◎2014.8
串カツ食べるか×2 豊田道倫「SHINE ALL AROUND」のためのテキスト
歌詞は必ず二度繰り返される。
「きみたちのうち誰が,思い煩ったからといって自分の寿命に一キュビト(約44.5㌢)を加えることができるだろうか」、とイエスは言った。
時間に距離を加えるには、ちがう次元が必要だから、それは無理だ。
けれども、ひとつ、言えることがある。
二回目を歌う豊田が、そこにいるとき ほかの どんなものも 豊田に かさなって そこに いることは できない。
一回目に一㍉でも加えることが出来たら!
歌詞をかさねあわせることによって生じる、二回目のそのずれに豊田は寿命を賭けているのだ。
おはよう、嵐の夜。おやすみ、あら探しの朝。
岡山で暇だからゴジラ観る。札幌で伊福部さんの手書きのスコア見たらタイトルがロシア語だった。彼のギリヤークの歌曲集にオロッコの女の子に振られた、というような歌があり、(アイヌのアの字もない。)そのタイトルはアイアイゴジラ、みたいな語だった。
一日 の 悪い こと は その 日 だけ で 十分 です
8.14
kochi@kochi museum
春の祭典
布団が西部講堂か吉田寮みたいに積み上げられている。大木裕之がパンツとか本とか小銭とかバッグの中身をさらけ出してへたり込んでいるがよく見るとニジンスキー風のタイツを穿いている。武将風の衣装をデザインした東京の青年が、ひろめ市場の藁焼きいいですよ、と教えてくれる。実験君と呼ばれている青年が知らない飲み物を買ってきてくれているゴミ屋敷で、パリ公演も夢じゃないと盛り上がっていた去年の秋。101年目の今年はただストリートミュージシャンが歌っていて、ダンサーもオーケストラも布団に伸びている。
高知といえばジャズ喫茶木馬である。あとは南国インターの維新バーガーとか。須崎ラーメンは行かないうちに針治療は終わって。
入道てふ訳でもなくて天暑き
似た節でかなかなを待つ虫の有り
似た節でかなかなを待つ草の虫
ひぐらしの哭く間だけ黙祷す
ひぐらしの哭く間だけ項垂れて
札幌の regreg のDVD を通して観たが、北海道はもう、何をやろうと、何から逃げようと、いかに耽美に走ろうと、アイヌを通してしか語れないと思う。僕の愛する札幌の友人たちは先住民の地層の上で揺れているだけなのだ。
普通選挙がファシズムの温床であるのであれば、もはや政治そのものを矮小化するしかない。かといって無駄な哲学は避けたい。そのために余生を人類史の矮小化に賭ける。人生とは脳との駆け引きに過ぎない。脳は無意識を引き連れ、知に繋がっているが、ネガティブで、口応えしないから、僕が必要なのだ。
脳≒無意識の反応は内臓≒感情に表れます。それを私たちは自分自身だと勘違いしているわけです。消極的な感情を学習したのが「うつ」=「彼女のむかしのうた」です。認知行動学的に見れば成熟したうたが、「自分」=「自分」層に評判が悪いのはそういう事情によります。