tori kudo

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2016 liner note for kotoripan

liner note for kotoripan

 

僕は土を見つける。この国が無かった頃、まだ湖の底だった層で,洪水を潜(クグ)った記憶が恐竜の鰭に触れている。それより古い、薬で断たれたダイヤモンドや瑪瑙の火成の記憶はもう一度焼かなければ現れない。水はサンドイッチ状にカオリナイトの具となっていなければならないが、パンはズタズタに分断され、夜になっても家に入れぬ子供たちは空の星を見上げて空腹を忘れようとする。形作られるためには石が除かれなければならない。指を入れて探り、イナチャイの腎臓結石を摘まみ出すが、市販の粘土のように振る舞うには限界があり、金が無くて学校に行けなかった同士にしか分からない笊目を通したことにしたら、カルーセルのように時計回りに見切り発車する。瀬戸や中国や他の岬では左回りである。太陽系を上から見るか下から見るかの違いである。両掌の中で真円になり、塔に引き上げられては斜め上四時方向から押し潰されて二度殺される。やがて独楽のようにしんとなった中心にくの字にした左手親指を差し込み地底旅行すると残存のトラウマの割合が知れる。両掌の中で指たちが蠢き、柿くらいの空洞は既に出来ている。そこから右手中指で内側を、左手で外側を、午後七時の辺りで震え上らせると腰や肩が現れる。石を騙しながら背が伸びて行く。step family bluesという空耳で、ターンテーブル上の手足のない器形がメスティスの皮膚を薄くしてゆく。成形しづらい障害と対話しながら、同じく障害のある僕は土のなかのホウセキを予感して泥を震わせ続ける。一点、甘い震えのなかの一点なのだ。