tori kudo

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2012

■18/01/12shimogamo@yugue
19:30
1500

■mshb
20/01/12asagaya@yellow vision
w/cristal ship
participants are welcomed

■21/01/12tokyo@nanahari

■mshb
21/01/12daikanyama@haremame
allnight
リハは11時、出番は2時頃です。佐藤さんは参加できないそうです。
participants are welcomed
here is the score:
http://am.jungle-jp.com/scores/score_34.html

■22/01/12hatagaya@forestlimit

■mshb
24/01/12shinjuku@jam

participants are welcomed

■27/01/12matsuyama@moremusic
19:00
1000

■on the wheel(a theatre piece colaborated with jacob wren)
16/02/12yokohama@shichoshitsu2
22:00
participants are welcomed
ジェイコブ・ウレンは客席にマイクを立てて観客を参加させる手法で評価されているモントリオールの作演出家です。アクターはステージで歌ったり喋ったりするだけで、演劇的なカタルシスが皆無なのが特徴です。今回、役者はマヘルへの参加者と重なります。彼らは自分の普段の仕事のこと、マヘルに参加した動機などについて語ります。それらの台詞はその場で通訳され、日本語と英語の両方で理解できるようになっています。この劇は、今年の横浜の国際舞台芸術ミーティング(TPAM)の一環として、また助成金を得て行われた高知美術館によるレジデンシーの共同制作の経過報告として行われますが、一言いいですか。総ゆる<助成金アート>は当該国家に対して癌細胞になる以外に道はない。

This is an overall image of the performance that we have agreed on.
This performance roughly consists of three circles (music, job and pottery) and interactions between them.
The theme is to offer an opportunity for reflection on the double life between music and job as well as on the loop that can be found in the potter’s wheel and daily routines.
Jacob imagines a double life as something like a fictitious identity for securing oneself from the world or a spy, and he thinks that that kind of double life is recommendable as an individual’s style independent of the demands of capital, because capital often requires one job and one lifestyle.
I mean that it would be nice if that can be an opportunity for the audience to think of the current situation of Japan and the way the notion of happiness is, by showing the process where the daily jobs of those who participate in Maher Shalal Hash Baz are exposed and then they play, and and to think that they want to have another secret circle and habit in their life, which are different from their official circle and habit (not just, for instance, having an anonymous Twitter account), by talking about their own lifecycle.
The performance progresses as the participants and audience talk about the relationship with their jobs, Maher and pottery.
English and Japanese are immediately translated.
What the participants are required to do is preparation.
The audience are required to participate without the preparation.
It is a very beautiful experience to see people who have never spoken in front of audience start to speak, and the main objective of this performance is to experience that.
I ask the participants to prepare what to do and to speak of about their jobs and Maher.
Everything that is involved in a performance in a broad sense must be included in that, and actually there is no rule. The only requirement is to be oneself.

We gather in the evening, and after rehearsing, we start at 10pm.
At first, Jacob shows the pottery that he made at my place and talks about the experience. He says that it will be given to those who want it after the performance for free.
Then he asks each performers about Maher and their daily jobs.
I put clay on the wheel and start to make pieces, but I keep murmuring, converting the noise of the wheel to words. Large sheets of paper are on the wall, and the words are written on them. The performers create loops and quietly practice the loops with their instruments, looking at the words and listening to what others say. The sound shall be quiet enough not to erase the speeches, and it does not have to loop endlessly. The loops can also be changed according to the changes of the speeches of others and the words on the wall.
I make pottery with the wheel intending to make the figures of the people who are talking. They are taken off from the wheel as soon as finished and given to the one who was talking. When everyone finishes talking, everyone plays a loop together. The lyric is the words on the wall.
After that, the audience are requested to speak, and there is no plot. Maybe someone stands on the wheel, and maybe someone says they want to experience the wheel. People who want the pottery that Jacob made are required to tell why they want it (I mean, that might facilitate talking).
At 10 minutes to 11 o’clock, alcohol is offered, and the performance ends without ending.
I collect the raw pottery and reduce it to a mass of clay: what it was in the beginning.

People who stay there keep talking after the performance.

チェルフィッチュの岡田利規がイラク戦争の時書いた「三月の5日間」は画期的な小説だっった。その短編は「私たちに残された特別な時間の終わり」という二編の短編からなる小説集にまとめられ、その表題は確かに当時の気分を切り取って、それから意識の底に沈んだ。
「三月の5日間」の冒頭、六本木で劇が終わってからも喋り続ける女の様子が描かれるが、それが実はジェイコブの前回のスーデラでの公演なのだった。
>> 僕はそれをDVDで観た。数人が集まってdrug city風の歌を披露している体のもので、到底演劇には見えなかったが、ジェイコブによると、日本の公演ではとても美しい瞬間があり、それは、通訳の仕事をしているという女性が立ち上がって、「今まで自分は人の話を伝えることしかしたことがなかったが、今夜は自分のことを話したいと思った、」と喋りだすと、さらに別の女性が立ち上がって自分も通訳の仕事をしていると言い、しばらく二人の話と互いの通訳が続いた部分である、ということだった。
二人の女性は、ジェイコブの周到な反演劇的な仕掛けによって、その場所で、自分が誰でどこで何をしているかということに初めて思い至ったのだ。

三つの円(job, music, pottery)とそれぞれの交わる部分を合わせると7つのエリアが出来る。自分のdouble lifeのことを考えるだけではなくて、同時に他の参加者から自分のdouble lifeを見られている、という意識がないと、例えばjobと pottery の交わる場所の重さが示せない。参加者は仕事としてのロクロについて質問するかもしれず、実際にやってみたいと言い出すかもしれない。あるいはアートとしての陶芸にしか興味がないと言うかもしれない。そうした情感を予測することさえ今まで表面的にしか出来ていなかったことに今日気づいた。

準備するとは7つのエリアについての平等なリアリティーを持つということ。
1music
2job
3pottery
4music and job 
5job and pottery
6pottery and music
7music, job, and pottery
ジョナサン・リッチマンが this kind of music と言ったエリアと消費、陶芸教室的公募系自称作家と賃挽き、陶芸としての音楽またその逆、
double lifeは大きな優先順位がなくなり、垂直の価値観が地層ごと流された後の時代の、あれか、これか、という目の前の水平な問題意識の連続としての生を表しているかもしれない。そこに後ろからの声は聞こえているのか。

そういう訳でぼくらはブラブラ病とリアル病に罹るしかなくなってゆく
地層のない、アミダのような平面を
野獣の像に命を吹き込むように、カラオケの駄曲に命を吹き込もうとして
きみは泣く
突然死にはエリック・ドルフィー、癌にはビリー・ホリデイ
きみはうたのたてよこを知らない
アミダを梯子のように空間に掛けてみせたら
金タワシの中を進むナメクジのようにぼくらは

■exhibition 磁器の剥きだしporcelain exposure
23/02/02-01/04/12osaka@tearoomAVON
thursdays11:00-22:00
fridays to sundays11:00-18:00  
closed mondays to wednesdays

events
■23/02(thurs) 19:00
・opening live performance and interactive talk session -the history of Rock- w/jojo hiroshige(unplugged)
・screening of related films
 stone in the river
 the selfish giant
 etc
1000 (1drink included)

■25/02(sat) 18:00
・recapitulationnal reenactment of a theatre project with jacb wren:
“i wouldn’t like to do anything on you thrown on the wheel”
including interactive talk session by satoshi nakazawa(onpasha), atsuko hirose and kaoruko munetomo(avon), etc
participants are welcomed
・on screen
piano exposer2011
sombre dimanche 2011
sound track for miyokoasagayakibun 2010
other recorded performances 2008-2010, etc
1000 (1drink included)
16日が「演劇/舞踏として演奏される音楽」と「音楽として演じられる演劇/舞踏」のコラボだったとしたら
25日は「インタビュー/即興ワークショップとして演奏される音楽」と「音楽として行われるインタビュー/即興ワークショップ」ということになります
「即興ワークショップとしての演劇」或いは「演劇としての即興ワークショップ」ではありません
関西における即興ワークショップの成果については充分理解しているつもりです
でも今回のこれは依然としてロック史に向けられた試みなのです
三歳年下の園子温が「映画史もロック史もない」と言うときの、その発言全体がここでいうロック史に当たると思います
ただ、ものの見方、見え方を変えたい、というような漠然とした目的意識が助成金アート/演劇の土壌を貧困なものにしているのは事実です
資本はそうした目新しさをジャンルの延命に利用しようとするだけだからです
前線はジャンルの終わりや国家の死滅を内包したものでなければならない
ジェイコブはユダヤ人だから世界を外から見ている。彼にとってすべては世の演劇であり世の音楽なので、それがカフカ的な距離感を生んでいる。
ものの見方を変えるためには世界の外に出なければならない
方法論は簡単であればあるほどいい
原発さえも入れない方法論しか原発を照射できない
ジェイコブの場合は簡単な二つの質問を用意するだけだった
出演者に与えられたのはただ「自分自身であること」という指示だけだった
質問に対する答えは一々翻訳されていき、言葉の内容ではなく言葉と言葉の間の空間が劇を構成した
英語と日本語も彼にとっては外の言葉なのであった。たとえ彼がイーディッシュを話さなかったとしても。
音楽はカタルシスとして劇のために使われてはならなかった
音楽には終わりがなく、他の要因でなしくずし的に止むのでなければならなかった
初期ゴッドスピードユーのヒーロー不在の集まり方はカナダ的な特性をよく表している
モントリオールの多層的な言語環境も彼のカンパニーに相応しかった
大阪の即興ワークショップ的なものは個性の発動を自分を中心とした外に向かうベクトルとして捉え、ジャンルの異化ではなく混合のみを行った。
それに対してジェイコブの戦略は外から内に向かうベクトルにあった
参加者を状況に投げ入れるために向井が演じてしまう巫女の役回りがジェイコブの演出に当たるがこちらはカナダ的に自分の位置を消すことに成功している
双方向コミュニケーションのテクニックはラボカフェなどによって認知されてきており、演劇的な実践としてロールプレイがある
それは模擬裁判といったディベートの授業に留まらず、父娘が予告なしに入れ替わるジェイコブの劇にも取り入れられている
インタビュアーとインタビューイが入れ替わる、というのが25日の基本的なイメージである
「磁器の剥きだし」に関する質問は参加者によって前もって用意されているが、その質問は参加者自身に投げ掛けられることになる
例えば宗友馨子は僕に関する質問を考えるが、その質問は僕から宗友に投げ掛けられ、宗友は僕になりきって答えなければならない。逆に僕も宗友に関する質問を前もって考えておくが、それは宗友によって僕に投げ掛けられ、僕は宗友になりきり、想像を働かせて答えなければならない、ということになる
真実は決して語られない
真実は言葉に依らず、自分になりきった相手の言葉に対する自分の演奏etcの表現によってのみ表される
現場のリアリティーは話し合いの中にあるのではなく、投げ掛けられる質問自体と想像による答えで多面的に照射される構造にある
相手の魂を借りて相手を演奏させるセッション
演奏は変化するにしてもループである必要があります
続く

■26/02/12nakazakicho@commoncafe

■piano
04/03/12iyo@welpia

■芸術温泉
20/03/12matsuyama@dogoonsen
15:00
free

■mshb
27/03/12kyoto@urbanguild
18:30/19:30
2000/2500
participants are welcomed

■泥水冬道ブルースバンド
29/03/12@avon
16:00くらいからずっと
bassとdrum募集中

■30/03/12@avon
2月26日にコモンカフェでやった<ピナ・バウシュ的なものに付随した音>の続編
mshb,taku hannoda, chieko yamaji,ytamo
participants are welcomed

■mshb,theatre project “Interviews”
31/03/12@avon
2月25日にやった<演劇に付随した音>の続編
participants are welcomed

■01/04/02avon
closing live show
01/04/12
16:00 
+reiko, w/saya
1500/1800 +1drink

■exhibition porcelain exposer2
20/04/12-01/05/12noge@baraso
performanse28/04
20:00
1000+order
今回は玉柳君の送ってくれた牡蠣の殻を焼いてパウダーを手につけて轆轤をし、そのまま切り離して本焼、というものです。バーなので夜しか空いていません。0455157787に電話してから行った方がいいです。

■mshb
22/04/12koenji@ufoclub
12:00/13:25
2500/2800+1drink
participants are welcomed
昼くらいから居るので連絡ください
20:35~セッティング開始、20:55~21:35演奏、です。

■che-shizu
29/04/12hacchobori@nanahari
19:00/19:30
2000/2300

■30/04/12shinjuku@uramado
19:00
1500+drink

■piano
13/05/12iyo@welpia
19:00

■mshbox
23/05/12@koenji
12:30
駅に集合したら鈴木さんがカラオケボックスに連れて行ってくれます

■mshb
23/05/12daikanyama@haremame
participants are welcomed

■mshb
26/05/12mitsu@tanakadocafe
19:00
1500
w/clavinotes(from oita)
participants are welcomed
クラヴィノーツは一番好きなバンドかもしれないです

■piano
27/05/12kagawa

■写真の剥きだし
02/06/12mitsu@tanakado
19:00
1000+

■exhibition porcelain exposer3
08-16/06/12asagaya@hinemosunotari
まだ本焼中 神戸のポートタワーを潰して耳をつけたようなのをたくさん作りましたけど
performance
10/06/12
13:00
1500
+aquiavecgabriel

■mshb
“Yukio Hakagawa’s history of rock”
09/06/12shinjuku@theatre poo
リディア・ランチがロックの歴史をなぞってだんだんリズムが変わっていくというステージをやっていたのを踏襲しています。
キャストは
墓川雪夫(田尾):ロック評論家でスタ丼火星支店長
渚(渚):八本足のスタ丼火星支店のバイト。田尾に火星ロック史を教える
デヴィッド・バァァゥウィー:実際は火星に墜ちた男だったが地球に落ちたことにして陰謀を企てている邪悪な火星ロックの創始者
鼠先輩:渚にバァァゥウィーの陰謀を教える
イギー・ポッポ:渚の父
泥水冬道:愛媛在住の陶芸家、ブルースマン
松上コータロー(田尾):チンドン出身のストリートシンガー
など
参加者募集中ですが今のところ田尾君と渚さんしか役が決まっていません
6時に入れます
participants are welcomed

■10/06/12hatagaya@forestlimit
19:00/19:30
2500/2800+drink
+katsurei

■12/06/12jinbocho@rojitohito
19:30/20:00
1500

■performance
24/06/12dogo@nannanna
18:00/18:30
1500
w/ichiro endo, takahiko kaino, takahiro kunimoto

昭和20年7月26日23時30分、129機のB-29による焼夷弾爆撃により、松山市は、松山城の南東を攻撃ポイントとした896トンの焼夷弾爆撃を受け、市街地の5キロ四方の、戸数の55%である14300戸の家が焼け、259名が死に、全人口の53%の62200人が罹災しました。
B29の大編隊は松山城を右旋回して焼夷弾を投下し、松山城を取り巻くようにして形成されていた市街地は、古町から清水町、即ち城北地域から焼夷弾を投下され、僅か2時間10分でその全域が焼夷弾による炎に包まれ、逃げまどう市民によって街は大混乱に陥入り、松山城の内堀は焼死体で埋まりこの光景は,「この世の地獄」以外の言葉で形容しようのないものであった・・と記録されて居ます。
焼夷弾とは米軍が日本の家屋攻撃のために開発したM69で、親爆弾に子爆弾が19発が2段に、計38発が組込まれ、空中で分解して落下します。子爆弾とはM69油脂焼夷弾-直径8センチ、長さ50センチの金属筒状のもの。空中500メートルで親爆弾が分解すると、中の38本の子爆弾が散らばって落下、屋根を突き破ると爆発してゼリー状の油脂のナパーム材に着火し、一面にまき散らし、一帯は火の海となります。この時、子爆弾の先にリボンが取り付けられており、其れに火がついて落下するので火の雨の様に見えます。

■tori kudo’s meltdown
02/07/12koenji@showboat
18:30/19:00
2800/3300
なんかもう捨て身の情宣梅雨の夜
ワイアットのキュレーションに戻って話を進めなければならない。東の指摘によって、2001年のロイヤル・フェスティバル・ホールでのmeltdownの思い違いがくっきりしてきた。ワイアットはホームレスや移民のバンドを集めて興行を打った訳ではない。アラブ‐イスラエルのシンガーやストリートのジャグバンドは出たが、ギルモアが目玉としてあり、コステロやウィレム・パーカー、テリー・ライリー、マックス・ローチまで出ている。ぼくは例によって、誤読と深読みによってとんでもない辺境に来てしまったようだ。数えたら19人の参加者とやりとりしている。映画のように声によって進んでいく原発事故後の物語を夢想してしまったのだ。最初は、これはぼくのmeltdownだというオチがついていた。だがこれはマヘルのmeltdownだという気がしてきた。全体が、マヘルの出ないマヘルなのだ。被害者はリアルなことは語れない。語れないということさえ語れない。そして語れないということさえ語れないということさえ語れないのか、それがテーマとして浮上してきた。ここでぼくが思い出すのはピーター・アイヴァースの、ウエスト・コーストのケーブルTVで持っていた音楽番組である。ミツバチのコスチュームでブンブン叫ぶだけの、honey beeという女の子三人組のバンドが出てきた時、ホスト役のアイヴァースは心底嬉しそうだった。ぼくもああいう紹介をしてみたいと思っていたんだった。番組の最後にアイヴァースが歌ってシメるんだけど、それは堂にいったもので、あんなひりひりするようなワン・コード・ワンダーはアンソニー・ムーアくらいしか比較するものがない。台信さんが居なくなったshowboatは今回ぼくに企画を丸投げしてしまった訳だけど、こういうのはほんとうはライブハウスが企画するべきことだ。ライブハウスってなんだろう、とういうと思い出すのはルーリードが最後にlitte sisterを歌った映画だ。あるライブハウスが閉店することになり、企画の女の子は最後にいまだかつてないライブをしようと意気込んで、ルーリード役のルーリードとしか言えないルーリードに電話すると、ルーリードを演じるルーリードは、ベルリンのジャケみたいな, 煙のただよういかにもな退廃的なベルベットでしつらえた部屋で女の子に囲まれながら電話に出て、出演を承諾して車で出かけるが道に迷う。コンサートは始まり、マディー・ウォータース役の老ブルースマンが「Hoochie Coochie Man」を歌い終わると、檻が運ばれて来て、鎖で繋がれたパンクスが解き放たれて同じ曲を歌い、老ブルースマンは「ここに真のブルースを見た」などと述懐する。時間が凍結しているヒッピー役のドアーズのジョン・デンスモアは、店に来るなり「1969年あけましておめでとう」と言う。最後に遅れて到着したルーリードが、企画の女の子と犬しか居なくなった会場でlittle sisterを歌い、犬だけ拍手して終わる。最後の、ルーを見てるその企画の女の子の笑顔が何とも言えずいいんだ。だからライブハウスって、ほんとはそういうもんだと思う。ブッキングマネージャーは小田さんていうんだけど、見てるかな。 

出演者紹介1 東は古い知り合いで、98年のジョン・ピールのメルトダウンにも出てるし、ぼくが首を吊ろうとしてた時2万円くれたこともある。原発事故に関連した声、というとまず石川雷太の呪詛のような反原発ノイズを思い浮かべるけれど、同じノイズ系でも、結局東が「光の・・」以降独自に行ってきた朗読の試みの最新部分で、目覚めさせられたウランになりきって呻いているヴォーカリゼーションが、一人で生きている女性の表現として優れていると思い誘うことにした。

出演者紹介2 小川君や橋本君がやっていた札幌のサーフィンズは、その場で歌を作ろうとするけどできない、という困難なコンセプトのバンドだった。この前高円寺のカラオケでマヘルのライブをしたら客は一人で、それが橋本君だった。彼にマイクを渡したらラップを披露してくれて、それがとても良かったので、7月2日の話をしたら、サーフィンズの話になり、小川君は今東京に出てきているから誘ったら喜びますよ、と橋本君が言うので、本当にその場で歌を作るなら呼ぶ、とtwitterで連絡してみると 「橋本君が何を伝えたかは分かりませんが、今後何かがあるのなら万全の体勢で伺いたいと思います。おかげさまで、札幌から上京して墨田区在住3年目になりました。歌は、36年間生きてきて、作れた事は全く無いです。」という骨太なDMが来たので、安心して頼もうと思った。プロフィールは小川直人、墨田区在住工員、ということにしてください、ということだった。サーフィンズはもう解散しているみたいなので、どんな形態かわからないけれど、橋本君のフリースタイルがとても良かったので、その場で歌を作ろうとして出来ない、というのを一歩進めて、もし小川君さえよければ、橋本君と二人で、何が見えているかをはっきりさせてほしいと願っています。

出演者紹介3 バトミントン選手の福田君は不安障害と双極性障害を抱えてしょっちゅう死にたいと電話をかけてくるけれど、バトミントンではトップクラスのプレーヤーなので、瞬発力が凄くて、不失者のベースにぴったりだと思う。彼とはよく二人でギターをラケットにしてバトミントンをしたり、マヘルでは空気を切る素振りの音だけで参加したりしてもらっていた。今回は久保田君と三人でやる。三人ともギターで、それぞれが入れ替わりつつドラム、ベース、ギターのつもりで演奏する。久保田君は京都の、サイケで分析的な人格者で、酔ってさえいなければ割礼より真面目に演奏できるかもしれない。

出演者紹介4 外人居留者の声、ということで探していたら、岐阜の日系ブラジル人のコミュニティーからラッパーを何人か紹介してもらえて、最終的にブルーノがやることになった。ブル-ノ(BRU)はBCCというクルーの一員で「日系兄弟」というユニットの兄の方。いまブラジルに居る弟はARCと言う。同じような顔なので動画見るときなどに参考にしてください。動画はWHOLE NINE TVで検索すると紹介されていて、ARCのソロもある。甲府の「サウダージ」では田我流がブラジル人ラッパーを刺してしまうけれど、岐阜では日系兄弟がシーンを引っ張っているのだった。母国語ではないのに、言葉がこんなになめらかにするすると出てくるというのはどういうことなのか、確かめに来てほしい。本番ではブラジルからスカイプで弟も参加できるようにする、という案が浮上しているけれど、田舎で仕事しているので電波が届くところに居られるかわからない。せめてブラジルの景色でも映してみたい。
不参加者紹介1 A君 脳みそが溶ける音はリアルと分かっているが録音できない、一番の見所はGRIMのTシャツを着て微笑んでる小川君である、とコメント。 

人を呼んで企画をすると逆に自分がよく見えてくる。ぼくの企画は本当は企画ではなくて、当日までの過程を見せる一連の演劇のようなものなのだ。この企画は、「ヒミズ」と「この空の花」を比較するところから始まっている。共に原発事故後のリアルを捉えようとした映画だった。前者は3.11の被害とDVの苦しみを同列に置くことで、後者は戦争の歴史の中に原発事故を置いてみせることで、いのちZoёを全体の状況に結びつけて現前化させようとしていた。 両監督に見えているものと見えていないものはそれぞれ異なっているが。 「この空の花」の中では、空襲で死んだ子の声が聞こえているか、というテーマが繰り返されていて、そのことを考えているうちに、マヘルで前回やった、「墓川雪夫のロック史」というコンサートの反省点が浮かび上がってきた。前回の「ロック史」は、事故で障害者になったロックの、当たり前と思っていた動きが出来なくなるという、いわば引き算による演奏だった。ロックから重力を、右左を、数を、空気を抜いてみたのだ。それはそれで成功したとは思うが、「この空の花」が長岡市の花火を江戸末期からの戦争状態の日本の歴史の中に置いたように、ぼくらはロックを花火の代わりに原発事故に至る歴史性の中に置かねばならなかった、ということなのではないか、と思ったのだ。具体的に言うと、鈴木さんは体をぐるぐる巻きにされてギターを演奏しなければならず、血豆を作っていたが、翌日彼女の指を見た時に、それが皆に伝わる仕組みが欠けていたのではないか、と思ったのだ。マヘルの人たちは田尾君とのシナリオ作成には関与せず、当日ぎりぎりに集合して、架空のロック史のために縛られたり飛んだり息を止めたりしながら演奏してくれたのだが、自分たちの歴史性とリンクする部分が与えられておらず、それがないがためにリアルなものに触れられなかった。だから今回は準備段階から原発事故に至るの歴史性を共有しよう。そうするとやっと鈴木さんの血豆が見えてくるかもしれない。それで、当初はやらないつもりだったマヘルの個々の人たちにも、個人として参加するように呼びかけることにした。
それでいくつかのまとまりを考えた。

1 原発事故に関するリアルな声
2 ホームレスや避難民としての生活者のリアルな声 
3 外人居留者のリアルな声 
4 DV、モラハラ被害者その他の人前で話しにくい人々の言葉
5 それと同一平面上に立とうとする音 6 それぞれのセクションと観客とのインタラクティブな領域  
参加する人は、このうちのどれかについて自分にできることはないか、ということを考え, だれかの声を連れてこなくてはならない。
  
客席や録音による声を含むそれぞれの話し手のリアルはカメラワークのようなミキサーの使い方次第で表現になるはずだと思った。終わって、一本の映画を観たような気にさせたかった。いまや自分の中の背の人が腹の人を溺れさせようとしていた。興奮すると、体は逃走か逃避かに備えることになる。背側迷走神経はフリーズと関係する一方、腹側迷走神経システムは絆、愛着、霊性を活性化させる。だから「鳥肌立った」というフレーズは使ってはいけない。あれは判断停止しているのだ。ナチの集会のワーグナーであろうと左翼の集会のインターであろうと同じことだ。聞こえている、見えている、という状態に至るにはソマティックなグラウンディングがなされていなければならない。そうじゃないと、いつの間にか背の人が勝って、人を駒のように使って、見世物にし、晒す、といった企画になってしまう。それで最初に戻り、ワイアットがホームレスを呼んだかのような思い込みを検証するところから始めたというわけだった。彼の弁は、自分が聞きたいから呼んだだけ、といかにもイギリス人的な自然さに終始している。 そして meltdown は興行的にも成功しているフェスなのである。マヘルの出だしは、大袈裟に言えば、スターリン批判以降の組織論から内ゲバに至る政治性へのロックからの総括にあった。出,出,出,出,出,出,出だしの失敗から始まった歌、というわけだ。 Gute Nacht

削減対象に含まれているので 自分は みな死ねばいいのに とも思う  花嫁衣装を着けた雨の夜の中の 丼 ヒーローものみたいな 舌   山道は下顎のようだ 滅びますよと教絵多のじゃ 

参加者紹介1補足 Reiko.Aさん 「Aurora」でjは、ウランが無理矢理目覚めさせられる時の「眩しくて」というイントネーションが変な横浜弁ぽくて好き。 本番では、ウラン以外のキャラでもいいの、というので、米野菜でもなんでも、とリプライ。 

不?参加者紹介3 物良原さん 「 “講演会や討論会ではない” ということを、どう解釈?すれば良いか が解らなくて……」とコメント。 
参加者紹介2補足 はしもとうさこさん 「リハーサルの時間が早めにわかれば助かります」と仕事の調整を匂わせるコメント。 

参加者紹介3補足 福田真也さん。 昨日の彼の生死を分かつ悩みは 「ドイツとフランスではどっちがいいですか」というものだった。 
道後のライブで忙しく電話に出れなくて放置していたが、寝る前にドイツ語で呟いたら Deutschland ist besser.と勝手に深読みしたらしい。 それはきみが決めることだよ福田君。 

不参加者紹介4 A’さん 「近づくと窓から川は見えず  川には水は無く 縫い合されず端切れの端切れの千切れになった糸のような斜視で遠くから見ている 穴をとじて  それぐらいで子どもが飢えることは無い」 というコメントを留守電に録音。 

不参加者紹介5 A”さん 「東京という土地は私の中では無くなってしまいました。 私は2011年3月15日に東京から大阪に逃げてきました。自分の世界の中では、原発事故は起こるべくして起こり、それとリンクした自分の絶望の弾性限界点が3/11でした。 
避難民とは言っても、私には東京に置き去りにした生活はありませんが、もやもやした頃の自分の想念の切れ端が残っているような気がして、それが放射性物質の形をとって放射線を出し続けているようなイメージとなっていて、足を踏み入れられないと思っています。 東京に憧れや期待を抱いた自分ごと、東京の地を捨て去りました。脳内地図から消えていきました。 だから無くなってしまったわけです」
続いて、「先日は病んだメールを送ってしまい、大変失礼しました。先日の文章はあまりに残念なことに気付いたので、どうにも録音できなくなってしまいました。すみません。事故直後、東京に残った人から非国民と言われたり、職場の人と揉めたりしたので、東京でのうまくいかなかった生活とあわせて東京がなくなってしまえばいいと思ってました。東京でうまくいかなかったのも揉めたのも自分が全部悪いのですが、それに気づいたつもりでいて、まだ東京のせいにしてました。低レベルで申し訳ないです。」 とコメント。 

参加者紹介5 羽根田亜紀さんはブログの呼びかけ文に反応してメールボックスに連絡をくれた唯一の人で、ユーフォニウムを始めたばかりということなので、楽しみにしています。punkchillという女性3人のバンドでドラムをやっていたそうです。 
参加者紹介6 羽根田さんが反原発デモのドラム隊を通して知り合ったのが原田淳子さんです。原田さんは呼びかけ文の野宿者の声というところを理解して、246表現者会議の小野てつオさんに声をかけてくれました。 当日小野さんが来られるかどうかはわかりませんが、彼との対話を通して残ったものが彼女の声に反映されている筈です。 いろんな活動をされていて、メールが来るとしたらいつも明け方なので、ぼくは密かにアンポの頃の活動家に戻った気分で「午前5時のローザ」と呼んでいます。

参加者紹介7 鈴木美紀子さんは「内なるモラルハラスメントと原発事故その後 で短めにまとめてみます」とさらっとコメント。そんなこと晒して大丈夫なのか鈴木さん。 

参加者紹介3補足 久保田健司さん 「自分は3.11や原発について他の人とは全然違う意見なんですけどそれでもいいんですか」 とコメント。 「実は僕も本当の本当は全然違うんですよ」と返答。 二人で勝手に得心。 

参加者紹介4 補足 Brunoの話。 知らねー 五歳の時日本に来た。理由は親が金を作るためだった。その頃親は大理石を加工する仕事をしていた。今は岐阜県大垣市寿町にある吉田ハムの社宅に住んでいる。吉田ハムはブラジル人がたくさん働いていたから親はそこに勤めだした。だけど今、ブラジル人は殆ど居ない。不景気で、ブラジル人は殆ど解雇されてしまった。まだ親は残っている。16歳でマイクを持つ。同級生のゆーまとラップを始めた。もともとスケボーが好きだったことと、ゆーまの兄がhiphopを聴いていて影響された。 ある日、ある日というのは廃品回収の日、ゆーまの兄がマスターPのビデオを見せてくれた。 “アットインスモークツアー”というビデオだった。それを見て日本は狭いと思った。日本じゃなくて自分のことかもしれないけど。 中学の時、二ヶ月だけブラジルに戻ったことがある。その時初めてブラジルへの想いが膨らんだ。(この話をしてる最中、急にラップし始めた。逢いたいアンテナ張ってたい、なんたらかんたら~、早くてメモれなかった。録音したかった。) 今はブラジルを追いかけている。ブラジルを知りたい。 (言葉がスラスラでてくることについて) ジョーク。ユーモア。 “じゃーねーまたねーバイバーイさよならー”、なんて言葉があるとすると、ブラジルでは最後に 神と共に という言葉がつく。+aの言葉がスラングのようにひっついてくる。しゃべっとって、なにも気にせずな感じ、言葉の意味なんてのは幅が広い。 それらはジョークでありユーモアだということ。広く言って、まとまってないとも言える。 イベントにいろんな人がくるみたいで面白い。抱えてるから強いとか弱いんかとかはよく分からんけど、なんか破壊して立て直すのか。ラップやってることについて言えば、金になればいいし、でもそれだけの為ではない、好きなことだし。 「てゆーか、知らねーよ。 あ、うん が合う奴らとやっとる。

参加者紹介6 補足 原田淳子さんはグリムとか昔話の研究家で、それをギターで弾き語りたいそうです。今回はまだ考え中。以下は原田さんとは関係ありません。 
本当は怖くないグリム童話 「
灰かぶり」 
父が死にました。母は原爆を禁止しました。それに違反して灰かぶりは原発を作りました。母はそれを探り出し灰かぶりの原発を探そうとしました。灰かぶりが原発と一緒に居ることが母に漏れました。母は策略を用いてタイコで灰かぶりを誘き寄せました。灰かぶりはそれと知らずタイコで心ならずも母を幇助しました。母はタイコに毒を盛って原発を殺しました。灰かぶりは欠けた原発を手に入れたいと思い、出立しました。手は灰かぶりを試して声を連れて来たら呪具をあげようと言いました。灰かぶりは連れて来ましょうと言いました。灰かぶりは声を手に入れました。灰かぶりは山梨国に案内されました。灰かぶりが母と戦いました。灰かぶりが勝利しました。母が敗北しました。原発は実は生きていました。灰か ぶりは家に帰ろうとしました。灰かぶりは追跡されました。灰かぶりは追跡から救われました。灰かぶりは気づかれずに家に到着しました。にせ灰かぶりが原発に不当な要求をしました。灰かぶりに難題が課せられました。灰かぶりは難題を解消しました。灰かぶりは認知されました。にせ灰かぶりは母だったと露見しました。灰かぶりはきれいな黒い原発姫になりました。母が罰せられました。灰かぶりは白い原発王子と結婚し、黒い原発姫として即位しいつまでも幸せに戦いました。

参加者紹介8 小川てつオさんはリアルな声はその場で出るものなのか。出ないことがほとんどだし、そもそも出すべきなのか。出すぎて困ることもあるし、と逡巡していましたが、演奏者と同時というわけではない、ということを理解して、本当に出てくれることになりました。 

不参加者紹介4 捕捉 A’さんというか下司愛さん  録音だけでなく重さ7キロの絵を送ってくださることになりました。坂口恭平の「態度経済」だそうです。 

参加者紹介4 補足 日系兄弟の音源を前もって聴きたい人は連絡くれればこっそりデータ送ってあげます。
Brunoはサウダージ見てないそうだ。

3.11以降、「見えているか」、という問いかけは既に無効になった。
「この空の花」の、「見えている」と断言する花という巫女的な配役はスクリプト上必要だっただけなのに、そのことに意識が向きすぎていると、「見えていなければならない」というスローガンは同じ反原発の仲間内の学芸会になってしまう。ベクトルは逆でなければならなかったのだ。既に見えている見えない汚染の現実の中で、「再稼働反対」のシュプレヒコールさえ聞けないほどダメージを負ったひとりぼっちの被害者たちの声は抽象化され到達すべき対象ではなく、既に見えすぎるほど見えている。追うどころではない。向こうから迫ってくるのだ。「この空の花」がわざと学芸会を使って、声を役者に演じさせることのリアルの薄め具合こそ学ばなければならないポイントだったのだ。リアルな声をshowboatで聞くことなど出来ない。そこから始めるためには、たとえば全員が仮面を被るべきなのだ。企画が目的化してはいけない。なぶり殺しの雨に企画されている現実を生息しているに過ぎない。

showboatには3時から入れるそうです。スナック・メルトダウンでは話者のために店の酒を使った水割りのみが提供されます。うさこさんは元ホームレスとニートの若者を連れてくるそうです。

モラハラ企画者は出演者を取り込み、自分の一部にしようとする。
ここまで来ると編集工学というのも嘘だと分かる。テーマは「企画とは何か」ではなく「企画の剥きだし」でなければならない。
言ってみれば乖離人格の症例と後期資本主義の可塑的な花火玉の不可避の爆発。
天命を尽くして人事を待つ。あとはフィードバックだな

見に来るという人のコメント1 
2日は観にいきます。いろんな声があって、それぞれ切実なんだと思っています。ので、先入観なしに、どんな声も聞くこと。が、私はわりと得意だと思うし今大事だと思うことです。自分の意見を押し付けない、とか。表現しよう、としなくても、聞くことは考えることだし、自分の中にとか、そこから外へと、湧き出てくることがあるでしょう、といいなぁ。あとは、素直さとか、思いやりとか、想像力、よく生きようって思うことだけが希望だとおもいます。チェルフィッチュの現在地という芝居はある現象についての意見の相違によりすれ違い分かたれていく人たちの模様を女性のみのキャストで声ですすめていくような内容でした。1番冷静で現実的だった人が友達を作ろうと外に出はじめた引きこもりの女性を殺すシーンがあったり、寓話っぽい。最後は二つに分かたれた人たちが、それぞれにお互いは死んだものとして暮らしてゆく、という結末で、ぼんやりしてしまいたが、そういう風に切り捨てることも出来ずにいるのが現在っぽい。境界を超えることができればいいのだろうけど。

皮算用1 東とかのノイズ村の集いは外人とか居て一見華やかだが、ハコを借りる費用を賄うだけで、ギャラは通常発生しない。中原君が怒ったのもそこらへんで、だから、ノイズ系の客は2,3人しか期待できない。
皮算用2 小川てつオさんは一人で来るだろうし、素人の乱や246表現会議がその夜行くとしたら新宿アルタ前の大熊たちの反原発イベントであろう。だからこれも来ても1,2人であろう。
皮算用3 モラハラ被害者は、啓蒙イベントではないし、語ることも絶対にできないのだからおおっぴらには来ないだろう。 
皮算用4 サーフィンズは札幌では知られているが東京では誰も知らないから来ないだろう。小川君の無善寺つながりといっても、そもそも無善寺は1000円払ってやるところなので、彼らは情宣に関しては無欲であろう。
皮算用5 福田君は無善寺でやったことはあるけれど、誰も知らないだろうし、久保田君も京都なので東京では向井くらいしか知り合いは居ないので、呼ぼうにも声をかける人さえ居ないだろう。
皮算用6 羽根田さんは誘うとしてもドラム隊とかの演奏者だろうし、原田さんは小川さんを呼んだ時点で「もうやらなくてもいいかも」とか言ってるので、路地と人関係は来る人はいないだろう。
皮算用7 マヘル系は鈴木さんがやると言っているけど、鈴木さんのファンにかけるしかないが、毎晩のようにどこかでやっているのでわざわざ来る人がいるとは思えない。
皮算用オ8 Brunoは東京でやるというので地元では盛り上がっているかもしれないけど、企画が東京のヒップホップ界と接点がないから、誰も気づかないだろう。 
結論。showboatの告知は一回きりで、RTもされてない。だから客はせいぜい10人とみた。帰りの旅費は出ないだろう。そしたら小川てつオさんに弟子入りするしかない。ごみ箱漁るのは慣れてるからいいけど。 
だからこれを見ているきみ、ぼくも演奏するし、頼まれればオザケンの真似でも灰野さんがぱみゅぱみゅやってる真似でもなんでもしたげるから、知り合いに宣伝して呉れ。7日のネストもいいけど、こっちのほうが根本的にマヘルだから。 

勘だけで生きる女たちは猫のように置かれた場所に対しては実存的に絶対に正しくリアルである。問題は彼女らが投げ出され、置かれた場所だ。それが闇市であるのか、難民キャンプであるのか、津波の被災地であるのか、汚染区域であるのか、はたまた都内であるのかによってその処世と心象のリーズンは異なる。後期資本主義の世界の拠り所であったリアル信仰が崩れるのは見えない汚染区域においてである。音楽のリアルは追及すべき目標ではなくなった。なぜならリアルは性に結びつきこそすれもはや生と結びつかなくなったからだ。男は女を通してしか学べない存在であるから、3.11以降は男は千万語を費やしてもリアルに到達できなくなったのである。汚染区域の農家の実存と、その農産物の出荷をオウム
的なテロに等しいと断じる反原発論者の男の義には永遠に接点がない。それらを止揚する弁証法が機能しなくなった、破滅した地にわれわれはいまや住んでいるのである。避難区域の農家のルポルタージュである「超自然の大地」というドキュメンタリーのタイトルは、「超」というものに縋るしかない構造を露呈している。もはや神頼みなのである。しかしその「超」の意思に対する女のリアルがウランに歪められていることが、ウランのデザイン論としての真のグノーシスから地を遠ざけているのだ。その構造はナチズムに似ている。音楽はいまはひたすら哀歌を奏でよ。モントリオールのGod Speed You! Black Emperorが予見したのはまさにそのような心象であったと思われる。

アルジェリア人とエジプト人のハーフの男がfacebookでメッセージを寄こした。マヘルのRVRMを手に入れ、革命の始まった去年の1月25日の朝も、それを聴いてから街に繰り出したのだ、と言う。89年の「ベルベット革命」のplastic people in the universeの連中にルーリードが呼ばれて感動する逸話のようには喜べなかった。その後のプラハのホームレスの子供たちを知っているからだ。
「ジャスミン」の飛び火である「スイレン」はGoogleの幹部がfacebookで仕掛けて、twitter、youtbeを使ってエジプト人を変化させたが、300人以上が死んで、今年の6月にやっと旧ムバラク派も交えて総選挙が行われた程度である。SNSで意識は変わるかもしれないが、去年のスペインを初めとして、世界中で事態は良くなっているわけではない。それは終わりが始まるということだ。
それらの「花々」と比べて、「アジサイ」は失業がスローガンになっていない点で特異である。「スイレン」は死者から始まり、死者を生んだ。「花々」のきっかけは釜ヶ崎や山谷の暴動のほうに近い。花の名前を冠するなら、少数であっても死者を生むかもしれないという不吉な不安と闘わなくてはならない。それを阻止しようとすればスタッフの仕事量は限界を超えることになる。
ただもはや「平時」は存在しない。安保は結局「平時」であった。「平時」であれば、横目でみながら平行に歩く美学的な仕事が逆説的に残っていったりもすることをわれわれは知っているが、そうしたディレッタントは原発事故以後不可能になっている。例えば「ウランが美しい」というような耽美派の言い方は、悪いジョークにしか聞こえないだろう。自殺志願者でさえ車が来れば避けるからだ。切迫は、官邸に向けられているというより、自身のビオスに向けられている。それを他者も含めたゾーエーに昇華させられるかが鍵だ。メルヒェンのアノニマスを呼び覚ます前奏こそが、スタッフには求められているのだ、と思った。

■07/07/12shibuya@o-nest
15:30/16:00
3500/3800

■piano
15/07/12iyo@welpia
19:00

■12/08/12shibuya@uplink
w/michinori toyoda
18:30/19:00
2500/2800+1dr

piano
■13/08/12kochi@museum of art
18:30

■18/08/12sendagi@kosho hourou20:00
「旧家に嫁いで」話と歌

スペインとは小さな角、
アラブの春以降のスペイン革命の日溜まりのようなジョゼフィン・フォスターのポスト・コロニアル感を、オルティス、モンポウ、アルハンブラ物語に結びつけようとすると、出てくるのは帝国主義という野原に吹きわたる風の寂しさ。

■mshb +damo
19/08/12koenji@ufoclub
リハは4時です
ステージ内に立ちたい人は早めに連絡ください。
東京ボアダムの時スタッフの人で参加したいと言っていた人がいたんですが、連絡先なくしました。見てたら来て下さい。
participants are welcomed

■exhibition
porcelain exposer
22-26/08/12nishiogi@fall

performance24/08
20:00
1500
w/taku unami

■22/08/12koenji@enban
w/aya collette etc

mshb
■25/08/12hacchobori@nanahari
participants are welcomed

■exhibition
08/09/12 to 02/10/12 dogo@machiiya
performance01/10/12

■piano
16/09/12iyo@welpia

■26/09/12shibyya@classics

コプチャンチョングル
キム ヨンジン
向井千惠+工藤冬里

■exhibition porcelain exposer4
29-30/09/12omihachiman@shuyukan
performance
29/09
18:00/18:30
2000/2500

■歌う! ptsd
20/10/12kobe@noramarushokudo
15:00

■陶片追放GIG
21/10/12teradacho@avon
18:30
1800w1drk
w/pica,furuerushita,pan

■26-28/10/12ueno/tokyobunkakaikan
wall of soundというプロジェクトのための小学生のコーラスの編曲をしています。音楽がプロテクションになったという経験を集め、それを展示して、ロビーで合唱する、というものです。いま45人の演劇関係者からコメントが集まっています。

wall of soundの準備は進んでいます。かなり重要なメタな合唱劇なので、見たほうがいいと思います。詳細を明かすと勿体ないのでここには書けません。やるのは28日の6時半からです。展示は26日からやっています。

27日のマヘルは、水上音楽堂っぽいことを考えていましたが、ひとりでできることをやる感じに変えます。といっても考え中ですけど。
いまのところ他の楽器は、バイオリン、生ギター、バス-ン、とbaby arabiaだけです。当日来ても難しい場所なので、はじめてだけど参加したい、あるいは過去に参加したことはあるけれど今回は落合で関さんのがあるからいけない、とか来週頭までにはお知らせください。

■mc
01/11/12koenji@ufoclub
19:00/20:00
2000/2500+1drk
w/oshiripenpens

■祝島ヘル
04/11/124hiroshima@france-za
19:30/20:00
1500+1drk
w/michiru yano(live painting)

■05/11/12hiroshima@cafe thetro abierto
w/reiko
アビエルトは篠田の上映会以来二度目。前は中山さんが冬瓜のカレーを作ってくれておいしかった。中山さんはお元気であろうか。旅団関係のほかにピアノがあるので原田さんとかも来ていて、身が引き締まるフリージャズのハコとしていつも頭のどこかにある大切な場所のひとつである。

■2012real edge performing arts complex matsuyama


12/11/12matusyama@moremusic
15/11/12dogo@wanitosai

■17/11/12shinjuku@uramado
19:00
1500+

■lsdmarh
18/11/12koenji@ufoclub

■4-10/12/12

the wind gap

The Perfect Nothing Catalog
December 4, 2012 at 2:00 – December 10, 2012 at 11:00
150 NE 41 Street, Miami, FL ()

The Perfect Nothing Catalog is in Miami for a little while. Come see this, the windGAP- a pop-up situation under a parachute hanging from a tree.

prism glasses, weird ceramics, water bottles, knives and a lot of other things

Michael Bauer
Chen Chen & Kai
Hayden Dunham
Carson Fisk-Vittori
Jessica Hans
HTML Flowers
Tori Kudo
Made in Lieu
Keetin Mayakara
Jason McMahon
Malin Gabriella Nordin
Connie Oliver
Georgia Staples
Steven Thompson
Pam Tietze
Garrett Young

■08/12/12dogo@nannanna
1:30
マリー・シェーファーのサウンドスケープ理論をやります。簡単に言うと、耳を澄ます練習と、抽象化の方法として図形楽譜を書くという体験です。参加者は紙と筆記用具、音を出すものを持ってきてください。声だけでもOKです。24人も集まっているようなので、子供の声しか聞こえないかもしれませんが。。

■piano solo
09/12/12iyo@welpia
19:30

■17/12/12aoyama@last waltz
19:00/10:30
2000/2500
田村君来れたらアコーディオンやってください

■mshb
18/12/12koenji@showboat
participants are welcomed
今のところ参加者は二人くらい
リハは3時過ぎ演奏は7時過ぎからです

■katsurei
22/12/12kichijoji@mandara2

■che-shizu
23/12/12hacchobori@nanahari

■mshb
24/12/12hatagaya@forestlimit
participants are welcomed
渋谷朝遠方から参加
小山景子とはgatty以来30年ぶり

■25/12/12shibuya@onest
+michinori toyoda