tori kudo

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露地

駅前には店がなかった。年の瀬だというのにどの家も片付けが済んで、もう正月のようだった。墓川は、一人で町を汚しているような気になって、図式的な考え方の中で自分が消耗していくのがわかった。
駅前に戻って周辺図を見た。北は下を指していた。
街道沿いの店は早々と閉店して民家に変わったからシャッター街の寒さはなかった。その代わりに犇めき合うキュービックな暗さがあった。
その暗さの奥に自分の部屋があるのだと仮定してみる。そこでは固定されたなだらかな山脈が胸郭を上下させている。
いつの間にかトンネルが出来ていて、風穴から吹き出すような向こう側の町の冷気が、あり得たかもしれないその部屋を襲う。
この町に来た理由さえ忘れさせるような冷気だった。
たおやかとは言い難い間近な峰からも吹き下ろして来る寒風があった。
山の向こうにも町がある、という事実は恐ろしい。町単位で人々が暮らすようになったら俺は消滅する、と墓川は思う。
山の向こうに町がある、山の向こうに町がある、と口ずさみながら墓川は一本の路地に入った。
「ここにわたしが住んでいる」
という啓示に似た声がして、振りさけみれば、貧乏が鉢植えのように並んでいる一棟の上階の廂から睥睨するカラスが墓川の頭頂を狙っているのだった。
この町でこのカラスに狙われている、という意識が墓川を不快にした時、名を呼ばれた。二階の廂から実在が降って来て、たおやかな峰が上下するのが分かった。
「靴を脱いで。」
分けられた場所だから、炭もないのに焔が上がっていた。
「家族の味ですね。」
「焼けば焼くほど冷たくなるわよ。」
「この町は、平気でそれを道に投げ捨てるから好きです。」
「海なのに陸(おか)。」
青線コロニアルとでも呼ぶしかない朽ちた手摺に、出口のないトンネルから邪風が吹き付けるのを、
「懐手、」
と撥弦の切れが、飲ませる、飲ませないの話になった。
そうやって白い墓にの相手をして飲む、飲まないの供え物を盗んでは、無、と穿たれていると、宮子はまた誰にも言えない話を聞かされるのか、と思う。
巨きな鳥が尾いてきた夜の話をすれば、この白い墓はきっと娘のことを歌う、と算段する宮子を、墓川が、
「きみはこの町で生まれた。」
と覆い被せると、致命性の渦が立ち昇った。
F#ABbAD EbD
F#ABbAD EbD
地名的なターミナル・ラブがαβυσσοςアビュッソスから立ち昇ったのだ。
宮子の目の前の祈れない白い墓が、子供のように毒の釉薬を作り、鼻腔の奥の終わりのにおいを悲しんでいる。
「障害のある人は居らず、山頂まで稲が実っているというのに、何の力が足りなかったというのか。」
「二種類の種を蒔いたからよ」
「毒薬を通してしか永遠が見えないのか」
「脱法釉薬でしょ」
トラウマに向き合う旅はすべて無駄なのだ。
「悪魔が入れた記憶の種を、きみは食べたのか。」
「あなたに力があるとしたら、それは私に対する影響力だけです。」
炭もないのに燃えているのが水だったら。
墓川は正しい川を遡って行く自殺者への憧憬に向かう脳をだまして、宮子の末広がりの裾の唐桟のチャンネルに眼を合わせた。
ああ速い、高速道路。
宮子は夢を見ている。フロントガラスに叩き付けられるのは水の燃える音だ。
この町の色は、と墓川は考える。
夕暮れの雲が鮫であリ続けることを許さない。
エリカが見えますほのぼのと
不意の擦弦に心臓を雑巾で拭く夜行の、北欧のブギーがマジックアワーの田面を渡る。鷺のように。
切符は持っていた。このまま駅に歩いて行く自分を墓川は見た。存在の途中下車、存在の見切り発車。馴染み抜いた情趣の隙間から野蛮なデュエットが漏れ出る小径を、影が追い付く。
雲の道行き。と宮子が言う。宵の軍歌の雲の道行き。私はちゃんと花びらを降らせた。いつまでも夜になれないあなたの体に。いつまでも朝になれないあなたの思想に。
それは色ではない、臭いなのだ、と墓川は思う。ティンクトゥーラを横断してもそれは一つの平面に過ぎない。
匂いをにおい、と書く詩人のことを墓川は思った。過ぎ去った喜びはまだ来ないかなしみ、まだ来ない喜びは過ぎ去ったかなしみ、などという遊び言葉を工夫し続け、妻子を捨てて死んだ。
山の端が花札のように黒い。
蜘蛛の巣を払うように野道を進んだ。
道を挟んだ糸電話を夢見た。
異星人に会ったら学者がまず訊きたいのは「神は居るか」らしいが、恥ずかしくないのだろうか。
駅まで尾けて来ると思っていた巨きな白い鳥が消えた。代わりにトリさん、どこに行ったんでしょうねえ、と烏が胸元で反り返った。
力はカリフラワーの形をしているけれども、と宮子が言った。
雪山の麓では不発弾ね。
白も黒も舌の力に過ぎない。
あの太陽光パネルの影は紫に見える、と墓川は反論した。われわれはまだ見かけの色に投げ出されている。
道行きはひらがなのように川の両岸にわかれた。いつか、左岸で泣き崩れたことがあった。
盆栽の野道の糸電話は、切り立った護岸では何故か思い点かなかった。犬を連れた奥さんのモチーフが、この町で生まれた高校生の宮子の姓を襲った。
「墓川さん、」右岸から鳥がその旧姓の声で呼びかけた。白か黒かはわからなかった。「墓川さん、」鳥がもう一度今の姓で呼びかけた。白か黒かはわからなかった。
そのまま駅まで、四十年間彷徨った。

宮子が墓川と年越し蕎麦の蕎麦湯を色紙に書いていると、醤油の寒さが脳を溶かした。
この時期、ひとりぼっちの胸の人たちは北ホテルにいる。背中の人たちは?とテレビが教える。
かなかなは旧姓に属するか。それがすべてであるなら宮子の銚子は白鷺のディスパッチとなる。そうでないなら
かなかなに姓はないのだ。白い夜明けに、忠節な娘が幽霊のように立っている泰山木の庭先で、亡くした者の思い出のためにいつか泣く。
墓川は死のうと思っていた。 無意識は口答えしなかった。代わりに大量のノルアドレナリンを放出するだけだった。墓川の思考は、墓川ではなかった。
宮子の全ての白血球は身構えた。そのために町は泡立った。
白濁したキノコ雲が毒に溶けて、思考に命令する墓川に、体は騙された振りをする。
宮子がこの町のDIVA であるなら、その言葉は球体のスナックの内側に貼り付く。
それを外側から見て唄うのか、認知カラオケが手招きしている。
いつもの夢の町で解けて浮いていると、目が覚めた。鳩を祀れば八幡なり、と宮子が詠いながら踞って集めているのは山々の印章である。
頭蓋が前にずれて涎だけが垂直であるような蹲り方で、正月なのに蝿が出た、と謡う稽古の一団に、縁側の墓川が瑠璃を逃がした。
それはベエルゼブブの線に違いない。道を隔てた糸電話に巣食っているのは。ラリーもしたし、と次の宿場に手向ける印章のように蝿と瑠璃が際立つ。
街に食い込んで運河があった。安寧は、宮子にとっての川の場所なので、その上を墓川の屋形船が行くことはない。
時間に距離を加えることが出来るか、
寿命に一キュビト、寿命に一キュビト、と宮子がアドバルーンに書かれた文字を読み上げている傍らで、墓川がATMのデポジットを目減りさせている。とうとう駅前に戻って来たのだ。
墓川は娘の歌を歌わなかった。代わりに歌ったのは個室の歌だった。二十四時間営業のミステリーはハードボイルドなカエルの合唱だけだった、と眼を開けた墓川が言った。
その声はあなたではないから安心しなさい。と蛾のように窘める宮子に、青い電流が走った。
轢かれて死んだ宮子は青い毛皮を着て、まだ生きているD.O.A のヒロインのようだった。
まだ夜は明けていなかった。もう正月だというのに。蜜蜂の代わりに蛆が涌いていた。

 

露地 没still

墓川の弾丸列車は、集団就職の詰襟を乗せて丸刈りの脳の外側を進んだ。
宮子が点になった時、をとこの詠める、
あしひきの山の煙りを下りて舞うながながしよの肉の書板
あなたの固いケーキね、発酵せずに腐ったみたいよ。それを真名と言うのなら、不発弾どころか核のゴミね。と点が言った。
きみは星になどならない、とはどならない墓川は、越冬闘争の正しい蜜に覆われる。
自分より大きい者にとって汚れとは、と墓川は想像する。自分より大きい者になり過ぎて、自分が偶像になっている。墓川はそのことで自分を中傷する。
墓川が、貧しさを強く意識しながら、心を煮ている。巷の上手で。新言語と共に新言語の鍋も導入されたからだ。
鍋の理由を問われて、二つの手、二つの足、二つの目をつけてゲヘナに行くよりは、不具の身で命に入るほうが良いからです、と答えている。
「ああ、五臓六腑に沁みわたるわ」「あんたの五臓六腑は、鍋の中やないかい」「楽園になったら海のそばに家を建てて」「海のそばに家を建てて」「毎日夕陽を見る」
北ホテルから”New World”に至る分けられた道、それは道を行く者のための道であり、いずれはソースに溶かされる愚か者がそこをうろつくことはない。路肩にはライオンが、参道の真中には神のふりをする者が、天に通ずる楼閣と題された鍋の乱れに向かって、冷やし飴の言語を辿る。
墓川が塔の上から演説する。
この震災で、人々は「背骨の人」と「胸の人」とに分かれました。「背骨の人」は”日本ガンバレ”或いは”頑張るな”という方向に行きますが、「胸の人」はひとりぼっちです。
外人居留者として被災し、外人居留者として外人居留者のコミュニティーからも疎外され、外人居留者としても勿論、日本からも疎外され乍ら何を表現できるか。そのことのために読むべき本は果たしてこの町の本屋にあるでしょうか。
わたしは本屋で立ち尽くすひとりぼっちの思想です。身体性の(アルトー)、ハプニングの(ダダカン)、やさしさの(マルクス)、餓死自殺の(尾形)、やってしまったことから始まる不可能な領域への、同労者のいない、残された僅かな時のための。
「復活について考えるのは良いことです。」といつの間にか復活した点子か言った。
それで墓川の爪は点子の二の腕の肉に食い込んだ。シャンプーはDOVE かな。八幡神社さん、
それには答えず、八幡点子は向日葵の中に立つ砂糖黍のように反り返って囁いた。この町の王も烏です。
アースダイバー的には、この川の泥の中でぼくらはかつて結婚していたね。
生野の道の遠ければいて駒したれ近く変動、と点子が返すと、神聖さの道にサフランが咲いた。
泥の中で食らわんか豌が結婚し蛭子が生まれた。それが烏になった。あなたの額の×印。わたしの本当の名前はアミ、
と言いかけて点子は口を噤んだ。
何故わたしの名を訊くのか。それは恐るべきものであるのに!と墓川が気を利かして謙遜を投げると忍耐が光った。あ、花火。
ドヤの南京虫から聞いた話だけど、昔、スマミとホヌミという男女アイドルDUO が居た。別れてからホヌミは女性力士大会で優勝したが、スマミは会おうとしなかった。
ホタミの声が高く澄んでつるつるしていたから、浮気していることが分かった。
それで花火を観に行ったのね。
そうだ、それで売り上げを誤魔化した。墓川の財布はぱんぱんに膨らんだ。小便だらけの湖に、ポケットを裏返し、タバコの葉を振り撒くと、鳥が啼いた。
砂州に楼閣を建て、橋を継いで料亭にしているのを、与えられた町の義務であるかのように、供与の豚に与(アズカ)らせ、人の脂肪を灯している。
だからそれは長岡でもガイ・フォークスでもデュッセルのヤパンナハトでもなく、ガザの火花だったのだ。
閃光は串カツ「松葉」の油の中に走っていた。
北京の露地の側溝の油を掬い集め、子らは松葉形の三本足を歯で削いだ。肉を削ぐことは巨人に対してではなく、セム同朋への中傷として空に上った。