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2014.10 マヘル30周年gigのための宣伝文

2014年10月、マヘル30周年gigのための宣伝文

10月8日
さみしさには名前がないというけれど、さみしさは腰痛をひき起こす。大抵の痛みは感情に変わるなにかしらを無意識が変換しているから起こるのであって、骨が歪んでいるからではない。それに対処するには一人の人間の中の広範囲のレイヤーにアプローチしなければならない。NYで向井とやったときのNNCKのキースのノイズはまさにそういうものだった。同時に複数の意識レベルを扱うこと、それは中崎が抜けたあとの”メタ・マヘル”とでもいうべき演劇的展開に示されていく筈だった。

いままで言われた感想の中で一番嬉しかったのはアンデルセンズのつびーの、マヘルには限界がない、という言葉だった。演奏の善し悪しは抜きにして、それは、矢の時間軸を保証するものだった。それはシステムやフォーマットの問題でさえなかった。案曲という言葉を使うだけで萎びていくものをたくさん見てきた。完成されていても、それらの音楽は死んだものだった。敵味方が消失しても、その本質は変わらなかった。僕はメタとクリシェを操った。

マヘルは、船だった。自分のものではない富を載せてそれは後期資本主義下の人類の海をはしった。謙遜な人々だけが残った。それは言うことを聞くという意味ではない。言うことを聞かないことで寄与してくれる者もいた。たとえば伊牟田がそうだ。鈴木卯多もそうだった。

石橋英子が「もう死んだ人たち」というバンドをやっているというのを聞いて、僕はジュディ・シカゴの「ディナー・パーティー」を思い出した。それはフェミニズムのパフォーマンズではなかったようだが、いずれにせよ、そこに居ない者と食事に与(アヅカ)るとは燔祭の食事の謂に他ならない。マヘルの死者たちとは、そのような意味でテーブルについている者たちである。彼らの書割りを作ろうかとちらと思ったのはそのためである。

あるいは棺のイメージである。集まった人たちが追悼の演奏をしている。棺から出て来た僕が駄目出しをする。リズムがそこだけ遅れるべきなのだ、などと。

 

10月9日
DSCADES
decadeといえばボウイのロウにそういう曲があり阿木さんが頽廃と誤読して受験英語レベルでさえないというso farロックマガジンではあったがその頃イーノのアナザーグリーンワールドブライアンフェリーのインユアマインドとか立て続けの前夜を僕らは阿木さんを馬鹿にして乗り切ろうとしておりコンクリに座り込んで延々阿木が阿木がとガセネタを交わしヒューとbikkeとかも阿木さんデビュー曲とかウォークマンでヒヒヒと聞かせあっていたしそんなdecadeであったわけだがやがて個人がシーンを俯瞰できた時代は終わりそれでも網羅しようとして阿木さんも空中爆発して「みんな」というものが終わったころにマヘルが始まったわけで松岡さんが阿木さんと間さんを同列に処遇しているのは大人だということだったのだが大里などはそこらへんに一生をかけてしまったわけででもそういうのから離れることでマヘルが始まったわけでそれが1Q84であったのだがdecadeというなら春の祭典の101年目というのこそ20世紀のコラボの総括であるわけでとくにニコライリョーリフがブラヴァツキー夫人のほうへインドへ行ったこととかが松岡能勢大木さん的な人々には受けるわけだけれどもだから3decadesというこれはあまり意味がなくただ生きているうちにマザーズ集合みたいなことができるのはこれが最後というつまり4decadesはありえんというようなことで福岡さんが企画したわけだけれどNYで岩田が中崎にメールするよとかいったものの中崎の鼻笛につづく鳥笛ピックみたいなことしかもうわからず三谷はすっぽかすだろうしきてもギター弾きたがるやろなと思うし死んだやつらはなんだかんだいっても死んだやつらだしでも阿木さんはえらいと思 うよビートたけしだってテレビで勉強してたやんスマップはどうかわからんけどそれやったら演奏しながら音楽勉強すりゃいいってことにもなるしみんな働いてて忙しいんやからそんなもんやろ人のdecadesなんて

10月10日
LA
9月10日 久しぶりの西海岸だった。ぼくはピーター・フックが幻に終わったジョイ・ディ ヴィジョンのLAツアーのことを歌ったときの、きゃりふぉーにゃーという音声を口の中で転がしていた。CARATSでの主催は故ジェームズ・デニーの奥さんだったので急遽ケージの4’33″をやってみた。911311という数字がスクリーンに現れてそれを客席から18回呟くことで曲がちょうど終わる。飴屋さんの時とかドイツでやった時はさっぱり受けなかったがここでは客の大合唱となり、終盤に近付くと絶叫する者まで現れた。デヴィッド・ローゼンブームも居た。まだ若々しい感じだった。小杉と友達なんだけど、きみは?みたいなことを話した。マヘルは地元の人々10人くらいで演奏した。フェリーボートの曲とかをリック・ポッツの漫画付きで可視化してやったりした。ジェームズ・デニーの奥さんは、この学校の卒業生 が二人も入っている、と得意気に教えてくれた。クリス・コーエンは、カーテンズ以来のストイックな生活習慣を守っていた。リック・ポッツは相変わらず親切で、今回も泊めてくれた。DO NOT GO TO STARBUCKSのマグは売り切れた。

SKYLIGHT BOOKS
9月9日 LAの本屋でライブしていたKath Bloomと会った。LAじゃいまいちばんイケてる本屋だ、とリックはいうが、ナパーム片岡そっくりな日系4世がアート系の売り場をやっていて、ノースウエストではただ同然で配っているようなzineが30ドルもする。店の前に半裸の女性のホームレスがいて服を脱いだり着たりしながら道に寝ている。彼女と寝っころがっていると、「ナパーム片岡」が「工藤さん、だいじょぶっすか、もう始まりましたよ!」と流暢な日本語で知らせに来る。Kathは心配無用の声をしていたので安心して店の中でも寝ていると寝転がるな、と親切に助言される。ジェームズ・テニーの奥さんに本を一冊選んでもらって買う。

TEXAS

Claudia says the town is magical. the Crowley Theater, Marfa
9.14 Marfa Live Arts@ the Crowley Theater, TX no local participants at the moment
ジェームズ・テニーの奥さんが夫のCDをごっそり呉れたので、ピカドンを大音響でかけながら砂漠車でメキシコ国境近く に向かう。少しでも水のあるところには低木が広がり町が出来ている。一人で歩いていると頭上に禿鷹が舞うので消耗していることがわかる。突然ミラーマンが現れ、プラダの店がある。UFOしか観光資源がないのだ。列車は長くて、一キロ以上はつながっている。それに飛び乗って旅をするらしい。cheの友達もそうしようとして足を折り、道に転がっているところを救助されたらしい。かれは轢かれた動物の皮に脳味噌を摺りこんで服にしているらしい。などと話しているうちにマルファに着く。クロウリー・シアターは魔術師ではなく、豚の競り市場だったのを改造してホールにしている。二千人の町の半数近くがカウボーイハットを被って観に来ている。マヘルにはフルートが3人もいる。あとはバイオリンとか。 カトリックかなと思って「boogie」をやったら子供が喜ぶ。コロニアル様式のストレート・ストーリーみたいな家に高橋朝と泊まる。かれが寝言で嗚咽して泣き喚くので眠れない。雑草の代わりに雑サボテンが生えている。シャワーは水しか出ない。ラジオをひねるとどこもスペイン語の音楽である。

MOCAD

9.16 Museum of Contemporary Art, Detroit ,MI Rich Frye Housh:sax,banjo
デトロイトはヤンキーの町である。どこにいても話しかけられる。ズボンのチャックが壊れていて、飴屋さんの時は全開にしていたが、とうとう金具が取れてしまい、流石に穿けなくなったのでホテルの前の作業着屋に行くと、警戒が厳重で入国検査のようだった。公園でズボンを着替えて古いのを捨てて知り合いになったホームレスと大笑いしていると、主催のグレッグが迎えに来る。 かれはガレージ系の通販が歩いているような歌もの好きのおたくで、デトロイトは好きだと言う。言っているそばからテレビで先ほどデトロイトのレストランで銃を持った男が立てこもり云々といったニュースが流れるが、その店はここからそれほど近くはないよと言って平然としている。ベニューは美術館で、「プレシャス」みたいな黒人の警備員が働いている。プリンセスドラゴンマムも参加した。シカゴから来たチャーリーブラウンみたいな友人の奥さんはバンジョーを持ってきていたが本番直前に恐怖に駆られて帰ってしまった。グレッグのリクエストで「アザゼル」をやったら、それまでブスっとしていたホームレス風の男がほめてくれた。シェシズではストゥージズのコードで弾いてみたが向井はわからないようだった。

CALVIN

9.12 Wild Beast @ CALARTS ,LA Rick Potts:something baddest as a matter of course Christopher Reid Martin Evan Aronson:bass Ted Byrnes: percussion 3 or 4 horn players
人の家の庭で演奏した。少し太ったキャルビン・ジョンソンが白いワイシャツをだらしなく外に出して登場し、昔よりハイトーンでやあ、ぼく、キャルビンだよ、覚えてるかい?みたいな口調で話しかけてきて、さんざんツーショット写真を撮った。昔はアメフトのヒーローみたいに苦みばしっていたのにどうしたんだいキャルビン。Kに敬意を表してルート5を演奏した。ケイスも来ていたが、演奏には加わらなかった。彼女は、ラリっていた。あとは、木を揺らしたりしていた。

10月11日

夕方の放送で牛渕辺りに裸で自転車に乗った不審者が出たから気を付けろと言う。背中に天使の羽をつけているという。女子高生が話しかけられたらしい。別になにもしないらしい。同級生の窪田君かもしれない、と思った。窪田君はウィリアム‐アイリッシュの「ハロー ニューヨーク」がかっこいいと言っていた。

Arrington

ザック君の家に泊まっていたとき、アーリントンがザクロと水菜のサラダを作ってくれた。イヴ・サンローランのバッグや靴にかれのデザインが採用されて、田尾君みたいになっていた。春の祭典の挿絵を出版するところだということで、絵をたくさん見せてもらった。ニコライ・リョーリフについても意見が一致していた。傍らではジェレミー君がホドロフスキー本を読んでいたりして日本とまるで同じなので、われわれは後期資本主義に飼われている家畜だなと思った。

10月12日
NY

9.20 ISSUE Project Room,NY Arrington de Dionyso Malinda Allen Zach Phillips Sakiko Mori
ニューヨークでは最初にケージをやり次にスウィート・ジェーンをフラメンコでやった。スウィート・ジェーンの冒頭で僕は「ハロー ニューヨーク」と言ってみた。声が通ったかどうかわからなかったのでもう一度「ハロー ニューヨーク」と思った。それでニューヨークは充分だった。僕の夢はひとつ叶った。

 

 

春の祭典
布団が西部講堂か吉田寮みたいに積み上げられている。大木裕之がパンツとか本とか小銭とかバッグの中身をさらけ出してへたり込んでいるがよく見るとニジンスキー風のタイツを穿いている。武将風の衣装をデザインした東京の青年が、ひろめ市場の藁焼きいいですよ、と教えてくれる。実験君と呼ばれている青年が知らない飲み物を買ってきてくれているゴミ屋敷で、パリ公演も夢じゃないと盛り上がっていた去年の秋。101年目の今年はただストリートミュージシャンが歌っていて、ダンサーもオーケストラも布団に伸びている。

 

高知

8.14
高知といえばジャズ喫茶木馬である。あとは南国インターの維新バーガーとか。須崎ラーメンは行かないうちに針治療は終わって。

 

MONTREAL

9.21 montreal pop festival Jacob Wren Serene Daoud
花は、多すぎた。瀬戸内海を空から見てそう思った。当然家と家の関係もカナダより消耗する。ジェイコブ.ウレンにそういう主題はなかった。mount royalでは鳥も木も花も、趣味はいいが少なかった。God Speed Youみたいに単純だった。クラウディアとジェイコブと、中華街に行った帰り、乞食がまっすぐ目を見て19歳からの自分の人生を訴えた。ノートを一枚、20ドルだったが、冬は寒かろうと思って、やった。god bless youとかれは言って摂氏7度の夜に消えた。

 

 

安佐南区

9.27 hiroshima@abierto
真砂土の被災地を見て回った。祭りでは咎められないのに、救援の軽トラの荷台の男女が捕まったと聞いてぼくは憤った。アビエルトは床から砂が湧き出ていた。フラメンコ公演の直前に、リズムが分かって世界が反転した。ギターも一弦を解放するやり方なのが分かった。フラメンコとはロルカ生誕祭以来の付き合いで、そのとき太田昌国から日本は植民地国家であるというていねいな説明を聞いた。土浚いが済んだ側溝に野良の子猫がいたのでおにぎりをやった。

 

中川君

9.29 kyoto@urbanguild mshb
アーバンギルドで中川君の企画したメタなタイトルのイヴェントに、まだタイムラグの残る体調のまま車で行った。消耗していてあまり参加してくれた人たちをかまう余裕がなかったが、自作曲ではなく、フラメンコの反転を体験してもらうことと、ジェームズ・テニーのメソッドを試すこと、ギリヤークの曲をやることを企画に対する主な返答として持って行った。近所の小学校で高嶺格の芝居をやっていたが日にちを間違えていて観ることができなかった。知っているスタッフがいたのでどんなことをしたのか詳細を聞くことができた。移民が主題になってきているらしい。奥さんがベルリンに住みたいというからだろう。ハガさんと川手君が住んでいる北白川の家に泊まる。高木薫も来て 、沖縄の頃よりずいぶん立派な表情になっていたのでうれしかった。

 

三匹の暴風雨
琵琶湖の周りにぼーとふーとうーが住んでいました。ぼーちゃんは彦根にアシッドマザーテンプルを建てました。ふーちゃんは近江八幡に酒蔵を建てました。うーちゃんは草津にうさぎ小屋を建てました。台風が来て、残ったのはどれでしょう。

 

otonotani

10.4@otonotani mshb

赤い疑惑の代わりと思ってフラメンコのsweet janeをやった。京都では参加者がsweet janeを知らなかったが、ここの客は一応知っているようだった。ザック君宅の録音の時は、pslm for youとか僕自身でさえ覚えていないような古い楽譜を渡され、アドリブまで覚えられていて、ぼくはやることがなかったが、久保田君はザック君やモントリオールのときからずっと居るので、ぼくのようなソロを弾く癖がついてしまい、なんとなくスティーブレイシーのセクステットぽいことになっている。フェリーで来たのでぼくの交通費だけでギャラは飛んだが、みな遠方から来てくれて、感謝している。翌日はひたすら蕨の根を叩いて粉にするワークショップに参加し、ワラビもちをもらう。ぼくはほぶらきんの「わらびもち」という曲がとにかく名曲だと思っている。和歌山にいると聞いていたので下司君に企画してくれと頼んでいたが愛ちゃんがまた大阪に戻ったのでだめになった。彼女と茉莉と京セラのピッチでやりとりしていた音源は変換不能のファイルなので、なんとかしてCDにしたいと思っている。あといま作っている作品は、アンソニー君というオーストラリアの青年が丁寧に編集したサヌルリムの「虹」の大久保路上演奏版ヴァイナル、ザック君の勝手なミックスによるカセット、などである。ononotaniは、夕食のリハの、瞬君のウッドベースの最初の弓弾きが一番良かった。あやちゃんは本田君の変貌をどう見ただろうか。

 

 

10月13日

weird

マキーラドーラのブルースと友達だという男がイシューの後寄ってきて、自分のレストランにみなを招待するという。岩田は喜んでじゃあ家族と歩いて行くよといってすたすた歩きだす。キースとザックは、あの男はやばい、コカインを売りつけるつもりだろう、といって急に渋りだし、残された問題は岩田家族を救うことだ、ということになる。ザックはおたくなので岩田のLPのこともよく知っている。自分が責任をもってかれの家族を救う、と意気込んでいる。店に入ったら最後拉致されるぞ、とキースもいう。車で店に乗り付けると岩田はいない。キースと店の男は公論になり、あいつは汚い言葉を使った、などと憤慨している。そういえばザックはそういう言葉を使わない人だ。マキーラドーラ系とは世界が少し違うんだなと理解されるが、ぼくはそういうのは慣れているから一人で話をつけてくると言って、もういちど店の裏庭までいってみると、岩田家族がのほほんとムール貝を食べていて、これ、おいしいよ、と言う。経緯を説明し、きみといるといつもこんな感じだね、というと奥さんと娘が大笑いする。岩田には米軍キャンプでぼくが無免許で事故して銃を持った兵士に囲まれたとき、身代りになってもらった恩義がある。中崎にはメールしとくよ、とかれは言う。こんど日本に帰ったらやきものをしにいくよ。ぼくは店の男に、こんどNYに来たら寄るから、とハグして慰める。he is weird というときのマクラウドの口調を思い出す。weirdには二種類あるんだよ、と長谷川に説明する。やばい、とかっこいい、ね。紙一重だからね、ブルックリンでは。

 

 

http://youtu.be/23-LtrLFuhUhttp://youtu.be/7DuCygvQdiI

 

 

 

30周年に思ふ
チカさんの元旦那って82年からずれだしたのか。
最近mundane existential girl’s r’n’r というdjmixのライナーを書いたので1982には思い入れがある。マヘルなんてまだなかった。レッドが勝手に出したカセット群があるから変に活性しているように見えるけれども、人が死にはじめて、あぶない時期だった。真のデカダンとはケネス・アンガーの「泉」のようなものだった。というところまでは分かった。それから政治の季節が始まった。マヘルはさらにそのあとである。30周年なんて、コンビニで「柏原芳恵 デビュー35周年ですべてをさらけ出す」とか週刊誌の活字が躍っているじゃないか。女は自分の外見をそれだけキープできるんだから男がバンドを続けるなんて大したことじゃないよ。きみが30歳未満だったとしても。
http://www.redbullmusicacademy.jp/jp/magazine/the-birth-of-hip-hop-in-japan

 

10月17日

祝島ヘル
祝島ヘルとは広島のアコーデイオン系魔女の巣窟と呼ばれているヲルガン座などでやるものである。いつも参加していたのは広島時代の玉柳君、きしこちゃん、などだがきしこちゃんはもう大人のOLになったのできしこさんに変わった。マクラウドと「マルティチュードにおけるコモンのオレンジ」をやったときは気合を入れて数百個の風船をトイレから溢れさせた。

岐阜マヘル
岐阜マヘルとはotonotaniとかでやるものでる。メンバーは夕食の3人とかくつざわさんである。動画は野網君と練習しているところ。
http://youtu.be/bxx-ulFFCjY

中之島ヘル
中之島ヘルとは大阪でやるものである。いつも知らない人が沢山参加するが、歌わずにただ喋っているようなときは下司君と愛さんである。曲が浮かぶとウィルコムのピッチで愛さんのピッチに鼻歌を送り、それを愛さんと茉莉が再現して送り返す、というのをやっていた。茉莉はギャーギャー泣いているだけだが、たまに唱和していることもある。京セラのファイルは返還不能なので最近スタジオでマイクに近づけてやっとデータにした。「ガラ刑」というタイトルでまとめようと思っている。本番前に消耗しなければ、やれる曲はたくさんあるのだと気付く。セラデルニエールシャンソンの時みたいに。マヘルでは短い曲をたくさんやってきたが、常に不評だった。でも短い曲が好きという 人も過去に数人はいた。小林君とか渋谷君などである。ぼくも短い曲がすきだ。

名古屋マヘル
名古屋マヘルとはハポン等に呼ばれてやるときのものである。メンバーは大体ジョンのサンである。いちどポールのドーターという名前でCDを出したこともある。このまえジョンのサンの新譜にコメントを書いた。
http://jonnoson.web.fc2.com/newalbum2011.10.10.html

なごやかな
場所のキャンパス
他人の空似
連鎖のナイキのこそこそ

名古屋から出てきた螺鈿
テレビ塔でがっかり

名づけられた場所
へ電気屋を装って
ダフ屋も通さず
スクラッチ

世界の車窓から
垂直に立ち上がる
ウエストコーストの
ヘロインの結晶
を濾過するバンド
エーテル運び
「ヘロインが水に溶ける様子は、
すさまじい程、速やかで、
水面にヘロインが達したか
否かの瞬間に
水面を走り回って溶けます」

女子大生
労働する
小説のように

「おれさあ」
解けたコンバースの紐を
踏みつけながら
外にまろび出た 朝

奉仕に出かける
それさえも線で表す
意思は(オスカー)ワイルド

炭水化物が血糖値を上げる時
の憂鬱

未だハルマゲドンを
経験していない
身体の
定型化

事務

音楽

青春の描写
旧姓の親炙

フィボナッチ係数の青春
フーリエ変換の青春
その様相をさえ

あたたかい 人の情けに
胸をうつ 熱い涙も
知らないで そだったぼくは
みなしごさ
強ければそれでいいんだ
力さえあればいいんだ
ひねくれて星をにらんだ
ぼくなのさ 

生政治としての
音楽

生政治としての
バンド

マリッジ・ブルー

上部構造のB層

フォーカス

B層の
贅沢

B層の
恋の花山椒

線は最終的に
老いて死ぬことの
描写に進み

月は

盛岡マヘル
盛岡マヘルとは福岡さんの甥っ子がオーボエで参加したりするものである。

秋田マヘル
秋田マヘルとはまど枠の伊藤さんと今は浅草橋にアトリエを移した高木ルイさんが新聞にまで載せて現代音楽の大イベントみたいに吹聴してやるものである。ホルンを持ってきた人がスコアが転調されてなくて帰ってしまったりして悲惨だった。八郎潟から見に来た青年が唯一マヘルを知っていた。

青森マヘル
青森マヘルとは松山ヘルの尚子さん旧姓工藤が実姉の計らいで浅虫温泉とかに連れて行ってもらうものである。動画はハルコ。ゆぱんきってっまだあるのかな。

 

メルボルンでチャプター・ミュージックのガイ・ブラックマンがまだ無名のジョセフィン・フォスターとジョアンナ・ニューサム+スモッグを呼んだ時ぼくはジョセフィン・フォスターとだけ仲良くなったのだったが、数年後なぜかエジンバラの楽屋で再びジョアンナ・ニューサムと一緒になったので、あの時の人(ビル・キャラハン)は?と訊くと本番前というのに急に泣き出してしまいしまったと思った。その数年後なぜかまた裏窓で会ったが、もうその話はもちろんしなかった。それはどうでもよくて、ガイ・ブラックマンが次に発見したのがケイスだった。彼は彼女のアルバムをことごとく再発し、トリビュートまで作った。その頃彼からケイスがアメリカでツアーをするけど来ないかと 誘われたが断ってしまった。その悔いもあってジョセフィン・フォスターは富田さんが呼んだのでもういいから、次はケイスだと吹聴していたら、ケイスとツアーしていたエンバー・シュラッグという人がやっているラジオでマヘルをかけたりするようになり、そのつながりでケイスを呼べそうか彼女に打診したりしていたら急にPARCが呼んでくれることになったわけでした。何が言いたいかというと、結局ガイ・ブラックマンから始まったわけだから、オーストラリアにはwireという大英博物館的帝国主義に振り回されない鋭い耳を持った男がまだいるなあと思った、ということです。そのガイとはその後円盤で共演したけれど、ぼくは円盤に嫌がられてライブを断られたりしていたのになぜか出る羽目になったので なるべく演奏以外は外にいたから挨拶もできなかったのでした。それで今回ガイさんにお礼のメールをしてみましたがまだ返事は来ません。

 

大牟田中島ヘル
大牟田ナカシマヘルとは竹永君の企画しているキャバレーふじでやるものである。ドラマーは「あん」ちゃんという中学生の女の子だったがいまはどうしているだろう。
http://youtu.be/pnq1owADyqU

沖縄普天間ヘル
沖縄普天間ヘルとはショウ君の周りの学生とかが参加してガチャピンの店とか方々でやるものである。一年の子に、何でそんなかなしい歌詞を歌わなければならないんですかと真顔で詰問されたことがある。
http://youtu.be/pnq1owADyqU

能古島ヘル
能古島ヘルとはノコニコやテトラでやるものである。会場に着くとブラバン女子が勢ぞろいしていてよろしくおねがいしまーすと言う。こちらは照れて演奏どころではない。小山の双子とシャグスみたいなのをやりたいと思っているが果たせてない。
http://www.ustream.tv/recorded/3279231?lang=ja_JP

大分マヘル
大分マヘルとはat hallや別府でやるものである。メンバーは常にクラヴィノーツの諸君である。
http://youtu.be/tn8xpD8_k9I

 

10月18日
札幌円山ヘル
札幌円山ヘルとはゆみのすけとうさこが参加していたものである。今はその二人も秋葉君も東京である。僕は今年の札幌芸術祭の展示で伊福部昭のゴジラのスコアがロシア語であることを見てびっくりした。ギリヤークの歌があるこのも見つけた。regregや中西楊一の暗さや、理恵さんの好んだ色や、かれらが被征服民について口ごもる理由も分かってきた。三谷と中崎と幾郎と最後にやったのも札幌だった。
https://soundcloud.com/tori_kudo/ai-ai-gomteira-1