浜風文庫2022.1
1.3
淡路
α波の上限近く、11.7Hz
https://youtu.be/jjmfRAlkpTQ
https://twitter.com/_yukiohakagawa/status/1474354700451737604?s=21
人間は縦横を組み合わせたがるがそれはあまりにも人間的だ
基本的には上下しかない
横はさまざまだからだ
ベッドのまま運ばれて
焼かれる前に
南極を上から見てみたかった
四方から見られている
厨房の仕切りのない
部首のレストランで
漢字を食べてみたかった
日が陰っただけで人を殺す奴は馬鹿だ
子供を抱いた女、と思ったら犬を抱いた女だった
木がそこら中に生えている
雲の切れ目から降りてくる光の束にそれぞれに違った角度が付いているのは何故ですか?
太陽は雲と同じくらいの高さにあって、大きさも月と同じくらいなのではないですか?
年が変わるというのは公転とは関係なく、かりそめの四季を支配者の在位年に重ねていただけだとしたら、冬至や正月の神聖の押し付けは何処から来ていますか?
人が大勢死ぬ予告を前にして矮小化した愛の定義を繰り返すのは、スーパーの惣菜売場に流れている霊に同化した頭蓋が、反帝国主義とレッドパージの枠組みの中で凍てつき縮みきっているのと同じです
海馬はさらに萎縮してもの忘れや失敗が多くなるでしょう
絵に描いたトラをどう退治しますか
https://youtu.be/-92gC_f0PMQ
光は波でもあるので雲間から広がって干渉します
意識しないときっぱりとはいきません
うすぼんやりと残ります
忘れようとすると一粒の実体になり忘れている時は波になっています
眞子に佳子
皇族に流石にキラキラはない
真理への匕首は初霜に珪角を表す
福引きは八ので付く二八日で終了
餅つきは九の付く日は避ける
ヤギ譲とヴァニ諦レコードを振り返る類いの旧市民の年末
カヴァーをディスってディスカヴァー
死人に口なしてほぶらきんのレコードにも書いてあったね
正月くらい自分で作れ
と茨木のり子のようなものに叱られても
正月は暦の中を毎年移動するし
毎日が正月、とも言えず
いきさつを楽に棄てていくことしか
わたしにはできない
漏らしたことが多すぎて
竹で編んだ笊のような球
分画は受け入れ
借り物の体に対して罪を犯す
人生の目的が分からないとボルヘスbotが言うので
悪いなボルヘス、俺は知ってるよ、と返したことがある
行えてはいないが知ってはいるからだ
分からないという人の強みは行えていないという罪悪感がないことだ
ただ、そうした保留された状態に留まって居られる期間は限られている
その限られた時間を活性化しようとしても空しいだけだ
行えてはいないが知ってはいるという人のための時間も限られている
知っていることを誇ることもできないし、知らない人を見下すこともできない
見下さないということを主題にすることもまた空しい
知っていて行う人が一番幸せだというのはこういうことだ
カントはこれも駄目それも駄目と言った
ヘーゲルは駄目と駄目との隙間を生きた
人類社会の全ての家族はその創世の最初期から喪中に付き年始のご挨拶は控えさせて頂いております。ここに本年中に賜りましたご厚情に感謝致しますと共に、皆様に良き年が訪れますようお祈り申し上げます。
トンネルの青魚
幸せの蛸
海の区分された色
全部やったという気持ちにさせるために
淡路には粒と波が与えられている
1.10
ロイヤル・ラブ
地球がカラフルだと
画像編集しなければ
永遠は存続しなかった
窒素をリサイクルしなければ
怒りの火は消えなかった
混ぜ物だらけの畑を燃やせ
鳥はわたしの枝から去る
影絵の捕食者を家に入れて
舫結びを習った
超絶技巧がぶら下がったまま乾いている
千年間動けないように縛った
一時テムズ川にはウナギしか居なくなったので
イールジェリーはイエローベストのリポビタンDとなったが
テートの口からレッドブルが出て
浄化することにより汚した
宇宙から見なくても美しい地球を
浄化することにより汚した
ロイヤル・ラブ
製薬会社の苗字のように親しい
独楽のように永遠
「目を逸らしたら負け!」と車から呼びかける若者たち
画像編集したら負け。
1.17
家のうちそと
国々がお互いに国であるという一点で結ばれているのは不思議なことだ。連合も敵対も同じ平面上の弱い線の絡まりに過ぎない。
国々は、それが国であるというだけで大変に可笑しい。
例えばオランダ?プフ
といった感じである。
言語の数だけリーダーが必要なのも可笑しい。
数え上げ始めると消えていくのは
違う層にいたものたちを同じ平面に揃えようとしているからだった
ニュースでは
アメリカの林檎が青森を包丁で刺した
青森の林檎は110番したが
2022は黙って寺山の皮を剥いていた
(マキさん生きてたら84)
フラメンコにおけるタンゴという臍の緒の綻びは元タンゴを照らし出し、出産する
スペイン語の語順は様々な角度から差し入れる包丁のようだ
https://youtu.be/Kl43ObkSgS0
持続音、切断、重低音が欲しければ人生にエフェクターかますしかないのだろうか?
違う、「人生にエフェクターかますしかないのだろうか」って唄えばいいんだよ。
全ての哲学者はカント主義者である、とドゥルーズも言ってる。その意味は、不可能そのものを解とするということだ。
これはこの前の大友ラジオの、最後の即興duoを聴いた感想だ。
音は外にあると思うなら、音は外にあると唄えばいいだけだ。
音はライプニッツでもヘーゲルでもない。音そのものの不可能性なんだ。
そしてカントがサドになる加速主義に向き合うことだけが人生だ。
金がなくてエフェクターを全部柴山に売ってしまったぼくが言うのは負け犬の遠吠えみたいだけど機材持って移動は歳取ったら無理だよ未だ青春の諸兄姉
でもそれは唄っちゃうといけないことなんだよね
そこら辺の選択がフォーク野郎じゃないスローコアのキモかな
せめて界面ははっきりさせよう
音色を作る気はない
世界で一番美しい詩は何ですか
ときみはYahoo知恵袋で訊く
美しいと感じるものは人それぞれですからそんなことを訊くもんじゃありません
と解答される
あなたはどう思うのときみはぼくに訊く
言葉は存在の家です
とぼくは答える
15、6の頃徳島の本屋で文庫本を買って、以来、冒頭の「言葉は存在の家です」を巡って生きてきたような気がする
存在が家だと思っているかもしれないけれど
言葉が家で存在は家の中にあるんだ
家の中に入ってしまうと外から家を見ることはできない
「太初(はじめ)に言(ことば)あり」(約翰1:1)、というのを哲学的に考えると、
言葉に対して初めに言葉があった、と言うことはできない
その不可能性に向き合うことが詩なのだ
それに言葉は音で意味なくおやじギャグをかます
悟性がシニフィアンの増殖を抑えることはできない
オヤジギャグはその極致に至って現実界に変わり得る
突発的発生がもたらす切断、違法的享楽の場である
資本主義の盲目的な運動は親父ギャグに似ている
そうした駄洒落dad jokeは言語に属していない
言葉は存在の家ですという冒頭をよく噛み締めよう
言葉は人間の創造物や道具ではない
人間が言葉の中に住むのである
不服そうだねとぼくはきみに言う
でも世界で一番美しいと思うのはきみの「夕日を見にいく」という詩だよ
それにエミリーディキンソンの英語がなぜ美しいのかをぼくは説明できない
きみは喜んで同意する
瞬時に忘れる同音性地口の漂う家の中で
https://torikudo.bandcamp.com/album/–15
1.24
トンガ離婚
ぶどう園で
本当なら
友達でもおかしくない人に
同じ平面に立とうとして
立ち去りながら言ってみた
今日は晴れて
いい天気ですね
そうね、いい天気ね
俳句の上下を無いものとして切り捨てることは出来ない
俳句を切り捨てることも出来ない
俳句の山は最中山
とんがりコーンから噴火
王は人間が考えた頂上であるが
王の正確な像を作ることはできない
静止した像は無力であり
その素材は朽ち果てる
コンクリ漬けのウェハースの山肌が熔けて
セメントのグレーだけで麓の街を成立させようとしている
餡の熱量が最中山をトンガに連動させる
それは詩ではないことは分かっていた
食べ物に興味がないと言ってみても
行きたいところは無いと言ってみても
トンガ離婚
温暖化温暖化して凍る
寒冷化寒冷化して燃える
離島は存在しない
本島は存在しない
とんがりコーンは氷を噴出させる
俳句は共有である
立ち去りながら言ってみた
今日は晴れて
いい天気ですね
そうね、いい天気ね
1.31
dyʹna·mis teʹras se·meiʹon
まだ生きていられるのは抽象化のお陰だ
声から文字が抜ける文字が抜ける翻(こぼ)れるように
視えてない
午後の網目を塞いでも字は増えない
「絶望の渦中でふと視野に入る他人事めいた希望のむなしさ」という映画評が目に入る
https://filmarks.com/movies/56345
悪が染み込んだ砂地
透明な和紙
人生
東に染み込んだ血痕
揺るぎない
離れない
かかあ赤赤々赤々あゝあのあゝうい手の空いた家いるあああーいあるランあーあい諦めない
松前のはだか麦ラーメンはたいへん凝っていてthicker than 天一、450円というのも良い
高成の百円うどんを思い出させる
大音量Jpopをバネにした褞袍炬燵眼鏡の得体
それで、あなたの代わりに人々を与え、
あなたの命と引き換えに国々を与える
唯物弁証法に立てば低所得者層は称号であるのにたこ焼食べ過ぎて立て飢えたる者よとならない大阪は小麦が悪いんだよ選挙は粉ものて言うじゃん
寧ろ高所得者層と呼ばれることが最大の侮辱と思わなければならない。社稷を思う心なして街宣車も流してるだろ。タピオカ→唐揚げの流れこそがワイマールであることを立憲炭水化物主党は分析すべき。
ユニクロ着てカフェでスマホ弄ってりゃイギリスと同じで階級差なんて分からなくなっているが小麦1キロ1万円になることが予定されているので大阪市民は明石に移動して小麦抜きのたこ焼きを食べようとするが時既に遅きに失し淡路島タコはごめんと須磨の浦
警察署は襲撃されるべきものだし美術館は爆破されるべきものであった。それはあまりにも自明過ぎて口に出すことさえダルかった。そこから出発してない論調ばかりになったのは抽象化の能力が落ちたということだ。
明治時代は無かった
今は大正時代
その前は縄文時代
その前が昭和時代
令和維新の唄はさらにその前のメロ懐
平成しか勝たん
アンリ那智ス
ヒットラーメン
薬剤師ん
あ、それアカンやつや
たいかのかいしんむしごろし
苦しみについて返事します
良い機会だと思って逆にそれを活用して、今経験している苦しみにどのように向き合っているかについて考えることができます
そうすれば、自分のどの面を強める必要があるかが分かり、将来のもっと大きな嵐や飢饉や不公正や死別に耐える準備ができます
良い親は子供が何を必要としていて、いつどのようにそれを与えたらよいかを知っているので、子供は見捨てられていないことを実感できます
未来はなかったが
過去の沃野があった
変えられるのは過去だけだった
奇跡dyʹna·mis teʹras se·meiʹonはない
作り話もなかった
過去は高円寺のパラレル通信に書かれていた
平行宇宙のオブジェを掘り起こし書き起こすとそれが教科書になっていく
「阿部には未来がなかった。私は彼のその未来のなさを愛していた。」と間さんは書いた。
未来はなくても過去を改竄する悪知恵はその頃はまだなかった。
我々は岩盤を削って進もうとしていた。
「今は悪い奴らのほうが真剣だ。」と「ソシアリズム」でゴダールは言わせた。
いまや量子は過去を変えることに真剣だ。