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ルート音

作曲者を含めた演奏者各自のルート音を尊重しながら、インスピレーション・ソースに内在していた絶対音を色としてキープするような集団即興は可能だろうか?そのために、「ルート音によるユニゾン」をブルースの進行に乗せるフォーマットを考えた。

 

絶対音の側からすれば、音程とはユイスマンスの「カクテル・ピアノ」のように、絶対的な色と味わいを持つものである。色彩療法は、色の周波数によって脳からの痛みの信号を相殺するし、色覚異常の脳に色彩の周波数を音程に変換する器械を埋め込み、音で色を判断させる試みも行われている。集団即興演奏は、そうした絶対的な色と色のぶつかり合いによって成り立つと信じられてきたし、音響派も、ノイズの色による音と場との交感であったと言えるだろう。

 

ロックはカポを使わない、カポを使うのはフォーク野郎だ、という言い方で、高音信仰の白鍵盤的なロックは、脳の仮想キーボードに対して悪態をついてきたのかもしれない。ピグミーはルート音を使って合唱をすることで知られている。各自がユニゾンで歌おうとするとそれはハーモロディクス的な平行移動のハーモニーになるのだ。それで、私たちの前には、常に絶対音とルート音という選択肢があり、カラオケの転調装置やフォークのカポは、その断絶に対する無意識の適応であったかもしれないのだ。

 

絶対音感がない場合、思いついたメロディーを五線譜に落とす時、ルート音が用いられる。脳は仮想キーボードの分かりやすい白鍵盤にそれを転調する。人は疲れているので、記されたドの音は実際にはそれより低く、シbだったりラだったりするのだ。調律されたピアノやギターを使ってメロディーをこちら側からひねり出すやり方で作曲するタイプの人の場合は、そうではない。ルート音は使われず、楽器の音にぶら下がるかたちで音が選ばれるので、記譜されたドは正確に絶対音のドである。そのような場合でさえ、楽器なしでそのメロディーを再生しようとすると、低くなっていることが多い。記憶されたメロディーは、ルート音に基づいていつの間にか転調されているのだ。