2017.9
9.17
hatagaya@forestlimit
9.18
mshb
hatagaya@forestlimit
9月24日
イリアイモン
組の井出掃除で不参加費3000円払いたくないから朝の8時から集会所に鍬を抱えて出向き、丸印を入れた出席簿の脇に置かれた、蛍光ペンで担当水路が色分けされた地図を、今年は親切だなと思いながら一瞥し、それでもよく場所は分かっていないまま、池の端から始めるらしい子連れの母親や寡黙な青年らの入り混じる一団に付いて行くと、池の端は、地主がただで貸すから一生住んでええ、ただし草刈りだけはやってくれなんだら、と言っている広大なwasteで、電気も水道もないので恐らくアーバンパーマカルチャーの人たちしか暮らせない。その端を流れる水路を葛等の大群が覆っていて、以前なら地主が領地内に跳ね上げといてもろとったらあとはやるけんと言っていたのが、今回は沙汰無く、大量の葛の蔓を鍬で引き摺り軽トラが通れる範囲の路肩に積み上げることになったが、重すぎて早速背筋を痛めた。葉が道に散乱しているので箒を持って来いと誰かが女性に命じている。子供は玩具の鍬で雑草を根扱ぎにしようとしている。老人がしばらく考えてからちょっと抜いてこおわい、と言って土手を上り、池の水門を少し開けて放水する。軽トラが葛を積み上げては運んでいるがどこに捨てているのかは知らない。痛めた背筋の所為で息が出来ない。嵩が増した水が葉屑を流していく。池の端からどこに移動したらいいかわからないまま、数人が行く方へ付いていくと、世話係のような自転車がベクレ茶を持って来て、池の下の市有地で早くも休憩している。普段うちの車をそこに停めているので、気を遣って早朝移動させ、草も昨日彼岸花とかを残して刈っておいたのだが、草刈り班はその花もきれいに刈ってしまっている。うちの猫が来て愛想を振りまいている。消防団風の男二人がなんとなく率先して立ち上がると、大分遅れて他も腰を上げるが、ルートは分かっていないまま、付いて行くでもなく、見つけた草を抜きながら歩いて行く。共同墓地のところも見とってくださいや、と自転車が言っていたが、そこは境界外なのか手を付けられておらず、先頭はそのまま自衛隊のフェンス沿いを明らかに手抜きの感じで進んでいくので、石などを溝から搔い出していると、隣の山本さんが、工藤さん、そこはイリアイモンじゃけ中はせんでええ、外の草だけ、と言う。俄には理解出来ない言葉使いだったが、石は自衛隊のフェンス内から零れ落ちたものなので、神輿が通る道とはいえ組は関知しない、共有地だからこそ、意地でもそれはしない、クニにやらせる、という距離感があるらしい。いまやpatriotが配備されている自衛隊の丘陵は以前は草刈り場であったのかもしれぬ。その端に神社や共同墓地があることから知れる。国や市役所が無くなってもコミュニティは存続する。隣組はポツダム宣言で廃止されたが、サンフランシスコ平和条約締結後また復活し始めて今日に至っている。名残で始まった制度とはいえ、有事の時には有用な働きをすることは震災が証明している。われわれは井出掃除と草刈りに関してはまだ江戸の生政治を生きているのだ。ただ、自衛隊のフェンス沿いは手を抜く、というところに僕は自治を見たのだった。地上はすべて入会地であるべきだ。権力のボーダーに接したのだわれわれの組は。大正行動隊、サークル村、と、フーコーが結びつく、本能的に、百姓を捨てるな、と。とはいえ、山本さんは掃除の時は活発に参加するが、年六千円の組費を捻出出来ないらしく組には入っていない。山本さんの中には二種類のイリアイチがあるようだ。下賜としてのイリアイチと江戸以前からのイリアイチと。市有地はまた別である。イリアイモン、と聞こえたのは空耳だったか。イリイチの言うバナキュラーを聴こうとしたのか。田を持つ者だけのために、何故水路を清掃するのか、という疑念は非農業者の誰にもあるが、みな寡黙であって、映像作家や産廃業や年金の男鰥、市内の勤め人も、出られない時は妻に頼むなどして法の外にあるこの任意団体に健気に協力しているのは何故か。この辺りの水路には数年前には蜆(シジミ)が居たが今は小粒の田螺になっている。フェンス沿いの道は土地改良区が農地を止めることを決断した新興住宅街に侵入し、そこには別の集会所がある。そこで清掃なりの自発奉仕が行われているかどうかは謎である。いつか子供の虐めで泣いていた母親が出てきた新築を過ぎ再び田となるまで、かつての水路は埋め殺されて樹木などを生やそうとさえしている。子供は玉虫を捕まえて虫篭に入れている。少し息が出来るようになったので屈んで数本草を抜いてみる。枝分かれした水路を経験者が責任感からざっと刈った草を引き摺って合流して来る。廃園に巨大な里芋があり女性らと感嘆し合う。だらだらと集会所に帰り、出席欄の右隣に再び丸印を付け、定例会に出ない者たちはさっさと草削りを担いで帰途に就く。律儀に固まってまだ草を削る者もいる。
9月25日
今年の秋分はフォーク野郎とフェミで過ぎた。要するに朝の組内の清掃作業の後、FMの祭日のフォーク特集を聴きながら運転し、帰りにはTSUTAYAに寄って、早稲田文学の女性特集号を読んだのだ。フォークが上層に届かないまま、バリケードのこちら側を活性化させているのに対して、女はエバ以来上層を女の問題で覆ってしまう。ゆにが書いているというので読んだのだが、誰が書いてもよかった。女に上下はない。ぜんぶもわっと女だった。歴史は女が書くべきだ、と思った。
9月26日
道後の、昔僕が作ったピザ窯のある家のスタジオに、音の編集作業があったので出向くと、庭で子供等が走り回っているので、何かと思ったら学童保育をしている夫婦に庭を使わせているのだった。あ、誰か来た、と騒ぐので、こんにちは、と言うと、こんにちは、と返してきた。焼いた残りを一切れ貰った。ピザ窯は黒ずんで大分風格が出てきているように感じた。修理があるというので耐火モルタル代込みの一万円を貰って、木曜にやると約束した。
9月27日
金木犀の花をミルクティーに入れると午後の紅茶の味になる