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10.25 法政学館 interview

10.25

法政学館
「マジキック祭り~majikick outfits」
●今日のマジキック祭(注1)では“司会”でクレジットされてましたが、姿が見えなかったですね。パソコンで音声を出しているようでしたが。
工藤 ピーター・アイヴァース(注2)が司会をしてるケーブルテレビを観たんですよ。クイーン・ビーっていう地元のバンドを紹介してて。で、最初にピーター・アイバースが歌うんですよ、ワンコードでシャウトしてて。そんなふうに最初はやりたかったんですけど、イギリスに行く前で(二日後)楽譜を整理するのに頭がいっぱいで、あまり人のことを構う余裕がなかったんです。だから文字を音声化するソフトを使えば、僕も控え室で自由に時間を使えるし、いいなと思ってたんですけど、結局いたずらみたいで面白くてずっといましたけどね。
●演奏途中も入れてましたよね。今日のイベントはある意味、工藤さんの意思を継ぐような世代の人達が出てましたが、いかがでしたか?
工藤 意思かな? 彼らの“明るい”感じに影響を与えたのかもしれないですね。対比させると面白いと思うんですけど、向井(千恵)さんがよく法政大学でやってる「パースペクティブ・エモーション」というイベントがあるんですけど、ダンスとかパフォーマンスとか即興の人とかが今日と同じようなことをするんですけど、全然感じが違いますよね。植野君たち(マジキック)はまっとうに演奏しようとする人と邪魔する人を組ませるとか、要するに暗くないですよね。僕は本当は暗いんですけど、そこはそんなに伝わらない(笑)。人を集めてやるときは、明るくする方法というか気持ちよくやる方法を考えるから。70年代のフリージャズでも二つに分かれたんですよ、バカ騒ぎするタイプと、シビアでストイックなタイプに。フリージャズの立場だと、どうも明るい方が分が悪いというか、後々に残るのは明るくない方じゃないですか、その場で盛り上がるのはまた別の話で。不思議ですよね。植野君は「命がけでやってないのに暗い風なのが一番嫌いだ」って言うんですよ。暗い方の人はまた逆のことを言うんですよね。ぼくは向井さんの方にも出るから、両方あるんですよね。
●そういう両方がある中で、工藤さんが挑戦したい部分というのは?
工藤 明るい部分というのは大事で、たくさんバンドがある中で、最終的にはラブソングとか、ある種の希望を持った歌詞が聴かれるというか。僕もかつては希望を持っていた気がするんですけど、今はそれほどはないような気が…。余生を生きてるような感じで、あまり良くない状態なんですよ。
●今日は元気ないですよね、本当に。
工藤 いかに音楽的にどうこう工夫しようとしても、自分の基になっている安心感とか希望を手放しつつあるようなことがいっぱい起こるから。辛い時期ですよね。
●例えばそれはどんなふうに影響が出てますか?
工藤 日本語の歌詞の曲をたくさん作ったんですよね。今度出るのは1曲を除いて全部英語なんですけど、だからその時期と僕は、全然違うんですよ。今度出るのは1年前の自分で。…ただ、本当はその日本語の時代ももう自分の中で終わってるんですけど。今は何をしていいか、分からない感じで…。だから常に違いますよね、やっぱり。だからそれを今やってくれと言われたら難しいというか、出る時期が遅れると困りますよね。グラスゴーの人達はゆっくりしてるから、心情が変わらないんでしょうね。僕の場合はコロコロ変わっていて。
●ちなみにこの雑誌の付録CDに入る曲(注3)はどの時期の録音ですか?
工藤 今年の9月で、日本語の時期の最後です。「a will」というのは“遺書”という意味で、もうこれで……。すごく暗い歌なんです。死ぬ人が身辺整理をする歌なんですよね。
●もしかしてそれは自身のことを?
工藤 はい。でもアメリカから帰って来ちゃったから、おめおめと。だからその時代ももう終わっていて、また違うことをやろうと、元に戻る努力をしているんです。 「ごめんなさい、ごめんなさい」って、ガセネタの山崎(春美)みたいに。
●ではすでに過去のものかもしれませんが、新作について。比較的素直な作りで、ポップな曲が並んでいますが、やりたかったことというと?
工藤 そんなに素直な状況で録音されたものではなくて、結構大変だったんですよ。スタジオで録音するって、若い頃は実現したら夢のように嬉しいじゃないですか。だからどんなことがあろうと、音楽そのものをやっちゃいけないような重圧の中でも、やっちゃうんですよ。それで昔のアルバムは暑苦しくなく、冷やっとした感触みたいのがあるんですよね。今回もその同じことをもう一度やろうとしてるんですよ。ただ、昔に比べて作った期間が短いじゃないですか。昔のは10年以上作り溜めたものだったけど、今度のは2年ぐらいの間で作ったものだから、感謝の念も薄れるじゃないですか、慣れると。だから昔みたいに曲を実現させたいという強力な意思みたいなもので引っ張っていく感じではなくて。そんな中で、みんな疲れてるから全員が揃って録音することができなかったり。起きていられる人だけが演奏するから、ある曲なんかはバックコーラスが一人とか(笑)。だから楽しそうにポップな曲をやってるように見えるけど、鬱病の人とか抱えて最悪の状況でやってて。「頼むから自殺者だけは出すな」とか言われながら、そういうのに負けそうになりながら録音してて(笑)。昔だったら曲ができる嬉しさがそれを上回っていたけど、今回はほとんどそれとイコールぐらいな感じで。だから曲自体の魅力とか自分の思い入れとか、昔の方があったかもしれない。昔だったら不可能なことも無理矢理してもらいたくて細かい楽譜を書くんですけど、今はほとんど他にもバンドをやってる人達に頼んでるからあきらめちゃってて。頼めないんですよね、深いとこまで。例えばシャッグス(注)が掛け持ちで
やってるって想像できないじゃないですか。あるいはビートルズもソロはあっても掛け持ちでって感じはしないじゃないですか、一人抜けたら解散みたいなイメージがあるじゃないですか。でも植野君が言うには、「最近はシャッグスも掛け持ちでやる時代なんですよ」って。確かにティム・バーンズ(注)とかの動きを見てると確かにそんな時代なんですよね。動ける人が牽引しているような。だから僕もそういう動きに巻き込まれて…別にそれでいいんですけど、本当はメンバーみたいな人がいるのが一番いいんですけどね。
●それは意外ですね。
工藤 “誰とでも”というのと裏返しなんですよ。メンバーがいないんだったら地球全体の人をメンバーと考えるしかないっていう。メンバーが欲しいからそう言ってたって意味なんですよ、本当はね。だから気持ちとしては普通のロックバンドをやりたいって気持ちと同じなんですよ。好きな人が集まってバンドをやりたいっていうだけなんですよね。なんかでもね、音楽家の人はメンバーにはなれないみたいですね。自分の音楽があるから、人から押しつけられてはできないんですよ。かといって音楽にまったく興味のない非音楽家だとバンドそのものができないんですよ。だから音楽は好きだけれども人からの楽譜によって自分を表現して何の疑問も持たないというか、それが嬉しいみたいな人じゃないと。ずっと僕は、自分の分身がいっぱいいればラクだなと思ってたんだけど、結局はバンドのメンバーってことを今までよく分かってなかったのかもしれない。だからライブハウスとかに“メンバー募集”とかする人達がずっと不思議だったんですけど、彼らが遅れてるとか無知だっていうんじゃなくて、僕の方が利己的だったんじゃないかって。素直に人と話し合って妥協しながら詰めていって普通にバンドをやればいいのに、それができなくて自分のワンマンバンドみたいなことしか基本にもってないからそういうことになったんだろうな。他の人と普通にバンドがやれるようになったらいいですよね。みんなそうやってるんですよね。それで大人だから別れたり辞めたりとかして動いてるでしょ? 僕は辞めるとかそういうのが理解できなかったんですよ。“バンドを辞めるってどういうこと?”って。でもやっと少し分かるようになってきて。ちょっとだけ大人になったのかもしれない(笑)。中3とか高3くらいの人を見ると「先輩!」って思うもん(笑)。大学生とかになると「お兄さん」って心の中で思ってるんですよ。本当に子供だったんですよね。
●新作の方に戻りますが、前半は普遍的なポップスが並んでいますけれども、普遍的なポップスに対して工藤さんはどのように自己表現しようとしているのか、教えてもらえますか?
工藤 最初の方のはポップですよね。イギリスの人達と一緒に作るときって、日本より摩擦が少ないんですよ。彼らが普通に感じてるスタンダードな感性に合わせてあげようかなってなっちゃうんですよ。日本だと突っ張るんですけど。“いい曲”だとか“綺麗な曲”だとかって喜んでると、こっちも気持ちが大らかになっちゃって、「あ、普通にやればいいんだ」みたいな(笑)。ただグラスゴーの人は一音だけルートを弾かないとか、変な屈折があるからやっていけるんですけどね。そういうやり方に合わせたんじゃないかな。彼らのために録音したって感じですもんね。だから何年かの間に書いた曲がたくさんある中で、“いかにもポップな”というのから順に録音して。アルバムの曲順は録音した順番に並んでるんですけど、だんだん短い“例によって”って曲が増えてくるでしょ? あれは歌モノのポップな曲のストックが底をついたからで。だからあのまま行けば延々続けられるんですよ。僕は毎日でも曲を書いていたいから、曲はいっぱいあるから。でも、ザ・カーテンズとのスプリット盤(注)を出した人達の場合はまた全然違うんですよ。この人達のときはこのCDでいう、逆の順番に録音していくような感じ。彼らもそっちの方を好むし。結構なんだかんだ言って、レコードを作ってくれる人に合わせるから。
●それは工藤さんの中に二つの軸があるということなんですかね?
工藤 ほとんどつながってるんですけどね。ただ短いやつは普通のポップな曲に組み入れられることもあるし、ほっとかれることもあるという感じですよね。だからケーキの層みたいに一緒になってますけどね。どっちも僕なんですよ。
●共通して、メロディーが牧歌的で癒される感じですけれども、工藤さんが音楽を作るときに、そこに癒しを求めていることはありますか?
工藤 音楽を作る以前に、不安感とか嫌じゃないですか。だから求めてますね、平安な気持ちは。一曲目はツアー中に作ったんですけど、フェリーでアイルランドに行って港に一泊したんです。そこで朝日が綺麗で、その時作った曲。だから僕の場合、旅の途中で作った方がいいみたいですね。素直な感じでそのまま録音できたから。だからずっと僕に旅をさせて作らせ続ければいいと思うんですけどね(笑)。この間アメリカに行った時も毎日のように作ってその日に演奏するって感じでやってて。“この調子でずっと行けるな”ってみんな帰りたくないって感じでしたね。だから「a will」は日本で暗い気持ちで作ったけど、アメリカで毎回やったんですよ。だから曲自体の楽しさの方が上回っちゃって。今はそういう男の人のことを歌った歌っていう感じで捉えてますね。
●アルバムタイトルの『Blues Du Jour』はどんな意図で?
工藤 レストランに行くと“Soup Du Jour”(本日のスープ)というのがあるんですよ。その言い方をブルースに変えて、“今日のブルース”。“毎日その時に思いついた素材で演奏していくような形”って意味です。ザ・カーテンズとのスプリット盤は、スターリンっていう街で不失者とシズカってバンドと一緒にコンサートをやった時のライヴを選んで入れたものなんですけど、その時のライヴのタイトルが『Blues Du Jour』で。日本流通盤の中にそのいわれが書かれているので、それを見れば分かると思います。だからやりたいことは“Blues Du Jour”なんですよ。だから本当はすべての曲はなし(笑)。その場で思いついたものをやるっていうのが一番の基本なんですけど、前半の曲は“やってあげた”って感じなんです。嫌いではないんですけど、放っておけば僕は“Blues Du Jour”のようなことをやる人間なんですよ。
●工藤さんのライフスタイルの中での音楽の位置づけについて。毎日曲を書き溜めているようですが…。
工藤 昔はみんなが音楽をあまりにも重要視しすぎてるって人のことを批判してたんですけど、音楽は引き続き毎日のように出来てるんですよ。それを自分では選んだり捨てたり、ネガティブなのは出さないようにしてるし、頑張って。日本にいて仕事をしていると曲が出来ないことが多いけど…出来るときはバーッと出来て…みんなそうだろうけど。これだけバンドがたくさんある中でよく自分がこんなことをやってるなっていうのが不思議で不思議で。何かがあったからなんでしょうね、ある種の希望が。でも今、僕にはそれがあるかどうか分からない。それに気付いたのかもしれない、最近。大事なものに気付いたというか。将来にずっと生きていけるという安心感みたいな、“このままいける”というものがないと聴かないんですよ、人って音楽を。“死ぬ”ってことをメインにしちゃうと、その時はみんな泣いたり聴いたりするんだろうけど、最終的にはどうも…。とにかく“残っていくものがある”ってことを伝える要素がないとダメみたいで。それでいっぱいバンドがあるけど、希望とかは持ってないんじゃないかな、基本的なところは。
(すみません、すごく重要な話なのに、ここで僕が話を遮ってしまったので、続きをお願いします。)

●ところでロックスター願望みたいなものはこれまでありましたか?
工藤 変な伴奏はいらなくて、ツーコードとかスリーコードでベースとドラムがジャカジャカやってくれたら、“僕ならどうにでもする”って思ってましたね。だからこういうポップなものもまだ好きでやるんですよ。でも“スター”っていうとやっぱりブライアン・フェリーとかデヴィッド・ボウイみたいなものをイメージしますよね、ああいうのにはなれないですよ。でも、言ってる本人の出す言葉が、ある意味詰まっていればそれでいいんですよ。題材は何でもいいんですよ。マイナーでも、その本人の中身がその事に対して詰まっていればいいんですよ。その“詰まってる”ってこと自体で音楽にある種の力が生まれる。だから「戦争反対」とか普遍的なことを別に言わなくてもいいんですよ。それが自分の内面と隙間がないかってことだけやってけば。そういうボーカルの人がやっぱり“聴かれる”んでしょうね。ラブソングとかを無理に作って歌わせる音楽って、やっぱり隙が出来ちゃうんですよね。たまにその隙を埋めるような力を持ったボーカリストがいるから面白いんで、音楽ってそこら辺がからくりなんでしょうね。
●そこは工藤さんも自覚的だと。
工藤 うん、『メタル・マシーンズ・ミュージック』のライナーでルー・リードが「リアリティ、それが問題だ」って言ってたのをずっと守ってるんです。“Blues Du Jour”もそうですよね。その時のリアリティ、それがあればどんな変な内容でもいいんです。