◎ザリガニツリ 第20号 揚雲雀製陶所通信2 FALL
ザリガニツリ 第20号 揚雲雀製陶所通信2
FALL
擦り切れたずぼんをはいた父とわたしは「こ
けし屋」で場違いなランチコースを食べ、店
を出たばかりだ。猛烈に暑い日だった。開演
前までどこか涼しいところに居なくてはなら
ないが、食後のコーヒーを飲んだばかりなの
でもう駅前のルノワールに行ったりは出来な
い、とりあえず道の向かい側のみづほ銀行に
入って涼む、と父が言う。みづほ銀行はAT
Mだけ空いていて涼しかったが、座りこんで
いるとカメラで看視されているのが分かるの
ですぐに居心地が悪くなって外に出る。どこ
か別の涼しいところに行かなければならない
が、食後のコーヒーを飲んだばかりなので喫
茶店に入ったりは出来ない、霜田のやってい
た八百屋に行く、と父が言う。八百屋は野菜
も萎むような暑さだったが上の階の本屋に上っ
ていくと「精神世界」の本が並んでいて少し
冷房が効いている、こっちのほうが涼しいぞ、
と隣りの部屋にいる父が叫ぶ。わたしはクー
ラーを使うのは好きではないが、あまりに暑
かったのでクーラーの下に並んで立って、知っ
ている本があるのをぼんやり眺めている。父
はのら書店の片山健を二冊買い、滝がパイプ
ラインのようになっているところをねずみが
潜りぬけながら俳句を詠んだりしているほう
をわたしにくれて、こんど会えたときまた交
換しよう、と言う。外に出ると、どこか涼し
いところに行かなければならないが、食後の
コーヒーを飲んだばかりなのでもう喫茶店に
行ったりは出来ない、石川さんの奥さんのやっ
てる店に行く、と父は言う。店までは少し遠
かったが、入ってみると涼しく、貸しボック
スの中に「作家さん」の作品が沢山並んでい
る。父はそこで眼に止まった手刷りのTシャ
ツを買ってくれる。店を出てまた歩く。どこ
か涼しいところに行かなければならないが、
食後のコーヒーを飲んだばかりなのでもう喫
茶店に行ったりは出来ない、そこの「サンク
ス」に行って涼みつつスコアをコピーする、
と父は言う。サンクスは涼しかったが探して
いるスコアがなかったので水だけ買って外に
出る。しばらく行くと神社があり、大きな楠
が生えていて涼しそうだが入れないし覗いて
みるとベンチもない。学校にも教会にも木陰
があったが門が閉まっていて入れない。ビル
の隙間に少し風が吹いているところがあった
のでそこに居ようかとも思ったがもっといい
ところがある筈だと思い更に歩いていく。こ
こら辺には何もないね、と私が言うと、父は
地下の店を指してここは有名なジャズ喫茶で
ここでジャズ界の序列が決まるのだ、と怒っ
たように言う。その近くに少しかっこいい喫
茶店があったが、食後のコーヒーを飲んだば
かりなので行かない、と父は言う。なんで冷
房の効いた画廊に戻らないの、とわたしは尋
ねる。だって人がいたら内輪の話ができない
じゃないか、と父は言う。そこから少し行く
と、まだ開いてない飲み屋の前の露地の日陰
に風の吹くところがあったのでそこに座って、
わたしが学校に提出する絵本のストーリーを
考えようということになる。寒い日にわたし
たちは街を歩いている。なんとかして暖まり
たいのでコンビニとか電話ボックスとか犬小
屋とかいろんなただでは入れる場所を探す。
最後にわたしが父に、なんで暖房の効いた画
廊に居ないのかと質問する。父は、だって人
がいたら内輪の話ができないじゃないか、と
いう。そのあとわたしたちはやっと立ち上が
り、個展会場に戻る。コンクリートの床には
色とりどりの風船が転がっていて、父は座り
こんでZo三ギターに風船を押し付け鷲掴みに
してハウリングの音を変え、圧しすぎて爆発
すると次々に取り替える。父のズボンは更に
すりきれていく。荒野でサンダルは四〇年擦
り切れなかったらしいが、と父は言う。おれ
のズボンは楽園までには擦り切れそうだ。父
を見送って高層ビルの下に来たときわたしが、
あの風船はわたしでしょ、と言うと、父はよ
く分かるね、と言う。分かるわよ、とわたし
は言う。わたしたちは抱き合う。わたしは高
層ビルを見上げる。風船よりいいでしょ、と
わたしは言う。うん。と父は言う。