浜風文庫2022.8
8.1
peace frog
カレーに転身
胃瘻に検診
尾籠な塁審
ティンカーベルは陽性
なので反共とコミュニズム、自己否定としての反日と自足としてのナショナリズムは金の出所が同じだったと思いながら思いつつ
犀のように吐きながら進め
雑魚はいいからカメラは国連と政教分離のトレンドのみを追え
願わくば私が仰向かんことを!
記録的短時間大甘情報
付き合いもあるし、腸内菌の嫉みの際にも手伝ってもらっている
openfield with no child
ドブ胡瓜のインド屋台風
ドブ胡瓜は極限まで細く縦切りにし、それらしいスパイス全部入れて炒める
裂けトマトなどあればそれも潰して混ぜる
砕いたインスタント麺を入れ溶き卵を加えて数分で出来上がり
非常に量が増すので二人分でも多いくらい
冷やし胡瓜の深沢七郎風
胡瓜は極限まで薄く輪切りにし、冷たいご飯に乗せる
冷たい残り物の味噌汁を掛けて出来上がり
鯛の擂り身などがあれば伊予薩摩と呼ぶこともできる
あとは
・メロンと思ってスプーンで食べる
・冬瓜と思って煮る
など
それはどんなジャンルなんですか
えーっと,例えば、純粋な数式だけを音にしてるんです
昭恵は徹也を許すチャンスを逃さない
peace frog
腐る服を着てインスタにアップしながら
技術は
いやに黄色い
熱り立った人を
水と思え
竹籤は折れ
瑠璃は逃げる
お気持ちはよくわ分かります
からきしだめな
オルナンはアラウナ
神罰でさえ良いこと
水を探り当てる
Take away from me the noise of your songs;
for I will not hear the melody of your viols.
紙が飛ぶ
すぐに腹を立てない
万札と思って追いかける
裁判官が目撃証人
何回も洗濯して白が褪せている
職場では無理だ
四国だけ井戸にするとかスーパーやコンビニをなくすとか集落ごとに電気を自前でまかなうとか山を掘って住むとかは八十八ケ所的結界妄想と出所が同じだったが、エデンは最早展げるものではなく覆うものなのだとしたらグローバリズムにも積極面はあるということになって笑いが込み上げる
理由を見つけて
靭帯の平和
ひとり
いろいろ
善悪を判断する機能は?
違いを楽しむ
人の舎弟を批判しない
分画はどの時点で血ではなくなるか
ネオンは輸血していい
自分の感覚に従うのは良心に従うのとは違う
謙遜温和辛抱愛
良心は詩ではない
森山さんシンバルキレイね#フジロック
ワタラセはカモガワみたいだったけどね
時間を轆轤にかけて細長く筒にしているだけではないのか
「私が人間であったことなど一度もない」エマヌエーレ・コッチャ
一致する理由しかなかったがそれでも憎み合う理由を見つけた
一致する理由はなかったが一致した
靭帯の伸び縮みが平和
違いを楽しむだろうか
アル中だろうか
一生は素早く過ぎるので
腰掛けだと思っている
料理を削ぎ落とす
貯蔵はできないわ
8.8
holy day
Aug1 Separados de mí, ustedes no pueden hacer nada
漢字混じりの角が立つのか眺めているといらいらする
Aug2 Estos dos reyes se sentarán a una misma mesa diciéndose mentiras el uno al otro
うすやみにかなかなをきくはまれにしていつころよりかあきらめてまつ
音楽は倫理ではなく技術にすぎないので
分断?なにそれ、という感じである
身体性という器に関する即興的な技術があるだけだ
Aug3 Yo Seré lo que Yo Decida Ser
全体とは欠如である、とすれば政治的全体は充満ではなく、%で表せるものではない
空のバケツに手を突っ込み合うようなものだ
突っ込むならolé!と間の手を入れるテオリアでありたい
ペロシです
ちゃん系バンドのチェーン展開でしよ食べないけど
取り去ったのは
付け加えたのは
ヒカルがジョイフルとコラボした焼肉定食を食べた
見回すと皆ヒカルの焼肉定食を食べている
僕も「これでヒカルの焼肉定食を食べたと人に言える。」と思いながら食べた
Aug4 vida y aliento
歌には乗っかって歌うやつとぶら下がって歌うやつの二種類しかない
その聴こえ方は虫や鳥の音が混ざり込んで現前するものと遮断するものとがある
あと,会えなくなってもキャラ化して泳ぎ回る記憶と、そうでないやつとがある
生きてきて分かったのはそれくらいだ
ガスパッチョ
キュウリとトマトとピーマンをミキサーにかけ、
オリーブ油とクミン、塩とヴィネガーで味をつけて水に浸けたパンを一切れ浸してできあがり
冷製スープとして非常に優れているのみならずキュウリ地獄から抜け出る一条の光
軟禁されていることを忘れて
状況が変わる時改めて意味を持つようになる
Aug5
https://twitter.com/tsukamotoK_bot/status/1555513115940618241?s=20&t=ce9yIn1-oOZAS3mVbqIU8Q
死に方を色で分けむず
https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/gijyutu/gijyutu3/toushin/attach/1332145.htm
炭素年代測定法
Aug6
https://www.craiyon.com
AIに描かせると皆フランシス・ベーコンみたいになる
集合的無意識とか一般意志の視覚化を狙えると思った
裏はない
世界に裏があると思っているうちはまだだめだ
表が裏だからだ
Aug7
traveler’s joy
クレマチスの仲間で世界中に咲いているらしい
traveler’s joyで検索すると南アフリカのホテルが出てきた
練習しないとやれないような音楽は必要ない、
という言い方が成立するのは今だけである。
終わりの時のための音楽は志向するものではなくずるずると中身のようにして付いてくるものである。
Aug8 ¡Basta ya! Quítame la vida
8.15
いっしゅんで充満し、いっしゅんで遠ざかる
家原さん
外から見れば無音じゃん
現存するイノシシ旅館で72歳の男が死んでも誰も騒がないご時世になった、そうだ、レコード盤を裏返す手つきがナベサンのマスターに似ていた
https://youtu.be/1VOJi9Lwg-o/
申し訳ないけどもう少しプログレ喫茶で酔っ払っていたい
https://youtu.be/_Sls_QCMG2Y/
苦さの活性化のようにして残暑
空の冷蔵庫から夏の思考として氷
「窯にまかせて」じたいに中立的チャンス・オペレーションの妙があるのではない
「窯にまかせて」という決断に偶然性があっただけである
つまり何故「窯にまかせて」かを知らずに「窯にまかせて」いるのである
その点人間は人間ではなく器に似ている
磁界のバランスの中で浮いている重さは数値の多寡を問われない その揺れは定まらず刻一刻と純粋経験を積む
tu dois はil fautとして、恰も憲法のようにして来る
持続が真に持続である時を待ち望むあまり持続は常に一瞬でありそれ故に求め続けることになる
人間牧場という言い方で貶められているのは 言葉を刈り取られる羊である
リックライトやギルモアが囲むようにしてはじめてバレットの標野wasteが不在を確証され、あのno man’s landのサインが境界線上に掲げられる
突出したニュースたちを話題にしてはならない
突出するものがあるということは相対的に沈み込む関心事があるということだからだ
例えば「統一」と発した時に下降してゆく澱を掬い取るようなまだ生きている人たちとの対話の可能性があるだろう
イデオロギーもひとつの宗教だとすれば政教分離は不可能なので面倒くさくなってその勢いで政・教双方の廃絶に向かわないだろうか
穴子は炭火をよく熾して決して裏返さず、皮面だけを焦がす 鱧もそれに準じて裏返さない 目玉焼もそれに準じて裏返さない
なべて裏返さないでじっくり
我思う故にとかじゃなくて主体とは恥が五割罪五割の裂傷に過ぎない
「べからず集」が欲しいだけなんだ、と三谷は言った。
アート独裁
Sigue venciendo el mal con el bien
「べからず集」がなくても音楽はできるが親は恥をかく
頭蓋がよく分かる
先が尖って
目尻から蟀谷に稲妻線がある
遠さと近さに濃淡はなく、限りなく遠いか限りなく近いかのどちらかしかない
だから遠さを利用して隙間でどうこうしようというやり方は立たない
常に少数派が正しい情況の中で、清和会潰しのようなことを表にするという南極なしの戦略でしか進みゆきがない、と地の球軍団AIジョーのエヒメ新聞コラム
詐欺を見抜き全力疾走で阻止西垣生コンビニ店員48歳の笑顔
豆の鞘
主体ずたずた
国際食豊かな母が子を煮たのである
あ喉痛いコロナかな
広い洞窟に階段
目玉焼きの二階から銀天街をモップ拭き
“reality”とオーダーしてAIに描かせるとバグる
では、と”real world”で指定すると、VRを装着した男が立っていて、こちら側にwaste landふうの標野が映しだされている
ニーチェは七日目に関する法的時間軸がずれている。「われわれ」は八日目の休みの国に向かうのであって、一週が七日である間はブラック企業のごとくに働くときだ。
そこではすべてがいっしゅんで充満し、いっしゅんで遠ざかる。
キョリは時間だ。時間は、労働だ。
タイトルを決めようということになり僕はアルトーを念頭に身体が思うように動かないと言った。それを踏まえて思いつく言葉を出し合って羅列しようとなったときガセネタの諸君は蠢くと言い、灰野さんは気配と言い、金子は「傷」と言った。今となっては主体が外傷的であることが際立っているのではないか。
https://twitter.com/simoneweil_bot/status/1558069061543571457?s=20&t=XzAFRVoiZeggiW9KZPjBNA/
だから裂け目なんだけれども、息も風も”フォース“も全てプネウマの一語で括るから余計にそれが目立つような仕掛けになってるんだよ
水脈の言おうとしていることの中には正しさも真実もないが、言っていることの中には彼女を離れた一面の正しさがある。もちろんそこにも真実はない、大体そのような構造になっている。そしてリベラルはその逆ではない。その捩れが都合良く現実を作っている。
シドバレット(様)が庭で「今日もひとつ音を殺したよ」などと宣っているロック雑誌特有の浅いマンガがあったが 、彼が囲い込んでみせたのは現実界そのものではなく、no man’s landという囲いに過ぎない。現実界が存在していると思った時点でそのベクトルは不能性を帯びる。心はそこにあったとしても。
伊牟田はその線を引く男だった。接する界面の、内側に拡がるその原は、牧場であるらしかった。
半野田拓もこの前新作を渋々呉れたが、明石海岸のホセ・マサダがマーク・ロスコの抽象をやっているような趣きだった。
家の近所に沖縄料理屋が出来た。モンパチのドラムと釣り友達らしい。
意識して眠ることは出来ない。睡眠は常に寝落ちの形でしかやってこない。それをコントロールしようとする意志は裏返った夢だ。
かたちとなかみのちがい
なかみはない
ないなかみのかたちがかたちなのだ
焼き物に良い形、いやな形があるのはそのためだ
その人が良い人だから悪い人だから良い形嫌な形なのではない
唐九郎と魯山人の違いとはそういうことだ
なかみのあるかたちはない
なかみのないかたちというかたちがあるだけだ
焼き物とは眠りながら作るものである
げんに窯屋はてれびを見ながら湯呑を挽いている
マイケル・カーデューの息子も首と肩の間に携帯を挟んで電話しながら轆轤していた
乱入してくるものに気を乱されるようではだめだということだ
無意識の回転がロクロのかたちだからだ
陶芸教室の作品は中身のオンパレードだ
仕事量の多い名作かもしれない
でも中身のない信楽の土を使った中身の表現は、器胎が眠剤飲むような中身のオンパレードになるのだ
眠剤導入という形が無意識とシュールの沃野を殺し
さつりくのかたちとなる
あゝとうげいきやうしつのやきものはちをながしてゐる
きみは食卓に血を置きたいだろうか
否だ
置くべきは骨だ
イエスは復活したがマリアが識別できたのは声だけであった
血と肉と骨は型式であった
それは粘土から造られていた
声とは息であり、風であった
それはプネウマと訳された
それは一瞬で充満するものであり、いっしゅんでとりさられるものでもあった
わたしは声ですと荒野のヨハネは言った
彼の音楽形式はラクダの皮の衣服と食物としてのいなごであった
それはジュビリーを待つパンクスに似ていた
風にそよぐ葦(Reed)を観に来たんじゃないだろ?とイエスは言った、
「ヨハネのプネウマを聴き取ってオレのロックンロールトレインとジョイントしようじゃあないか。」
その引用の形式によって、イエスのアップした全ての動画は父ではなくYouTubeから著作権の申し立てがありますという警告を受けた
音楽はジュヌスと呼ばれる束の配列であり束の組み替えが演奏であった
塩基配列の組み替えは、なまじヒトがやると種の絶滅をもたらす。音楽が死だとゆうのはそーゆうことだ
だからあ、やめた方がいいんだってば作りに行くタイプのやつ
三幸の柿の種が復活
「ピーナッツが少なくなったような気がする
「からい
と言いながらも
「量が丁度良い
「パリッとしている
など褒め言葉も
やっと思い出した 8-10死水秋道、5-7漏水夏道、2-4若水春道、11-1泥水冬道
https://apps.apple.com/jp/app/radio-garden-live/id1339670993/
異化とか脱臼といった言葉が廃れて久しい。地上波と衛生波が一足先に統一政府を実現してしまった。
笙やガムランバンドのベクトルが折れるのはそのためである。尚且つ異化も脱臼も封じられた居住区に我々は居る。武器を現実界に持ち替えてもウクライナや奈良でそれはひろがりを持たない。欠けているのは不参加と無音のパブリック放送への意志である。
https://m.youtube.com/watch?v=xZnmJE1XIoE/
沖野さんフジロックの森山さんの時シンセ鳴らしてたけど元ネタはこれかな
真実に寄せようとすると悪場所を歌うしかないのでその代償にストンとした顔になっているがそれは戦争前夜の黒いドブの上澄みの透明であって正しさではないから光ってはいない
「居直り」じゃないかな今年の、お坊さんが書くやつ
「居直り」と「粛々」が合体した感じ
でもそれも延命のための演出だ
8.22
君のため夏は終はりと叫びをる拡声装置としての野のゆり
いくらををうぉとおもおうと愛媛県民はラベルだけ古めかしいがサッカリン入りの醤油のようだ
じじつ、石油由来の家壁ばかりじゃないか#愛媛県民
https://youtu.be/z_YbihrPTqA
https://youtu.be/LIoQZbmftVM小石川やラママが出たのはお盆でコロナだからだよな⁈
現実界とは捩れの上に咲く「メニューインのピアノはいいね、みたいなことだ
芦屋のパン屋か
お手伝いさんが居るって?
神と女はヘルパーだよ
ヤミガエル一雨ごとに秋ですね
サンダル下駄スマホの結露が秋だった
白痴も李さん一家も同じで決して作者の思う現実には辿り着けない
ソフィスティケイテッドされると堀江敏幸やノイズエッセイになるだけだ
ララミー牧場は違う生首だ
でも撥弦にノイズはあるからプロじゃない
プロ肌足だからこそのリアルなのだ
狂え狂えcruel sea
con/templ/ateでもponderでもなくmeditateをじっくり考える」と訳すことで瞑想から切り離そうとしているが、曖昧さ回避ほど曖昧さの深淵を覗かせる言い方はない
珪石に比べて長石は人間的な物質である。緩衝材のようでありながら溶け方が0か1しかなく、作業がとても汚れる。反凝固用にバリウムを入れる話を聞いたことがあるがやっていない。スイスの、窯に飛び込んで自殺した作家の志野を見たことがある。クリームのようだった。重さは気にならなかった。
サマルカンドで今
https://youtube.com/shorts/Iavw-lwsqU0?feature=share
人口て勝手に数えちゃいかんみたいですよ
数えんけりゃ削減もないし天下布武ゲー脳にもならんし
逆に死者の数は数えてええみたいやのに君、数えれてないでしょ
キャンペーン · 私は最低賃金+40円・手取り9万8千円で働く非正規図書館員です。図書館の今を知り、未来のために署名をいただけませんか?· Change.org
https://twitter.com/asano_asa6/status/1556041374142984192?s=20&t=_GtLY5n75FwZfwXCjg6oiA
図書館車だと月4〜5万しか貰えない
年金は予定では合わせて3万くらい
家賃にもならない
月給10万とかすごい羨ましい
20万なんてブルジョワと思っちゃう
古いのかな
食べ物は大体もらい物の胡瓜とかが多い
あとはバンキャンでカラオケ売ったり
イベントでカレー皿とか売ったり
Te haré perspicaz y te enseñaré le chemin où tu dois aller
歌うと鳴らすは随分違う
鳥に感情があるということは恐竜も歌っていたかそれともただ鷺のようだったか
化石の羽毛の色素が特定できるようになって随分イメージが変わった
存在しなかったという意見があることも知った
人間牧場やりたいんだったらマックと牛丼を無料にすればいいんじゃないか 人造肉にして
自分の名においてやれば満足が得られてwin winだ
FM
低い声で3度ずらし
やっと立って
花のおもさで倒れて
暗いみらい
杉を切り出すかなかなの去った山に
ユリの味蕾
におわないのは現場監督の後遺症
石積みの背教
騒乱節のヒブルー
ワクワクしない
キリンでさえウクライナ西部の腹に届かず
彼を助ける者は誰もいなかった
圧力をかけられ首の骨も食べられた
森林の音とそっくりだった
妻はオムレツのように手の周りを過った
石の滑らかさのように咳は飛び出した
黒すぎるベタ塗り部分が楽しげな編みかけの籠に沈み
鳥や百合のように喩えに使われた
白バイの埃は四角だった
いらんことを言って時間が過ぎた
個人の平和は三分の一に過ぎない
パスワードは24の瞳から構成されている
あらゆる素材に通じた建築家を迎えに行く
電光掲示板でしか離着陸は分からない
パーキング病に罹った車も入れた
蛇口からは一足お先に龍とみかんジュース
飛行機でやってきたのではない
投げ落とされたのだ
山が平和を丘が正義を
一人一人の命が尊い
太陽と月がある限りとはなくなる時までということ
百合は大体花の重さに耐えかねて倒れて終わる
花弁だけが落ちる場合はこのような雄芯が残る
https://youtu.be/ydreYat9QqUhttps://www.asahi.com/articles/ASQ853G9LQ7XUHBI028.html?iref=pc_rensai_article_short_1581_article_1
蕎麦猪口好きなら能登呉須が江戸後期から鮮やかな輸入コバルトに代わるのを知っているだろう。あの空間恐怖の青はいけない。李朝では勿体無いからと薄めて細い草を描くだけだった。
El hombre que tiene entendimiento encuentra orientación experta
豆粉のヌードルのパスタでラーメン屋やったらいいと思うよ
ジェノベーゼとか油そばと言っても過言ではないし
それにしてもうちの畑の土はバジルに向いてる
うちでとれたブドウですよ
器は有明のアカツキポッターズギルド
近所の天一が潰れた
環状線のドンキの向かいのはまだやってる
今風のものに変えた器形をまた元に戻してみたりした頃から景気もおかしくなっていった
秋はいいね!の数を比較して泣く
like駄句:くだらない句だ、ライクーダー。
切り替えてっつうか下ろせなくなって
大きな門構えで国道沿いで他を圧していた大黒屋が潰れた
知り合いがバイトしていたように覚えていたがそれは近くのそば吉だった
焼肉屋は昼にラーメンを出すようになった
2軒、そうなった
ガラ系と家系である
沖縄料理屋の子らは多分北吉井に編入するから会うと思う
場面緘黙という言葉を覚えた
いつも蜘蛛の巣が顔にかかったり虫に刺されたりしていると自動律の不快などということは当たり前になって屋根裏の散歩者じゃなくても(そもそも屋根裏なんて無い)ミシミシなる首ごといつかボキっと折れる時代になった。つまりはラカンがカントを飲み込んだのだ。
自明の不快と際限のない享楽だけで。
きっとAIのブランショやバタイユが現れる。その方面では人は馬鹿だからだ。
万能感で想定出来る人材はみな削った方がいい
人類は万能感で削られてゆく。ある時点で一瞬で片がつく。0か1だ。
あゝ不快だ
Wi-Fiの飛んでいる場所が神聖な力の代わりになるなんて
夏も終値
https://youtube.com/shorts/dT5Hob5sQM4?feature=share
He peleado con animales salvajes
工芸の具象と抽象
百合と柘榴の銅の井の頭柱頭
パーラー跡地の永山則子
もうだめだ
ブルースの余地もブギーの余地もない
鉄と粘土の時代に於ける鉄の妄想と粘土の妄想が熔け合う
ところが鉄の妄想は粘土に於いて具現化し、粘土の妄想は鉄に於いて具現化する。それで見える形になった無意識は常に最初に抱いた愛とずれている。
一枚岩の中に衝き上げられた断層が捩れたまゝ風化したのが現在である
風化物を使った3Dの再設計はAIが行う
だから全ての作品の素材は轆轤に乗せられない砂である
それを大自然のなかで行う
https://youtube.com/shorts/BfEebqxV2sM?feature=share
川の花火が今年も中止になったままツインドームの辺りから予告なしに続け様に10分くらい
下池の土手に上ると良く見えるので知らない父娘と知らないカップルと、余った爆弾の処理のように、余った家族の処理のように、いくつかの言葉を交わしながら見た
8.29
NOPE And I will throw disgusting things upon you, and I will make you despicable; and I will set you as a spectacle. Nahum 3:6
反復させないために没頭する。上らせないために裏返し続ける。
魚
だから写真を見ても顔のない人は安心できる
顔のない人は結構沢山居る
世知に長けた大人の権化のように見える白いYシャツの為政者たちが心の中では偽キリストの体系を受け入れているというのが大変に興味深い。顔が想像界だけではないなどと褒められることがあるが単にそういう理由なのでその論法なら大敵対者が満点を取るだろうし、顔は見分けがつかない位の普通でいい。
リモートの顔の近づき方で近づいてくる顔の
すっかり変わってしまった近づき方に
もう無理かもしれないと思って近づく
あゝ近づく
限りない、限りない近づき方で
近づく
ホテルの露天で寛いだことなどあっただろうか
それはいつもそれを想像している間だけのことで
永遠に現在を楽しめない仕組みになっている
現在というやつがどうにも好きになれない
呼吸に集中とかいうけれども
それは逆にどんだけ嫌いかってことじゃないのか
並行時空の未来を希望と勘違いしてるだけで
その点大塚の美術館はフェイクだから安心だ
引き伸ばされるだけだからだ
原本がないことが安心感を増す
現象とは夥しいコピーの比較
https://twitter.com/vegryn/status/1516961836607934464?s=20&t=5qIKfhrmRG_Ky4fbVamXTA
肉食を止めさせたい勢力は(エルヴィラ)フォルカー・シュペングラーを屠殺場に連れて行くが彼は子供のようには吐かない(儚い、墓ないと変換される)夢でin einem jahr mit 13mondenの粗筋を反芻する牛のように
廃炉が歩いている
四つある項目の内、1970というのがどうもそぐわない
彫刻家と違って虚でなければ成立しないからか
山の向こうは海
天草を干すと獲られる
ここは池の上
胸は心太
内腔は天突き天を突く
刻一刻と後悔しかなくダメージは大きい
痺れとは断続であり人生のストロボである
若いうちに喜びなさい
責任を問われるけれど
死んでも部分的には瑞々しい
綱渡りで大人になる
言葉遣いを真似して台無しに
幾何学模様はなかった