は何本あるんだ
姿を現したら負け
車から顔を出した地元の不良の男の子たちが「目を逸らしたら負け」と言う
あたしは
空0リンゴの形をした氷

 

 

 

1.19

avian flu

妄想は悉く地下の集合的無意識に繋がっていてそのマグマが噴火に利用されてきた
苦しめれば苦しめるほど栄養価が高くなると知っているので地下は迷路になっている
言葉は与えられるがそれはjoy divisionとかcageとか
食べる部位を分類するために付けられているにすぎない
かしわ以外の
立てない飼育檻の柔肉は犠牲にしてはならないのに
地下鶏舎の夢想の噴火としての
大量虐殺が行われている
雄鶏(モノノフ)に時候の挨拶など無用だ
三度鳴いて夜を目覚めさせよと
単刀直入に知らせなければならない

1.20

speech balloon

トランプとバイデンの闘いに意味はない
愛国主義とグローバリズムの戦いにも意味はない
コロナの深い意味と浅い意味の対立にも意味はない
きみのプラットフォーム上の気の利いた言葉も恋愛も芸能も体育もそれほどの意味はない
野獣が酔っ払った娼婦を振り落として突き殺すための
動機がひらひら降ってくる
そのきらきらに全集中‼︎

1,21

「現実にもかなり慣れてきた」𝗟𝗔𝗨𝗦𝗕𝗨𝗕

昭和新山の麓、
海はいっしゅん静かになった
ゴジラが現れる前のように
水中から言葉の枝が張り巡らされていたが
それは迷路を試そうとする電流のようだった
ヘルメットを被り、
転倒せよ
救急車は間もなくやってくる
そのドップラーにライムを乗せて
きみが時間になれ

1.22

the Booths

カーペットをはがしてむきだしになった畳は少し砂っぽいがそれほど焼けておらず猫の爪からも守られていて、墓川は、引っ越し気分のようなものが部屋に満ちるのを感じた。

二章 返品
ニトリに色違いだったカーペットを持っていく。それは受理され、更に濃い茶色のものに変更される。今のイエがブースだとすると、ブースにカーペットなど要らない筈だが、ブースのフェスの規定が書かれたのはブースで移動していたまさにその時なのであり、それは将来のイエで、ブース暮らしを思い出すためなのだった。今を思い出すための記述としてのカーペットなのだと思い至ると、墓川はフェスの移動のような土ぼこりが舞うのを感じるのだった。

1.25

ソイラテ◀︎

国を人格で語り始める▶︎アナリストに取り込まれるにはソイラテの難しさが伴う▶︎スタバではジョジョに温め苦味系で▶︎東京新聞大波小波をやりおおせている▶︎分断風見鶏と化し▶︎酸味のシナ海で固まった▶︎蛋白

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注文すると
文春片手にオジサンとなった一世風靡セピアが後ろでソイやソイやと囃し立てる

そう言えば
寂年層も取り込んだ
二郎のギルティ
デモを眠らせ
仮小屋の屋根にも
雪はふりつむ

露国に脱鉄されてゆく土
グリーン車のWILLに骨抜きにされていく親父ギャングたち

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「鉄も粘土も共に砕かれ
籾殻のように跡形もなく」
夏から夏へ
の裏に
冬のソイラテの分離が進行侵攻信仰死たのだ

今後もこのようなはな死を死てゆきますのでご興味のある方はチャンネル登録をプチっとお願いします

1.26

「道程」の引用されるclimate futurismの光景

建物がごちゃごちゃと 校歌を唄っている
バッハにとってのフランスはVOGUEのようだった?
準備しなければならない即興は身に余る
地球が禁煙して
随分経つ
参道は俯いて
携帯を見る人々の
クーポン用アプリの檻
バッハにとってイタリアは
Lanciaみたいなもの?
不死の主題は同じでも
山が、木が、代わりになっている?
コロニーの歌を唄うとでも?
集合の重なりが青くなっていて
そこに経済ITアナリストの正当性のみが簾のように呼んでいる
命のクーポンを前もってゲットしようと
人々は俯く
手指から首に
首から頭上に
疲労は二酸化炭素のように上っていく
ああ自然よ
父よ
ぼくの前に道はあるが青い
ぼくの後ろに道はできない

 

1.27

乾(けん)

高音の最低の最速
低音の手袋の障子山

高音の最低の最速がぶった斬る
低音の手袋の田に首が落ちる

田に竜たちが群がっている
その様々な動機!

貞(ただ)しくしているのが利(よろ)しい。

 

1.28

代行

人生がまだあると思っている頃の金の使い方には宵越しの云々の荒さがあるが
人生がもうないと思うようになると早く済ませなさい的の焦りからある面さらに荒くなる
貨幣は死者のアーカイブのために取り置かれているマイナス茶碗であり
貸した金も資産に含める銀行の絡繰はジュビリーによってしか解決できないニ人スキーの分裂病を生んだ
かれの跳躍は即ち下降であり上下増減何れも銀行の資産となる
貸せば貸すほど円トロピーは増大するから
我らの不景気は換金できるマイナス果実の生る木であり
スナック歓呼鳥が苦しめば苦しむほど頭取は喜ぶ
それで私は池の端にパブを作った
リヤガーデンにベンチ付きテーブルを組み
労働者階級のムスッとした娘を立たせて
ビターのサーバーを並べた
宣伝はせず
上下する田舎道のために
若手の代行要員も用意したのだ

1.29

近所の仲間の論法

近所の仲間が落ちぶれて畑を手放したり
包丁を持って押しかけたり
結婚したり
弾劾裁判を待ったりしているなら
近所の仲間は
近所の仲間というだけで
きょうだいである
たしかに同じ苗字も多い
皆で石を投げる
東温市の近所の仲間よ
そうやって正しいことを言い続けよ
欠けたところを隠すために

完全な正しさはきみたちが描写できるものではない
それは〇〇のようだ、という言い方でしか表現できない
故に詩ではない
自在で柔軟な戦車だ
その修辞は以下の構造をしている

「コレクターと寒さは似ている
コレクターは集めるだけで
寒さは

寒いだけだ