2016.10.26 貧困層の窪溜りとしての「二人展」
貧困層の窪溜りとしての「二人展」
松山にはジャズ喫茶が八軒あってそのひとつはフリージャズ専門だった。そこに毎日通った。そのビルにはロック喫茶もあって、ハードロック専門だった。眞鍋君はそこにいた。彼はねちねちとした執拗な石膏デッサンを描いた。ぼくらは具体の坪内さん達と付き合っていたが、やがてかれは不器用に考え詰め、中学生の頃の細密な写実に戻った。ぼくらに共通しているのは、「貧困の窪溜り」とでもいうべき不可避的な場所への押し込められ方だった。愛媛では、具体やAUの残党は生活者としてわざと既成の画廊のファインアートに紛れ込み、位相をずらすことを目論んだが、かれは不器用さを徹底することで、白髪になるまでとぼけて見せているのだ。血に至るまで抵抗した愛媛で、「本当は違うんだろ?」という声が、もはや本音なのか幻覚なのかも定まらず、虫の声のように融けてしまった風土(で/を)かれは描く。
October 26, 2016
ダダ百周年the centenary of DADA というインスタレーションです。出だしの失敗Faux depart と熔けて結実してしまった結果との間にいくつかの無傷な壜が立っています。