◎2015.10
霊魂の万聖節という訳は確かユイスマンスのさかしまに在ったので覚え、口のなかで転がしていた。
もはや秋というより冬が始まって久しいが。
徒花綺羅星ともいうべきヨシヤを名を挙げて予告しておきながら自らは同業に騙されライオンに殺された人の死体には蜜はなかった
騙した人については謎が多すぎる。列王記略
冬物語やめて傷物語にすればいいんだよ12月までの繋ぎに
ベルセバのフルキズはばっとしなかったけどね
ライブには人は来ないと思うけどやりたいことははっきりしている
こんな雨の晩に死んでゆく人がいると思うとコンビニに寄る
家賃が払えないくせにぽろぽろと小銭で酒を買ったりしている
大きな雨粒が車の屋根に当たりき我を責むるがごとくに
コンビニで酒などほろほろ買いしかば財布は空になりにけるかも
the が、フォーカスします。
日本液炭てふ会社あり液化炭素ガスを供給するならむ
初対面だったけど、とても、空虚に見えましたよ。
金がなくて東京いけない
ゼノフォビア
クセノフォビア
クセナキス
あと千円あと千円の贅沢
きみのお母さんはね、昔はアイドルだったんだよ
政治的同盟は常に嫌悪されるべきものである
トウィラー トウィララー
ゆっくりしてたんじゃ遅す
ぎる と言っても早く過ぎ
る訳ではない
いまからのちの空気は野菜の甘さ
日の出理容院 すっかり雰囲気変わりましたね。
そうですね。野毛の夜はジンビームのにおいがします。
ラブレターはやはりカタカナでしょうか。
そうですね。ライムを数滴垂らします。
夜が明けて花梨の実の際立ち始め
青の限界として茶はありてしも
人が減っていく ずるいなあ
こんな青空
文体を生きているやつは死ぬまではつまんない
青空にみんな死んでくソフトポア
chou chou train
かなしみは消費されるか
されないか
苦難の水と虐げのパン
かなしみを消費して進んでいく
自分を食べながら進んでいく
芋虫のように絶えず内側を表に出しながら
列車のように
三次元を二次元に移し換えるのではなく、目の二次元を手の三次元に移し換えること。
ピアノばっかだとギター弾きたくなってくるな
三つの層があった。死刑囚watchの例の偽悪のやつと病院内部の乾いたリアルとナイーブな少女漫画的短歌。どれも他人同士のようにたまに言及し合うが、決してそれで彼女全体が明らかになるわけではないように配置されている。
この池の中には放り投げられたアイフォンがひとつ沈んでるんだよ
コゼバ(Cozeba)はたぶん、「うそつき」と訳すしかない。アドラムの西南西5㌔の所にあるテル・エル・ベーダ(ホルバト・ラヴニン)と暫定的に同定されている。コゼバの人々は陶器師だった。(1cr 4:23)嘘つきの町。陶器師たちの住む。フフ。砥部。
今日の空と海はほぼ同じ色だが海は波の分だけ斑がある。上下逆だったら怖いだろうなと思った。
それで、今日は東京は晴れてるわけ?
アカウントがまだ生きていて 新宿
死んだってやっと言えた酔っぱらって
街路にはインターロックが嵌め込まれ「きみの歩幅は覚えています」
10.10
青山 lastwaltz
草原の実験というカザフスタンの台詞が一切ない恋は原爆より上に来ないという映画を観た。
10.11
白楽 bitches brew
いくら音楽を聴いても駄目だったね
ごらん新世界のようさ
相模では空は見ず、ひたすら錦に沈潜する
一緒にやったシシリーの男は雑誌のアンケートでは世界のソプラノ奏者の65位に入っているそうだがレイシーにあまりに似すぎていて客ゼロで哀しかった。
10.12
sdlxで山羊座の歌
平山美智子→シェルシの段階ではその目論見はヨーロッパを個人的事件に引き下ろすことであったが、平山→太田真紀の位相では、再びシェルシの指示の「継承」がテーマとなったが故に舞台芸術として成立したきらいがある。そうであれば太田ではなく美空ひばりにやらせたかった。
来年ここでやるジェイコブ・ウレンの、自作曲を他のバンドにやらせるという作品も、音楽ではなくその「継承」の部分を演劇と捉えるものだ。継承はメタと重なりあう部分があるが、大抵はなにか大事なものを根こそぎにしてしまう。延命のために真の命を殺す、みたいな。
10.13
高円寺 goodman
飽和状態で推移している
頼まれたスパイスがなかった。高円寺は冷たい。持ってく先が違う。バンドやってたとしてもだ。
それでも主題を見つける。持ってく先が違う。ジョイ・ディヴィジョンと、あとなにと。それらは湿ったものを冷たく昇らせる。円柱のような設えのなかに。
太田真紀のキャミソールもゴングもむげん堂に売ってる。ホットプレートを抱えた茶髪と全身オレンジが眼下を嬉しそうに。高円寺には安いハッピーアワーと冷たい商品がなんでもある。
冷たいんじゃないな
寒いんだ
つまりきみはユニットバスのにおいがする
終わったあと鎌田さんと裏窓に行く。「オレも(奥さんが死んだ)あんときは一年ぐらい演奏出来なかった。それでオレはプロじゃないなって思ったのよ。」極楽で裏窓というハードコアを見つけて買おうと思ったが高くて買えないと言ったら、栃木の万引きチョコレートの借金というのを呉れたので、裏窓で流してもらったら前にかかっていたパティよりましなところがあったのだったが、唄い方の割には歌詞が素直すぎてぼくの世代にはあかんかった。
アニソンのメタル速弾きとか、ベクレても味は変わらぬ産地米を応援するみたいなとこある
城から城
日高屋から日高屋
SFのSF化という現実
締め上げられたパイプのジョイントのボルト、溶接された薄い踊り場の鉄筋、突き落とされる代わりに見上げる鋭角
背骨をさまざまに捩じ曲げて居場所を作ろうとする
開くか 閉じるか 不真面目さを量っている
ひょっとして今日は晴れているのか?
EM菌信者が川に撒く見えぬ希望のようなDM置きぬ
夜空
言葉に埋もれて夜空が見えない
どれがアルデパランだったか
月がなくても夜は巡る。おれはもう少し歩かなければならない。
共倒れの星の下 月なしの移動
なんか甘い酒とかないの
黄色い街路灯がロンドン
ジンビームにシトラス
ああ暗い暗い
描ける人は多いが見える人は少ない 見えないからね
ぶっとい電線
あ、見えた
死んだあいつは見えてたかなあと
双六みたいに進むだけ
飛ぶときは定型じゃない
星の糸にぶら下がり
苦しいです三多摩リア充
戻った
いつもこうやって戻ってくる
お前らにゃあわかるめえ
戻る術を感謝と言うなら
ありがとう、よくがんばったね
Baby 失火role
浴場かと思っていたら登山の挙げ句眼下のぬるそうな池に案内者がざぶんしかしてガメラと見紛う棲息者ら叫びたち
海のそばに家を建てて
新しい世の苦痛まで先取りして
上のものは素人の乱的に下にあり
「海のそばに家を建てて」
が
自分ではない人に叶うのを慶び
土地の配分について
復活の順序と
不義者の教育について
「希望の原理」はいまや全く古びて
嫉妬を隠して笑顔を貼り付ける練習
テムポ正しく握手をしませう
生き残れないどころのさわぎじゃない
生き残ってからの騒ぎの話
猫背の首吊りみたいに
海老を伸ばして真っ直ぐに
蝦蛄も伸ばして真っ直ぐに
未来を矯正する
ウゴウゴルーガをアフォーダンスアニメと呼ぶのは初めて知った。
詩集2014
思うに2011ー2014的情況とは詩の場所をどこに据えるかを問題にするということであった。
その総括とは断じてアーカイブ化ではない。沈潜する定着を色分けし、提示するのは今の作業なのだ。このまま亡びてはいけない。フィールドワークは民俗よりも心に向けられるべきなのだ。
そしてそれは定型と詩を峻別する作業でもあった。
つまり定型とは世に片足をつけるということなのだ。
飛ぶときは定型ではない、しかし飛んでいるときそこにあるのは詩だけではなかった。その詩以外の部分が身体を伴うリアルであった。それはジョイ・ディヴィジョンに少し似ていた。
逆さに吊って干した玄米は陽を食べているよう
3.11以降、放射能は何よりも神学論争であった。滅ぼしてくれる絶対者を見出したからだ。SF映画の主題が神対人間に収斂していくなかで、様々な反動も現れた。「放射能無害」は大江用語で言えば当然の進みゆきであった。裏窓関係はみんなおれが殺したと言われた。言論によるソフトポアで。
このごろは泡立草がまた増えて
景観条令から捻れてへび少女に変わった。他にもカマスがサワラになったり、渋谷のマインドトラベルがトラウマトンネルになったりする。
想像だけで当てずっぽうに引き出しを開閉する官吏
けふといふけふはかんべんならねえ
安全靴なのに釘踏み抜いて
青空を踏み抜いて
「ガラ携」のミックスだいぶ進んだ
ライフワークて評価されないものだ
ふつうに話す
物事の様相というものは思っていたものとだいぶ違う。進み行きというものは、旧来の一般論のようではなく、巻き込まれ方によってのみ没入が生じ、舵を取られていく。例えば年に二回のフラメンコがそうだ。おそらく無意識が船頭で、漕ぎ手はコギト笑、女は海だ。
ジャンルや職種というものはそういう放下によって決められていく。フォーク野郎の金魚を引き連れ、窪溜りにライブのハコが向こうからやってくる。宣伝が無意味だというのはそういうことだ。こちら側からの働きかけではジャンルの島々は一ミリも動かない。
手をかざすペーパータオルの空箱の下から風は出て来なかった
ヒットエンドラン
ヒットエンドラン
マテ茶熱くて食道癌
リズムの僅かな遅延でも効果があること
メロディーの僅かなずれだけでも効果があること
リズムの僅かな遅延がないと効果がないこと
Happyのあとに黙示的であること Freedom Farrell Williams
飼育され、潤いさえも与えられて
美術が音楽を使うように音楽が女を使う。音楽が美術を使うように女が音楽を使う。
辺境性のみが耳を欹たせる
タンゲくんはわたしのねこだよね?
青空
青空の奥 見えない流星群
青空の奥には星が流れまくっている
青空の裏に流れる流れ星
青空に、流れ星
青空に流れ星流れている
流れ星流している青空
流星だらけの青空
青空なのに流星だらけ
流星なのに青空 青空なのに流星
流星の青空
流星の線は引かれて青空
青空に星が見えると嘘を言い
今まさに線は引かれつつあり
半球の内側に増殖する線の記憶
青空は線でほんとは傷だらけ
昼が星を見ようとして首を捩っている
青空の裏側は厨房のように死体でいっぱいだった
青空の裏側は厨房のように鶏ガラの出汁をとっていた
青空の裏側は厨房のようにごきぶりがいてはいけなかった
青空の裏側の厨房ですべてを混ぜ合わせるとカフェオレ色になるのかカレーになるのか
流星の代わりに鍋には那智黒を放り込むことがあった
青空の裏側は俎のように傷だらけだった
星座は男の格闘技であった(梶原一騎談)
だから星巡りの歌を歌う男女は生臭いのだ
青空の裏側は動物園の裏に似ている
包囲網狭まってるけどあそこらへんやだなあいっぱい死んでるし
収穫したオリーブは苛性ソーダに浸けないで重曹か塩水に漬ける。海に浸けておけばいいのにと思う。
ロンドンで友達になったトルコの女の子の彼氏の部屋で、3人でずーっとオリーブを食べながらワインを飲んでいたら、すべてがケヴィンエアーズ的にどうでもよくなったことがある。
近所の人からオリーブを大量にもらい、あとポポーというマンゴーと梨の中間みたいな味の実をもらい、それらばっかり食べている。あと糠漬けと。
玄米三合は多すぎだよ賢さん
秋のkilling so
やはりカッパとのduoが規準を満たしている
Gustave Coqiot “Bulky” 恐怖の合唱アルバム
Gustave Coqiot ”Pony Blows” 筑波で、死ぬほどおいしいものを食べてだから今晩死んでもいいと思い続けて生活するというのもひとつの方法だ。
Shiu2009年ハンブルク
当然名盤 Baby it’s you とかもやってる
cacoy “human is music” djの死はほかの人間の死とは違う。死んだ人は心の中で生きているが、djは再生機の中に残っている。手仕事が多い分残酷である。
Fly Pan Am (Constellation Records1999)
カナダの個人主義はUSのそれとは様子が違う。ゆえに、人が集まると曲にならない。shiuはそれを個人でやってみせたが、彼らはそれを集団の手法としてみせた。
Piu mosso!
いろいろ血のついた絆創膏とか錠剤とかラップされているので剥がすと異臭がする
他にもいろいろ入っていて
The Watery Graves of Portland ”Caracas” 2005
ピアノですべてやろうとしているのがプログレ臭を醸し出すがセキフぽくなるという
Fennesz, Fenn O’Berg オルーク、mego なつい
rodrigo y gabriela 11:11
格闘技などという邦題がついているがバカビリーバー読んでたほうがましだ
ZA! – MEGAFLOW
これは確か南仏でもらった
ウサギを食べながら聴いた
暑苦しい
ソルジャーガレージ 赤い星 psf
星が赤い! かっこいいじゃないか。清水沙さんのブログを確認
今日はこれでやっと寝れるよ
ノアミ酸
Modest mouse
Baron von bullshit rides again 2004
フランスのライブではあるが、普通にロックをやるというのは正気とは思えない。
混沌コントロール ambient works vol1
この人にはランボーの朗読mixがあり、それはそれで「ロックで」いいのだが、廃寺ゆうことかと比べると、体のオルガンがだいぶおじいさんである。世代だから仕方ない。
Tara Jane O’Neil Wedding Bell ep 2008
タラの友人の結婚式用のプライベート盤だからなにも言えない。低いチューニングがもはや貫禄あるね。
ワールドイズコインタウン 世界
昔小倉でやった、素敵な夜にしようねという曲が好きで、今はなきミュージックオルグで再会した時もやってくれてうれしかった。九州で無条件に受け入れることができたのはクラヴィノーツとこのバンドだけだった。
Indian no echo sign bine not
2013 ムジカジャポニカのライブ 私家版
中尾眞佐子さんのバイオリンが好きだ。サトエリに聴かせたいといつも思う。
BILL WELLS ”SUMMER DREAMS”
”Doesn’t play”に至るまでの悲しくひねくれたトータルアルバムである。ジャケットはナミオ。
Federico Durand ”El estanque esmeralda”
アルゼンチンの音響は日本が飽きて放棄した部分を丁寧に進化させ続けている。向こうのほうが金融危機とかあって大変なのに、日本の人は見倣うべきだ。
Iku Sakan
猫のような音色が気に入ってこれは名盤だと言ったら本人も覚えてなかった。スティールパンだけでここまで多彩に展開するのは並大抵ではない。パレドキョートが楽しみである。
various sigh horns ”いろんなためいき”
中尾君が三多摩になったようなのづやま君のクラリネットはとことん生活寄りである
ねっセイタカアワダチソウ嘘血だわ赤大切ね
ようやく空も荒れてきた
暖まってるよ夜って待ったあ?
自傷ワイルド
PhaseⅡ漸く空が荒れてきた
地方の市議会レベルでは(無所属が多いため)これまでも共産党が第一党だったので、アメ国日本県東北郡宮城町議会の結果は驚くことではない。それにしても仙台が町でさえないなら生政治のチャンスだ。組内で芋炊きでもしたらどうだ。
争点はTPPとか言ってるけど米は逆さにして干さなければ美味しくない。種を奪還して家族農業に戻れなければ本当はなんの解決もない。
UG Kawanami “have a good time”
一曲目、想い出すのはヨーテボリの Martin McFaulである。冷たいブギーの空気感が共通しているのだ。連絡とってみたら?
Brabrabra “Mango” 2013
彩子ちゃんのやってるガールズバンドでベルリンマヘルのメンバーでもある
和太鼓リズムのtrack3が脱亜入欧している
田中トシ ”光の水・風楽” 2013
和だが、まだ若い。 Gracias a la Vidaという感じである。角谷ならなんというだろう。
カミッサが送ってくれたこの手の大量の
カミッサ関係
Greem Jellyfish – John Cage Silence
GーFu
Trip to Ma Soul Part.1
伊豆のケイコのソウルにいる娘のヒップホップで
いっかい対バン断っちゃってすまなく思ってるよ
こっちが彼女メインでボーカルやってる歌もの
Billy Mahonie ”Dust” 2003
さっきのソウルのバンドは検索かけても出てこないけど、このロンドンのバンドはwikiにある。だからというわけじゃないがネットに乗ってるんだぜみたいな安心感の上でやってる感じがする。
Andrew Keeling ”Blue Dawn”
瓢箪レコードの「人、草」を買ってくれたイギリスの作曲家で、まったくの現代音楽だが楽器の使い方がわれわれと似ていなくもない。
Bonnou no mukuro ゙tape days゙
生理的なリズムに重いところがある
breakbeat era 1998
ブレイクビーツは60’sを一見加速させたように見せかけ実際はデジタルの部屋に閉じ込めるものだ。五反田のキャバレーウラシマのバンドマンのドラムのほうが抜けがある
Cast ”Beat Mama” Polydor 1999
castにはMagic Hourという曲がありそれは曲名が好きだがこのCDシングルはいいところがなかなか見つけられなくて困ってしまう。
V.A. incense orange record 2008
レーベル10周年コンピだが3.11以降聴ける曲があるかどうかは疑問
Psychotic Quartet – Sphaleron
フィラデルフィアの即興なんだけど、カバーのタイトルがSpharelonでrとlが反対になっている。外人でもrとl間違うんだねどうでもいいけど、
Mason Jones ”The Crystalline World Of Memory” 2002のソロギターなんだけどやっぱりソルジャーガレージのほうがいいな。ループマシーンは気を付けたほうがいいよ。あとさびしい、だけではだめ。
Jesse Krakow “Oceans in the Sun” 2004
ニューヨークでベーシストが弾き語りをするとこうなるということか。西村かヨンジンのほうがいいな。
だんだん聴いてると生悦住さんぽくなってきたな
いかん
みんないいところはある
やってる地層が違うだけだ
Renato Rinaldi – The Time And The Room 2004
部屋のうちそとの環境音の即興とのミックスという手つきはなかなかのもので、これは部屋のうちそとがない日本のものより優れている。
青空や水が恐いのは地のように呪われてないから
ズラウスキー コスモス 東京国際映画祭
僕のゴンブローヴィッチ体験は中学の図書室の恒文社現代東欧文学全集6の「コスモス」でありました。シュルツの「肉桂色の店」も入っていました。
たとえば彼女はぼくにとって横浜のdivaであるわけだがそれはしばらく付き合って練習したからジャンルが引き寄せられてきたからであって、そんなものといえばそんなものだと、とくに女性の場合は、渋谷さんが毎回グッドマンに女性ボーカルを呼んで練習して臨むというパフォーマンスをしているのも。
F for Ache ‘Faüxmish’ 2011
ロスのアートロックでギター寄り、ちょっとゴス、マヘル関係。
JAMES TENNEY “PICA-DON”
タイタニックと同じくらいの名盤。
Black zinc galvanizing darkness ”suicide note (sample)” 2015
田野君と同郷がウリのハーシュで気合入っててかっこいいぞがんばれ
LVV (LUV)
音というより伝達をテーマにしたまったくのアート。
christian helman cummings “SOME MUSIC TO HEAR”
メモリースティックに入れられたソフトなヒップホップぽくないアジテーションと即興で、本人はこんな作品を作っている。ロスのマヘル関係。
ようやく雨が降りだして手錠を嵌められてうちそとが一致した
今からリナちゃんがギター習いに来る
アタチャイ・フェアテックスて強すぎるな
でも前に出した足を持ってひっくり返せばなんとかなりそう
禁止だろうけど
まえそれで勝ったことある
型の美しさに気を取られてるタイプには有効だ
アンドリュー・チョーク ナホトカの幻 siren 2009
非情なまでの作り 超レアなんだぜ
Andrew Chalk 狂詩曲の波間に浮かぶ四十九の風景 Faraway Press2012
日本趣味のパッケージを作ることに重きが置かれた人生てなんなんだろう。厳密に言えば日本の額装屋の仕事ではないし。ただ引出し易いのは確か。
福田君の映像がこれしかない
ラケットが空気を切る音が聞こえますか
雲と青のバランスが四国に戻った。
森の中に折りたたみ椅子があってワンカップの蓋とか落ちてる。今日辺りから日向の方が気持ちよくなってきた。ぼくもそこにしばらく座ってまた畳んで去る。
SNSが出始めの頃はどうやって与えられたフォーマットを脱臼させるかばかりを考えていたが、やがてそうした動きは淘汰されていった。我々は人との距離の取り方まで操作され、面倒なので諦めてそれを受け入れ、そのなかで喜怒哀楽と生き死にを生じさせ、要するに完全な奴隷となったのである。
SNSにおける感情表出はわれわれにとって徹底的な敗北であった。
死にたい
悲しみべろべろ
異なる梢の揺れのなかで糸を張る蜘蛛の信仰が陽を浴びている
また晴れちゃった
泥水冬道ブルースバンドは、クリス・スペディングのギター・ジャンボリーに範を取ったもので、本来楽しい筈なのだが、ベースが悩みの種で、12小節が体に入っている人が案外少ないのには吃驚する。
ランボー
工作員としてわたしたちは死ぬ「言葉に対する罪」があるなら
「人道に対する罪」などない
無意識によくこれ以上人を殺すなと言われる
仕切られたプールの部屋で公然とセッションが行われ、
(無意識)という名前を発音するのに一年半かかった。
その後著しい改善が見られた。
それもこれも(貴方)と呼ばれてから始まったこと
わたしたちは腫れ物のよう
それを二人称複数にするランボー
セッションから遠く離れて
言葉から逃亡して
豪毅なことだ
それにしても、写真はひとつも届かなかった。
蜜蝋の部屋で取り調べは続く
あ、鬱
きみが反米主義なのか、陰謀論者なのか、スポーツ狂か、はたまたそのすべてなのか、判別できない。たぶんどれでもない、分散し薄められたかたちなのだろう。それが第一印象だ。
うそ泣き腫らすメント
言葉を毀すものを探して時間を削った
鳥の大群が来て柿を食いつくしていった
目的地までは勾配しかなかった
風化する前の岩盤のみを相手に
それでも写真は切り取らなかった
乾燥だけが現象のすべてだった
晴れ間の陶工に手を挙げた
雲見の思い出など他人のもので
調べてみると、言葉を殺した罪、というより、意味の的をずらして宙吊りにすることで、工作員というその単語だけを殺しているのであった。
良心の痛みで目が覚め、その麻痺で起き上がる。その中間に一人称複数を使う。
ルドルフ・主体無〰
暗い青空の下で地の呪いは弛められた。洪水前の明るい曇天が、今となっては懐かしい。
悪意の言葉を集めた。
それもおれの狂気の善意のひとつなのだ。
裏返った女の中身の子供が外を覆うような言葉たちがおれの仲間だった
見えていないときは表面を磨く作業に没頭する
だがそれも乾上がってしまえばお終いだ
化け物が友達の筈じゃなかったのか?
何故端から煉瓦を積もうとする?
真顔で矛盾に向き合ったことがないのか?
夜の道に未整理は溶ける
それを花道と言って仕舞え
射殺される前に
そのまま家に帰らなかった
空の腹に光を入れて
台湾の田舎のコンビニの前で停まる
忍耐
悪意の言葉たちは一方通行路ですれ違う
歩行する善意を謎めいたものとして遺して
一台はイモ天を食道に詰まらせる
もう一台は汚れた水滴で携帯の画面を濡らす
どうせ的を外しているのであれば悪の哲学を持ち歩いている奴の方がまだ可愛気がある
紅葉始街路自成階調
おれも盆地の出口に氷鳥の羽撃くのを見、空に忌まわしい十字を見ていた。
どこでもいい、デカブリストの場所へ出ていくと言うとき、力点はこの場所への別れに置かれていた。
言葉の力点とは常に未来完了形の断言に置かれるものだ。
砥部の連中は自分で土を掘り始めた。
トンブリは燃える柴だ
くつを脱げ
旅に出たいではなく旅をしてきたと言い切ることが彼らの自恃だ
腰に帯を締め、地を行き巡ってきました、
あらゆる闇を通ってきました、と
だがそれだけではサタンと一緒だ
上昇と下降のみが、
この勾配のみが旅なのだ
金は旅のために減っていく
独りでも、場所に支払う金が欲しかったと供述し
「蜜蝋の部屋で取り調べは続く」
進化論とは退化論以上のものではなくてその意味に於いてのみ正しい
というようなことをいつまで言わされ続けなければならないのか
間怠っこしいといえば主題にする必要のないことを新たに主題にして売り出していく歩みは科学より始末が悪い
ジャンルたちが他のカテゴリーを横目で見ながら融合と離反を繰り返しているのは哀れだ
ベンチに座ってちょっと考えれば分かることだ
あまりにかなしいトカゲの夢を見た