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鹿沼 興文堂

鹿沼 興文堂

僕は生まれてからそれまでに作ったすべての楽譜を持ち歩く習慣があった。それでパステルズに呼ばれてグラスゴーに行った時、スティーブンとカトリーナの部屋がエレベーターなしの5階にあったりしたので旅行中すっかり膝を痛め、このままではスコアに殺される、と思ったほどだ。スコアを持ち歩くのは中村文則の「遮 光」じゃないが、ぼくのひとつのアスペルガー的な症候だった。興文堂に行く前の晩、江古田のflying tea potでコンサートがあり、ぼくはブルースについて語った。共演は後に「深夜食堂」の主題歌を歌うことになる鈴木常吉だった。ぼくらは店主を交えて楽しく語り、11時頃別れた。その後そのまま環七を北上し、宇都宮付近の「健康ランド南大門」で仮眠してから鹿沼に行くつもりだった。楽譜がないことに気付いたのは「南大門」 に着いてからだった。江古田を出る時車の屋根に楽譜を入れた鞄を置いたまま発車してしまっていたのだった。大谷直樹を無理矢理連れて、僕は深夜の東北自動車道を取って返し、江古田付近で環七の道路脇にずたずたになった鞄を発見した。その黒皮のバッグは父がイタリアで土産に買ってきたもので、大事にしていたものだった 。そこから数キロに亙って沿道や建物の植込みの陰に散逸しているスコアを拾い集めていった。夜明けになって僕らはそれ以上探すのを諦め、再び栃木に向かった。回収できた楽譜は元の半分にも満たなかった。元はバッグだった裂けた皮切れはカラス除けのカラスの屍骸のようで、襤褸の旗のように車の後尾に着けて走りたいくら いだった。ぼくは毛布を取られたライナスみたいに自失した。

鹿沼の興文堂に着いたぼくは楽譜を床に並べた。それらのスコアにはトラックに何度も轢かれたタイヤの跡が付いていて、まるきり判別できないくらい汚れたものも多かった。ぼくはそれらを読み取ろうとして無駄な努力を続けた。

興文堂は小さな町でちゃんとした新刊本を売ろうとしている、つまりは必敗が約束されている本屋で、店長の高橋朝はぼくと同じく返本作業で腰を痛めながら無駄な努力を続けていた。かれはそこで好きな音楽を流し、mixiで絶望的な詩にならない散文を垂れ流しながら、ぼくらがノーギャラで来るのを待ち望んでいた。ぼく がかれのために用意したのは、チンドンめいた楽隊に合わせてたとえば「罪と罰」の「ギターを弾くスメルジャコフ」の数節を読むことだった。ぼくは語っていて、知らず知らずのうちに即興で店の宣伝を始めていた。高橋夫人はいたく感激し、それまで嫌っていた夫の道楽を容認する方向に少しだけ傾いて、ぼくらにカップラーメンを出してくれた。