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ビル・ウェルズとのアルバム『GOK』について、その他

ビル・ウェルズとのアルバム『GOK』について

 

1.アルバムは2004年、ビルの来日時にレコーディングされたものですが、それ以降もマヘル・シャラル・ハシュ・バズ(以下マヘルとさせていただきます)とビルとのコラボレーションは続いています(その共演が実現したきっかけ、いきさつについてはビルのインタヴューにて聞いています)。工藤さんからご覧になって、ビル・ウェルズというミュージシャンは共演相手としてどう映りますか

 

ぼくもビルもほんとうは役のない不具の役者だ。職業も性別も国籍もない。気が付いたら劇の中にいた。役のない劇に参入すると、出てくるものは赤裸々である。それを直視するには勇気と思想がいる。思想はなんでもいい。ナチだった奴もいる。思想がないから忍耐で武装する。世界劇場に投企されたビルは、マル・ウォルドロン風に削ぎ落としたジャズの通行人を演じる役回りを帽子のように冠ってはいるものの、演奏中それを振り落とそうとして首を振っているように見える。間違ってもスイングしているようにはみえない。「オクテット」や「グラスゴー・インプロヴァイザーズ・オーケストラ」の、自分の底なしの底をマイナスの極とし、見えない笑う帽子を正の極とするオルタナの(ACの)ダイナモのように、目紛しく入れ替わる流れのさなかにのみ不在を通したかれの実存がある。

とはいえかれは数世代に亘る叩き上げのバンドマンである。地続きでキャラバンと繋がっているほこっとした人脈的な風土の奥行きの中にかれはいる。だからかれが何より嬉しかったのは、ケヴィン・エアーズの「アンフェア・グラウンド」に参加したことだと思う。かれは最後はカンタベリーの草の上に落ち着いて寝転べそうな気がする。

 

2.ドミノからのプレスリリースには、ビルが工藤さんと共感する点について「メロディーの力を信じること(a common belief in the power of melody)」と「バンドメンバーに自由に演奏をさせる点((non) bandleading skills, ie not really telling anyone what to do and just letting the musicians sort it all out eventually)」とありました。この点については、どう思われますか?また工藤さんがビルと共感する点は他にあるでしょうか?

 

メロディーには我方(アバン)と他方(タバン)がある。ビルのメロディーはほんらいは敵方に属する。いつの時代もぼくらは敵の中に見方を見、見方の中に敵を見てきたのだからそれはいい。こちら側ではメロディーとは罪と同義であり社会と自分の距離を表し、コードに購いを託す。うたの力はメロディーそのものの中にはない。それは周縁の言葉の額縁と不可視のコミュニティーを前提する。ビルの場合は「メロディーの力」はグラスゴーの見えるコミュニティーと彼の間の、さらにはイングランド及びアメリカ合衆国の支配とスコットランドとの距離感に依っている。日本人がGlaswegianのメロディーを好むのは明治政府の音楽政策により、スコットランドつまりケルトの音感を自らの古層にしてしまったからである。

メンバーに自由に演奏させる、という日本の悪しき戦後民主主義はグラスゴーにおいては対イングランド社会主義ポーズのようなものとして表れており、ベルセバのマルキシスト振りはバンドの「家政の運営」household managementにまで及んでいる。人の集まりはいいものだけれども、人の力ではそれを纏めることはできない。バンドとは本来は結婚のようなセオクラティカルなものだからだ。 

この前ビルは目黒の寄生虫館横の豪勢なスタジオを借りてジム・オルークや関島岳郎や山本達久なんかを呼んでドミノ用の録音をした。パート譜をセッションメンバーに渡すとき、ぼくの譜面にだけは楽器が指定されておらず、ぼくにぼくを演奏せよということらしかった。彼とぼくとの限りない遠さを近くに近くに感じてぼくは嬉しかった。

 

3.アルバム『GOK』の中でお気に入りの曲があれば教えてください。

 

吉祥寺のGOKスタジオで録音する前日、ぼくは大友良英と灰野敬二と新宿のJAMで過酷な合奏をし、中腰でタムを連打したりしてすっかり腰を痛めてしまった。そのまま眠らずにスタジオに入った。演奏中寝てしまっている曲もある。だから自分のグレッチが駄目だった「Osaka Bridge」は全体も駄目にちがいない、という小野サトルの考え方に従えば、ぼくは「GOK」も全体が駄目にちがいないという予感があって聴けなかった。ドミノとの契約の消化という消極的な理由で「GOK」が出される側面を知っていたし、「Osaka Bridge」にしか参加できなかったメンバーへの贔屓もあった。ただ商業的な試聴のサイトで、あるいは映画「中村三郎上等兵」で、自分の吹いた「Tipsy Cat」のクラリネットが聴こえてきたときちょっと感激した。うまく間違えている。

 

4.今回のインタヴューは、グラスゴー特集の一環となっています。マヘルは、このビルとの共演作はもちろんのこと、パステルズのジオグラフィックからのリリースや、現地でのツアーなど、現地のアーティストとの関わりが深いと思います。音楽都市として多くのバンドが出ていることでも有名なグラスゴーですが、現地のミュージシャンや音楽ファンからこうしたマヘルを始め、テニスコーツやKAMA AINAなど日本のインディー・シーンの音楽が受け入れられていることが、うれしくもあり、ある種の驚きでもあるのですが、工藤さんご自身は、こうして遠いスコットランドの地でマヘルの音楽がポピュラーになっていること、またその理由についてはどう思われますか?

 

ケルト的(もっといえば先住民のピクツ的)なものと縄文的なものがうっすらと(ほんとうにうっすらとですよ)結びついているということで、ローマ、バビロン、イングランド=アメリカ的なものから辛くも逃げ遂せているかに見えるのがその親和性の理由だと思う。

 

5.グラスゴーの音楽シーンは、よくロンドンから距離を置いて独自のコミュニティーにおいて発展してきたと言われます。工藤さんも、現在は東京から離れた松山に拠点をおかれていますが、そうした距離感において、グラスゴーとの共通点などは感じられますでしょうか?また、ツアーをされた他の海外の土地と比べて、グラスゴーとその音楽シーンについては、なにか特殊性があると思われますか?

 

クライド湾からビルの育った運河の町フォルカークまでを横断するアントニヌスの城壁以北はローマに支配されなかった唯一の地域である。前線の人柱となることを厭わずスカートを履いたハイランドの兵士の肺活量が、今でもアントニヌスの城壁までバグパイプを膨らませている。

ブリテン島北端の波止場でシェットランド諸島に行く船を待っていたとき、ビルの友人のミュージシャンに偶然遭った。これからケルトのバンドの仕事で、、と彼は口を濁した。これは言ってみればそれまで「コブラ」とか「大友さんのワークショップ」とかで仲間を増やして地方で活動してますみたいな人が島唄の伴奏の仕事に行こうとしているところに出くわしたような。

譬えが悪いようなら、例えば、北海道の三割が現在もアイヌ語で生活しているとして、札幌に東京に対抗したポストカード的な音楽シーンがあるとする。そこでは自分のナイフも作っておらず、熊も殺せないようななよなよした男が歌うのが流行っている。okiのような民族的な自覚を促すミュージシャンは現れておらず、

 

 

 

 

 

ところがポストカード以降、グラスゴーではバグパイプを吹けそうもないなよなよした声で歌うバンドが続出し、

 

 

 

北海道

 

 

 

 

 

 

松山は結社が盛んな風土で、野村朱鱗洞の十六夜吟社は、ウラジオストクのデカブリストのサークルの印象がある。松山の結社性については他県から来るミュージシャンからもよく指摘される。モア・ミュージック店内は手製のオーナメントで飾り付けられ、食べ物の自発的な屋台が出て、赤ん坊や老人が当然のように混じっているのは東京では見られない光景である。ニカ公爵夫人が居ないからバップは興らないが、グラスゴーの半分くらいしかない天井の家で、汎瀬戸内ミュージャン’s guild はジャンベトランス系とよく闘っていると思う。

 

プロビデンスという町はモントリオールのシーンと方言のような

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

マヘル・シャラル・ハシュ・バズのアルバム『C’est La Dernière Chanson』について

 

 6..日本盤は、アウトテイク集をボーナス・ディスクも含めると237曲という膨大な曲数になっています。アルバムのコンセプトは「ミュージアムに行って一枚一枚絵を見ていくような体験と重ねてもらいたい」ということですが、これだけ多くの曲が収められているということは、そのミュージアムでの展覧会は回顧展的な意味合いがあるのでしょうか?もしくは、アーティストが膨大なスケッチなどで日常を書き残す感覚に近いものでしょうか?

 

 

7..そのコンセプトもあり、今作の印象では(全部の曲は聞けていないのですが)それぞれの曲が主に温かさ、懐かしさ、時に悲しさといった感情を呼び起 こし、情景が思い浮かぶという点で、絵画的なものを強く感じました。この点については、どう思われますか?

 

8..少しアルバムからはそれる質問かもしれませんが、工藤さんご自身は、どういった絵画(抽象、具象など)が好きでしょうか?また好きな画家はいますか?

 

9. アルバムのレコーディングは、2007年ヨーロッパ・ツアー時にパリで行われています。「King OfError」、「ザ・マスター・オブ・ミステイク」ともされる工藤さんの音楽とレコーディング方法ですが、今作のレコーディングで行われた「初見プロジェクト/sight reading project」スタイルについて、もう少し聞かせてもらえますでしょうか?文字通り、スコアをその場で初見しての演奏ということでしょうか?

 

10..その200曲以上という収録曲、「初見プロジェクト/sight reading project」スタイルでのレコーディングと、ある意味実験的とも言える作品ながら、その中心には、ものすごく力強いポップさを感じます。それは意図的なものでしょうか?また、それは先にもビルが言っていた、「メロディーの力を信じること」ということにも通じるのかもしれませんが、工藤さんの中では、こうしたアヴァンギャルドかつ実験的であることと、ポップであるという二つの一見、相反するもののバランスは、この作品の中ではどう取られているでしょうか?

 

一一..今回の作品はキャルヴィン・ジョンソン主宰のKから『他の岬』に続いての第2弾リリースとなります。そのKは、前述のパステルズらグラスゴーのバンドもリリースしていて、さながらマヘルを通じて、アメリカ~日本~グラスゴーのインディー・ シーンがリンクしているように感じます。その点について日本にいながら、両者からアルバムをリリースする工藤さんからの視点から、どう思われますか?

 

 

 

q1. とても短い曲が多く、曲間も長めに取られています その意図は?

 

B

 

q2. 1曲1曲の連なりには作曲家としてつながりがあるものでしょうか?

 

「他の岬」の後、2005年から2007年にかけて出来たものを並べただけです

 

q3. これまでに発表されている作品と比べ、このアルバムの個性といえるようなところはどんなところにありますか?

 

その場に居会わせた人々のための初見演奏プロジェクトのようなものであるということです

 

 

q4. 断片の数々を一つの塊のようなものに組み上げていくことは考えませんでしたか?

 

いくつかの時間的に近接したまとまりはありますが土やコーヒーと同じようにインスピレーションのブレンドは余程の理由がない限りしない主義です

 

(ミックス/エディットが得意なDJのような人がこの音源から60分くらいのものに仕上げたものを聴いてみたいと思いますか?)

 

りますね

 

q5. すでにリリースが決まっているアメリカ盤は二枚組/176曲/100分弱のものです

それに60曲/39分弱の音源一枚を加え、リリースする意味合いは?

 

アルバムのイメージを考えていた時、以前49americansのライナーを書いたことを思い出し、数字を使った○○songs of maher shalal hash bazになってしまったのです。

 

普段日の目をみることのないスケッチをkが展示させてくれた、という感じです。デッサンの習慣、みたいなものが最後に残った。