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◎ザリガニツリ第26号 揚雲雀製陶所通信5  scotland

ザリガニツリ第26号 揚雲雀製陶所通信5

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朝鏡を見て老人になったことを知る。相応の悪事を重ねてきたのだ。本当の事は何も書けないから生きられていない感じがする。そういう意味では充分に毀れている。それでもずっとツアーが続けばいいのにと思うのは、追って来る罪と同じ速度で逃げおおせていられるからだ。

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スコットランドに入る渓谷で例によって少し雨が降るがその後はさしたる変化もなく、置き去られながら進む。焦げ茶が混じってきた丘々の向こうに白い山がぬらっと見え、高層集合住宅の暗くカラフルな丸屋根を過ぎるとフォルカークに着く。スズキやスバルの代理店を過ぎ、シェリフ・コートがあるあたりからやっと坂の多い古い街並になる。パブの外で仰向けにごつんと倒れたまま動かない若い男の横を復活祭のバニーの耳を付けた娘たちが往き過ぎる。夕陽を浴びながらブラックビーン・ソースの野菜を食べる。

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運河を見に行く。船は観覧車のようなウィ−ルで段差のある川を上り下りする。もう海運用というわけではなく、高い所を進む船から地上が一望できるというだけの余興だが、産業革命を担ったスコットランド人は、技術を持つこと自体に誇りを持っているのだろう。

かつて首都だったこともあるダンファームリンという、整っているががらんとした石造りの町で演奏する。建物の隙間から完全に昔の油彩風景画のパースペクティブが俯瞰できる。

会場がカーネギーホールという立派な名前なのは、ニューヨークのカーネギーホールの所有者でもあった鋼鉄王カーネギー氏がこの町の出身だからだ。

スコットランドは産業革命によって今の英米世界帝国の基になっておきながら、自身はこの寂れた首都のように、ローマにもイングランドにも完全には征服されなかったという自負だけで生きているように見える。

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未だに暖炉に石炭をくべているパブで、エジンバラのカレドニアンのエールを勧められて飲む。フォルカークを出てグラスゴーに近づくと、ランドアバウトにゴミが溜まり、枝にイグゾーストが引っ掛かり、珍しく送電線が空を区切っている。グラスゴー市街に入ると学生が多い所為か街に1本脆弱だが暗い線が入ったような感じになる。マッキントッシュの縦線がまだ街のあちこちにあるからなのだろう、目線はたまにふと縦に動く。

明治政府が音楽教育にスコットランドの唱歌を導入したことにより、ケルト民謡の旋律は日本人の第二のルーツになってしまった。そのすっきりした上部の地層に安住したい世代が、音楽のセントラル・ステーション或はデスティネーションをロンドンより天井の高いグラスゴーのフラットのトイレに塗られた淡いペンキの色のようなものに定めて聖地化したのだろう。としてモノレールで自家製のジンジャービ−ルを飲む。TVパーソナリティ−ズの新作の7インチは「オール ・ラヴ ・イズ・グッド ・ラヴ」という、いかにも、出所したてのダン・トレーシーの、ドレッシングルームのビールを箱ごと持って帰る後姿が浮かんで来そうなタイトルで、ヨテンボリのイエンス・レックマンもカヴァーした「サムワン・フー・シェア・マイ・ライフ・ウィズ」のような殺し文句が詰まっているのだろう。グラスゴーの連中は皆なTVパーソナリティ−ズを嫌っている、とスティーブンが嬉しそうに言う。カレッジ・オブ・アートに隣接するCCAで演奏する。

日本人がスコットランドの北限をツアーするということの意味は、明治以前のルーツ、侵略者としてのギリシャ・ローマの旋法例えばディアトノン・マラコン、を彼らにぶつけ、その衝撃によって彼らが自身のケルト的な3度下降のルーツを再発見するのを手伝うことだ、と仮に考えてみた。3度の下降はインディアンとケルトにしか見られない。それはギリシャのように四度五度のオクターブを招来しないから死なない。

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フォルカークの図書館でメールを見る。世界の何処に居ても、ネットを1時間もすれば頭の中は同じになってしまう。風景から疎外されたままスターリンに着く。山の天辺に城があり、牢獄跡は観光地になっている。運転手が、かつて我々は集合し、歩いてロンドンのすぐ近くのダービーまで攻めていったことがある、と言う。ダービーはそんなにロンドンに近くないじゃないですか、というと悲しそうな顔をする。

スコットランドはローマにはなんとか支配されなかったがイングランドには負け続けている。映画「アヴェンジャーズ」でもスコットランドはさんざん馬鹿にされていた。ショーン・コネリーが天気を制御する装置を発明してイングランドに雨を降らせ続け、それによって世界を支配しようとするというものだった。

ゴール前までボールは持って行くがそこまでのプロセスに酔って得点にはならないというようなコンプレックスがいつも彼らにはある。

牢獄を改造したトルボスというホールで演奏する。

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フォルカークを出てロモンド湖沿いに”ラスト ・グレイト・ウィルダネス”を走り、オーバンに着く。家々は珍しく違う色に塗られているから寒いが大陸的な雰囲気がある。牡蠣の屋台があり、ここの人たちはシングルモルトをかけて食べるらしい。素っ気無い待合所で待っていたら鯨のように口を開けながらマル島行きのフェリーが入って来た。船の中で紅い頬の大柄な女の人がA管のリコーダーで解決のないトラッドを吹きつづけている。大人も子供もなんとなくそれを聞いて安心している。

現在のトラッドではケルト的な三度が装飾的な2度4度に埋もれているので、偽装的なバグパイプ的な通奏低音が可能になっているが、それはほんとうのケルトの本質ではない筈だ。

グリーンスリーブスのレファーソラーシラのシがナチュラルだというのは三度下降の名残りだと思いたい。モダンなトラッド、つまり下にランニングベースをくっつけたような”トラディー”な仕事をビルのようなコルトレーン的でないジャズマンが嫌がるのはその通奏低音がほんとうではないと思うからだろう。或いはそれは今ゲール語を話す人々の中にオキも喜名昌吉もいないことによるのだろう。マル島では年に何回か大規模なトラッドの大会が開かれる。無伴奏のワークソングのようなものだけのフェスティバルまである。ではかつてヴァシティ・ヴァニヤンがドノヴァンに誘われて行ったスカイ島のコミューンみたいなのは今はあるのか、と同行のドラマーのカトリーナに訊ねると、隣のアイオナ島かなあ、と言う。

トバモリ(鳥羽守という漢字を連想した)という町の、アントバーという、廃校を改造したギャラリー兼ホールで演奏する。月の満ち欠けを主題にした、ケルト的な暗い金属の抽象作品が展示されていて、感想を書き込むよう置かれたノートにはなぜか来館者自身の家族に関する内省的な悩み事が次々に書き連ねられている。

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朝早くフェリーでオーバンに戻り、アバディ−ンに向かう。パースを過ぎると木と家が増えることによって風景が褪せて来る。ウイスキーで洗い流すようなつもりでいるので、立ち寄る先々で試飲したが、アードベグというアイラ島のシングルモルトがピートの香りが一番強くて、なんだか煙を飲んでいるようだ。

早く着いたので市中を2時間程歩く。ラ・タスカというタパスの店に入ると混んでいて、軟陶(砥部では煉瓦にしか使わない)に盛った少量のムール貝(松山の人はバカ貝と呼んで捨てている)を食べシャルドネを飲む。ジョイスやイエイツの詩を飾り、名前の前にO’ の付く約束のアイリッシュパブで若い男が弾き語りをしていて、パブ時代のピーター・ペレットのソロのことが思い出された。

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昼タイのビュッフェに行く。水を頼むと1ポンドのスティルウォーターのボトルが出て来る。

隣に座ったエディマーフィー似で教会帰り風のスーツの黒人が飲み物はと訊かれて何を言ってるんだ水道の水(タップウォーター)でいいよと言っているのを聞いて、これからはこう言えばいいんだと思う。彼は十字を切って食べ始め、食べてないときはずっとBGMの流行歌に合わせて歌っている。彼の勧めるレッドカレーは甘すぎる。レモントゥリーというホールで演奏する。招待されてまたカレーを食べる。インド料理屋はどこも歪んだソウルのBGMが流れている。終わった後インタビューされ、アバディ−ンの印象を訊かれる。アバディ−ンは産出する大理石が白いので街並に荒んだ軽さがある、教会は半分位パブになってはいるが、半分は繁盛している、トイレや電話ボックスにヴァンダリズムが多くみられるのはそのあらわれだ、アバディ−ンはhalf-heartedだ、俺のように、と答えるとそれ以上質問されなくなる。

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北海沿いのアバディ−ンからまたもやハイランドを横断して大西洋側のウラプールに向かう。これから行くルイス島には、とカトリーナが言う。生地のブランドとして有名なハリス・ツイードがある、あとカワウソとパフィンとアザラシがいる、クジラもたまに居る、ストーンサークルの古代遺跡がある、人々は英語よりゲ−ル語を話す、ウラプールからフェリーで2時間半かかる。途中エルギンという町に立ち寄る。町のミュージアムに入ると、例によってローマ軍の侵入前と後の暮らしのようすが再現されている。

顔にインディアンのように絵の具を塗った男のマネキンの前に立ち止まる。それがピクツという先住民だと知る。きっと3度音程の下降も彼らのものだったのだろう。やっと会えたな、と思う。ゴダールの「アワーミュージック」でサラエボに立つインディアンの幻想と同じだ。

インバネス(印旛沼と語感が似ている)を通りまた原野をひたすら走るとウラプールに着いた。家の壁は今度は皆白い。霰がひどいのでもらったばかりの傘が一日で駄目になる。

パブに逃げ込み出航まで地元のエールを飲んで暖炉で服を乾かす。フェリーの甲板は風が強く、後で帽子をなくしたことに気付く。ストナウェイ港に着くまで繋がれた犬を構いながらサイダーをハーフ・パイント飲む。案内書ではストナウェイは面白い町ではないがルイス島や周辺の島々の中心地であり、ケルト文化とゲーリックの学習センターになっている、とある。宿は床が傾いていて古めかしい。

バーでプールを一ゲームして寝る。

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ストーンサークルの遺跡を見に行く。暦と祭壇に使われたらしい巨石群が木の生えない原野に突っ立っている。余程肥料をやらないと木は生えないらしい。子羊が顔を上げたまま目を閉じて日を浴びていると笑っているよう

に見える。船で帽子をなくしたのでツイードのハンチングを買って被っていたが、宿に帰ってみるとフェリーから帽子が届けられていた。

夜ストナウェイの、たぶんゲ−ル語で「灯台」という意味のホールで演奏する。ここの教会のコミュニティは声楽だけで、オルガンを使わない。音楽に打ち興じたり酒を飲んだりすることを自制する気質が培われてきたのだろう。バーは表立って看板を出していない。宿ではロータリークラブが会合を開いている。ガムを捨てる箱を道端に設置したのは彼らかもしれない。アイルランドの小説だったらこういう会合の後ウイスキーをコップ一杯づつ飲んで村八分の家を燃やしに行ったりするのだ。

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船着場の近くに小さいブルワリーがあったが閉まっている。ミュージアムがあった。領主のハリス家はグラスゴーでの豪奢な生活を好み人々を搾取するようになり両者の関係は悪化した。島は農業に適さないので飢饉が多く、暮らせるようになったのはごく最近になってからだ。何百頭ものクジラが湾に入って来たことがあって、そのときの素朴画風の油絵が遺されていたが、その油等で島の経済が一時持ち直した。

荒野の真中にあるギャラリーに行く。他に何もないところなのに、陶芸だけはやはり世界的な傾向を追いかけている。「人」と「草」を買ってくれる。その後ポッタリーに二軒行く。一軒は型で、もう一軒はロクロだった。ロクロのほうの夫婦とかなり話しこんで仲良くなりアドレスを教え合う。ブリッジ・トゥー・ノーウェアという橋があり、その先はなにもなかった。ピート(泥炭)の層が広がっている。粘土の層は見当たらない。羊は好奇心はあるが、飼い主の声にしか反応しないからこちらが近づくと遠ざかっていく。海沿いの崖の上に立ち、崖の下に降りて洞窟を見、砂浜に直立する巨岩を廻と雨が降って来たので帰る。町には中華が2軒とタイが1軒ある。夜タイに行ったがここも甘すぎた。プールを1ゲームして寝る。

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朝7時のフェリーに乗ってウラプールに向かう。船内でやっと昨日のローカルなブルワリーのエールを見つけて飲むと酸っぱくて強かった。甲板から昨日降りた崖が見える。カモメが付いて来る。船の前方を見ていると、波が電気的にちかちかして見える。ウラプールでロビン・ヒース「太陽、地球、月」という、古代の図形や計算式の沢山出てくる本を買う。ウラプールから東に向かう。ナインという町のカフェで偶然カトリーナの従妹に遭う。アードベグを買収したグレンモーレンジ社のディスティラリーでアードベグのべりーヤング(6年)を見つけて買う。ひたすらスモーキーで、ワインで言えばヌーヴォーとかポルトのヴィーニョ・ヴェルデのようなものだ。海沿いを北上してウィックに近づく。砂丘を抜けてライス・アートセンターに着くまで、陽が射して、最北端なのにおだやかな風景が広がっている。瑞浪市と同じような感覚があり、住んでみてもいいところだと思う。粘土の層があるのかもしれない。風景が美しければ美しいほど昔のいやな事が思い出されて辛くなる。このアートセンターも荒野の真中にある。自炊式の宿泊所がついていて、吹き込んで来る風の音が笛のようだ。ウィックのシティセンターに出てテスコで不安に駆られて晩用にキャンティを買い、中華を食べる。3年前のジョン・ピール・セッションをラジオで聴いたという人に会う。アサチャントジュンレイを知ってる、などと言う。

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ライスアートセンターを管理している老人は付属の住居に先祖の写真に取り囲まれて暮らしている。彼の曽祖父はピート掘りだった。

祖父がオーストラリアで儲けて金を送ってきたので両親がここに家を建てた。演奏後の片付けの時彼がレイシーをかける。地元の老人達の前で演奏し、夜遅くまでダークエールを飲みつづける。彼と連弾する。昨日と今日のようないい天気の日は1年で1日か2日だけだ、と言う。

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朝ブリテン島の北端に行き、しばらく居てからギルス港発のオークニー行きの小さいフェリーに乗る。スレート色の海を見ていたらいきなり我に返る。オークニーやシェットランドはスコットランドの人たちでさえ行ったことのない人が多い最果てにあり、日本で言えば千島列島に行くようなものだ。セント・マーガレット・ホープという港に着く。ここにはハイランド・パークという最北のディスティラリーがあり、風味に求められる要素の全てが揃ったモルトを作る。島々はUボート対策と思われる、乱雑に投げ込まれた岩塊の上に敷かれた橋によって結ばれている。春なので小学校3、4年くらいの子羊が沢山いる。たまに中学生くらいのもいる。会場のウッドペック・ハウに機材を搬入する。ソフィンという白猫が居て、最初リチャード・ヤングスの死んだ犬と同じ名前かと思ったが、違う綴りでゲ−リックの王の名だった。テーブルクロスはモリス商会、蜂の目から風景という変わった絵、藤棚、あちこちに客が拾ってきたという海岸の石が置かれて客とオーナーのニューエージ的な共同幻想が窺える。地元のエールを3種(ノーザン・ライト、レイヴン、ブラック・アイランズ)飲む。レイヴンが一番濃い。

演奏出来ず直前まで寝ていて、開始直前に草の上を「もうしませんもうしません」と叫びながら海までダチョウのように走って行き戻って来てやっと演奏する。終了後居間ではベン・ハ−パーがかかっていて、レコード棚を見るとストリングスが入ったフォークが多い。今迄にここで演奏した人たちの記録を見るとトラッドやブルースが多く、バートヤンシュの名も見える。シェットランドから見に来た女性がブリストルに居たことがあるというからムーヴィー・トーンのケイトを知っているかと訊ねたが居た時期がずれているらしく知らないようだった。夜遅く、PA担当の長髪の男がちょっと来いという。ジョイントだったらどうやって断ろうかと思いながら藤棚を抜けて外に出ると上を見ろと言う。見上げると、もし飲んだら腹の中まで真っ黒になりそうな夜空で、銀河がプラネタリウムよりも沢山見える。中崎が呉れたローカル・ヒーローズという映画を思い出した。それもここら辺の星空の話だった。

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朝食にポーリッジとニシンと庭で放し飼いになっている鶏の卵が出る。今日はトマトが入った、と嬉しそうに言う。野菜が貴重なのだろう。食器は地元の陶工が作っており、鉄の多い青磁っぽい還元透明釉の、形の面白いもので、あとで見に行くことにする。庭の外れに平たい石だけで組んだシェッドがあり中に入ると棚まで同じ石を積み重ねて作ってあり、すべての棚にロウソクが置かれ、祭壇のようなものがある。蔦が内部にまで侵入している。ここで結婚式を挙げるのだという。スカラ・ブラエという海沿いの遺跡を見に行く。宿の庭のシェッドと同じ様式でレゴのように二進法の端から決めていく発想で作られた紀元前3000年頃の集落で、海岸には素材となった粘板岩系のスレート様の石が未だに俎板のようにごろごろしている。

ストロムネス港に寄ると、昨夜のシェットランドの女性が店でへリングを食べている。今日は一日中崖から海を見ていたのだという。やはりどう見てもケイトに似ている。シェットランドはオークニーの数倍美しいとあまり力説するのでいつか行って見たいと思う。彼女のフェリーが来たので別れる。

ハリーという集落にある、朝食の時の食器を作ったポッタリーに行く。宿のブロシュアーには、にこやかに笑う彼の写真に添えて、「本物のハリーポッターに会いに行こう」とある。リーチのやり方を踏襲した取っ手の造りを褒めると喜んでフランスの土の天目のカップを呉れる。冬の間はフランスで薪窯をやっているそうだ。リーチが砥部に来たときのことを話すと喜ぶ。セントアイブスにも訊ねて行ったことがあるが、リーチは日本に行っていて留守だった、という。宿に帰ってキャンティの残りを飲みながらまた海岸で石を拾う。

多くの石の中で特別な石を探していると偏執狂的になっていく。ロザンヌが探険に出かけるといって出て行き、海岸沿いに遠くで点のようになっている。湾の端に見える城のようなものを目指して近づいて行って見ると、例の石積みの様式で作られた船を入れる小屋だった。夕食に庭の鶏とハギスが出る。

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朝セント・マーガレット・ホープでフェリーを待っている間切り通しで粘土を採取する。ギルからグラスゴーへ向かう。撮影担当のロザンヌは学生に戻って宿題をしている。途中詰まらないスキー・リゾートやテスコの駐車場で休憩しながらグラスゴーには夜着く。迎えに出て来たスティ−ブンとパブでパスタを食べ、運転手のジョンにカードを贈り、そこで別れる。

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一年振りのホテル・スミスで、朝食に降りて行く時、顔見知りの女主人に、すれ違い様あなたなの(is it you?)、と言われる。