tori kudo

Back to the list

インタビュー cookie scene vol.22

vol.22 2001年11月25日発行 

聞き手・文・構成/インタビュー cookie scene 関岡憲治

企画・質問原案作成・立会い・写真/阿佐美澄子

 

  • ジオグラフィックからマヘルのCDを出したことで、外国からの反応はありましたか?

「e-mailで、いろいろな反応が来ます。『良かった』とか・・・」

  • 英語で言うと “Thank you for your music.” みたいなニュアンスですか?

「はい、そうです。自分が子供の世話をしている境遇の人からとか。最近、アメリカ人からそういう反応が多いですね」

  • そういう人って、例えば以前工藤さんが言ってらしたコーネリアス・カーデューのように、偶然に工藤さんご自身と生い立ちやバックボーンが似ている人って多いのではないでしょうか?

「あるね、あります。ゴッドスピード・ユー・ブラック・エンペラー!の人からも来たよ。その人のやっている別ので、A Silver Mt. Zionっていうのに、なんかマヘルの事が書いてあるんだって」

  • そういえば最近のマヘルの曲で、”Mountain is Waiting” っていうのがありますよね。

「よく知ってますね(笑)」

  • これからは “Mount(ain)” ですかね・・・(沈黙)・・・すみません。

「今、その ”待っている” というのがキーワードとして一つあると思うんですよ。もう一つは、Do you still love me?という、2つのキーワードなんですよ、詞の。それを元に、いろいろな詞を立ち上げます」

  • あ、”Do you still love me ?” ってこの前のリキッドでもやってらした・・・。この前のライブでは特にこの、マイクでオーディエンスのヴァイヴを音響的に演奏に返すシステムが効果的でしたね。

「なんか普通マヘルって、曲間が長くってみんな飽きるじゃないですか。で、そん時に逆に、ジョン・ケージの作品で石庭の石の配置を考えて打楽器とトロンボーンでやる、という作品があるんですけど、その石で表現される「音」と「音」の間を、マヘルのライブでは「曲」と「曲」の間、つまり曲間に置き換えて、それをメインにという考え方で、曲間にこれ(この装置)を”ワンワワーン”とやって、曲はもう石みたいな。曲間をむしろ聴かすっていう」

  • それはステージと客席の転換とかも意志されてますか? マイクで拾ったウァイヴは常に変調されて音的に還元されてますが。

「それも同時にあるんですけど、ケージの作品でピアニストが黙って座ってて、オーディエンスはその間でザワサワしているのを贈き取るっていう作品があるじゃないですか。それだと、それ(オーディエンス・ノイズ=ヴァイブ)は変調されないですよね。僕の場合、最近のソフトウェアの進歩で、その変調っていうのがずいぶん自由にできるようになったので、それで『やろうかな』と思うようになったんです。興味がてらそこらへんにあるんですよ。 90年代に入ってサンプラーとは随分進歩したんですが、その『(変調の)リアルタイムで』っていう事に関してはまだそう進歩は無いんですよ。ソフトウェアとコンビュータの相性が悪いと1、2秒遅れたりするんですよ・・・(ここで工藤さん、天井からぶらさげてあるマイクに向かって指をバチン!と鳴らす・・・と、変調された残響音が部屋中に誓く)・・・これ(今の効果)はまあまあ良い方なんですけど。最近良くなってきたんで。これは「キューベース」ってやつですけど、「リアクター」とか、そういうのを使ってます。客の反応って、シーンとしているようで、何かそれを形にしようとするじゃないですか。ちょっと「ハッ」てするような、その程度でも。それをこう、演奏に還元していく、というか。割と全員参加っぽいじゃないですか」

  • そうすると、実際演奏されていない間でも“演奏” なんでしょうか。さっきのご説明ですと、演奏は”点的” で、その間は別の物、というニュアンスだったと思うのですが。その曲間も含めた感じで、全てが演奏と捉えるべきなんでしょうか?

「はい、そこらへんを話しだすとアレなんですけど、昔は作曲っていうとその音符で楽譜を全部書いちゃって、構造物として完成されていたので、『音色』ってことは全然考えなくってよかったんです。その『音程』の選び方で即興していくし作曲もしていく、っていうのが可能たったんです。というのは、例えば僕が『ドミソ』って弾いたら、なんかわりと社会に寄り添っているみたいじゃないですか。それに対して関岡さんが『ファのシャーブ』とかって演ると『オレはそんなね、体制的なのはイヤだぜ!』みたいな、スネている感じになるじゃないですか。そんなふうに、音の選び方でその人と社会の関係っていうのが浮き彫りにされるじゃないですか。それによってフリーの即興とかもやれたじゃないですか。でもだんだん90年代に入ってきて、不協和音とかそういうのの意味が全くなくなってきちゃった。というのは例えば、アンダーグラウンドみたいのが全部並列に並んだじゃないですか。みんなショー・ウインドウに並列に並ぶような時代になって、その「音程」の選び方によって自分と社会の関係なり、何かを訴えっていうのは、何か意味がなくなってきてしまって、全て並列になった。という事は、音程の選び方ではちょっと即興とかそういうのが難しくなってきた。で次に何が出来るかっていうと、今度は『音色』とか。昔はちょっと考えてなかったんですけと。というのは、マヘルの曲は何で演奏してもよかった、ビアニカだろうが縦笛だろうが。っていうのから、今度は『音色』っていうのが即興に移って、例えば僕が『ドミソ』じゃなくてわりと『クッキー』とか、何ていうか『フワー』っとした音色を出すとするじゃないですか。それに対して関岡さんが『クネッ』とした音色を出すと、なんかこう・・・。というふうに、『音色』を出し合って即興するっていうのがソフトウェアの進歩によって可能になってきたかな、と思うようになったんです。日本人の好きな理屈づけで言えば、エリック・ドルフィー、デレク・ベイリーが「点」と「点」の出理で即興してきた、そのまっとうな流れの延長線上にそういった「音」と「音」のシステムをやれば、こう・・・。でも、それがどうこうっていうんでも・・・」

  • いや、だからその(ドルフィー、ベイリーに続く)3番目に来るのが工藤さん、なんではないんですか(笑)

「いやいや、そういうワケじゃないんですけど(笑)。だから日本人って、そういう理屈付けとかしたがる傾向があるなって、逆に今気づかされました。僕がちょっとイキリスに行ったじゃないですか。イギリスの場合音楽っていうのがね、『退屈』と『叙情』っていうのの間の揺れ動きなんですよ。わかります?おばあさんとかが立派な家に住んでるじゃないですか、デコレーションされた。でも一人で住んでいるから退屈なんですよね。で、自殺とか多いんですよ、冬とか。で。その『退屈』というのが核にあって、それからそれを紛らわすために何が来るかっていうと、何か『リリシズム』っていうんですか、『叙情』ですよね。だからイギリスの音楽っていうのはメロディアスでキレイじゃないですか。ノスタルジックで。ああいうものでしばし溺れて、その間は退屈を忘れる、みたいなところあるじゃないですか。だから『退屈』と『叙情』の間に線があるはずで、その線上をこう、『退屈』の方に傾いていたり、「今はいい感じ」とか、こういうふうな揺れで、・・・ぐらいしかないんですよ。そりゃAMMとか、頭で論理的なのはあるけれども、ちょっと暮らしてみると大雑把に言うとそんな感じがしたんです。ところが日本人って、そういう分け方では音楽を捉えられなくて。つまり忙しいじゃないですか。だから退屈っていうのはまずないんですよね。忙しいか地援しているか、どっちかじゃないですか。だから事件があると『ワァー!』って盛り上がって、後はおさまる。だから、退屈を核にした表現っていうのは日本にはそんなにはないんですよ。だから日本の場合『音楽』と音楽じゃないもの、『非音楽』っていうんですか、の間に線があって、その場界線上を揺れ動いて、こう、「深読みのドグマ」みたいのを追求しちゃうんですよ。むこうの人とかはシド・バレットとか、ただ素朴に無邪気にやってるから楽しい、みたいに言う人多いんですけど、日本の場合変に深読みしちゃって、なんか『生き死に』に関わるような話になってしまうんですよ。だから最近、日本のアンダーグラウンドに対しての評論とか、キーナンさんとかするんですけど、僕と話した事とかにも影響を受けているんでしょうけど、やっと理解してきたんですよ。2、3年前までは彼ら、日本って『ディープでミスティック』だなんて言ってたんですけど、なんか、だんだん解ってきたみたい。何でもアカデミックに論文にしちゃうような人達だけど、遂に理解したみたい。つまり、ある種の深読みから始まった、誤解かもしれないしわかんない、ドグマといったものが外国の(元ネタの)人以上に深くなっちゃって、誤解から始まっているくせにヘンに深いんですよ。それが外国の人にはない衝動だし、わかんない部分だから、逆にインパクトがあるんですよ。だからキーナンさんとか、阿部薫の写真とか部屋に貼って拝んでるんですよ。ヘンな現象ですよね」

  • 僕、名前は忘れましたけど日本の思想家で“日本人は模倣から始まっての模倣を極めたところで自分のオリジナルを見付ける”みたいな事を言っている人がいたと思うのですけど。

「そういうタイプもいますけどね」

  • 日本のアーティストって、無意識的かもしれないですが、模倣が多いじゃないですか。模倣じゃないにしても、コラージュ的センスっていうか、切り張りして違う物を造る、みたいな。

「なんか、解釈してきたんですよね、一語がバッと際立って目に飛び込んできて、それを自分の座右の銘にするみたいに、こう。やっぱりそれも深読みですよね。でも”深読み” っていう単語は訳そうとしたんですけど辞書にないんですよ。言葉が。”誤解”でもないし。だからそれって、日本を説明する時のキーワードになっている気がするんですよ。それで彼ら(イギリスの音楽ジャーナリスト)はそれを今、理解しつつある。あれ~何について話していたんだっけ」

  • あの、マヘルのCDが出たことで外国からの反応は・・・。

「ああ、そうだった(笑)。あんまり論理的な反応はないんですよ。”ホッとする” とか、つらい毎日の中でホッとするような、そういうのが多いんですよ。あと、『レコードを交換しよう』とか。高いんですよ、オルグのやつとか。たから『自分の持っているコレと交換しよう』とか、おばあちゃんが作ったピクルスと交換しようとか、なんかそういうヘンな田舎の子がいたりして。なんか面白い(笑)」

  • 関係が続きそうな人もいそうですか?

「ホームベージの “Mail Me” ってとこから来る人もいるから、まぁ返事出したり」

  • では、インターネットを経由した音楽的な弱がり、とかも工藤さんにとってありえますか?例えば、この間もライヴで共演されていたメルツバウとかありますが…。

「ああ、それなんか秋田さん(秋田昌美。メルツバウ)がはじめたやつ。メールアートで、90年代のノイズはえらく元気になったんですよねぇ? だからその、ちょっと前まではそういった小さなジャンルがいっぱいできて、その狭いジャンルの中では、『村』だから、地球が『全体』として見ればそれは『小さな村』だから、その中で自分は有名だとか、満足を得る、っていうシステムはありましたよね、うん」

  • それがさっき工藤さんがおっしゃっていた「音色」の選び方でそれぞれが特徴づけられる/られないといった話に結びつきますか?

「それは考えてなかったけどね。あぁ、でも…ちょっと混乱したみたい。でも、『音色』で云々っていうのは今いっぱいありますよね。で、結局コンビュータ使わない人とかもいるんですよね。Sonigとか、Mego系かと思ったらそうじゃなくって、生音でやってたり。その人はよくメールとか来ますよ。やりとり」

  • 成る程。では次です。トラットリアのレコーディングについて・・・。

「僕の子供が見に行ったらしいんですけど、(住んでいる四国の)松山のタワーレコードで室伝してあったみたいですよ。「あのカトリーナ(パステルズ)が人物の見取り図を書いてくれたぞ!」とかって貼ってあって、例のトラットリアのジオグラフィックのコンビが平積みにされていたみたい。なんか、松山でも盛り上がっているみたいですよ」

  • 地元の名士みたいですね(笑)。

「いや、僕が松山に住んでいるとかは誰も知らないんですよ。だから面白いんですよ」

  • でも、あのコンビ自体が都市中枢というより、ちょっとカントリーな雰囲気が漂っている妙な感じでしたよね・・・。

「あれ、ところでこの前の(イギリスでの)ベルセバのコンサートとか行った人いましたか? 5月の。2年ぶりとかで、僕行ったんですよ。なんか田舎にみんなでフェリーで行って、そこですごいイイ雰囲気で」

  • 東京のは行きますよ。来月(11月)来ます。

「あ、そうですか。東京に来るんですか・・・へぇー。スティーヴィーて人にね、 ”エルヴィスー”、とか言うとやってくれますよ。シャーデーもやりますよ。なんでもやれるんです、言われるのを持ってますよ、きっと」

  • でもベル&セバスチャンってたまたま売れましたけど、やっている音楽は素朴で、ちっとも、”今風” ではないですよね?

「ただ、やってるその感じがいい感じだなっていう。地元で、なんか地方までビクニックに行くような感じで、みんなでフェリーに乗って、田舎の小学校の講室みたいなところに行って、それで楽器とかいっぱいいるじゃないですか、ヴァイオリンが何人もいたりして、で、スコアを書く人は、凄く不幸せな情景ですよねぇ・・・。でもね、なんか怒ってましたよ、あの日本盤のタイトルの『私の中の悪魔』っていうの。英訳して教えてあげたらすっごいビックリして、仰天して『これからは全部チェックしないと』って」

  • 厳しい人は、その強引な訳やこじつけが原因でそれ以日本盤の訳詩を拒否したりする例もありますよね。マイ・ブラッディ・ヴァレンタインとか。

「ええ。でね、ジオグラフィックのコンビレーションとかも絶対ね、”グラスゴーより愛をこめて” とか書かれるぞって僕が言ったらね、すごい流行ってね、ショークで。”From Giasgow with love, helio!”とかみんな言ってて。グラスゴーの人達が(笑)」

  • シングルもまた出るんですよね、ジオグラフィックから。

「ええ。コンビレーションの曲はトラットリアのために1曲だけ録音したんですよね、中村さんのところで。その時はこういう(マイクをぶら下げて空気を集音する)装置はまだ考えてなくて、ベースとかね、全ての楽器に水の音を混ぜ込むっていうのを考えたんですよ。コンビュータのソフトで一つのバートの音をピックアップするでしょう、そしてその音の中に水の音を混ぜ込むっていうか、その波形の中に音の立ち上がりと消え方はそのままにして、中間部にこっそりさ1/4ぐらい水の音を混ぜていって、全員のパートの音にその水の音が混ざった状態でミックスダウンすれば、こう、”水っぽい” サウンドになるんじゃないか、と思ったんですよ。で、ただ水とぶつけるだけだったら昔っぽいんですけど、このコンピュータでホラ、操作できるじゃないですか。微妙な立ち上がりとか。ちょっとズラしてみたり。そういうのをしょうと思ってたんですけど・・・すっごい焦らされてね、間に合わなかったんで苦肉の策で、奏中にベースだったらベースの横にもう一人付いてて、なんかマックかなんかのコップに水を汲んだのをストローで、ベースが『ポン!』と弾いた臨間に『ブクブクブク―!』って、それで音が消える原間にブクブクも止める、っていうのを全バート、ラッパとかも全てやったんですよ、だからなんか、お金とかヒマがなくて、人力でそういうコンビュータ系の事をするのって、割といいと思うんですよ。そのヒントはねぇ、去年プリンセス・ドラゴン・マムっていうグループが松山に来たんですよ。」

  • あ、僕も東京で観ましたよ。ヒスーネイム・イズ・アライブの人とかですよね。

「ええ。彼らはお金がなくってコンビュータを買えないので、コンビュータの絵をダンボールに描いてね、その裏でオルガンかなんかを弾いてるんですよ」

  • ああ、それにインスパイアされたのがこの前の薔薇レコードでの工藤さんのインストアだったんですね!

「あ、そそそそ、よく解ったじゃないですか(笑)。アレっていいじゃないですか、なんだかすごく。それでトラットリアの時も本当はソフトを使って水の音をやりたかったんだけと、お金がなくってこう、”ブクブクやりました” っていう」

  • ローファイ、ですか。

「そうそう、ローファイですかね。ローテク? つけるようなやつですよね、あの」

  • えっ、それはまたちょっと違うような・・・では、あの曲の録音時にはこの装置はまだなかった、と。

「うん、コンピュータのソフトがいっぱいあるから、コレ使わなくっちゃって」

  • 成る程、その、松山の公演時は工藤さんは何をされたのですか?

「松山にはもう2組来てて、今年の2月に来た方がプリンセス・ドラゴン・マムか。去年の秋来たのが・・・昔レコードのボックスにゴミとかつめて売ってた・・・なんだっけなぁ、アレ」

  • キャロライナー?

「そうそう!その、もとキャロライナーの、アレなんていったっけなぁ、名前忘れちゃった。そのデトロイトかなんかから来た、その人のバンドの方がさっきの紙に言いたコンピュータ使ってたんだ」

  • (笑)。でも、プリンセス・ドラゴン・マムも…。「やってた!

「やってた!草が急に暴れ出したりして。アレもダンボール使ってましたよね、それからあのさあ、ライブでダンボール系の壁、書割っていうんですか、アレ、いいですよね。今日もやろうと思ってるんですよ。今日はコレ(コの字型に折り曲げられる障子タイプの屏風)をカラオケボックスに見立てて、その後ろで演奏するんですよ。で、その手前にこのテレビ画面覧いて。マヘルの中崎君がブライアン・フェリーの “Taxi” を教うっていう」

  • アヴァンギャルドだな~。

「ああ、そうですね(笑)。・えと、なんだっけ?あ、トラツトリアですね」

  • トラットリアのレコーディング。じゃアレは、あのコンビのために限定されたレコーディングだったと。じゃあ、あの曲は今度のジオグラフィックの7”には入らないのですか?

「うーん、それ、作ろうとしているみたいなんだけど、どうなのかなあ、(ジオグラフィックは)お金なそうですねえ。なんか、来年までに3枚ヴァイナルのシングルを作って、ツアーに、っていう計画があったんですけど。いつもそうやって言うんですけど、なかなか・・・。ただ、中村さんのとこでやったのは4曲くらい録ったんですけと、忙しくやったので。あんまりじっくりとは・・・。柴山君とやってた頃はものすごしい拘ってるから。全然違うんですよ、こう。いいのか悪いのか・・・。でも、大抵の人は即席でやらされてますもんねえ。でもね、この(『ストーン・イン・ザ・リバー』の)録音にはベースとかバス・クラリネットとか入ってるんですけど、普通ロックバンドって曲の最初っから最後まで、ベースとかドラムってずっと鳴っていると当たり前に思っているじゃないですか。でもこの場合はアレンジで、ちょっとでも『リアリティがない、なんでこう情性でやってるんだろう?』って自分でもわかんないって時は(プレイヤー各自が自分の演奏を途中で)切っちゃうってことにして」

  • 関さんがいらしたところで、最近の日本の新しいバンドについてお聞きしたいんですけど、キヌタパンって、どうお感じですか。なんか、マヘルと合体するかもっていうウワサを聞いたんですが。

「キヌタパンねぇ..。なんかメンバーがどんどんいなくなって、奥さんと彼(関さん)だけだから、うん。で、(家に泊めてもらったりしてるんで、なんか・・・。奥さんがヴィオラを弾けるんですよ。ヴィオラを弾ける人なんで、そういないじゃないですか。家の中もキレイで整頓されていて、こう、カツカツじゃないんですよ(生活が)。土、日が休みで、”衣食足りて礼節を知る” っていうんですか、こう、”金持ちケンカせず” っていうんですか、こう、余裕があって、ゆったりと付き合えるっていうんですか。中崎とか、いっつも失業中で、なんか

・・・。いや、だから関さんは…」

ここで、グワワワワ~ン!! と、部屋に大音響が響き渡る

「・・・結局、時間を取ってくれて、僕の曲の説明を聞いてくれる人がいれば誰でもいいんですよ。その人じゃなくってもいいっていう言い方をするとその人が傷付くんですけど、実際問題として、説明を(ライブとかの)前の日ぐらいには聞いてくれれば、誰でもいいんですけど、でも今なかなかみんな忙しいから、そう余裕のある人ってなかなかいないんですよね。だから、『マヘルって誰でもいい』とは言っているけど、ちょっとは余裕のある人じゃないとできないんでしょうかねえ・・・。でも、その場に居る人用のっていうのを何か、するっていうのも一つの…。今日やる行雲流水っていうのも、誰でも一時間ぐらい練習すれば演奏できるような楽譜を使ってやっている・」

  • 植野さんにちょっとお話伺ったんですけれど、マヘルって本当にキチンとやろうと思ったら、スコアの解読から練習から、どうやっても時間がものすごくかかるっていう。それが(ライヴ当日までに)完成する場合もしない場合もある、みたいな。仮に完成しない場合も、工藤さんはそれを受け入れる、という形で?

[うん、始めた曲はステージでも大体やりますけどね。でも、”廃曲” っていうのも、よく。きっと独特の用語ですよね、バンドの中で。技術的な問題とかもあって。だから、誰かがスタジすを用意してくれたら、全部自分でできる。」

  • ご自身では、そのいわゆる。”未完成”な部分と現像上の完成形との間にあるギャップについて、どうお感じになりますか。

「そのギャップがあればある程、っていうとと言い過ぎだけど、あると(かえって)いいんですよ。その完成形を客も演奏者もイメージできればそれていいわけですよ。

だからよく言うじゃないですか、『レドシラソファミレド』って、『レド・・・ド』って吹けば、(間の)『シラソファミレ』って省略しても聞いている人はわかるじゃないですか。そういう意味で、不完全な演奏をしても完成形が伝わるような形で演奏すればいいんですよ。例えは僕はピアノでは大体思ったところを押さえられるんですけど、ギターだとできないんですよ。だからビアノを弾いているつもりでギターを弾いているから、聴く人には『ちゃんと弾いたらこうなるんだろうな』っていうイメージが伝わるみたいなんですよ。それがちゃんと弾くよりもかえって・・・」

  • 聴き手のイメージを膨らませる?

「う~ん。ただの言い逃れかもしれないけど(笑)。本当はただヘタなんですけど」

  • 完成形が、カチっとした感じじゃなくって、もっと雰囲気として大きく伝われば、って面もあって。僕はマへルってそんな感じだと思ってました。

「ああ、そういうふうにいい面で捉えるといいですよね。っていうか、そうならざるをえなかったんですよねえ。でも、今までちゃんと自分だけで本当に理想的な環境でやった事ってないんで、なんとも言えないんですけど」

ここでまた、大音響が…

「関さん、努力してくれてね、『キューベース』ってソフトをくれて、このアップルも借り物で。まぁ、ギターでいっぱいエフェクトあるのと要するにいっしょなんですけど。それを早く、バババってできるって、それだけです」

  • では次の質問に。今回のツアー、音響面での試みについて。携帯電話を使われてましたか?

「ああ、これですよねぇ(と言って、ケータイ型の焼き物を取り出す)。最初にちょっと、”アンノウン・ハッピネス” を着メロでやって。でも、あんなの別に工夫に入んないですよねぇ。ああ、音響面での云々・・・、だから、関さんが入る前から自分だけのサンプラーのエフェクター使って、客席にマイクたらしてやってたんですよ。ツアーって、京都・大阪・名古屋・岐阜ってやったんですけど、そん時もその演奏と同時にマイクつるして客席の音を拾って、”ワワワーン” ってさして演奏するっていうの、やりました。そん時は曲よりも即興中心で。植野君たち、プカブカブライアンズの若手のみんなが・・・仕事を休んで来られるみんなが来てくれて。すごく心強い人々が何人か来たんです、東京から。そんな強く”練習” とか可哀想じゃないですか、たから即興っぽい要素を入れてやりました、はい。京都は反響よくって・・・。シェシズの向井さんや金子、それぞれ良かったですけどね、いっしょにやったりとかも」

  • それも楽曲ですか?”ライク・ア・ハリケーン」みたいな、カヴァー?

「楽曲をやったり、印興をやったり、”ライク・ア・ハリケーン” は一度限りでしたね。う~ん、シェシズの曲とかやりました。・・なんか、『ムシズが走る』って言菜があるじゃないですか、で、最近(身内で)流行ってるのが『シェンズが走る』って(笑)」

  • 向井さん、最近開き直って “向井村の妖怪なんとか”とかまでやってらして・・・。

「うん。でもね、久しぶり・・・20年ぶりぐらいにこんなツアーをやってね、楽しかったですけどね。83年ぐらいに、よくしてたんですよ。薔薇レコードのインストアの時はね、向井さんが、『Dの発売の日だから混ぜろ』とか言い出して、しかたなく前日くらいに急に共演が決まって、しょうがなく。そも、どうせやるなら考えて、と。でもなんか、あの日はずーっと喋り続けて “説教モード” でしたね・・・。リハの時からその日演る曲をちゃんと演っちゃうと、その日はもうその曲は死んでしまうから、ちゃんとやらない方がいいんだっていうのと、その(会場の)部屋と音の関係を考える方が大事で、そのコードがどうこうとか、あまり覚えてないんですけど、いろいろ説教したりしてね、面白かったですけど」

  • 僕も面白かったです。でも、お客の反応は必ずしも工藤さんの思われるような感じではなかったのかもしれないですけど・・・。

「あの時はねー、ワインを僕が自腹で買って飲ませて、それで ”ワァー” っとさせようと思ったんですけど、みんな大人しくって、こうやって(膝かかえて)。でもここでも金曜日に同じような感じでやったんですけど、その時あの薔薇にも来ていた子らがいたから、ラーメンおごって買収して、笛とか持たせて(笑)。でもね、その時はみんな楽器を持ってね、ミキサーで “ボオー” ってやって、ヴァイオリンとかも “ワー” ってやって、すごい良かったです。盛り上がりました、ワーっと。成功でしたね。僕はあまり何もしなくて、(部屋に)出たり入ったりして」

20年ギターを弾いているのに昨日買ったばかりのようだ

  • では次の質問です。ここでの定期(不定期?)焼き物グループ展  ”夜稲(よるいね)派 meltdown” について。

「前回は僕の個展だったんですけど、四国で窯でやってて2年くらいになるんですよ、それで周りにそういう人が集まってきて、なんか ”渚にてファン” だったりしてね、そういう人が。それで、やるんだったら一緒に、って。みんな初めてなもんで『東京で自分の作品並べる!』」とかいって。僕のは、前回はなんかいっぱい色んなの並べすぎて “陶芸教室” みたいでカッコ悪かったから、今回は3つに絞ったんですよ、うん。スッキリしてるじゃないですか、こう」

  • では、今回は展示者の参加人数も増えて、発展していると見てよいのですね・・・。前回(去年)も演英はあったのですか?

「うん、前回もね、一日あったんですよ。クドウズ っていうバンドで。キュードウズかな?それはたから、ウチの家族が演奏するっていう。“工藤家” って意味です。障子の向こうで、あれを部屋に見立てて。“夜稲” っていうのはね、『夜の稲』っていうCDが出たんですよ、マジキックから」

  • あ、僕がこれにレヴューさせていただきましたよ(といって、前号のCSを指す)。

「あ、レヴューとかあんまりされないから・・・。でもライナーで “20年ギターを承いているのに昨日買ったばかりのようだ” ってね、褒めてありました」

  • それは褒め言葉ですよね、ホントに。わかりやすいじゃないですか。

「わかりやすいですよね。でも、その文章は日本盤には入ってないんです。日本盤はライナーなし。それとは別に、Other Music のホームページにもなんかあった・・・。それでね、(マヘルは)10月に本当はグラスゴーのウィークエンド・フェスティバルに呼ばれてたんです。スターリンって街で年に1、2回あるらしい、”Le weekend” っていうのかな? でも、そのフェスティバル会場を今回用に改装していた際に、急に人骨が出てきちゃったんですよ。そしたらそこが発掘のアレになっちゃって、工事凍結っていって、残念ながら来春に持ち越しになっちゃったんですよ。で、マヘルのメンバーってみんなちゃんとした仕事する人達なのに、仕事を辞めたりとかバイトみたいのをする感じでずっと耐えてたんだけど、それが中止になっちゃってガクッとなって。グラスゴーとかに、みんな行きたかったのに。で僕が考えたのは、調度リキッドにも呼ばれたからまた焼き物展とかやって、一週間企画で選んだ人達を呼んでやれば、気持ちがそっちに向いて落ち込みが治るかなぁ、という気持ちでやったんですよ。で、その川手君という人が企画したんですよ」

  • あ、でも川手さん、リキッドでの演奏にはあまり参加されてなかったですよね?会場にはいらしたようでしたが。

「いました。なんか3曲ぐらい演奏して、あと客席で客の音を拾うっていう役をしてもらったんですよ。でも後半マイクを切られたみたいで、ガッカリしてましたねぇ。PAの人って、ホントなんかそういうの嫌うんですよね。今回のはねぇ、行雲流水とかシネルパとかトリ公っていうバンドとか、面白かったですよ。これも上手くいったら川手君がCD-Rかなんかにまとめて、50部ぐらいは売ろうっていう話をしてましたけどね」

  • 次に、リキッドルームで共演された大友さんとの再会について。

「昔、風間君っていう人がいたんですけど、それらとやってた頃に一緒にやったらしいんですけど・・・むこうがそう言ってましたけど、うん。面白かったのはホラ、『BAR青山』ってあるじゃないですか。あれって昔の “発狂の夜 スペース青山” っていって、僕とかレッドとか金子とかが毎晩やってたとこなんですよ。同じ場所なんですって。で、僕らがやってたよりも前が『地球の子供たち』っていう有名な店があったんですよ。だから三代に渡ってヒッピー、パンク、(笑)それを知って、『BAR青山』なんてちょっとオシャレっぽい感じするのに、『あそこかぁ!』って言って。で、そういうんでなんか、また会えて嬉しかったんですけど・・・」

  • 大友さんの演奏はどうでしたか?

「わりとフツーにギター弾いてましたよね。ああいうのもできないとプロじゃないんでしょうね。そうですよね」

  • あれは工藤さん的に見てJAZZって言っていいんですか?

「ああ・・・(間)・・・どうなんでしょうね。メロディー重視でしたよね。アドリブってあんまりないんですよねぇ?」

  • あのバンドは全てスコアどうりって聞いてます。オルガンの方が全曲スコアを書かれていて。

「なんかタイムリーでしたよね。 ”ベンタゴン” なんて・・・。客がいっぱい来てよかったですね」

  • そうですね。あの日僕はマヘルの演奏から入って後ろの方で観ていたんですが、デートコースの客っぽい人がウルサくってちょっと様でした。だから企画者の人には悪いけど、マヘルとデートコースの雰囲気はあまり混ざんなかった、っていうか。

「あー、でも、JANZって変わりましたよね。僕のJAZZって、”点・点”  だから。ああゆうの(デートコース)って束しゃないですか。”線と線” っていうか。あれは、作曲したものに音色を被せて訴えたい、みたいにしてるんでしょうかねぇ・・・。即興って、常に ”点・点” なものか、コルトレーンみたいに人生を束みたいに考えているものの2つしかなくって、ハッキリ分けられていて。線っていうのは敵だったんですよ、ずっと。でもそういうのって60年代的発想で、今はそんな風にも思ってないけど。だから(デートコースの音は) ”昔なら敵”、ソレですね(笑)」

  • でも、彼らは「即要」として最切っから演奏してないですよね?

「たから味方(笑)。なんでいいです。そもそも”点と点” を目指す、ってこと自体ドグマだから。本質的なことじゃないから、本当の本当のことじゃないから、いいんですよ。だから完成度を目指してても、単純に音楽ですよね、敵でも味方でもなくて。僕の場合、スコアを書いた人と実際の演奏者の間にある指示、僕がされる側だと傷ついたり嫌だったりする場合があるんですけど、そういうのってテーマになりうるんですよ。

  • その時の指示する側とされる側の関係の中での即興部分っていうのは、結局指示された部分を離れてフワッと、 ”自分でやりたい” っていうインスピレーションがあった場合、(指示した側は)それを許すっていう意味で、許容するシステムっていう意味で即興と言える?

うん。だから僕の場合、曲が今まで完全に出来てたんですよ、本当は。だから “誰でもいい” とか、”好きにしてくれ” とか、もしかしたらポーズかもしれない、それは。だから決まっちゅうてたんだから。だから、上手くできなくっても・・・って、詭弁かもしれない。でもそういうのって誰にでもあって、例えばカーデューとかも凄いブルジョワじゃないですか、中流階級の。そういう矛盾ってありますよね。だから今僕が考えているのは、ドグマとかそういうので物事を解決しようっていうのは意味がないっていうか、それ程深く解決しようって考え抜かない方がその問題はいいんじゃないかって。なんか若い人達見てると、演奏する前にお互いの関係を良いものにしておいて、そこから自然に干渉しあわないで、自分は「チュクチュク」って音を出す、こいつは「ボーボー」って音を出すとかって、それが自然に並列に並んでいるような、静かなものが多いんですよ。”自制” ってことに関して、昔の僕らの世代よりも遥かに進んでいるんですよ。抑制が効いているんですよ、特にトリコーなんていうのは・・・この絵をやった人達なんて。そういう意味で・・・。”点・点” っていうのって、60年代的だと思うんですよ。瞬間の美学っていうか。それってでも本質的なことじゃないから、それを、”絶対のもの” みたいにして人に押しけたり、”味方” だ “敵” だなんて言ってるのは、それはもう終わっちゃっているものなので、たから大友さんのこの前の演奏だってねぇ、作曲して、その上にいい音色をつけてね、音楽。それはそれで、何の議論も必要ないものなんですよ。事実、印象的なリズムとか音色はあったから・・・」

  • でも、工藤さんもやはりスコアを書かれてそれを演奏者に指示して弾いてもらうという形態を採られているわけですが、もしその演奏者個人個人がもっと練習してエキスパートになって、スコア本来の音に近づいたとしますよね、それが完成度的にこの前のデートコースのような、流れるような演奏になったとしたら、逆に工藤さんの思惑から逸れていってしまうのではないですか?工藤さんはああいう、”曲” を書かないけれど。

「いや、なんか、流れるようになったらいいと思うよ、ハイ」

  • でもそれがさっきのイギリスの話ではないですが、退屈と情緒の境界線を逸れて、”情緒過多” に傾きすぎてしまって、それがマヘルのステージでよく工藤さんが(チョキチョキと手を動かして)曲を送中でカットしてしまう、ということに結びついているのではないですか?

「ああ、そういうふうに思ったのですね。そのメロディーそのものがなんかこう、器といっしょで、容量があると思うんですよ。だから、何回繰り返しに値するかっていうのを敏感に感じながら演れば、そのフッと切るっていうふうにもなるんじゃないかな、と思います」

  • それが工藤さんの感じ方の速さなんですね。むしろ理性的な。

「はい。の場合 ”情緒過多” っていう曲とそうじゃない曲がいっぱい並列にあるから、いっぱい色々なモードの曲があると思う。普通の人よりこう、ちょっと土俵が広いんだと思う。普通の人ってわりと同じようなイメージでさ、”淡々と” って人はずっと淡々としてるんだけどさ、僕の場合はいろんな曲が。でもいくつかのバターンには分けられると思う。あの3枚組とか聞くと、なんか、叫ぶようなやつもたまにありますし」

  • (冒頭でも話題にした)ジオグラフィックの1番で出たコンピレーションがありましたよね、あれになんで「お風呂」を入れなかったのか?って、ステファンに会った時に訊いたら彼はその曲思い出せなくって。

「あれね、その前のオルグの京都でのライブのレコードにも入ってるんです。その曲でちょっと(アルパムの)雰囲気が変わるんですよ、ちょっと微妙な雰囲気が。で、あれを好きな人と嫌いな人、受け入れる人と受け入れない人で分かれるんです。で、日本的なんですよね、あのやり方が。イギリスの人は、そういうところにちょっとついて来れない。でもあの曲はよーく考え抜かれた2本のギターのスコアを書いて・・・。凄い考えが曲ですよ。ああいうのってね、あまありウケなかったですねぇ」

  • ステファンが本当に好きだって言ってたのは、前半のポップな曲の連なりでしたね。

「ああ、やっぱり情緒的なのが好きすよね。僕にはその『お風呂』のような。違う曲もあるんですけどね、うん」

  • 「愛されたい犬のように)も入っていなかったですね。

「あれも本当は弦楽四重奏でやりたいんですよ。ストリングスのために書いたんですよ。人がいたらいいんですけどね、あの、ベルセバみたいにね」

  • ステファンは今度パステルズとして来日した際は渚にての柴山さんと是非ステージで競演したいと言っていましたが・・・ベルセバ来月来ますよ(笑)。口説いてみたらいかがですか?話の持込みようによっては実現可能かもしれません。というか、セッション程度ならば好意的だと思いますよ

「彼らはよく殺置していて、聞違わないんですよね」

(ここで再び大友さんの話に戻る)

「ただ、感じがミュージシャンっぽい人って ”おにいさん” みたいに思って怖いっていうか、うちらはヘタだから関係ない世界っていうのがあって。だからミュージシャンっぽい人とか見ると “先輩” みたいな、 ”おにいさん” みたいな感じがしちゃって、僕より若くてもなんかずーっと年上みたいに感じちゃうんですよ」

  • でも工藤さんはそれを目指してるわけではないですよね。上達したいですか?

「経習、出来ればするけどね。僕、早弾きとかしたいですね。気持ちいいでしょうね、アレ。マヘルではたまに植野君がそういうバートで弾くんですけどね。まあ、”早きしている人を引用する”、 みたいな。昔はだから、その “早弾き” とかにも理屈を付けたりしたんだけど、今はなんとも・・・自分で出来ればしてもいいし、引用っぽくしてもいいし、何でもいいんですけどね・・・。自分でもちょっとしたいと思ったんですよ(早弾き)。練習しようかなって。でも、どうやって摂習したらいいのかわかんない。でもね、僕ね、”ファンフェア” って曲をやったんですよ、リキッドで。あん時ソロで、すっごいヘンな指使いして、なんか筋が・・・。次の日の夕方から茶碗も持てなくなっちゃったんですよ。で、中崎君にいろいろ、薬草とか塗ってもらったり、おふろに特殊な何かを入れたりして、やっと治ってきたんです。その時はね、ピアノもギターも焼き物も諦めようかってぐらいにね、すっごい動かなくなって。なんででしょうね?多分ね、髪の毛を抜く癖があって、無理な姿勢でずっと髪の毛を抜いていたんですよ。それで弱っていたところに “ファンフェア” のヘンなソロで、しかもその夜二日酔いで、その翌日コレ(会場の焼き物)を並べたんですよ。それでだと思うんですけど。やあ・・・でも、なんか、戻ってよかったでした」

  • よかったですね。でも今回、10月にグラスゴーで予定されていたライブが流れたお陰で東京まで来られて何国もライヴをしてもらえたということで、僕らこちらの者としてはとても嬉しかったです。こういう一連のことって、やっぱり何かきっかけがないとわざわざ東京まで出て来てっていうのは・・・。

「旅費がかかるんで、何万か保障があればいつでも来るんですよ」

  • でもぶっちゃけた話、この前のスターバインズなんかはすごく集客も多くて、あのぐらい入ればペイするんではないですか?

「ああ、あれは久しぶりにやったから。 “一度観ておこう” と思った人が来ただけで、(そういう人は)2度と来ないですよ。

  • あの時、すぐ続けてロフトでもあったんですけど、確かにお客さんは渡ってましたね・・・。でも、内容的には口フトの方が良かったです

「ああ、ロフト良かったですよねぇ」

  • あの時工藤さん、サティの早きをしていませんでしたか?

「いや。あの時のテーマは僕が作ったやつですよ。サティの引用ってね、「国分寺」って曲でユーフォが吹いているの」

  • じゃあ、”敵・味方” は、もう演奏者としてはない、ってことですね。

「本当はあるんですけど、そういう日本史的なドグマでもって、理論でやっていくっていうのは、本当の本当の事ではないっていうのはよく解っているので、言い方はヘンかもしれないけど、”どうでもいいこと” ですよね」

  • じゃあ”どうでもいいこと” として容認するのと、”これは絶対認められない” っていうのの境目がもうない…

「昔はすっごいあったんですけどね。だから今は、お、昔の敵”とか、”昔の味方!” とか、そういう感じ」

  • むしろそれは ”どうでもいいもの” として認めていることに近いですね?

「うん、”諦めて近づく” ですね。でも、それももうないかな・・・。なんか、渚にてのライナーを頼まれたんですけど、それにそういうことを書きましたね、だから、”昔は全部能・味方で分かれていた。ほとんど全部敵だった” とかって(笑)」

  • だからそれをもう少し平板に言い換えるなら、今はもう自分のチョイスで ”敵・味方” を分けることによって自分のスタイルやステイタスを築ける時代は終わった、ということになりますよね?

「うん、”音程的な敵・味方” っていうのは無効になっちやったから、”昔の敵・味方” っていう言い方は出来るけど、今はもっとね、交歓可能ですよね。いわば、”音色” 的な。でもその音色でさえ、すぐチェンジ可能ですからね。一瞬にしていい音色に変わる人もいるし。だから、人を裁くということは出来ないから。”保留” ですよ、ずっと最後まで・・・。その “敵・味方”を決めるのは自分じゃないんですよ。自分としては、自分の音色を出すことによってその場の音色が受わることもありますよね。よくあるじゃないですか、一人そのレコードが嫌いなやつが部屋にいると、なんかかけててもみんながつまんなく感じるっていう。あれ、不思議ですよね・・・あれ、解明されないんですか?」

  • しないでしょうね・・・何が発しているんでしょうかね。それは本当に。医学的な話になってしまいますよね・・・。では次に、パステルズが現在映画のサウンドトラックを作っていますが、ステファンの話によるとそれにはバステルズだけではなくマヘルの曲も使われるかもしれないとのことですが、何か聞いてますか?

「クラスゴーに行った時に、ピアノを録音してきたんですよ。ステファンが作曲して、簡単なメロディーで。でもステファンちのビアノって、一音ずれてるんですよ。チューニングが」

  • いい感じですね、それは!(笑)。納得いく感じにはならなかったんですか?

「いや、よかったんですけどね、でもステファンは “録音状態が悪い” とか言ってましたけどね・・・。なんか、その映画カッコイイ題なんですよ、『Last Great Wilderness』っていうんですよ。『最後の偉大な荒野』。それってスコットランドの荒野のことらしいんですけどね、なんかいいタイトルなんですよね」

  • ジョイ・ティヴィジョンの曲でも『Wilderness』ってありましたね。

「それってなんか・・・。まぁ、widernessって、”この世” って意味になるワケね。そのWidernessをさまようっていうのがあるんですよ、その、プロミスランドみたいなところに行くまでにさまようんですよ、そういう部分はなくなってきているんだけど、最後にそういう部分が・・・。わかんないよ、でもこれも “深読み”  だから、日本的な。でも、名前がそういう感じ。いいよね、なんか。でもね、実際はただのラブ・ストーリーみたいよ、フツーの(笑)。ロード・ムービーっぽいって言ってた、なんか。で、”主人公がそのスコットランドの原野/荒野だ” みたいに僕はとったけれど、昔の流行歌手みたいな人となんか三角関係みたいになったりするらしくって、で、ステファンがワザと “流行歌手になったつもりの曲” っていうのを書いて、自分がポップスターになったつもりで歌ってるんですよ。それが得意で、ずっと聴かせてくるんです。それっぽいんですよ(笑)」

  • 工原さんもそういうのやればいいじゃないですか。”これはルー・リードになった気持ちで” とか(笑)。でも、こないだ薔薇でもやっていたあの曲はよかったですね、ちょっと情緒っぽい…。

「あ、あれ。あれは『Perican of wideress』っていう曲で。ベリカンって、ああいう寂しいところにポツっている鳥なんですって。情緒?うん、でも途中でみんなでユニゾンでやるところとかもあるので・・・」

  • 感じ方には深読みや誤解も付き物なので・・・。マヘルって特にそういったものを誘発してしまうような存在かもしれないですね、外人はもっとニュートラルに捉えるがもしれないですけど。日本人だと、南條さんのように工藤さんのことをデータ的な面で語りたがる人もいますけど、新しいファンってむしろ情緒的な面に惹かれていたり、音響的な面に惹かれていたりで、みんな面白い反応を示していると思うんですよ。でもその先で、その人達が今度自分達でバンドとかアートとかをやるようになって、工藤さんの影響とかを語ると工藤さんの本質とはズレちゃうんですよ。それって深読みとかの範囲かもしれないけれど、そういうところに拡がりがあって面白いんじゃないか、と。

「(側に置いてあった『クッキーシーン』を手に取り)だいたい、”シーン” って深読みなんですかね、じゃあ」

  • そうですね・・・。僕ら50人ぐらいこれ(クッキーシーン)に寄稿していますが、普段付き合いのある人って限られてますしね。”シーン” と呼ぶにはちょっと・・・。

「呼べないですよ。だってイギリス人だって、アカデミックな論文のようにして日本のアンダーグラウンドに関して決着をつけようとしているっていうのも、デヴィッド・キーナンさんっていう日本オタクの評論家がただ書いたってだけで、歴史っていうのはそういう文章がちょっと書ける人が決めちゃうんですよね」

  • “デヴィッド・キーナンが『The Wire』誌にこんなことを書いた” っていうのをまた、”イギリスでこんな反応があった” って言って”G-modern” で持ち上げたりするとまた・・・。まぁ面白いんですけどね、あんまりキタナイものが混じらなければ。

「そうなんですよ、アレが ”シーン” なんですよ。狭い世界だから、それで自尊心を満足させてやってるんでしょうね。でも、いつもそういうことは銘記してないと思い上がりますよね・・・ただ、そのスマートな “シーン” っていうのもあったことはあったんですよね、(過去に)ニューヨークとかでは。それを真似たいんでしょうねぇ。でも、どのぐらいの規模から “シーン” って呼ぶのか、定員でもあればねぇ。”コレはシーンではない、却下!” とか言って。で、僕ら真っ先に切られるんですよ(笑)。だから、”シーン” とかではなくって(向こうに)日本オタクの評論家が何人かいるだけだって。世界はネットで結ばれているから、そういう小さい ”シーン” の集合体になっているっていうことですね。それは90年代にあって、それでノイズとかが流行ったんですよね、活動的に」

  • ネットといえば、工藤さんのホームベージありますよね、あそこに貼ってあるリンク先って全部工藤さんのシュミなんですが?Megoとか、なんか先鋭でありながらマイナーな電子音楽系の人達が・・・。

「はい。あれもわざとジャンルを絞って出しているだけですからね。だから、そういったソフトの研究をずっとやってたから。そういうところにモロには行かないけど、そういうのを聴いて、あとフォークみたいな・・・。だから今僕が考えているのは、ああいう技術、リアルタイムの即興で音色みたいのを使えるようになっている人が4、5人いて、その中にコアになるような人がひとり、例えは胡弓の向井さんだとか、フォークシンガーみたいな人がいるっていう、そういうバンドに変わっていくんじゃないかなぁ。昔はほら、ターンテーブルとかDJが付いていたじゃないですか。これからは “音色を操る4、5人とフォークシンガー” ・・・なんか預言っぽいか・・・。だからもう、コードとかで伴奏する必要はないんですよ。メロディーにそのコードが付随しているでしょ。人間の一生の中でトラッドのようなメロディーは既に頭に刷り込まれていますから。だから必要ないんですよ、バンド。リズムを付ける必要もないし。だって、歌えばリズムになるじゃないですか。だから、いらないものばっかりじやないですか。それよりも、音色と音色の即興の中で伝えられれば、本当の “歌もの” ですよね、それがね」

  • ちょっと今その話で連想したのはジム・オルークなんですけど。

「うん、彼がデトロイトとかシカゴとか行ったのは、まずメイヨ・トンプソンが行ったからでしょ。だから彼が一番偉いんじゃないかな。だから、彼の子供ですよ、全部みんな、シカゴとか」

  • 工藤さんもいいんですか、その “子供” で(笑)。

「いや、偉いと思いますよ」

  • 僕、それが繋がるとすっごく嬉しいんですけど、工藤さんにそう言っていただけると。

「うん、やっぱ僕最近(レッド・クレイオラの)60年代のCD買ったんですけど、一分かけてボリュームじーっと上げていくとか、あれとか凄いと思います。松山の古CD屋で安かった」

  • ドラッグシティーのサブレーベルでメイヨのソロの 『Corky’s Debt to His Father』をリイシューしたDexter’s Cigerっていうレーベルとかもあって、そのへんでまた繋がりがありますよね、若い世代と60年代の・・・。

「ドラッグシティーでアレ良かったですよ、スモッグとか。一枚目、イスのの前のやつ」

  • スモッグ、評価高いですよね。

「高いですね。あの路線で僕の言った “音色のやつ” が被さればすごくいいですよね、今。ただ、今のスモッグは自分の声に酔っちゃってつまんないよね。なんか、この前ドミノのオフィスに行った時僕が ”スモッグが好きだ” って言ったら6枚程くれましたよ、ゴソゴソっと・・・。」

  • スモッグですか・・・。ブラッシュってご存知ですか?

「それは聴いたことないなぁ。でも例えば、高円寺のライヴハウス 『UFOクラブ』とかのシーンって現場のアレだから、”ロックンロール!” って言っちゃうと終わりだから。ニューヨークと似てるんですけど、やっぱりそういうのって、”現場のロックンロールの力” に押され続けるんですけど、僕の予想としては音大の人とかが・・・ほら、ソニック・ユースの『グッパイ20thセンチュリー』ってあるじゃないですか、ああいうスコアって手に入るわけでしょう、音大とかに行けば。そういう奴がバンドのメンバーに入って、普通のライブハウスでそういったことをしていくようになるはずなんですよ。そうしてだんだん変わっていくんですよ。変わったらいいとか悪いとかじゃないんですが、あれが今一番カッコイイですもん、だって」

  • じゃあ、進化形態としてそういったミュータント的なものが必要とされる、ということでしょうか?

「いや、でもねぇ、そういうふうに断言するのはもうヤメてるから。とにかく何かこう、ブチ上げてどうこうっていうのは日本的で、それは間違いなんですよ。何を言ってもそれはドグマで、本当に大事なことではなくって、ただ面白くって言ってるだけですけどね・・・。だから自分はそういうのを横に見ながら、淡々とやるっていうことですよ。だって結局、いろいろな要素をちょっとづつ入れてやるっていうのに収まるじゃないですか。みんなそうですよ」

(2001年10月7日、武蔵小金井ARTLAND)