3c123
小杉がサティと併置してみせたヴァイオリンのインプロヴィゼーションは、「共にそこに在るだけ」という日本的な集団即興術の精華であった。演奏者間のインタープレイを捨て切ることによって、逆に、観客にジャズの果てそのものを俯瞰させるのだ。それはやがて90年代以降の平面化とも相俟って環境音の不可避的導入にも繋がっていく。 ただし話を戻すと、小杉のヴァイオリンの、楽音に対して浮遊する位置定めにはコツが要る。それ自体コード分解に匹敵する逃げ去り方、そう、即興とは世からの逃げ去り方なのだ。それには「フルクサス体験」とでも言うべき世代の感性が必要になってくる。 3c123という星の名前を持つ元赤軍の男はまさしくその世代を生きている。まだ生きている、と言ってもいい。石工の仕事で肺をやられて死にかけているからだ。80年代初期に、国立市の、巨大なイグアナの居る彼のシェアハウスに居候していた頃、「眼によるデッサン」のような修練を巡るさまざまな嵐があったことはここでは書けない。