tori kudo

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◎2014.10

10.4

@otonotani

mshb

otonotani

赤い疑惑の代わりと思ってフラメンコのsweet janeをやった。京都では参加者がsweet janeを知らなかったが、ここの客は一応知っているようだった。ザック君宅の録音の時は、pslm for youとか僕自身でさえ覚えていないような古い楽譜を渡され、アドリブまで覚えられていて、ぼくはやることがなかったが、久保田君はザック君やモントリオールのときからずっと居るので、ぼくのようなソロを弾く癖がついてしまい、なんとなくスティーブレイシーのセクステットぽいことになっている。フェリーで来たのでぼくの交通費だけでギャラは飛んだが、みな遠方から来てくれて、感謝している。翌日はひたすら蕨の根を叩いて粉にするワークショップに参加し、ワラビもちをもらう。ぼくはほぶらきんの「わらびもち」という曲がとにかく名曲だと思っている。和歌山にいると聞いていたので下司君に企画してくれと頼んでいたが愛ちゃんがまた大阪に戻ったのでだめになった。彼女と茉莉と京セラのピッチでやりとりしていた音源は変換不能のファイルなので、なんとかしてCDにしたいと思っている。あといま作っている作品は、アンソニー君というオーストラリアの青年が丁寧に編集したサヌルリムの「虹」の大久保路上演奏版ヴァイナル、ザック君の勝手なミックスによるカセット、などである。ononotaniは、夕食のリハの、瞬君のウッドベースの最初の弓弾きが一番良かった。あやちゃんは本田君の変貌をどう見ただろうか。

 

さみしさには名前がないというけれど、さみしさは腰痛をひき起こす。大抵の痛みは感情に変わるなにかしらを無意識が変換しているから起こるのであって、骨が歪んでいるからではない。それに対処するには一人の人間の中の広範囲のレイヤーにアプローチしなければならない。NYで向井とやったときのNNCKのキースのノイズはまさにそういうものだった。同時に複数の意識レベルを扱うこと、それは中崎が抜けたあとの”メタ・マヘル”とでもいうべき演劇的展開に示されていく筈だった。

いままで言われた感想の中で一番嬉しかったのはアンデルセンズのつびーの、マヘルには限界がない、という言葉だった。演奏の善し悪しは抜きにして、それは、矢の時間軸を保証するものだった。それはシステムやフォーマットの問題でさえなかった。案曲という言葉を使うだけで萎びていくものをたくさん見てきた。完成されていても、それらの音楽は死んだものだった。敵味方が消失しても、その本質は変わらなかった。僕はメタとクリシェを操った。

マヘルは、船だった。自分のものではない富を載せてそれは後期資本主義下の人類の海をはしった。謙遜な人々だけが残った。それは言うことを聞くという意味ではない。言うことを聞かないことで寄与してくれる者もいた。たとえば伊牟田がそうだ。鈴木卯多もそうだった。

石橋英子が「もう死んだ人たち」というバンドをやっているというのを聞いて、僕はジュディ・シカゴの「ディナー・パーティー」を思い出した。それはフェミニズムのパフォーマンズではなかったようだが、いずれにせよ、そこに居ない者と食事に与(アヅカ)るとは燔祭の食事の謂に他ならない。マヘルの死者たちとは、そのような意味でテーブルについている者たちである。彼らの書割りを作ろうかとちらと思ったのはそのためである。

あるいは棺のイメージである。集まった人たちが追悼の演奏をしている。棺から出て来た僕が駄目出しをする。リズムがそこだけ遅れるべきなのだ、などと。

 

DECADES

decadeといえばボウイのロウにそういう曲があり阿木さんが頽廃と誤読して受験英語レベルでさえないというso farロックマガジンではあったがその頃イーノのアナザーグリーンワールドブライアンフェリーのインユアマインドとか立て続けの前夜を僕らは阿木さんを馬鹿にして乗り切ろうとしておりコンクリに座り込んで延々阿木が阿木がとガセネタを交わしヒューとbikkeとかも阿木さんデビュー曲とかウォークマンでヒヒヒと聞かせあっていたしそんなdecadeであったわけだがやがて個人がシーンを俯瞰できた時代は終わりそれでも網羅しようとして阿木さんも空中爆発して「みんな」というものが終わったころにマヘルが始まったわけで松岡さんが阿木さんと間さんを同列に処遇しているのは大人だということだったのだが大里などはそこらへんに一生をかけてしまったわけででもそういうのから離れることでマヘルが始まったわけでそれが1Q84であったのだがdecadeというなら春の祭典の101年目というのこそ20世紀のコラボの総括であるわけでとくにニコライリョーリフがブラヴァツキー夫人のほうへインドへ行ったこととかが松岡能勢大木さん的な人々には受けるわけだけれどもだから3decadesというこれはあまり意味がなくただ生きているうちにマザーズ集合みたいなことができるのはこれが最後というつまり4decadesはありえんというようなことで福岡さんが企画したわけだけれどNYで岩田が中崎にメールするよとかいったものの中崎の鼻笛につづく鳥笛ピックみたいなことしかもうわからず三谷はすっぽかすだろうしきてもギター弾きたがるやろなと思うし死んだやつらはなんだかんだいっても死んだやつらだしでも阿木さんはえらいと思 うよビートたけしだってテレビで勉強してたやんスマップはどうかわからんけどそれやったら演奏しながら音楽勉強すりゃいいってことにもなるしみんな働いてて忙しいんやからそんなもんやろ人のdecadesなんて

 

夕方の放送で牛渕辺りに裸で自転車に乗った不審者が出たから気を付けろと言う。背中に天使の羽をつけているという。女子高生が話しかけられたらしい。別になにもしないらしい。同級生の窪田君かもしれない、と思った。窪田君はウィリアム‐アイリッシュの「ハロー ニューヨーク」がかっこいいと言っていた。

 

30周年に思ふ

チカさんの元旦那って82年からずれだしたのか。
最近mundane existential girl’s r’n’r というdjmixのライナーを書いたので1982には思い入れがある。マヘルなんてまだなかった。レッドが勝手に出したカセット群があるから変に活性しているように見えるけれども、人が死にはじめて、あぶない時期だった。真のデカダンとはケネス・アンガーの「泉」のようなものだった。というところまでは分かった。それから政治の季節が始まった。マヘルはさらにそのあとである。30周年なんて、コンビニで「柏原芳恵 デビュー35周年ですべてをさらけ出す」とか週刊誌の活字が躍っているじゃないか。女は自分の外見をそれだけキープできるんだから男がバンドを続けるなんて大したことじゃないよ。きみが30歳未満だったとしても。

 

10月17日

祝島ヘル

祝島ヘルとは広島のアコーデイオン系魔女の巣窟と呼ばれているヲルガン座などでやるものである。いつも参加していたのは広島時代の玉柳君、きしこちゃん、などだがきしこちゃんはもう大人のOLになったのできしこさんに変わった。マクラウドと「マルティチュードにおけるコモンのオレンジ」をやったときは気合を入れて数百個の風船をトイレから溢れさせた。

 

岐阜マヘル

岐阜マヘルとはotonotaniとかでやるものでる。メンバーは夕食の3人とかくつざわさんである。

 

中之島ヘル
中之島ヘルとは大阪でやるものである。いつも知らない人が沢山参加するが、歌わずにただ喋っているようなときは下司君と愛さんである。曲が浮かぶとウィルコムのピッチで愛さんのピッチに鼻歌を送り、それを愛さんと茉莉が再現して送り返す、というのをやっていた。茉莉はギャーギャー泣いているだけだが、たまに唱和していることもある。京セラのファイルは返還不能なので最近スタジオでマイクに近づけてやっとデータにした。「ガラ刑」というタイトルでまとめようと思っている。本番前に消耗しなければ、やれる曲はたくさんあるのだと気付く。セラデルニエールシャンソンの時みたいに。マヘルでは短い曲をたくさんやってきたが、常に不評だった。でも短い曲が好きという 人も過去に数人はいた。小林君とか渋谷君などである。ぼくも短い曲がすきだ。

名古屋マヘル
名古屋マヘルとはハポン等に呼ばれてやるときのものである。メンバーは大体ジョンのサンである。いちどポールのドーターという名前でCDを出したこともある。このまえジョンのサンの新譜にコメントを書いた。

なごやかな
場所のキャンパス
他人の空似
連鎖のナイキのこそこそ

名古屋から出てきた螺鈿
テレビ塔でがっかり

名づけられた場所
へ電気屋を装って
ダフ屋も通さず
スクラッチ

世界の車窓から
垂直に立ち上がる
ウエストコーストの
ヘロインの結晶
を濾過するバンド
エーテル運び
「ヘロインが水に溶ける様子は、
すさまじい程、速やかで、
水面にヘロインが達したか
否かの瞬間に
水面を走り回って溶けます」

女子大生
労働する
小説のように

「おれさあ」
解けたコンバースの紐を
踏みつけながら
外にまろび出た 朝

奉仕に出かける
それさえも線で表す
意思は(オスカー)ワイルド

炭水化物が血糖値を上げる時
の憂鬱

未だハルマゲドンを
経験していない
身体の
定型化

事務

音楽

青春の描写
旧姓の親炙

フィボナッチ係数の青春
フーリエ変換の青春
その様相をさえ

あたたかい 人の情けに
胸をうつ 熱い涙も
知らないで そだったぼくは
みなしごさ
強ければそれでいいんだ
力さえあればいいんだ
ひねくれて星をにらんだ
ぼくなのさ 

生政治としての
音楽

生政治としての
バンド

マリッジ・ブルー

上部構造のB層

フォーカス

B層の
贅沢

B層の
恋の花山椒

線は最終的に
老いて死ぬことの
描写に進み

月は

盛岡マヘル
盛岡マヘルとは福岡さんの甥っ子がオーボエで参加したりするものである。

秋田マヘル
秋田マヘルとはまど枠の伊藤さんと今は浅草橋にアトリエを移した高木ルイさんが新聞にまで載せて現代音楽の大イベントみたいに吹聴してやるものである。ホルンを持ってきた人がスコアが転調されてなくて帰ってしまったりして悲惨だった。八郎潟から見に来た青年が唯一マヘルを知っていた。

青森マヘル
青森マヘルとは松山ヘルの尚子さん旧姓工藤が実姉の計らいで浅虫温泉とかに連れて行ってもらうものである。動画はハルコ。ゆぱんきってっまだあるのかな。

 

メルボルンでチャプター・ミュージックのガイ・ブラックマンがまだ無名のジョセフィン・フォスターとジョアンナ・ニューサム+スモッグを呼んだ時ぼくはジョセフィン・フォスターとだけ仲良くなったのだったが、数年後なぜかエジンバラの楽屋で再びジョアンナ・ニューサムと一緒になったので、あの時の人(ビル・キャラハン)は?と訊くと本番前というのに急に泣き出してしまいしまったと思った。その数年後なぜかまた裏窓で会ったが、もうその話はもちろんしなかった。それはどうでもよくて、ガイ・ブラックマンが次に発見したのがケイスだった。彼は彼女のアルバムをことごとく再発し、トリビュートまで作った。その頃彼からケイスがアメリカでツアーをするけど来ないかと 誘われたが断ってしまった。その悔いもあってジョセフィン・フォスターは富田さんが呼んだのでもういいから、次はケイスだと吹聴していたら、ケイスとツアーしていたエンバー・シュラッグという人がやっているラジオでマヘルをかけたりするようになり、そのつながりでケイスを呼べそうか彼女に打診したりしていたら急にPARCが呼んでくれることになったわけでした。何が言いたいかというと、結局ガイ・ブラックマンから始まったわけだから、オーストラリアにはwireという大英博物館的帝国主義に振り回されない鋭い耳を持った男がまだいるなあと思った、ということです。そのガイとはその後円盤で共演したけれど、ぼくは円盤に嫌がられてライブを断られたりしていたのになぜか出る羽目になったので なるべく演奏以外は外にいたから挨拶もできなかったのでした。それで今回ガイさんにお礼のメールをしてみましたがまだ返事は来ません。

 

大牟田中島ヘル
大牟田ナカシマヘルとは竹永君の企画しているキャバレーふじでやるものである。ドラマーは「あん」ちゃんという中学生の女の子だったがいまはどうしているだろう。

沖縄普天間ヘル
沖縄普天間ヘルとはショウ君の周りの学生とかが参加してガチャピンの店とか方々でやるものである。一年の子に、何でそんなかなしい歌詞を歌わなければならないんですかと真顔で詰問されたことがある。

能古島ヘル
能古島ヘルとはノコニコやテトラでやるものである。会場に着くとブラバン女子が勢ぞろいしていてよろしくおねがいしまーすと言う。こちらは照れて演奏どころではない。小山の双子とシャグスみたいなのをやりたいと思っているが果たせてない。

大分マヘル
大分マヘルとはat hallや別府でやるものである。メンバーは常にクラヴィノーツの諸君である。

 

Maher Shalal Hash Baz by Keith Connolly  published 2015

Keith Connolly: I was listening to the Individualism of Gil Evans, as well as tracks from the new Aphex Twin album, SYRO, and I was hearing how the space exists in each, but at such different speeds. By speed I do not mean tempo, but rather a kind of speed of the apprehension of space, or ma in Japanese, as I understand it. I hear something similar in the music of Maher Shalal Hash Baz, happening at its own speed. Can you talk about how this is done?
Tori Kudo: If you listened to my concert tonight, you may have found that some part of the rhythm is somehow delayed. That is my original idea. It is a secret rhythm, which came from blues, country blues. I perform Rahsaan Roland Kirk’s funeral march, even tonight. In a funeral march band, they have a big, big drum, which sounds like (mouthing a distinct rhythm) DUM… TACK … FHWAAM … It is delayed, always. That is my dogma, and black music’s secret is that delayed rhythm. The Japanese blues players do not quite understand that element.
KC: There’s no term in Japanese for blues …
TK: There are blues players who emulate western blues musicians, but this is unrelated to Japanese folk music.
When I discovered this kind of delay in Rahsaan Roland Kirk’s funeral march, I started looking for a Japanese rhythm. There is a drummer named Doronco [Kiyohiro Takada] and a bassist called Sami [Toshiro Mimaki], who were both original members of Les Rallizes Denudes. They were very close friends and played in Rallizes for a long time. Once, I was listening to their sessions, and they practiced beating out an “on on on” rhythm like a machine, so perfectly in tune with each other. But every once in a while they would shift this rhythm without having any preliminary arrangement, playing off of each other. It’s not a jazz interplay, but a real rock happening. Then I heard Yamao Sansei, a kind of hippie guru who lives in Yakushima, kind of a beat poet like Allen Ginsberg. He wrote a poem called “Kirikabu no Uta” (“Song of Stump”). There was a song made from this poem that the people of Kokubunji and Fussa started singing, on the outskirts of Tokyo where there is a big US Air Force base and many hippies live. Among them, the song is really famous. Doronco and I would refer to this song as “Nigatsu No Sora” (February Sky), because this phrase is the beginning of the verse. It is about the first political movement of anti-“Japan-United States Security Treaty,” which was signed in 1960, and about Michiko Kanbe, a female student who was killed by police in front of the Diet Building during her participation in the demonstration.
Somehow, with this song, along with Doronco and Sami’s rhythm, I began to hear a new delay, different from that of Roland Kirk. This is the rhythm that I play today, like in the song “Shiogamori.” It’s like a Japanese farmer cutting rice straws (gestures and stoops), with the emphasis of delay on the second or third beat. This delay in response to the physical action is uniquely Japanese. It’s kind of a posture of the body, very different from that which you see in New York or Los Angeles or Detroit. It is from this rhythm that I compose the songs for Maher Shalal Hash Baz. It’s a kind of regulation I impose.
KC: And there are hundreds of songs…
TK: Yes.
KC: You cannot possibly play them all.
TK: No, because some of the scores are very difficult to play. In a few cases I have overdubbed myself on recordings, though the goal is to perform these with live musicians.
KC: I find the blues connotation particularly intriguing.
TK: It is like sewing, the rhythm of stitching by hand, which also exists in country blues. When I last met Keiji Haino, we talked about Syd Barrett’s particular, cutting kind of guitar playing. If only the on-beat is used, the song kind of stands still, but with playing off, or behind or ahead of the beat, it can move forward, like sewing. This kind of discovery makes it possible to animate ordinary songs. Using such rhythms in rock interplay may constitute what is referred to as ma, which you mentioned earlier.
KC: That is something I learned a bit about working with Chie Mukai, and something she addresses in her workshops. Speaking of Chie, there is a quality that her band Che-SHIZU and Maher Shalal Hash Baz seem to share that I would describe as a kind of instantaneous nostalgia. Is this something you would say you recognize?
TK: Nostalgia is a problem in rock. It is a big issue.
KC: I am referring to the material, not so much the attitude.
TK: It all depends on how you challenge nostalgia. Nostalgia is a chasing, and rock goes against nostalgia. In some cases the nostalgia can be absorbing, like with Tangerine Dream or the Velvet Underground, who are essentially a nostalgic band, and immensely important. Personally, I tend to drown in nostalgia whilst trying to maintain some distance from the world and from the audience, sometimes by deliberately embracing cliché.
KC: The end result certainly transcends cliché.
TK: Thank you.
KC: Was the piano your first instrument?
TK: Yes, I attended a class at the Yamaha School of Music when I was two and a half. I played a pump organ there too, but during the classes, I slept.
KC: Can you name some piano music that interests you?
TK: Have you heard the Japanese piano player Yuji Takahashi performing Bach?
KC: I’m not sure.
TK: In some instances he plays Bach as a child would, as if confronted with the score for the first time. Also Jacques Fevrier, whose touch, or attack, is very unique. Of all the interpreters of Satie, he is the best. Really though, I am not interested in pianists. I am only interested in this kind of… attack (makes a snapping sound with his finger on the table). Just attack.
KC: You played piano a bit last night with Che-SHIZU. Do you still play much?
TK: I play piano in a hotel lobby, playing jazz, like “’Round Midnight.” Depending on the shift, I can alter the style to suit the customers.
KC: Nightlife, Business Class, Happy Hour …
(laughter)
TK: I will think of Erik Satie playing at Le Chat Noir. Even when I play at a place like that, I play carefully, paying close attention to rhythm, or touch.
KC: Other than this, are you performing much in Japan?
TK: Yes, a few times a month, though I rarely collaborate with musicians of my own generation. It is mostly with younger musicians. These days, in many different places there are groups of younger musicians who have learned to play Maher music, so when I go there, it is these younger musicians who become the band. I have played in many places ending in ma, making for YokohaMaher, HiroshiMaher, etc. It is my goal that this will culminate in Italy for RoMaher, someday …
KC: You have strong connections in Glasgow and Olympia, Washington, via Geographic and K records, who form a kind of Maher trade route to Japan.
TK: Yes. There’s also Movietone in Bristol, and the Maher musical family in Liége, Belgium. These scenes kind of overlap and have embraced Maher, and the people involved are very important to me, like a family.
KC: What has your impression been of US audiences?
TK: Each city is different. For example, I have been opening each Maher concert with a video piece I made, a realization of John Cage’s famous 4’33”. In LA, when the video was finished, there was wild cheering, but in New York, the audience seemed nonplussed, like they were too cool to react or acknowledge it. Also, I observed that the posture of the people walking around in each city is markedly different. In LA it seems loose and kind of relaxed, where as New Yorkers are more adroit and upright. In Texas I had initially thought to make some kind of tribute to Texas psychedelia, like the 13th Floor Elevators or Red Crayola, but then I realized that Marfa, where we were playing, is far from Austin where those bands were from, so I wrote a country song for the occasion instead, called “Too Many Wives.”
KC: Might this eventually appear on record?
TK: Making vinyl records is very important, but it requires money. I have four different SoundCloud accounts, but I don’t think that too many people are listening.
KC: In Japan, is Maher seen as a Christian band?
TK: (laughter) No. In my local town, Matsuyama, I am considered a noise musician.
KC: There was an interview many years ago with you that originally appeared in the Japanese magazine G-Modern, which was subsequently translated into English by Alan Cummings, and which goes to some length tracing out your history.
TK: The translation is incomplete. I find that there is an almost imperialistic tendency in the coverage of Japanese underground music by publications such as The Wire magazine, which is similar to that of the British Museum. An exaggerated, westernized form of the Japanese underground is portrayed, and then this is imported back to Japan. Usually, when the Japanese import or try to understand western culture, there is some kind of misunderstanding. A good example of this would be the Japanese reception of Derek Bailey. With the minimum of information that was originally available, his work prompted speculation and fantasy. Conversely, when this happens with Japanese music, a weird kind of feedback loop is created, affecting the reception of this music, both in Japan and abroad.
KC: There are some artists, for example Daisuki Tobari, or Jun Konagaya/GRIM, or Magical Power Mako even, who seem immune to this.
TK: You are right. In any event, certain artists may exist outside of this loop.
KC: Like yourself?
TK: I am perpetually on the border.
KC: What then, would you say, is the state of Maher Shalal Hash Baz today?
TK: That’s a difficult question. It’s very difficult to run, though I am trying. In a way it could be said that Maher does not exist anymore. All the original members are gone, so now I accept whoever comes to Maher, and they are more like participants. I can continue that way, and I can create songs, so if you want to call that Maher, it’s okay. In some ways it is becoming more of a theatrical undertaking, akin maybe to Pasolini with all his actors being like a theater group, or the same actors playing in different films. I have worked with the Montreal-based playwright Jacob Wren in creating the play “No Double Life for the Wicked,” about the members of Maher and their daily lives. For example, in the play I am making pottery. It’s an attempt to show how Maher has become Maher, a kind of meta-Maher.
It interests me that Jeremy, a Maher band member, was reading a book on Jodorowsky when I met him New York. Back in Japan I had recently watched Jodorowsky’s latest film “The Dance of Reality.” I also recently saw the film Coco Chanel & Igor Stravinsky [Jodorowsky is thanked in the closing credits to this film- ed.] which depicts the 1913 premiere of Stravinsky’s ballet The Rite of Spring. At the same time, Arrington, another Maher member who is a painter, is studying Nicholas Roerich, the backdrop painter and costume designer for that original production, who was quite interesting. He was committed to Madame Blavatsky’s Theosophy and ended up in India. And not too long ago I had performed an “opera” called A Centennial of The Rite of Spring in Kochi, Japan. With Diaghelev as producer and Nijinsky, of the Ballet Russes, The Rite of Spring premiere in 1913 was the most important artistic event of the twentieth century, due largely to its collaborative nature, though it was very messy and confused, and the cops had to be called.
There is some kind of synchronicity in all of this, that we are all sharing this same information, though at the same time I feel somehow domesticated, which is a little scary, as if we are under the influence or control of highly advanced capitalism. We correspond like an art book fair. We are the livestock of this late capitalism. But ironically, this seems to result in miraculous collaborations like The Rite of Spring becoming rare.
KC: Do you feel the burden of proof, to continue?
TK: It’s very hard. I am hoping that this world is going to end soon.

 

here is a manga that reminds me of

your performance in Montreal. not

exactly. but a little bit.

hope you are well.

 

休日出勤

三十年 私たちは待った

三十年で私たちは振り分けられた

 

 

高校の世界史の教科書の12月党の写真を探しているんだけど誰も持ってない

 

しげのぶか重信川が氾濫している

 

KathBloomはユーゲでもやりたかったけどビザの関係で無理や
難波屋はかなり貴重や思うで

 

ブルックナー 脅迫 いいじゃないか 自分に厳しければ

 

鬱屈

 

目玉に触っているようだ

 

One more cup of coffee for the road

アメリカに行く前にテキサスはこんな気分かなと思って聴いていました

えりこさんはマヘルではこういうイメージです

 

広島の片町ですれ違いざまこの前ミクシィでーと耳に入ってきてそのままコンフォートホテルの朝のボルシチでした。
琵琶湖沿岸のジョニー系で終わりにしましょう濃縮ストロンチウムは。
NOPPINは子規を想わせる愛媛のほこりだ夕飯分もラップして。

 

間違えて人間と答えてアメリカ県米子市にディスパッチされたお米は監視カメラを使って映画を撮らされる。主題を家族愛と入れ替えるのが主な仕事である。充血したいなばさんの眼がつぶれ、渡航者たちは海の荒野で渇水のために鳥葬されてゆく。夜中に上陸出来てしまったのは希望を捨てず、家族を守ろうと決意していたからだ、と国産米の一粒一粒に書き込んでいく。

 

王道

僕は王道に行った
王道で僕はファンタグレープの500ccを一気飲みした
そのあと窪田君と松元君と「あたりや」で氷スイカを食べた
文化祭でこの曲をやりたいやつがいて伴奏を頼まれていたが
僕らはさらに「かめ」の焼きそばを食べに行った
探りがたきは王たちの心
僕らはなぜ削り節のダンスを見ていたのだろう
滅びに至るクロスロードで

 

無事に悪魔と答えて小豆島に渡った墓川は「シスセソ」に盲目にされるが「イウエオ」のよって豊島先生の乳で目を洗われ二四の複眼となり蝙蝠のようにぱたぱたと夕空を飛んでいる。盲滅法のかなしみは折れ線で記録され、数値化されることで痛みは消えるが目の針は残る。
間違えて人間と答えてアメリカ県米子市にディスパッチされたお米は監視カメラを使って映画を撮らされる。主題を家族愛と入れ替えるのが主な仕事である。充血したいなばさんの眼がつぶれ、渡航者たちは海の荒野で渇水のために鳥葬されてゆく。夜中に上陸出来てしまったのは希望を捨てず、家族を守ろうと決意していたからだ、と国産米の一粒一粒に書き込んでいく。

 

自分より大きい者にとって汚れとは

 

自分より大きい者になり過ぎて

自分が偶像になっている

自分を中傷する

貧しさコプトーコス

を強く意識している

心を煮る

ちまたの上手で

 

(人が過ごしている時間の)

 

人が過ごしている時間の

食材のような色をした距離を

同じ熱の黒が千年を串刺しにして飛ぶ

大きなオレンジの中を

黒が飛ぶ

 

しいんとして子音のうるさい

キャスがあれを持ってくるとポールのときみたいになっちまうのでthis is this, that is thatと説得している

 

祝島ヘル
祝島ヘルとは広島のアコーデイオン系魔女の巣窟と呼ばれているヲルガン座などでやるものである。いつも参加していたのは広島時代の玉柳君、きしこちゃん、などだがきしこちゃんはもう大人のOLになったのできしこさんに変わった。マクラウドと「マルティチュードにおけるコモンのオレンジ」をやったときは気合を入れて数百個の風船をトイレから溢れさせた。

岐阜マヘル
岐阜マヘルとはotonotaniとかでやるものでる。メンバーは夕食の3人とかくつざわさんである。動画は野網君と練習しているところ。

中之島ヘル
中之島ヘルとは大阪でやるものである。いつも知らない人が沢山参加するが、歌わずにただ喋っているようなときは下司君と愛さんである。曲が浮かぶとウィルコムのピッチで愛さんのピッチに鼻歌を送り、それを愛さんと茉莉が再現して送り返す、というのをやっていた。茉莉はギャーギャー泣いているだけだが、たまに唱和していることもある。京セラのファイルは返還不能なので最近スタジオでマイクに近づけてやっとデータにした。「ガラ刑」というタイトルでまとめようと思っている。本番前に消耗しなければ、やれる曲はたくさんあるのだと気付く。セラデルニエールシャンソンの時みたいに。マヘルでは短い曲をたくさんやってきたが、常に不評だった。でも短い曲が好きという 人も過去に数人はいた。小林君とか渋谷君などである。ぼくも短い曲がすきだ。

名古屋マヘル
名古屋マヘルとはハポン等に呼ばれてやるときのものである。メンバーは大体ジョンのサンである。いちどポールのドーターという名前でCDを出したこともある。このまえジョンのサンの新譜にコメントを書いた。

なごやかな
場所のキャンパス
他人の空似
連鎖のナイキのこそこそ

名古屋から出てきた螺鈿
テレビ塔でがっかり

名づけられた場所
へ電気屋を装って
ダフ屋も通さず
スクラッチ

世界の車窓から
垂直に立ち上がる
ウエストコーストの
ヘロインの結晶
を濾過するバンド
エーテル運び
「ヘロインが水に溶ける様子は、
すさまじい程、速やかで、
水面にヘロインが達したか
否かの瞬間に
水面を走り回って溶けます」

女子大生
労働する
小説のように

「おれさあ」
解けたコンバースの紐を
踏みつけながら
外にまろび出た 朝

奉仕に出かける
それさえも線で表す
意思は(オスカー)ワイルド

炭水化物が血糖値を上げる時
の憂鬱

未だハルマゲドンを
経験していない
身体の
定型化

事務

音楽

青春の描写
旧姓の親炙

フィボナッチ係数の青春
フーリエ変換の青春
その様相をさえ

あたたかい 人の情けに
胸をうつ 熱い涙も
知らないで そだったぼくは
みなしごさ
強ければそれでいいんだ
力さえあればいいんだ
ひねくれて星をにらんだ
ぼくなのさ 

生政治としての
音楽

生政治としての
バンド

マリッジ・ブルー

上部構造のB層

フォーカス

B層の
贅沢

B層の
恋の花山椒

線は最終的に
老いて死ぬことの
描写に進み

月は

盛岡マヘル
盛岡マヘルとは福岡さんの甥っ子がオーボエで参加したりするものである。

秋田マヘル
秋田マヘルとはまど枠の伊藤さんと今は浅草橋にアトリエを移した高木ルイさんが新聞にまで載せて現代音楽の大イベントみたいに吹聴してやるものである。ホルンを持ってきた人がスコアが転調されてなくて帰ってしまったりして悲惨だった。八郎潟から見に来た青年が唯一マヘルを知っていた。

青森マヘル
青森マヘルとは松山ヘルの尚子さん旧姓工藤が実姉の計らいで浅虫温泉とかに連れて行ってもらうものである。ゆぱんきってっまだあるのかな。

 

メルボルンでチャプター・ミュージックのガイ・ブラックマンがまだ無名のジョセフィン・フォスターとジョアンナ・ニューサム+スモッグを呼んだ時ぼくはジョセフィン・フォスターとだけ仲良くなったのだったが、数年後なぜかエジンバラの楽屋で再びジョアンナ・ニューサムと一緒になったので、あの時の人(ビル・キャラハン)は?と訊くと本番前というのに急に泣き出してしまいしまったと思った。その数年後なぜかまた裏窓で会ったが、もうその話はもちろんしなかった。それはどうでもよくて、ガイ・ブラックマンが次に発見したのがケイスだった。彼は彼女のアルバムをことごとく再発し、トリビュートまで作った。その頃彼からケイスがアメリカでツアーをするけど来ないかと 誘われたが断ってしまった。その悔いもあってジョセフィン・フォスターは富田さんが呼んだのでもういいから、次はケイスだと吹聴していたら、ケイスとツアーしていたエンバー・シュラッグという人がやっているラジオでマヘルをかけたりするようになり、そのつながりでケイスを呼べそうか彼女に打診したりしていたら急にPARCが呼んでくれることになったわけでした。何が言いたいかというと、結局ガイ・ブラックマンから始まったわけだから、オーストラリアにはwireという大英博物館的帝国主義に振り回されない鋭い耳を持った男がまだいるなあと思った、ということです。そのガイとはその後円盤で共演したけれど、ぼくは円盤に嫌がられてライブを断られたりしていたのになぜか出る羽目になったので なるべく演奏以外は外にいたから挨拶もできなかったのでした。それで今回ガイさんにお礼のメールをしてみましたがまだ返事は来ません。

 

大牟田中島ヘル
大牟田ナカシマヘルとは竹永君の企画しているキャバレーふじでやるものである。ドラマーは「あん」ちゃんという中学生の女の子だったがいまはどうしているだろう。

沖縄普天間ヘル
沖縄普天間ヘルとはショウ君の周りの学生とかが参加してガチャピンの店とか方々でやるものである。一年の子に、何でそんなかなしい歌詞を歌わなければならないんですかと真顔で詰問されたことがある。

能古島ヘル
能古島ヘルとはノコニコやテトラでやるものである。会場に着くとブラバン女子が勢ぞろいしていてよろしくおねがいしまーすと言う。こちらは照れて演奏どころではない。小山の双子とシャグスみたいなのをやりたいと思っているが果たせてない。

大分マヘル
大分マヘルとはat hallや別府でやるものである。メンバーは常にクラヴィノーツの諸君である。

 

札幌円山ヘル

札幌円山ヘルとはゆみのすけとうさこが参加していたものである。今はその二人も秋葉君も東京である。僕は今年の札幌芸術祭の展示で伊福部昭のゴジラのスコアがロシア語であることを見てびっくりした。ギリヤークの歌があるこのも見つけた。regregや中西楊一の暗さや、理恵さんの好んだ色や、かれらが被征服民について口ごもる理由も分かってきた。三谷と中崎と幾郎と最後にやったのも札幌だった。

ヨナはニネベの市民が死ねばいいと思った。その精神状態のまま書き出した。書くことで整理がついた。書きながら、考えたのだ。

 

本当のことを云おうか、というのはあらゆる詩の冒頭の一節ですが、本当のことで書けることというのは僅かです。その僅かな領域の中で、人物の名を変え地名を変えて何かを遺そうとしても、こうして本名を知られている以上、ブランショの写真のように、ネット上の痕跡のようにして、書かれたものは全て、それを見ている見えない者によって、記録の箱の中に納められてしまいます。書かれたものは全て公です。だから本当のことは、人の手によって書かれたことがないのです。現に存在するのは書かされていることだけで、書かせる源が何であるかだけが判断の土台になっていきます。その判断は書店の入り口に立つ道場破りに似ています。わたしはニューヨークで人を殺した、と書き ます。すると書物たちが、私も殺した、実は私も、と口ぐちに反応するのです。共犯者を探し、共闘するために、絶望的に夜の街を壁から壁へぴょんぴょん移動することがニューヨークの全てでした。

アケガタのヒリヒリとりどりにヒとリ

蚊の刺子

刺子はお母さんから、人様の血を頂くのだから最低限の礼儀として音を立てて近づきなさい、血の価値を贖いとして蚊の王に持っていく覚悟で行きなさい、刺し違えてもいいから、尤も人間の手はのろいからそうそう捕まりませんからね、と教育されて育てられていましたから、律儀に音を立てて肌に近づいていましたが、秋になり、何日かの冷え込みの後、もう子孫を残すには今日しかない、という晴れ間の見えたある午後、とうとう、音を立てずに近づいて刺し、その家のご主人の血を抜き取ってしまいました。「もう。なりふりかまわずやな」とご主人の言っている声が聞こえ、重くなった刺子は「はあー・・」、とため息をつきながらくるくる墜ちてゆきました。

 

ひをくぐる

ひのくぎり

はるをきる

はらをきる

ひるおきる

ひるをきる

 

人の意見でデッサンは狂い

無粋に刈り込まれ

ふてくされた鋏の眼はきみには大き過ぎ る

夜の筑豊のタクシーは痴呆で蓄膿だ

雨は炭のような痕跡を残しながらも

フロントガラスのワイパーに書き直しを命じられている

 

岬を回って

 

10.26
shinjuku@jam
mshb
 -three decades of maher shalal hash baz-

jamの店長は高橋の源ちゃんに似ている。西村+朝+灰野の時、しんから嬉しそうに僕の顔をちらちら見るのが可愛かった。

 

黄ニラ、黄ニラと云ふから何事かと思つたら黄色いニラだった

竹撓(シナ)う勝手に節目を付けられて