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◎ザリガニツリ 第13号  やまばとデザイン事務所だより② 器のうちそと

ザリガニツリ 第13号  やまばとデザイン事務所だより②

器のうちそと

土をただ塊のままで焼くと破裂してしまうか
ら、陶器師は否応なく内部が虚ろになったオ
ブジェを作ることになる。それはどうやって
もうちそとのある器形となり、器形である以
上彫刻ではなく焼き物と呼ばれる。
砥部の磁土の轆轤引きは器形の内側を右手の
指でなぞりあげる感覚で伸ばしていく。見る
のは外側だから、最終的には外側が内側にな
らなければならない。そのために、鹿の皮く
らいの硬さに乾燥させた後、薄皮を剥くよう
にして鉋で外側を削る。その時、作り手は、
当初思い描いていた器形に関する内側の指の
記憶と外側の新しい現実との乖離に直面する
ことになる。
萩の三輪和彦は「内側の景色も見るため」茶
碗に指で穴を開けてみせた。陶器師は常に、
そんな手の事情で、左と右の闘いというより
は、内と外のメビウスのようなせめぎ合いを
問題意識として持つことになる。器は、体が
思い通りに動かないということだけを示そう
とするアルトーの演技のように、内と外とに
引き裂かれたまま焼結し、引き裂かれ方、或
は引き裂かれた地点からの着地の仕方そのも
の(高台)が景色として鑑賞されてゆく。
わたしたちの体も同じようにひとつの器とし
て鑑賞されているに違いない。じっさいわた
したちの体の組成は、地球とほぼ同じ珪酸と
アルミナとアルカリ土金属でできているのだ
から、人は土から造られているといっていい。
土の器に光を入れて、明滅している蛍のよう
な心をはらはらして記録するのが宇宙の仕事
であるなら、わたしたちの生とは、善と悪に
向かう進路を測定され記録されていく轆轤の
上の、軌道を外れて小さな台風のように振れ
飛んでゆく失敗した土の器のようなものなの
だろうか。
去年の春以来、突然落雷にあったかのような
内と外との電位差に引き裂かれたまま、ロー
カルなコミュニティーの中で内側の半分だけ
を使って生きてきた。1年経ってみると、案
外半分の心でもなんとか生きていけるものだ
と分かった。そのかわり、外側は人と喋って
いても、内側を半分しか使っていないものだ
から、人に親切にしたり、新しい言語や学問
に取り組んだりといった余裕はないのだった。
リアリティーだけはバコバコする心臓の動悸
の数だけあったが、手法としては何も考えず
にそれまでの人生の退行した手持ちのイディ
オムで済ませるしかなかった。心臓を押さえ
ながらオリンピアのKで録音し、帰りの飛行
機が落ちればいいのにと願った。帰って半年
経っても、体の内側は外側を告発し、三輪和
彦の指でどてっ腹に穴を開けられた茶碗のよ
うに、表と裏が瞬間に激しく入れ替わるよう
な、裏を裏返しにした「あ」を発音して外と
入れ替わろうとするのだった。
心臓に刺すturminal love という香立てを
何百個も作り、思い出のなるべく少ない、雑
草を焼くような匂いの香を常に部屋に焚き込
み、引き裂かれたハートにlong been half
hearted と紅く絞り出したスリップウェア
の皿を際限なく作り、unify my heart とい
う歌詞だけを歌い続けた。雪を見ても白く
なれないのは分かっていた。「外側を作った
者は内側も作ったのではありませんか」とイ
エスは言った。(ルカ11:40)ごめんなさい。
ただ李朝の白磁になりたかった。