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古書ほうろう「旧家に嫁いで」話と歌

古書ほうろう「旧家に嫁いで」話と歌

スペインとは小さな角、

アラブの春以降のスペイン革命の日溜まりのようなジョゼフィン・フォスターのポスト・コロニアル感を、オルティス、モンポウ、アルハンブラ物語に結びつけようとすると、出てくるのは帝国主義という野原に吹きわたる風の寂しさ。

 

Josquin des Prez : Mille Regretz [w/ score]

Pueri Hebraeorum – Tomás Luis de Victoria

“Canción del Emperador” Sobre “Mille Regretz” de Josquin des Prés. Luys de Narváez

Two recercadas (both prima) by Diego Ortiz with Luthval

The Savalls playing Diego Ortiz

Arianna Savall – “L’Amor” (da “Bella Terra”, 2004)

サヴァールの娘に流されちゃいけないね。今日はスペイン。

1595年に出版された羅葡日辞書の「amor(愛)」は、「Taixet,vomoi」、つまり「大切、想い」という大変美しい日本語が充てられています。「タイシェトゥ、ウォモイ」という当時の発音もうかがい知ることもできます。

一方、「Musica(音楽)」はというと、「Vtaino narai」、つまり「謡の習い」という優雅な響きをたたえた訳です。

今日は、タイシェトゥナウォモイとウタイノナライを基点として、16世紀を考えます。

 

原稿

 

スペイン・ローマ時代

スペイン・ゴート時代

スペイン・アラビア時代

 

15世紀 ジプシー 闘牛とフラメンコ

 

ヴィクトル・エリセ ミツバチのささやき

ホセ・ルイス・ゲリン カタルーニャ メカス

 

16世紀はレコンキスタ後の統一スペインが、イタリア・ルネサンスとラテン語の散解に、アラビア訛りで斬り込みを入れる形で幕を開けた織部の時代です。

フランドル楽派がインターナショナル・ミュージック・シーンを席巻し、地動説的アートがスタンダードになった、世俗と新教の愛の葛藤の世紀でもあります。ハプスブルグ下の世俗とは、スペインのパレストリーナことトマス・ルイス・デ・ビクトリアのフラメン古楽気分が天正遣欧使節に与えた肉食系演歌的情感であったことでしょう。その後プログレとしてのバロックに雪崩れるまで、オルティスのような60年代パンク的印刷機文化がzinの如くに他の岬の岬たるイベリアを席巻したのです。that’s all I know.

 

20世紀に似たことが起こります。嘗ての統一スペインと同じように、ブランコの50年に及ぶ独裁体制が、諸地方の文化を文化大革命的に整理しようとしたのです。スペインは今回も、遅れてきた青年のようにフレンチポップス的インターナショナル・ミュージック・シーンにフラメンコ・テイストのみを槍としてドン・キホーテのように無惨に参入し始めました。

ワシントン・アーヴィングは「アルハンブラ物語」に於て、寛容なムーア人の時代を郷愁をもって語ります。

 

初期ヴェンダースのドイツに吹くマールボロ的な風、サム・シェパードのモーテルに吹く風、それらと似た風は、スペインでは、なにもなければイタリアのテロワールとの対比によって吹くだけですが、第一次大戦以降は、大英帝国より早く遺産を食い潰した小さな角としての寂寥が、限界集落の旧家のような枠組みだけの廃墟に吹いていると言っていいでしょう。

 

去年からのスペイン革命は、原発ではなく、失業に対するものであり、段取りは似ていますが、日本よりもひとまわり過激です。それは反レコンキスタと言っていい。

 

ジョゼフィン・フォスターがなぜそんなところに嫁いで来たのか。それはプログレとフラメンコに雪崩れないアーヴィング的郷愁であるような気がするのです。