tori kudo

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浜風文庫2021.11

11.1

落選

ロシアではアースされていた
日本でそれを感知した

感情の雷親父
きみ(俳句)が悲しいから雨が降るんだよ
https://twitter.com/tomizawakakio_b/status/1452681393335455744?s=20

次手に太陽も食べられる高さにあります
https://twitter.com/tomizawakakio_b/status/1452666294117961731?s=20

義務化されれば従いますがそれまでは自由意志を行使します
さらに義務化されても従えない部分もあります
重要なのはそこだけで、
それ以外の幼児の色分けは角谷の言う足の裏に貼り付く一円玉や五円玉のように私たちの価値にべったりと貼り付きます
 

ユーチュー舞踏
というのをやっています
室野井が死んでからですからもう三年半がかりです

踏舞ーュチーユ
すまいてっやをのういと
すでりかが半年三うもらかすでらかでん死が井野室
 
 

月光は温度を下げます
冷えたライムを寂と言い
歳を食ったラッパーはその径を辿ります
https://twitter.com/tomizawakakio_b/status/1452651198784303112?s=20

俎板の恋であってはならぬ
https://twitter.com/tomizawakakio_b/status/1452696494180421633?s=20

眠りが浅い時は自分を殺せば夢が前に進んでゆく

GOsの動きに合わせたover the rainbowの最初の跳躍

堀モータースというガレージがあればメンテはそっちに変えてもいいよ

He pecado contra ti, sobre todo contra ti

NYの展示は3日からだそうです
https://youtu.be/aCmlEtFToeE

こうあってほしいと思うことを数式で説明しようとする科学と同じように、歴史に関しても他の選択肢のある限り逆説に留まろうとして迂回を続ける。手紙の言葉を信じなくなることによって未来は断たれる。

Queremos ir con ustedes
 

鶏頭の十四五本もありぬべし 子規
 

26 and died


銅​を​金​に​、鉄​を​銀​に、木​を​銅​に、石​を​鉄​に​、平和​を​監督​と​し、正義​を管理​者​と​する
金銀銅鉄木石の順か
 

Notamos la expresión inspirada de la verdad y la expresión inspirada del error

https://twitter.com/Cafeoto/status/1453691834207703042?s=20

We will now be living in a temporary virtual paradise
https://twitter.com/therecount/status/1453789257521315841?s=20
https://youtu.be/kt0jVDeu2Qc

https://twitter.com/twisuspendead/status/1454669167311740932?s=20

俺がまだ生きていたらという耳で俺以外の二楽章を裁断するベトちゃん案外ポーツマス的なのも良くないか?いやダメだベルリンもウィーンも土地がなってるだけだリスト編曲は偏屈な東洋リズムを細かく伝えれば済むってもんじゃない要はお前らは俺じゃないってことだ。

14:44 https://youtu.be/-4788Tmz9Zo

 

落選

俺は落選した
ムサシも効かなかった
岡山駅前のムナシも潰れた
無惨の造形には甘さがあった
民主主義的の方法で俺は落選したのだ
多数決で!
多数決じゃない一対他全部だ
三分の一が俺の尾で払われたものの
三分の一は
ワクチン打って鬼殺隊
ヒットエンドラン
ヒットエンドラン
ワクチン打って鬼殺隊
民主主義が最終政体として教え込まれている限り左右はその掌上で踊るだけだ
九条に対して
出産は身体が巻き込まれる暴力であり
病める血液が民主主義から零れ落ちる
私は彼より強い
ではなく
私は彼より正直だ
と主張する場合
裁判は時間を要する
自民はしばらく支配している
一貫したテーマは国家である
ツルツルと変換するな
小野の岐れ路のつまらない借家の
ブロック塀に国家が綻ぶ
枡目の中で綻ぶ
乱暴な巨人が白茶ける
神は化石を創造した(ジジェク)
患難から這い出して来ない人々を抱きしめる
バイデンがPopeを抱くように
第二の死も意味はない
綿から目鼻口が覗く
羊毛の汚れは捨象されている
家の軋む音は断続している
剪定しなければ実をつけない柿のように
未だに市民と言う木の市
共通点がなければ市民の交感はない
窓の向こう、干した綿のタオルが乾いて揺れることや外の気温をナメクジやサカナと共有するのだ
巻尺で測る頭のデカさに太いミサイルが配備されるインド
一層親しくなれるコックピット
移動してから気がついた
酸化の白の脳の表面の陰影
可愛いけれど顎のない輪郭
顳顬に鎧の鍔
中の人には言葉がなかった
岐れ路の絵を化粧台に貼る
吊られたマスクが揺れる

葛の巻き付いた引込線から火花が出ている
たまに風が吹くと電球が点滅する
ブレーカーを切った方がいいのは分かっているが本を読んでいるので

近江八幡7日合奏用


美大によくあるトランスパラント症候群
https://twitter.com/tomizawakakio_b/status/1454583967789637640?s=20

クラゲと共にやってきた
ヨン・ヤ・サ
https://twitter.com/NagautaLyrics/status/1454583659936174086?s=20

 
すげ替えてもすげ替えても全員不合格となれば人を裁ける人はいないということで落ち着くんじゃないでしょうか
あとは駆け込み寺なき復讐の地獄になると思うでしょう奥さん
ところがそうはならないんですなこれがまた

金木犀二度咲くことを知らぬ人

多数派は存在しない。批判の多さでその数が推し量られるだけだ。
しかし石を投げて敗北できた時代とそれ以降を比べて、どっちが充実感あった?投石すべきは海馬ヴァーチャルである。

 

11.9

cop26

ホーボーから攻撃を受けて
湖畔の町は札を数える手を止め
(駅前ホールを借りたこともあった)
コンビニの前でうとうとしていると
ヤンキーが停まった
頭は曇って
頭蓋に窓はなかった
忠実であることを奪い合った
子供も大人もトリコロールだった

26回目の締結会議がグラスゴーで開かれていた
バオバブの木が暑さで倒れ
ヤンキーらは肥えて若鮎のように力強い


 

11.15

Cease to exist

7番目の野獣の日に、地球上ほぼどこででも手に入るものはコカコーラと英語だ。On the Seventh Beast Day, Coca-Cola and English are available almost everywhere on earth. good luck your lack of goodluck

もう試合は終わっている
和製英語で言うロスタイム、今はadditional timeと言うらしいがそれでも無謀なシュートは打たない

演奏前の介入には健気に耐えたが、演奏後の演奏を室野井は毛嫌いしていた
空気感が変わって場の仕舞いがつかなくなるからだと彼女は言った
音は返ってこないが漂っているという考え方は周波に限ってはきっと正しいのだろう

この虹を渡ってはなかなか良かったですよ。先導する美紀子さんのジャズマスターがいい音を出しています。途中の528Hzへの切り替えの決断と再開のタイミングもいいです。
https://torikudo.bandcamp.com/track/over-the-rainbow
こういった場合、上手い下手は全く関係なくなっていると思います。コンサートという形式も意味がありません。誰が作ったかも関係ありません。松明のようなリアルだけが文化の終わりを照らします。

94年に導入されたネオニコ系農薬でミツバチが激減し、浜名湖からはウナギがいなくなった
温暖化への脅迫は祈りの周波の束にまで及ぶ。悲しみが雨を降らせた、と。
野獣にはそのようにして動機を入れる。頭蓋の蓋を開けて流し込むレッドブルのように。
ヒットエンドラン
ヒットエンドラン
龍も野獣も多頭症


サーファーとしてのお前も百点だろう
そして今回も何かが足りないままだ
今度会う時は一万点のお前でいてくれ
朝霧の症例が明らかになるにつれ、我々はこれはADHD治療を主題にしたマンガなんだと気付く。そして身近な多動症成人の顔が脳裏を過ぎる。

Cease to exist

高台に逃れたが
あれは
なんだったのだろうか
下の方に見えたきみに会えなくなったあれは

枝豆がバラけたビニール袋から
タッパーに入れたタブレットをまた出して連絡しようとして手間取っていると
映画を右にスライドさせろと何回も言われた
後ろを叩けとも

さっきまで行くところもないし話すこともない、と喋っていた
あれはなんだったのだろうか
きみに会えなくなったあれは

実現しているのを見ているから
山は
切り倒された統治
顔と名前を覚えないまま
伝えたいと思うようになる
救いに行く
スーパーマンと夜空
昏くないということですね
流行病と食糧不足がある
ジェネレーションZ的な受け答え、
どんなに能力があっても自分の力で得られるものではない
水だけではなく光が必要
光の働きとは
言葉を自分の家にする働き
自分をずらして照準を合わせる働き
全体像を見せて教える働きと
思い起こさせる働き
ほとんどのことは思い出すことで解決する
自分をずらして照準を合わせる綱引きによって目を閉じれば窓は菱形
光を悲しませてはならない
チェックリスト Έφεσος4
登り直す必要はない

認知で死に洩れると余計な思い出がクッションみたいに挟まって生とエレメンツの汽水域の無惨が悲しみを減らそうとする
それでも物質に戻る直前の意識について人々は論(アゲツラ)う。マッチを擦る度に臨終を思い出し、街の灯りが消える毎に淋しさが募るのはそのためだ。

気後れすることなく活用してほしい
話しかける能力は贈り物
片割れの死
その場に合った励ましの言葉
エリフは聞き流すことはしないで自分を与え相手のためになることを話した
ヨブが答えなかったのは同意して泣いていたからかもしれない

 

11.22

ΟΔΥΣΣΕΙΑ

図書館車に来たこの本voidにもあった。香川の島に住んでる人を何人か思い浮かべた。炭水化物の暗黒面なんじゃないかと思う。

¡Miren!, una gran muchedumbre

川登の坪内さんとこの庭でやってるvegrecaの出店、近所だから行ってみたけどもう帰って居なかった。苗売ってる人とか占いやってる人とかがちらほら残っているだけだった。山間なので日が陰って寒くなってきた。




蓼食う虫も好き好きの蓼
鮎料理に使うんやって

人差し指、フラッシュ、反転

フラッシュ、小指

Vendrá sobre ellos destrucción repentina, y de ninguna manera escaparán

ビルの新作は動機がよくわからないが夢の話である。大変短く、大変普通である。夢ではビルも普通なのだ。ということは夢では皆普通なのだということが言いたいのだろうか。最後のI have been dead hereのリフレインがこびりつく。

2年前の夏にスイスから研修に来ていたリャンさんがお母さんが湖で溺死したこと、voice crackと繋がったこと、建築のポートフォリオに春秋窯で修行と書いたこと、など書いてきたので、酒游館ではまだ君の盃を使っているよと教えた。

工芸性への恐怖はあの柘榴の彫り物から派生している。ベザレルへの力を持たない者が物を作れるわけがない。元代の空間恐怖とは絵付師ではなく私達の裡にある恐怖なのだ。それはシルクロードを介したユーラシアの陶芸史にある断絶、つまり細密とpeasant陶の純然たる階級差となって裂開している。
ではストークオントレントの一群の、染み出すゴム球による転写はどうなのだろう?それらも付け立てに対してお嬢様の見下し的な陰謀論を維持している。その19世紀の洪水的からくりを解くことが工芸性をさらに平たく千年単位のピザ生地に引き延ばす鍵だ。全くもって、第一神殿の音楽と同じことだった。
民藝のような汚いものを、とアレクセイ・ゲルマンの神々のたそがれの、ルネサンス期を迎えようとしている星に降り立つお嬢様は唾を吐く。ところがルネサンス自体が嘘なのだとしたら、その星のリアルはどこにある?というのが系1となる。つまりクラフトは二重の意味でマトリックスのゲームの中にある。
つまり技術には、技術の終わりを照射するまなざしが必要なのだ。それを象徴界と言う。言う、と言うより言わば言え、という感じか。ウェッジウッドにもスポードにも砥部にも景徳鎮にも未来がない、というより過去がない。白の書き換えが興る。それがミレニアムだ。

人刺し指

”ガール”不在のまま、メジャーを異化しようとするマーティン・ハネット・プロデュースの”自分と結婚aha路線”は捨てられさらに、作った当初のワンコード・ワンダーに回帰している始末
すべての音楽はデモテープに戻っていく
https://youtu.be/wnuNABpjShg

 

Comme a la radio R×T

他の多くのパンクのレコードと違って、それはいつの間にか家にあった。それはすぐに僕の芯のようなものになった。70年代の半ばのことで、僕はまだ日本の地方都市の高校生だった。”spontaneous”が集団即興演奏のキーワードだった時代だ。レスター・ボウイとレオ・スミスが同じ旋律を「ずらしながら」吹いていた。その女性歌手の声は時間軸に対して垂直に立っていた。すべての参加者たちは、それぞれ自立しながら同じ平面に立っていた。そういうわけで、東京に出てきた時、僕は”Comme a la Radio”で武装していたのだ。
東京の吉祥寺にあった「マイナー」には、フリージャズというソクラテスが去った後に登場したキニク学派が全国から集まってきていた。即興演奏のセッションの場では、僕は、「僕だけが音楽になってしまっている」と批判された。
パンクの好景気の余勢をかって、それまで陽の当たらなかったフリー・ミュージックの自主製作盤の制作が、シェフィールドやアクロンなど世界の各所で同時多発的に発生していた。
歌が発生することをゆるされているのは集団即興の場における事件としてだけだった。
その頃のこと、下北沢の「五番街」という古レコード屋で、僕が「worstnoise」というバンドでインストアライブをしていた時、女の子が店に入ってくるのを見た。それで僕はすかさず店のカウンターに”Comme a la Radio”を持って行って、かけてもらった。案の定彼女は「これ、ブリジットね。私も好きよ」と言った。僕の作戦は見事に成功し、次に福生の「東京ロッカーズ」のギグの会場で会った時は、バンドをやる話になっていた。
私たちはともかくも、ブリジットの”L’ETE L’ETE”とジャニスの”summer time”を持っていた。それで、自分たちの”夏”を持つ必要があったのだ。
78年に”Comme a la Radio”のライナーノートを書いていた間章という男が死に、僕は彼の遺族が棺の中にそのレコードを入れた、という話を聞いた。「西遊記」に出てくる「釈迦のてのひら」の逸話のように、間章も”Comme a la Radio”の手のひらから出ることはなかったのだ。すべての男は彼のロック史によって突き進むが「ラジオのように」は男のエートルをドミネースィョンする。包摂する。man is subsumed under 棺の中に「ラジオのように」を入れるのではない。「ラジオのように」という棺の中に男の死体を入れるのだ。
Unlike many other punk records, it was in my house before I knew it. It was in the mid 70’s, and I was still a high school student in a provincial city in Japan, when “spontenious” was the key word for collective improvisation. Lester Bowie and Leo Smith were playing the same melody in a shifting fashion. The female singer’s voice stood perpendicular to the time axis. All the participants were standing on the same plane, independent of each other. So, when I came to Tokyo, I was armed with “Comme a la Radio”.
At “Minor” in Kichijoji, Tokyo, the Kinnick School, which emerged after Socrates in the Free Jazz was gone, gathered from all over Japan. At the improvisation sessions there, I was often criticized that only my performance had become “music” in a negative sense.
In the aftermath of the punk boom, independent productions of free music, which had never seen the light of day before, were occurring simultaneously in Sheffield, Akron, and other parts of the world.
Songs were allowed to occur only as incidents in the field of collective improvisation.
In such those days, I saw a girl walk into the store when I was doing an in-store live performance with a band called “Worst Noise” at an import record store called Gobangai, which means “5th Ave”, in Shimokitazawa. I immediately took “Comme a la Radio” to the store counter and asked a store clerk to play it. Sure enough, she said, “This is Brigitte. I like it, too,”. My plan worked, and the next time I met her at the Tokyo Rockers gig in Fussa, we were talking about starting a band. We had Brigitte’s “L’ete L’ete” and Janis’ “summer time” anyway. And we needed to have our own “summer”.
In 1978, a man named Aquirax Aida, who wrote the liner notes for the Japanese edition of “Comme a la Radio,” died, and I heard that his family put that LP in his coffin. Like the anecdote of “Buddha’s Palm” in “Journey to the West”, Aida was unable to get out of the palm of “Comme a la Radio” after all. Every man rushes through his “rock history”, but his “être” subsumed under “Comme a la radio”. It is not about putting “Comme a la Radio” in his coffin. It is about putting the corpse of the man in the coffin of “Comme a la Radio”.(T)

The blurred image of a thin faced woman. A blue purplish haze of nowhere. It was a cold winter and I was pregnant. I took a long train ride to where Tori was playing a guitar. It’s the area called “Sanya” in northern Tokyo, the home to lots of homeless people, then. It’s not a home, but cheap hotels where they can stay if they have a day’s wage. In winter they were out of jobs and they slept in a park and that’s where Tori and his friends were. As I walked to the park some guys greeted me kindly, a sense of loose bond among us. I could hear a guitar sound, and Tori and his allies were also burning fire inside the park to cook for them. I could not go inside as the park was surrounded by armed police, they were there, many of them, two folds around the park.
‘ Il fait froid dans le mond’
It was a phrase lingering in my mind these days. I was roaming alone at night In Shinjuku aware of lots of homeless people sleeping inside tube passages. ‘ I can’t be happy if there’s one starving child in the world’ I thought it was Simone Weil’s word, but can’t find it anywhere, but I felt a bit the same, my obsession was to destroy myself, away from home, betraying my mom and dad. I did’t think about my future, but I wanted future for my baby, it was at that moment when I saw armed people in that tense atmosphere, I realized that power is useless. Those who take up the sword will perish with the sword. My mum was betrayed, too, lost her mum and a dear sister at the moment atomic bomb exploded. No repeating, no. I had to survive. I had to find a home, I had to find someone to deliver my baby. I felt powerless, I will live. I’m still here, I have a will to love, that’s what my Father taught me, my mother taught me to sing, I can witness, I live for it. Recibí una espina en la carne.(R)

index finger, earlobe natural light

いよいよ食べ物がなくなった鳥がしょうがなく食べる七竈

老人と海、ですな。 デレク・ベイリーみたいな顔してたんでしょう
https://twitter.com/tomizawakakio_b/status/1460948379631243265?s=20

ガチりんすげえ

在留自国人の保護という大義名分↓
一般市民と政権を峻別↓
傀儡↓
解放された非抑圧層の抑圧者への変化↓
転落した旧支配層の叛乱↓
一般市民という座の奪い合い↓
利権で説明する視点の登場↓
背後の巨悪に責任転嫁↓
その観点からの自国の分断↓
非抑圧者層の国際的連帯の失敗↓
独裁待望とその輸出↓
陰謀説の乱立↓
弱体化↓

98年か クレーメル、マイスキー、アルゲリッチでタンゴ・パセティークとか反則じゃんねー

紙を剥がすように捲ると夜になっている

揺れる地層から錠剤のカプセルが飛び出し、武蔵美系の実のすっぽ抜けたハチスのようだ
道から消えうせる
右手か額の奴隷の印は拒否しないが自分の手に所有者名を刺青する
乾いていく洗濯物の乾いていく色

柴又のbiscuitのクッキーはとても美味しいので皆様行かれてみては
カフェもあります

El verdadero amigo ama en todo momento y es un hermano en tiempos de angustia
https://twitter.com/_YukioHakagawa/status/1461468885761224706?s=20



https://youtube.com/shorts/MXKo-qp14Go?feature=share

ブントが共産党を見限ったのは暴力革命路線を否定したからだったということを団塊は覚えている筈ですから、閣議決定のアナクロにはただただ萎えるでしょうね

久万のミシュランラーメン屋で背脂鯖威張る

ラスクリや白い粉吹く首都連合

かめやが久米に復活してる。事件だ。でも何をやっても潰れる場所なので不安しかない。
分かった。落ち目であることを知らないふりをしてるんだ。これは現代アートだ。それでトレンドに引き上げる。浅海君ならやりそうなことだ。
うどんの話だよ。


雨や
オデュッセイアは韓流みたいに続くし
米軍女士官という触れ込みのline誘導に策を巡らし
ネフィリム崩れの神々のような現世の
流石のあやつらも寝静まった頃
一番ひとりになれないとは
さらばナウシカア
きみは水族館のように手を振る
雲の道行、
と発語することで吉祥寺に俺の歌碑を建ててくれた
オデュッセイア
悲劇も喜劇も無い
韓流ドラマのの分かり易さで
介護の日常が続くだけだ
それにしても雨や
刹那はグリーンウェアのまゝ乾かないだろう
オデュッセイア
膠着した湿度の
依存症としての
雲の道行
尻切れトンボって何?
尻の切れたトンボ?
焼鮎の腹食ひちぎるて耕衣の句にあったけど

 

11.29

Tiene que morir

sweetinspirationsは木股さん〔どこでどうしているのか〕ドラムと吉原潤〔どこでどうしているのか〕ベースで主に青山発狂の夜でやっていたバンドですがこの夢音のライブには清水由紀alt〔どこでどうしているのか〕とか参加しています。ベースは小沢?石渡?今井?分からない。
https://anarchives.com/2021/11/

El corazón es más traicionero que cualquier otra cosa
https://twitter.com/_YukioHakagawa/status/1462918740182327298?s=20

@clavinotes
モアの店長が聴かせてくれたんですがこれは音楽への復讐であり、このリアルは今年最大の問題作と言って過言ではないでしょう。
https://www.youtube.com/playlist?app=desktop&list=PLSoNQKSOvCoKvtg8Wi9mZEBDpGllnRTcx

まだ生きて今日のわたし
もみみきられ
宇宙人もとろける「いちばん愛してる」
オーダー!ピザ屋で働く香取君
オイデュプス チーズとワインとヤギの肉
携帯の耳鳴り芳一5G

Humildemente piensen que los demás son superiores a ustedes

自販機のコーヒーを買おうとしたら全部呪術缶などというものに変わっていてバッカヤローと思った

旧松下の工場から出てくる車が勾配で前を擦りそうで積丹ブギーという駄洒落を思い付いた

萎縮海馬桶
ishuk kaiba orchestra

生協病院で疲れたらしくyotube見て寛ごうとしているのでbtsかと思ったらback street boysを未だに聴いているのだった

La ansiedad aplasta el corazón del hombre, pero una buena palabra lo reanima

キリンは雲を食べないよと自閉 https://twitter.com/tomizawakakio_b/status/1463651176432697344?s=20

https://www.bbc.co.uk/programmes/p0b51565

ゾウムシ食べた人いる?

ヒッピーは法の言葉の扱い方に於いて右翼であると思い知らされるパンクスたちの行き場は高円寺にはなかった。ではどこへ行けばよいのか。古本屋も押さえられていた。残るは大ガード下しかなかった。そこに立ってろ。いや座ってろ。いや寝てろ。動かぬ芋虫となれ。孵化の前に腐れ。

春に植えたのですが今頃になって冬瓜が収穫できました

No imites lo malo

一種類の花の蜜を作らせるのは良くないことが分かる。症状に合わせたストックがあり、薬剤師と製剤薬局があるのだ。
https://t.co/d2LaMXHEu4?amp=1
それにしても農薬やめないので死に絶えますからよろしくお願いします
ヒマワリのものがとくに抗生物質の役割をします。処方しますとまた元気に飛んで行きます。看護蜂壇蜜さん談

人工フェロモンによる攪乱とは恐れ入ったね

石油代浮くクライナら沈むEU
送油管背脂煮干最後尾
麺は細くて三歩歩めず
津波かなリア諸島を引き揚げる
冬越すアイヌ共和国
包囲網と言うより愈愈追い詰められた小動物のように立川で手配され孫を負ぶり目を掛けてくれたガラガラ声への割り当てを果たそうと靴を借り
買収された第一ホテルへ

Tiene que morir

前に宇和の池田屋でやった
https://twitter.com/igamiki0319/status/1464242031069253633?s=20

ストーンズの前座で出ることになったがギターが壊れていた
キースがネックを直そうとしてくれて直るかなと聞くとこういうのは絶対に直ると言う物語を持ってないと直らないんだと言う

祖父は藤田を大変批判しておりました。自分が社交界で営業下手だったからでしょう。

サニーマートに無添加のベーコンがあるのでall day breakfastも夢ではない

オミクロンておみくじでクローンにされるみたいでいやだ

山に入って行くことばかり考える

モデル・ルームとしての山に
親と逆光の兄弟姉妹達と棲む
地中の壁の厚さは1m
ホッカイロを入れて
不在の間も世話する

柿を吊る軒下から

「手仕事の日本」で、砥部は完全に無視されている。柳は伊予ボールを嫌ったのだろう。代わりに段ボールを丸めた塵取りなど出ていて、内子の棕櫚箒は無かった気がする。

no oculté mi error

咳をしたらテレビジョンのヴィーナスの出だしのリズムだった

終わりの日若い女の懐古趣味