tori kudo

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◎2013.11

11.2

京都ざっくばらん

ライト清掃会

ベケットとネオダダの出会い

直訴

手紙の代わりにナイフを渡す  
ナイフの代わりに手紙を渡す 
ナイフに書かれた手紙を渡す 
手紙に書かれたナイフを渡す 
体の中に手紙が這入る 
ナイフの中の手紙が這入る

死刑囚Bの612悲しさに追い付けずとんだとばっちり

時事に動くは自侍ならずジジと疑義

 

O君

確信犯的な番号変更のccの中に

絞られた彼の現在の交友が見え

そこに無い彼女の

一時頻繁だったアドレス変更のマナーだけ引き継いだ彼のいまの

寒い京都も見えた

bccのない彼の

いまの京都が見えた

人が果ての実

すべて見えるものは見えないものに、考えられるものは考えられないものに付着しているのだ、とノヴァーリスは言う。その通りだ、と僕は思う。

誰よりも黒い帳になって覆い被さっていたい

最後の穴窯だという この曲がラジオから流れると低音が震えた 温泉に行くといって暇した スペリオールで「がなる愛が鳴る」という漫画を見た 号泣した

 

被爆は死んだ 被爆が殺されたので 金の無い白人 陰謀論者 スパイ 自由人も男奴隷も女奴隷も ムラートもアルビノもモスキートもみな共に「死ぬまで生きる」と言いくるめられている そうやって引きずりおろされ矮小化された被爆が組織に復讐しているのだ

「死ぬまで生きる」が哲学なら生物はみな哲学者だ

それが「生きねば」の正体だ

生きられないと思ったからホタルをガン見したのではなかったか?

生きられないと思ったからデモに行ったのではなかったか

絶望のマルティチュードは生きられないという一点で見えない隣人の手を握ったのではなかったか

明るい反原発などないのだ 被爆は死んだ。被爆が殺されたので、「生きねば」と言いくるめられているのか。言葉の矮小化の先には絶対が控えている。死の矮小化、無化は矢の時間の必然であるが、矮小化への正当な糾弾はしかし絶対の似姿でしかない被爆という現実に対してのみなのである。

絶対の似姿から絶対への橋渡しが、すがろうとした希望であった。それほど被爆は「絶対」に似ていたのだ。ジャンヌ・ダルクが国家を見誤ったように、きみは官邸前のジャンヌ・ダルクになれなかったね

被爆は言葉として殺され「生きねば」と言いくるめられているいま

目が覚めたら死んだ灰が白い

寒い夜明けを乗り切るためには

赤い炭を埋めておけるだけの灰が必要

愛をいつでも取り出せるような

一晩分の死が必要

 

愛はエンジェル・トランペットのようにだらしなく垂れ て い  る

 

荒井淳一とはテキストをテキスタイルと読み替えたひとつの文体であった。

テキストを織るのが歌という衣服であった。そしてカオリナイトを糸と考えるのが陶芸の文体でなければならないだろう。

 

ダミ声と共に生きつる鷺ひとり夜更けに鳴きつ飛んでゆくかも

二物所与無くダミ声と共に鷺ひとり夜更けに渡りゆくかも

 

丼の底に「明日もお待ちしています」とあった。90年頃浩一郎が豊玉北の天下一品の前を通る度に「これは京都のラーメンで全部どろどろで」と紹介するのだったが、その頃はこんなにチェーン化するとは思って なかった。

僕はずっと目の前のラーメンを食べてきただけだが、ふと浩一郎が食べ損ねたどろどろが明日も浩一郎を待っているような気がした。



凡庸なsweet janeほど恐ろしいものはない

ルーリードは最後までsweet janeを演奏出来なかった

sweet janeとは、曲ではなくフォーマットだからだ。

loadedのボツになったトラックを久しぶりに聴く。正規盤を辛うじて覆っていた膜が破れて凡庸が覗く。曲はこの時点でベルリンに至るまで出揃っている。あれはジョン・ケールとスターリングモリソンのバンドだったと分かる。彼はいつもプロデューサーとギタリストを必要としていた。

教訓として言えるのは、自分で普通にコードをカッティングしている限り、あの場所には行けないということだ。

凡庸なsweet janeほど恐ろしいものはない それだったらsmegmaのやり方のほうがましだ

彼は奇跡を起こすフォーマットを探し続けたのだ

ギターで作ってギターを抜いて完成、そこにリハ抜きのギターを被せて破壊、それでやっとスターリングモリソンに近づく、程度。

物分かりのいいギターのフレーズが逆にあの場所から遠ざけるから俗悪なソロのほうがまだましという考えだったのだろう

立ちはだかる回転する剣の前でクリシェの早弾きを献納するカイン

それがmundane

間さん、ルーはバロウズじゃないんだから 期待しちゃいかんよ、デレクに続いてうっちゃられたねえ

でもmundaneのもっと先を見れば間さんのほうが正しかった

ただもっと先を見れば間さんはやっぱり間違っている。ルーはいつまでも若いままなのだ。

うたかた

ってそういうことだ

あり得たことも含んでこの世は夢だ

 

原発も反原発も死んだ。言葉として殺されたので私達は単純に死ぬまで生きるだけだ。夏から生きねばと言いくるめられてきてはいるが、それが哲学なら生物は皆哲学者だ。原発はニーチェが殺し、反原発は小泉が殺したのだ。

 

目の前のガラスを割ることを考えた

音楽の中だったらそうしていただろう

 

大きな滝があった

体温の低い景観が

主題ごとに再び見えるようになっていった

 

体温の低い大きな滝が

主題ごとに再び見えてきたのだ

 

目を覚ますと鼠が

米粒を並べていた

音楽の中だった

 

 

くるしくてくるくるまわってまっているくるまでまるくしくしくくるまで

 

 

MUNDANE EXISTENTIAL GIRL’s r’n’r 1982

DJとはレゲエにおける用法も含め共同体(fellowship)に向けた一種の場のテキスタイルであり、曲間を繋ぎ織りなす糸としてのテキストは文体を夢見て展げられ、ホログラムの存立平面を構成する立体の織物、つまり服になる。それは例えば青い毛皮の制服であったかもしれず、マットなカラス族とレイバンの光沢が入れ子になった諸相であったかもしれず、袋物として閉じることでアンセムが構成される。それらを身に纏うことで仕事を得ていたDJが、ある日、幻想のスマートな聴衆に向けてミックスを編むと決意する。批評行為が演奏を凌駕する時音速を超えるように、その時DJの文体はDJというそもそもがメタなジャンルのさらに上層、DNAを記憶して復活させる者のレイヤーに身を置く事になる。単なるジャンルであ れば死滅に向かうだけでよかったのが、絶滅したものを含めて世界の出し入れをするのだから、メディアじたい(と)の即興を執拗に行ってきたクリスチャン・マークレー周辺が冒頭に挙げられているのは編集者としてのじぶんの位置に関する一つの宣言であると受け取れる。ノイズ前夜のごたごたからは、一番の嫌われ者を持って来ることで、MBもかつて居た場所が含んでいた民族問題の毒を指差してみせる。反日ダブの悪意とvanityの1980年に自爆したold futureも掬いとられる。ノイエ・ドイッチェ・ヴェーレからは、音の粒子に至るまでクラウトとの断絶を感じさせ、しかもバンドとしての持続性のみcanと共通した運命を辿る「梅毒」というキャプテン・トリップなマキシ・シングルが選ばれる。ポートランド経由でLAFMSから選ばれたチンカスの「いぼだらけの夕方ずっと」については、言っておきたいことがある。このアルバムのタイトルは「nattering naybobs of negativity(否定的思考傾向のちゃらちゃらした成金)」というのだが、naybobはnabobの崩れた言い方、nabobはバングラデシュ語nawbabからの転訛で、ムガール帝国時代のインド太守、後に東インド会社の白人に対して侮蔑的に使われるようになった。だからnabobつまりnaybobはインド帰りの欧州の大富豪、転じて一般の成金の意になるのだが、このnattering naybobs of negativityというフレーズは、もともとは、ニクソンの副大統領(1963~1973)を勤め、政敵に対する異常な、多くの場合頭韻の形容語句で相手を攻撃することで知られたスピロウ・アグニュー(もっと厳密に言えば、ホワイトハウス・スピーチ・ライターのウィリアム・サファイアの原稿による)が造ったもので、アグニューは特にジャーナリストやベトナム反戦活動家達を叩くハチェット(殺し屋)として雇われていた。その批判はいつも韻を踏んだ調子のいい悪口で、小心な心気症ではないかと思われるほどのたわいのないものだったらしい。アグニューは後に彼のレトリックを和らげて、大統領選に立候補する目的で1972年の選挙の後にほとんどの頭韻を落としたが、1973年に$29,500の脱税で辞職した。で、smegmaはそのフレーズ を覚えていて、タイトルに使ったということになる。流石の坂口君もここまでは調べてないだろうと思い記す。

話が逸れた。

コントーションズではなく薮の(4人の)熱帯淡水魚たちが選ばれているのは、それがニューヨークで、スタジオで全員で曲を作るタイプのバンドをやる、ということがどういうことかを体現しているからだ。牧野はここでいわば自分のベースを弾いているのだ。ブリストル的な口はYをマッシブ・アタックに繋ぐ。ケイトに繋ぐ綿糸は見えないが、ケイトの旦那に繋ぐ羊毛は見える。同じYでもロンドンからはまず、始まりからポスト・パンクだったレインコーツ周辺のテスコ爆破犯たちだけが注意深く選ばれている。今では美術評論家のニール・ブラウンが当時殆どすべてのファンジンでsex against rockismなどというテキストを書いていたことなど忘れ去られ、日本では女性一人の多重録音などと紹介されているがvanityじゃあるまいし、たわけもいいところである。もう一つのロンドンの、早すぎたポスト・パンクのトロツキストの触れ込みで、ソシアリストとキャピタリスト以外の単語は出鱈目なフレンチをトラック1のエリオット・シャープに似ていなくもないギターに乗せる趣味は、正しくはMystic Knights of the Oingo Boingoである筈の西海岸暗黒ピュペット趣味と後のティム・バートン経由で牧野の映画好きに引っ掛かるエルフマンと、自己アピールと孤心の狭間で芸能の大西洋を泳ぐアンビエント女、パスカル・コムラード、を経て、後のシカゴ派の端整な自殺を彷彿させるFeminine Squared故リディア?トムQ嬢のこれも語りに再び引き継がれてゆく。最期の致死量ケーテ・クルーゼからは、女の歌ものの誕生の背後の途方もないアヴァンギャルドがのしかかる。もし老人ホームに入れたとして、しかも世界がまだ終わっていなかったら、牧野にDJしてもらいたい。そしたらぼくは

1982年を着るだろう。

 

01 David Fulton,Elliott Sharp Wayne Horvitz,Robert Previte,David Hofstra/LIKE CHIGNIK pt 1

02 Boyd Rice Daniel miller/Cleanliness and Order 2.45 LAFMS #12

03 RNA ORGASM/YES EVERY AFRICA MUST BE FREE VANITY 006

04 SYPH/I WANT YOU  VOD12

05 SMEGMA/thru the warty evening DMC012

06 BUSH TETRAS/DASH AH RIOT FETISH RECORDS40

07 MOUTH/Voyage To The Bottom Of The Sea YAL-1

08 Vincent Units/Martini Y8

09 pragVEC/EXISTENTIAL SP 001

10 OINGO BOINGO/la Petite Tonkinoise /Forbidden ZONE S.T.O STV 81170

11 JUDY NYLON/jailhouse rock

12 FALL OF SAIGON/so long ATEM 7013

13 ALGEBRA SUICIDE/true romance at the world’s fair RRR20

14 Käthe Kruse & Gudrun Ohm/Elegie Im März Doris 011

 

 

 

風車

 

回転する剣のように風景の奥を塞ぐ

突進するでもなく寛ごうとするでもなくドンキのビルは

臣民が居るから王国が在るのか

王国が在るから臣民が居るのか

野山の入口を塞ぐ風車に

蝿を止まらせるままにして

 

 

 

ずっとマスクをしはじめたら

もうフェローシップは足を組み

髪の分け目から空気の厳しさの段差を作っている

台湾の落ち着きも限界がある

折れた室温の身なりも

 

男の人のためではなく

天使たちのために頭の覆いを着けましょう

 

空想の虐殺の意志力は

筋肉に似て

液体の肢体は

半径20km以内に

ロックフェラーを押し込める

裸で 犬猫のなかに

セメントのカルメル山頂で

路面が光る

ラザロの家族のために泣く

 


人間の抗生物質が効くということ、内蔵が 同じ並びをしていることから何が分かりま すか 

日本脱出出来ず 皇帝ダリアも皇帝ダリア飼育係りも

 

銅像とは知多だか渥美だかで知り合った

死も経た板金の輝きは

カラーと灰が交互に入れ替わり

知らない名も多く呼ばれた

画面には抜けがあった

声は震えた

震えるだけの声の政治を

実演してみせよう

脈絡のなさが導入され 物語は

公堂書簡のように進む

貞潔さの告発はまずカレーに溶け

容易く伝わる呟きは

試練を喜ぶ声に溶けない

告白は 灰の銅像に

溶けない味を塗る

弟にそう言われた

草も肉となり

高低のない声に

X脚のツバメが飛ぶ

言葉の山を 砂で覆い消し

そこに話語で書く

膝を揃えた葉肉の

金属音の選択

砂丘の意思の伝達

居てはいけない

光の出歯

その本は