tori kudo

工藤 冬里 - tori kudo

maher shalal hash baz

2000’s

「旋律とはなにか」 文京区小石川図書館
le weekend 2002, Scotland
heineken green energy festival, Dublin
le weekend 2005, Scotland
Carnegie Hall, Dunfermline
Centre for Contemporary Arts, Glasgow
An Tobar Arts Centre, Tobermory Mull
Lyth Arts Centre, Wick
Woodwick House, Orkney
「存在とは何か」 小石川図書館
京都造形芸術大学瓜生山祭 2006
Venn Festival, Bristol
(k-raa-k)3, Gent
Fete de la musique (Street), Bordeaux
Roskilde Festival, Denmark
「ピアノとはなにか」小石川図書館
初見プロジェクト 東京、京都、大阪、福岡
辺境プロジェクト 京都、東京
All Tomorrows Parties, England
Tanned Tin Festival, Catalonia
国際舞台芸術ミーティング in 横浜 2012 with Jacob Wren
Wall of Sound with Tim Etchells 東京文化会館
SoundLive Tokyo with 飴屋法水 東京文化会館

ジャパン・シンドローム──福島以後の芸術と政治(Japan Syndrome: Kunst und Politik nach Fukushima), Berlin 2014
California Institute of the Arts, LA
Museum of Contemporary Art, Detroit
ISSUE Project Room, NY
montreal pop festival

 

 

pottery

2000
11.26 sister ray pottery@artland

2001
10.3-7 夜稲派meltdown
studio potters in matsuyama@artland

2002

12.24 はらっぱのおまつり@重信町西岡1330-2

2003
7.6-11 tori kudo’s thrown @artland
8.31 spice boys@松山 ギャラリー・リブアート”私の大好きなカレータイム”

2004
3.7 the glove@cools mall

10.28-31 やまばとデザイン事務所@artland

2005
8.7
quick throwing, short lives
speed of life” pottery@fall

10.8-9 @artland

2006
8.12 1000winters @fall

12.9 @mushibunko

2007
ON A FIELD, SABLE, THE LETTER, A, GULES
scarlet letter
9.5-9@fall

2008
5. へたれ野郎 the deteriorated@hinemosunotari

8.13-17 CONSTRICTED PLASTIC INEVITABLE@fall

2009
4.3 鬱陶Ⅰ@artland
4.29-5.6 鬱陶Ⅱ@ひねもすのたり
8.12-16 鬱陶@hibi
8.19-23 鬱陶@fall
10.10-18 鬱陶@pand
12.8-20 鬱陶@tetra

鬱陶 uttoh
tori kudo exhibition

「を物語に作り上げ、その物語に作り上げられ、それを地に注ぎ出し、地名性の渦に投げ込まれ、言葉を出す地層を間違え、物のように侵入され、行けない場所が増え、やがてどこにも行けなくなり、語り出す力もなくなり、虐待の記憶の頭を撫でられ乍ら、動くうちは体に引きずられ、動かせなくなれば逃亡(ノド)の地に蹲り、吐いては食べられ、地名のようにそれを二十年過ぎ行かせ、木々はそのまま、三十年経ち立ち眩み、暮らせるうちは養われず、養おうとする時は愛せず、自然は何の役にも立たず、携帯に打ち込まれ、立ち飲まれ飲み立たれ、商談の喫茶に横座りして、出て来る場所を言葉に間違えられ、終りから始めさせられ、折り句に煽られ、本当の事は誰にも言えず、ただ雨がびちょびちょ降っていて、」

made by the story I made. poured the story out into the ground, thrown into whirlpool of toponym. mistook the layer where I put out words, invaded like material.
places I can not come go on increasing, then it becomes impossible to go anywhere.
lost the ability to put out words, patted the head of the memory of cruelty. dragged by the body when it moves, when it became impossible to move it, squatted myself down in the land of Nodo. vomited, eaten. made it pass by like 20 years toponym,
trees were the same as before, got dizzy after 30 years passed. when making livelihood, to be supported was not able, when willing to support, not able is to love.
nature was not useful at all. written into mobile. stood up while drunk or drunk while stood up. when I was sitting sidewise on the chair of business talk in a cafe, word mistook the place I came out. was started from the end. incited by hebrew parallelism. not able to say the true thing to anyone. only it rains dispiritedly.

 

 

 

2010
1.7-10 マイナス茶碗或いはロック史@moremusic

history of rock
8.18-22 @fall

2011
4.2-10 物原(ものはら)-漏れる器@tetra
「漏れる器」というキャプションを着けて会場に居てください。人に訊かれたら「私が漏れる器だそうです」と答えてください。強力粉で器を作り、卵白と砂糖とレモンを泡立てて釉薬にして、オーブンで180℃で焼いてください。売れたら寄付してください。壁にファイルで送った26編のテキストを張り出してください。
というインスタレーションの指示を送りました。行ってギャラリーの人がその通りにしてくれているか確かめてください。してくれてなかったら想像してください。

5.20-25 物原 漏れる器 exhibition”leaking pots, found in garbage field near the kiln” @hinemosunotari

 

岐阜@本田 

遼の時代の焼き物が好きです。
騎馬民族で、焼き物なんかに割く時間がなく、
きっと恋と戦争に生きているんです。
センスは宋代のくせに轆轤はえらくスピードがあって、
ささっと挽いてささっと焼く感じです。
背景はキャラバン風プログレのくせに
デカダンでパンクをやる感じですかね。

というわけで、最初はいろいろやっていたんですが、そのうち
だんだん形や色はどうでもよくなってきて、
「漏れなければいい」というところまで行きました。
言ってみればハードルを低くすることで幸福感を得ようという処世術でしょうか。

ああそのうちにとうとう今年は、「漏れてもいい」
というところまで基準が下がりました。
ぼくらの人生みたいだね。
そこまで行 くと見えるものがやはりあるにはあり、
もはや他の「作家さん(いやなことばだ)」
の焼き物を見ても、金のにおいしかせず、ただ意匠を売っているだけのように見えてきます。

僕は、焼き物そのものを売っている感じが焼き物らしくて好きです。
売れませんけどね。

8.10-14 “leaking pots, found in garbage field near the kiln@fall

2012
2.16 performance “on the wheel” a theatre piece colaborated with jacob wren@shichoshitsu2
2.23-4.1 磁器の剥きだしporcelain exposure@tearoomAVON

磁器は手跡を残さず、削って形を整えます。
待つのではなく、作りに行く感じです。
陶器のように手跡を残すと、その人のいやらしさやきたなさみたいなものがもわあっと出て来てしまうんです。
磁器で許されているのは継ぎ足すことだけです。
陶器はロクロの上で作ったままの形をそのまま使えるのです。
土がその人の不完全を中和して、個性のようなものに変えるからです。
磁器を陶器のように作ろうとした人はこれまでにも何人か居ます。
彼らは当然のようにことごとく失敗しています。
だからぼくはやってはいけないことをやっています。
マイナス茶碗というのはそういうことです。
それはマイナー音楽のようにマイナスからせめてゼロになろうとします。
ゼロにするのは不可能です。
鑑賞態度としてはその絶望的な徒労を笑うという感じです。
ぼくは器の冬を生きています。

4.20-5.1 porcelain exposer2@baraso
今回は玉柳君の送ってくれた牡蠣の殻を焼いてパウダーを手につけて轆轤をし、そのまま切り離して本焼、というものです。バーなので夜しか空いていません。0455157787に電話してから行った方がいいです。

6.8-16 porcelain exposer3@hinemosunotari
まだ本焼中 神戸のポートタワーを潰して耳をつけたようなのをたくさん作りましたけど

8.22-26 葛陶@fall
9.8-10.2@dogo machiiya
9.29-30 porcelain exposer4@酒遊館shuyukan

『チクチク vol.2』(三栄書房)(「器の底に穴があいているけど、それも味(笑)」)

 

2013
0.7-11 漏れかっこいい@fall

2013
fall 漏れかっこいい
うつわさんぽ編集室『東京うつわさんぽ』(光村推古書院)
(「釉薬が溶け出したり、水が漏れだしたりと、既成の概念にとらわれない自由な作風」)

10.26-27 “debris of decablists”@酒遊館shuyukan

酒游舘 「漏れる器」 国が放射能を漏らしていいなら私が作る器も漏れてもいいのではないか?

2014
2.21 art by musicians, music by artists@davidrisleygallery

Art by Musicians

Alan Vega (Suicide), Daniel Johnston, Jad Fair (Half Japanese), Cosey Fanni Tutti (Throbbing Gristle), Bjorn Copeland (Black Dice), Tori Kudo (Maher Shalal Hash Baz), Are Mokkelbost (Killl), T.S Hoegh, Harry Pye and Francis Macdonald (BMX Bandits, Teenage Fanclub), Knud Odde (Sort Sol), Jeffrey Lewis, Geraldine Swayne (Faust), Jimmy Cauty (KLF), Franz Beckerlee (Gasolin), Troels Trier, Mick Barr (Octis, Ocrilim etc), Tommy Grace (Django Django), Zven Balslev, Ross Sinclair (Soup Dragons),… Kasper Eistrup (Kashmir) etc.

Music by Artists

Gutter Records – a record store in the gallery selling records of music by artists. (Robert Crumb, Raymond Pettibon, Mike Kelley, Martin Creed, Joseph Beuys, Big Bottom, Billy Childish, Soup Dragons, Lucky Dragons, Charlie Woolley, The Cortinas, Basquiat, Red Krayola w/ Art & Language .. etc).

4.6 hikone@ginzameeting
5.11 @ねじまきカフェ nejimakicafe

7.9-13 “layer betrayer”@fall
今回は練らない土たちの政治性をテーマにします。高嶺格が「在日の恋人」で、洞窟で器を作るところに行き着いたのと同じ理屈でものをつくる。高嶺さんはベルリンのマヘルの客席で「避難所」のインスタレーションをした。建物の外には「想定外」の垂れ幕が掛かっていた。ベルリンのほうが福島に近かった。遠いほうが生々しく、近くにいるとその近さに遠ざかりながら沈んでゆくのが超ひも理論的な心理の流れで、それを時系列を無視して個人的事件或いはモノローグとして天命反転地的に提示するのがベルリンのユダヤ資料館だった。女流陶芸家が何人か、収容所の中に居るようにして轆轤を挽いた。そんなディスプレイだった。そこもまた、洞窟だったのだ。

12.17-21 やきもの店 “moving without Ark” ~ネルヴァルが首を吊った路地から スープ皿を主体に@路地と人
大きなくまは大きいスープ皿
小さいくまは小さなスープ皿

 

 

 

2015
3.29-30 awa art festa@studio picnic
4.8-12 殺陶 @旧バラ荘 barasou
8.15 残陶@fall
11.8-9 弱い器 weaker vessels@shuyukan

 

2016
1.31 @nogis
8.17-21 陶瓷展Керамика выставки<br>モランディの壜Bottiglia di Morandi@fall
9.17-11.30 その島のこと@teshimanomado
10.26-31「3つ以上数えられないので端から決めてく・・」@camelk
11.5-6 私は,さげすまれ,打ち砕かれた単なる形なのか。または喜ばれることのない器なのか。@shuyukan

2017
2.11-25 @otonagi
8.16-20 dime store mystery 百円ショップの器@fall
10.21 Portent@酒蔵•櫂
10.28-29 annual ceramic exposition@shuyukan
12.14-24 漏れない器展@gallery nabesan

2018
1.7 L’Insoutenable légèreté de Tobe ware@otto
2.17-3.3 鈞陶による陶冶或いは「君をおきて他心アダシゴコロをわが持たば陶スエの松山波も越えなむ」@otonagi
3.31 @coolsmall
6.28-7.8 火葬茶碗cremated bowls@gallery nabesan
8.8-12 ざんねんなやきもの磁展@fall
10.27 発酵@r/shoei gallery
11.17-18 people who are left alive yet@shuyukan
12.22-29 まだ生きている人々 people who are left alive yet@rojitohito

2019
2.11-23 people who are left alive yet4
11-23/02/19osaka@otonagi
6.14-29 “garden clay festival”@pand
8.7-11 reduced cooling “garden clay festival2″@fall
8.14-17 “garden clay festival3″@equivalent
11.2-4 汎瀬戸内芸術行@shiominoie

11.23-24 工芸の終わりと花La poterie n’entend plus les fleurs@shuyukan
w/junichi kawara(flower)

12.13-22 Céramique noire et blanche@nabesan

2020
2.22-3.7 私がヴェルヴェッツだ “i IS velvetS” @otonagi
3.29 忍冬honeysuckle@hinemosunotari
11.7-8 不器 しいわくくんしはうつわならず@shuyukan

2021

11.6-7 bheart#earth@shuyukan

12.19-  cease to exist@otonagi

 

2022

dogbowl eat dogbowl@void kasai

 

 

profiles

函館マヘルのためのプロフィール

半開キニナッタきになつた箱ヲを開ケルトけるとくわがたクワガタノヨウニのように白イいちよこれいとチヨコレートダツタノデだつたので五芒ハは黄金ノの時計台ノの上デでチクチク鳴イタいた(/_;)花々ハは遠イケレドいけれど生々シイしい近サノさの中二に諦メテめて沈ンデんで行ツタつた

 

MAHERSHALALHASHBAZ
1984に命名 主なコンサートに満月祭(福島獏原人部落)、鴨島町マミー広場(商工会主催)、はらっぱのおまつり (重信町openfield pottery) 、など
主な映像プロジェクトにsweet inspiration armies
http://vimeo.com/album/244706

 

ulysees  二〇一〇ベスト

プロフィール:陶芸家、愛媛県松山市近郊在住。CDを買うお金がないので、基本会った人に貰ったものしか聴けていません。ロック史を念頭に置くことが、現在のあらゆる表現に批評の土台を与えるのではないか、ということを考えています。

 

 

美代子阿佐ヶ谷気分

maher shalal hash bazはロックに対する罪悪感から出発し、やがて「諦めて近付いていく」という方法を採った。メンバーは最初から超絶技巧の人々の集まりであって、そのあまりの超絶技巧故にギタリストのワンダウンストロークだけで高円寺の店(名前は忘れたけど当時原マスミさんがよく出演されていた)を撮み出されるほどであった。その後も吉祥寺マンダラⅡ、最近でも高円寺円盤等に出入り禁止を言い渡されている。その様な訳で、超絶技巧故の人々の妬みに対処することがバンドの課題であり続けてきたが、いくら工夫し努力しPAにテムポ正しく挨拶しても世に近付き下手に演奏することが出来ず、禁令下エチオピアの演歌バンドの様な状態に置かれてきた。メンバーは常に下を目指しながら、それでも日夜練習は怠らず幻 想の高円寺の幻想のロッククリティークの主催する来るべき幻想のベニューへの幻想の出演依頼を待ち設けており、現在は主に(無善寺に出演料1000円払うことも出来ず、ここなら只なので)高円寺南口ロータリーで合奏している。主な記録には、京都で録音された「マへル京都へ行く(org)」、シアトルで録画された「マへル本店に行く(黒猫音像研究所)」などがある。
▼マへル・シャラル・ハシュ・バズ
ロックに対する罪悪感から出発し、その後「諦めて近付いて行く」という方法を採り、「暗礁への再訪問」(org)を発表。その後も社会との関係が変化し、プロフィールは人に書かれるばかりで自分で書いたプロフィールは顧みられなくなり、二重のプロフィールで生活するようになった。最近Kレコードから「次 の曲で最後です」がリリースされた。

▼泥水冬道 Fuyumichi Doromizu
昭和47年松山の「ナイトシアターパレス」のピアニストとして
音楽活動を開始
昭和55年noise「天皇」でデビュー
昭和59年子供を設ける。政治活動から転向後国立で音楽グループ「maher shalal hash baz」を組織。
平成元年音楽を断念
平成11年9月愛媛県伊予郡砥部町の株式会社梅野製陶所に就職する
平成11年10月株式会社梅野製陶所を解雇され失職
平成18年初期の音源が「マへル国立気分」としてpsfレコードから発売される
平成20年「妄想特急カムイ」で音楽活動を再開し、『美知子荻窪気分』では映像全てにピアノを被せ、いくつかのシー ンで採用されたが、その後指の病気でピアノは断念した。

 

2013.5.10 プロフィール広島用

tori kudo

歌伴劇音の類いとしては松山「ナイトシア ター・パレス」のトラでピアノを弾いたの が最初(1972)、上京後は新宿ゴールデン 街の「ハバナ・ムーン」でピアノを弾いてい た時に知り合った「風の旅団」の音楽をし ばらく担当(1983)、最近は横浜演劇祭にお けるモントリオールの劇作家ジェイコブ・ ウレンと組んだ「no double life for the wicked」(2011), 東京文化会館で行われた シェフィールドの演出家ティム・エッチェ ルスの作品「wall of sound」(2012)の音 楽監督, 自身の演劇行動としては「tori kudo’s meltdown」(2012, 高円寺), 大久 保周辺等における「ひとりデモ」のシリー ズ(2012)などがある。

 

comics

http://www.chiisaikaisha.com/monster/hanamotekatarenai/archives.html

 

 
 
2022.12.31 高松 燦庫 のためのプロフィール
2000年以前の話 有岡さんという香川の木工の匠の息子と受験の頃つるんでデッサンなどしていた。かれは工芸科に受かったがぼくは挫折し、ニューヨークに行って音楽をするようになった。
200①年 丸亀でヤン・ファーブル展を見、シャッター街に貼られたポスターも含めてうつくしいと思う。
牟礼で友人の結婚式があり、帰りに庵治石の工房で石粉をもらい、筒形の碗を焼いてみたらみどり色だった
2006年 映画UDONの、小西真奈美との冒頭シーンで香川にも「山中」というものがあるのだと気付かされ、以後まんのう公園などという標識のある下道が味わい深くなったがよく迷った
20①0年 直島の第一回に行き、ロードコーンの白が良いと思った。open fieldという曲を録音したことがあったので、同名の作品を見ることができたのもよかった。同じ作者の人工夕焼けの作品はtateで見た。
2012年 
6月 アートで田んぼ
イメージしていたのは麦刈りだった。ピアノの周りを麦を持った人々がピナ・バウシュの四季の振り付けのように廻り、ピアノには麦のように真っ直ぐに立った竹籤を挿し、それに松脂を塗って指で擦ることで共鳴させる。それを増幅しディレイをかける。その後参加者は次々に風景と自分の関係を考えた上で短いフレーズを弾き、それはループされ、積み重なってゆく。そのループの上にさらにそれぞれの楽器による即興を加え、最後にまた竹籤による静かな共鳴に戻っていく。というのが大まかな案曲だった。
7月 東京でmeltdownというイベントをやった。ガセネタ好きの善通寺のギタリスト福田君は不安障害と双極性障害を抱えてしょっちゅう死にたいと電話をかけてきていたけれど、バトミントンではトップクラスのプレーヤーなので、マヘルではラケットを振り回してもらうことにした。PAを通さなくても空を切るその音は客席の奥にまで届いた。その数日後にかれは自分を殴って死んだ。
2013年 アートで田んぼ
香川ではランチタイムのことをタイムランチと言う
だから田んぼでアートからアートで田んぼになったんだな、くらいに思っていたが
マームとジプシーという劇団のオーディションの話から始まった。自分で3種類の振付を考え、その番号が呼ばれるとそのポーズをとる、というのを集団で一時間やり続ける、という過酷なワークショップで、そのポーズの「裏」とか「逆」、つまり線対称と面対象のポーズも指定されるので、合計9つのポーズに向けて瞬間的に体を動かさなくてはならず、最初はぎごちないが、だんだん体が慣れてくると疲労を通り越してある種のトランス状態になる、その集団としての動きを中空から見ている者が居れば、その者はそれを美しいと感じるであろう、と思いながらやっていた、と。それは各人の身体能力を審査するためのものなので、直接音楽とは関係ないわけだけれども、その振付を音に置き換えれば、演奏のフォーマットとして少なくともゼロ地点にまではもっていけるのではないか、去年は土地と穀物の、水平と垂直のメソポタミア-エジプト的な起源に向き合ったが、今年はそのワークショップのメソッドを借りて草刈りの動きをやろう、と思った。システムとして高柳の集団投射、漸次投射といった言葉も頭を掠めた。振り付けに当たる奏法のための素材は「草刈り」と「雨」に絞った。「草刈り」には、単純労働、ベトナム戦争の落とし児としての農薬、原罪としての単一プランテーション、モンサント、TPP、といった人間的な営みと葛藤の一切が含まれ、「雨」には人智の及ばぬ天の一切が含まれることになるだろう。奏者は鳥の声が聞こえる範囲に意識を保ちつつ、「草刈り」ではブギーの腰の入れ方で低 音をループしてみせたり、つんのめるようにバスドラをキックしながらシンバルに頭突きしたりし、「雨」では造形作品の竹の枝を拝借して揺すったり、ギターを高く掲げてハウリングさせたり、お馴染の吊られた天蓋を揺さぶって音を出したりしていた。ピアノを弾いていると、「草刈り」と「雨」が不規則に入れ替わる度に一瞬で空気が変わるのを感じた。特にミニマルな奏法で「草刈り」を演奏しているまま「雨」になった時、選ばれている音は同じなのに風景が変わるのが分かった。「さまざまな作品や音が水を張られた水田に沈み、そこに田植えをしていく時、水面の上のおれはぞくっとするのだ」、と河野さんは言う。その感じがアートで田んぼなのだな。だいぶ分かってきた。
2014年 アートで田んぼ
オトノタニよりユルいと言われてきたその裏で、どんどんテーマが先鋭的になってきているフェスからの三回目の招待です。今年はリズムボックス対バスドラダブルキックで、リズムを土に刺します。バスドラダブルキックの人はすぐに疲労困憊して土に倒れます。それから這って後ろ向きに麦藁の玉を蹴りながら旗のところまで転がします。
フンコロガシが夜中に後ろ向きになって玉を転がしながら直進できるのは太陽や月ではなく、天の川銀河によって方角を知るからです。
宇宙史はすべて誤謬、と言う埴谷さんに励まされて言ってしまえば、農業史もまた誤謬なのであって、ほんらい、土地は産出的であるかそうでないかの二つしかなく、弟殺しによって呪われる前のそもそもの始まりは、ただただ産出的であったのである。
それに、農業者の基礎体力や整理整頓能力を賛美するというのは、自衛隊員のそれを言挙げするのと同様の本末転倒であって、こちらとしては、切り取られた近代の尺だけで、オキュパイによって不法占拠した空き地に肥料袋で野菜を栽培するアクティビストの群れを、歴史の筋肉の美として賞揚する訳にもいかないのである。雑草から麦が生まれたのではなく、麦から雑草が生まれたのだ。牧畜もそうだ。豚は家畜化した猪なのではなく、猪が野生化した豚なのである。抱きつき猟が残酷なのは、近代化した猪に自分が豚であることを思い出させてしまうからなのだ。
前年までは近代における草刈りの疲労を微分することを考えてきたが、今年は「疲労」だけに絞った。「農耕など、労働がかもす二項対立の構造を捉えることでアートは日常に帰る。」という2014年のテーゼは圧倒的に正しい。”労働”も”アート”も資本主義の幻想だからだ。
その上で、誤謬の宇宙史の中で「帰るべき日常はあるのか」ということがテーマになるだろうとばくぜんと思っていた。
リズムボックスとバスドラのダブルキック、という二つの素材が偶然手に入ったことで、それを「疲労」に使うことにした。
貧乏揺すりのように両膝を動かすことで、打ち込まれた機械のバスドラの速さにある程度までは付いて行ける。その後に「疲労」が来る。倒れ込んだその衰弱体から始まる”アートのようなもの”が”ほんらいのデザイン”とぶつかる時に、我々はほんとうの卑屈さを手に入れる。
フンコロガシが天の川銀河の光を頼りに後ろ向きに直進するナビゲーションシステムを持っていて、我々はそれを持っていない、という現実が日常である。旗を立て、旗のところから方向を持った音が鳴らされる。
それを頼りに竹で編んで麦藁を詰めた玉を後ろ向きに這いつくばって野生化した家畜のように後ろ足で転がした。フンコロガシは誰に向かって糞を転がしているのか。それは銀河の先の、遠いけれど生々しいあの始まりに向かってではないのか。
7月 「蟻の首大音楽祭」@razybones
香川県三豊市詫間町蟻の首という地名をそのまま使ったノイズイヴェントで、発酵の音に合わせて憲法9条を切れ切れに朗読してみた。
2015年 
1月 高松市塩江美術館の大木裕之展でピアノを弾いてくれと頼まれ、大木さんとのトークもあるというので出かけた。
録音してくれるということだったので、これが最後のピアノと思って弾こうとしていたのだが、大木さんに邪魔されて弾けなかった。僕も大木さんの頭にパンを被せたりしたが、大木さんはさらに暴れ、若い男の子をバリカンで虎刈りにしたり、ペンキをぶちまけたりして館員に止められお開きとなった。
塩江
いじめられいじめてみせたおれたちは強者であるのか弱者であるのか
最後のピアノにしようと思っていたのにパンを与えなければならなかった。私の肉はパンではなかったので私はかれにピアノを与えた。
私は命のパンではなく死のピアノだった。
ピアノは血を流せない。
ピアノから流れたのは滑稽だった。
諸君は滑稽のコラボを観たのだ。
滑稽が命に繋ぎ止めようとした。
過渡的な宙ぶらりんの命に。
絶対音と調律の乱れが整列した。ゴミ屋敷の秩序を求めて。
延命の哲学。
そしてアートはまたもや延命した。
延命して塩江温泉に入った。
ピアノが、温泉に入ったのだ。
5月 アートで田んぼ MSHB
12月 ノイズ喫茶ill
ダニエル・ジョドシーと地元ノイジャンのイヴェントに呼ばれた。ダニエル・ジョドシーはシャルルマーニュ・パレスティンと今井次郎とマクラウド・ズィクムースを足して割ったような音楽だった。サウンドクラウドに挙げられている虫の音源に、二つの携帯を通話でハウリングさせ、それをマイクで拾って混ぜてみた。主催の河野君は、いや、ほんとに虫のこえに聞こえてきました、と感想を述べた。この機械の音は八〇〇倍遅くしたらどんな声がするのだろう、とちらと思った。
2016年 9月 「この島のこと」@てしまのまど
島の各所で採った土を焼いたインスタレーション
Burnt Teshima
地域活性助成金排除ファインアートの時勢にあって口承や戦時の聞き取りに向かう一連の民俗的流れは、一種のそれもまた拠り所を求める崖っぷちの足掻きであったにしてもある種物わかりのいいヒッピーのネットワークを形成しており、
これまた外人コレクター依存雑貨屋主導工芸の時勢にあって火成水成を採集焼成する漏れる鬱陶のフィールドワーク的流れは、一種のそれもまた拗ねたドジンの居直りであったにしてもある種分かり合える貧乏体力勝負のカウンターの情けなくはあるがギルドめいた四国ものづくりの幻想を形成しており、
要するに上記ふたつのパラグラフが出会ったところにアキリカの豊島は在ったのであり
それが香川に居ながら辺野古ゲート前に居ることであり遠野に居ることでありまたそれぞれのふだんの居場所に居ることであった。
横に繋がって四国を伸びていたのは古琵琶湖の地層であり垂直に掘られて焼かれたのは地球であり地球のゴミであり無駄ではあったが一瞬というかふた月半展示された自分の営為であった。ジョセイキンで自分は土を焼いたのである。焼かれた土が提示されていたのである。
10月 ill
アキリカ企画 自由奏/ジューソー/重層、吉濱君が組んでくれたMax/MSPで、サンプリングしたコオロギや鳥の声を数百倍遅くしてヒトの声にしようとしてみた
10月 やまなみ芸術祭三豊市財田町エリア道の駅たからだの里さいたサイタデリックという催しに呼ばれ、2tトラック上で楽器を演奏しながらエンジンを空ぶかししてみた
2019年 アートで田んぼ MSHB
蛍の頃だったので蛍という曲を普通に演奏した
2021年 アートで田んぼ
他県から呼ばないということだったが一人で行って板橋さん~渋谷さんの「グッドバイ」を弾いた
2022年 
5月 塩江美術館
四国巡回展の最後、愛媛の菊間瓦土(讃岐土と菊間ゴミ土のブレンド)と砥部の磁土を組み合わせたものを焼いてへたらせる「安部ちゃん」という作品を展示した
初日には、安土さんとのパフォーマンスがあり、ピアノの鍵盤に触らずにE-bowで音を出す、というのをやってみた
同時期のアートで田んぼでは、弾かない楽器を並べ、演奏じたいを持ち込んだ草刈機とE-bowのピアノの遠近を組み合わせる絵画と考えてみた