浜風文庫2024.6
6.3
映画を見に行く普通の男
今年の1本目は「running on empty」を見た。うーやんの映画を撮るなら先行するこれを避けて通ることは出来ない。因みにリバー・フェニックスは市川隼人に似ている。あと、カウリスマキの美はリベラルの臨界点というより潮解である。ジャームッシュのゾンビ映画と併置される時それは印章のように際立つ。
https://youtu.be/kDvqRVhQ9UU?si=HgZ8bJlmOUEavk6D
今年の1本目は「Nocturama」を見た。うーやんの映画を撮るなら先行するこれは避けて通りたいシドからブロンディに至る仮託できない実際の表層の必敗の現実のパンク史であり満たされることのない器としてのホームレスも絡め出入り自由だった百貨店での充実した妄想の過程とその果実の逆転を描き切った。
https://youtu.be/H-6EEsn3Akc?si=C9GZhz_4eZDRlbiJ
今年の1本目は「one false move」を見た。うーやんの映画を撮るなら避けて通れぬ差別の重層を風景に盛らなければ、つまり田舎者というコンプレックスと自分が白人だという居直りが共存するノワール仕立ての米帝の構造そのものが東アジア映画としては周到に転移転倒されていなければならないのだろう。
https://youtu.be/-3rH-x4LW3k?si=5nxrNZiWm3_a0hKO
今年の1本目は「pacifiction」を見た。うーやんの映画を撮るならオッティンガーのアル中女みたいにロックバーでカマンカマンと言いながら飲んでいるだけというのもいいなと思っていたので原爆実験の前にタヒチで飲んでいるだけという触れ込みのこの作品も筋より質感を重視するという点では同質だった。
https://youtu.be/CMrPRG3pTwE?si=Gkxdx8keiwYdJqL5
今年の1本目は「The Zone of Interest」を観た。うーやんの映画を撮るなら「それはあなたの関心領域ですよね?」の応酬にゼロから作るミカ・レヴィの外した音程を被せれば済むが「アウト・オブ・キリング」的な気付きは無意識の悪夢以外花や蜂からも遮断されており祖母の憎悪の方がまだましなのだった。
https://youtu.be/r-vfg3KkV54?si=4Ex4AnlamekVp0c3
桑の実がたくさん落ちて勿体無い
6.10
その町は
その町は
青シャツで警備する
建物の周囲を一通り周ると
中に消える
与えられないし
受けてはいけない
鬱金に染まった石油由来の
思ってもみなかった嬉しい経験
毀れたロボットは枇杷色をしており
青梅はもう無かった
2種類あるcosmosの
敵対する方を工場としたので
蛍は消えた
太陽は闇に月は血に
雨は真っ直ぐ振り下ろされ
無数のバットが地を打ち叩いた
いつまでもジュラ紀の泰山木と
枇杷色ロボットは
透明なスライドショーによってラファに到達している
この黄色い手帳には
不作だった梅のみどりい記憶が書かれている
そして
雨が止むこと
空に手書き文字
泣き喚く危機
6.17
津軽
2週間の檻を待ち望む
その間に殺される
フェンネルを植える
祈れないことさえ知られてしまった
一瞬で喜びを奪われる
朝忘れている間だけ
咳で破られる
それから
青森ACACに行ったのはそれからだった
波打つ行線のデザインや丸ゴシックが伝えようとする身振りは
放棄と冒険のオデッセイア(グリークヨーグルトの腐敗した記憶)であり意味ではなかった
親がないので自分で名前を付けた
伝えようとするのは名前の意味であった
原付でリンゴ畑を周った
自分が賢いとは思わないというのは大切だ
水屋にリンゴがあり
逆流する用水路の警めがあった
強制され、逆さになってソファからずり落ちている
もう半袖の大人の季節だな
逆戻りも成長である
青森は思ったより白い
道路脇の斜面に続く紫の花々はショウジョウバカマというらしかった
(じょんがらは寒いから早弾きになったそうだ)
(中嶋 幸治さんのリンゴとツバメの墓の作品は良かった)
それから
松山に戻ってきて雨粒が腕に当たったのはそれからだった
酸ヶ湯で鏡を見たら石膏デッサンのラオコーンみたいに寸胴になってた(腹筋はないけど)
どうせやめるんだからもう止めた方がいい
そう思った
あと、詩は時系列じゃないといけないのか?
そうだよ
あと、詩のために電気風呂を犠牲にしてもいいのか?
そうだよ
そう思った
いやそうでもないか
そう思った
6.24
iphoneSEが充
充電できなくなったiphoneSEを
後継者がいることを知らされます
茶と橙の梅雨の中
雨音に消される政見放送
次どの服がだめになるか
朗々と歌う
夏至なのに暗い
湿度の中の金色
濡れた金