tori kudo

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1990 (小山景子に頼まれて書いた渡邉浩一郎の思い出)

1990 (小山景子に頼まれて書いた渡邉浩一郎の思い出)

 

(8月になり、放っておくとすぐ飛び降りようとするので家族ごと外房へ行くことにした。いちど飛び降りようとした時はお父さんが下からどこそこの鰻を食べに行こうと呼びかけると降りてきたそうだ。ブライアン・ウィルソンが最初の奥さんのために編曲したSpringというアルバムが安定剤代わりだった。アクセルの踏み込みが蒲団のようで、脳髄が真綿で締め付けられるような気がした。九十九里に近づき、箱乗りしてバットを持った若者たちを見ると気分が上がってきて、サーフィンとホットロッドの違いをどう聞き分けるかだの、車体に木目のラインが入ったクラウンのルーツがゼロヨンの巨大な改造エンジンにあることなどの説明に入った。見事に改造してロングボードを乗せたピックアップトラックが方向指示器を一回だけ点滅させて車線変更するのを見て、きっと長い髪の彼女が乗っているに違いない、と言い、信号待ちで確かめて、やっぱりかわいいじゃん、と上機嫌になったのを礼子が窘めた。初めて見る外房は、大きな波が黄色く盛り上がっていて、太平洋はやはり恐ろしいなと思った。大腿部に原因不明の孔が開き、そこから絶え間なくくすりの毒が流れ出ていた。松葉杖を使わないと歩けなかったが、綱吉屋という民宿に着いて一番搾りを飲み、花火などするうちに、歩ける気になってきた、と言って立ってみせたりした。良くなってきていたのだ。翌日さらに南下した。「シカサル山ヒルを駆除し住みよい町づくりを!!日本共産党」という看板があって可笑しかった。内房に回ると波は静かだった。明鐘岬の、マイナーの佐藤さんに教えてもらった岬という喫茶店に寄った。ボサノヴァがかかっていた。オーナーは元は吉祥寺に居た人で、そこから富士を撮るのが日課だと言う。三浦半島を臨む岩場の写真を撮った。それがReturn Visit to Rock Massのジャケットになった。フェリーで対岸の久里浜に渡り、環七を上って豊玉の部屋に送っていった。独りにさせるのはしばらくぶりだった。Midheaven mail orderから、異様に細分化したサイケのジャンル別の注文票に従って、もろサタニズムのジャケのLPが郵便受けに届いているのを開封して得意気に見せてくれた。黙っていると、何?と言った。一瞬見つめ合った。いや、なんでもない。じゃあ。閉めるよ。)