インタビュー indies magazine vol.34
Interview 2000.4 indies magazine vol.34 TEXT: 小田晶房
●工藤さんの音楽活動は長いのですが、これまでの活動を教えてください、
工藤 70年代後半は即興演奏(アナロク・シンセや低周波ノイズを使ったアマルガム的なセッション、フリージャズのワークショップなと)ばかりでした、80年代前半は、通行人に頼んでべースとドラムをやってもらい、練習なしで詞とメロディーを教え、同時に自分もギターを弾いて歌うといった方法だったので、コード一つ弾いただけでライヴハウスから追い出されたりしました。その後、アイヌや沖縄の人々を中心とした反日闘争を組織すべきだという考えの世代と一緒に、山谷、寿、笹島、釜ヶ崎といったインナーシティで、その場に居合わせた人々(音楽家、非音楽家)との合奏を可能にするフォーマットを作るということを目指しましたが、80年 代後半からは転向して純粋に自分の慰めのためにスコアを書くようにしました。それが〈マヘル・シャラル・ハシュ・バズ〉です。90年代前半は、音楽に割く間を減らすことで音楽をあるべき位置に置く、といったことがテーマで、過去のインスビレーションを分類して形にする作業ばかりでした、90年代後半は、イギリスにいて、割と何もなく楽しく過ごしました。その印象をまとめたのが今回のCDです。
●この音には、漢奏家というよりも作家性が強く現れているように思われます。
工藤 演奏家は、その曲に自分がどの程度同意しているかを聴衆に示すことによって曲と自分との距離を社金に提示しようとします。そのメロディーが罪であるならそれを贖うためのコード(=テンション)を選び取ります。そして自分のメロディーを演奏するときには、自分の不完全さ(=エラー)を通して頭の中にある完全さを聴く人に伝えようとします。そして作家は、頭の中にある完全さを演奏者に押し付けなけれはならないので、非音楽家に奉仕する音楽家の使命、といった大義名分を考え出します。それに対して演美家にとってすべての演奏とはただ個人的な事件としてあります。
●メロディー自体が非常にノスタルシックな響きを持っている点に引かれます。
工藤 メロディーは自分の中になかったものがいきなりやってくるわけですから、自分の手柄にはなりませんが、やってきてしまったら責任が生じます。それは種のようなもので、でもどんな種で、どこから来たのかは分からないのですから、その源を確かめないで蒔くのは危険です。種は(果)実によって見分けられます。もしその実が苦いなら、そのインスビレーションは自分の門前でお引き取り願わなくてはなりません。10人に1人はそういう形でメロディーが湧いてきます。というのはその副合で左顔(=右脳型)が居るからです。ただそういう贈り物があるだけです。
●あなたにとって、インプロヴィゼーションとはどのようなものですか?
工藤 即興的であるということは、いつでも大事なことです、それは書道に似ています。何も考えずに友達に手紙を書くときの宇体みたいなのが、うまくなくても生きた字になっています、打ち込みの時のように死んだ音を使う場合は、陶器に対する磁器のつくり方のように、それなりの方法があり、両者を混同すべきではありません。
●ご自身でボーカリストとしての自分をどのように評価しますか?
工藤 遠いけれと生々しい感じ、あきらめて近づいていく感じ
●また、工藤さんにとっての歌う理由とは何ですか?
工前 前はどの歌もタバコをやめられない、という哀歌でした。(本当)。今はやめられてうれしい、というNEW SONGが多いです。みんなもやめよう、という歌は今のところあまりないです。やめないやつはバカだという歌も歌わないようにしています。君はやめるのかやめないのかといった立場に立つ歌も楽ですがあまりないです
●マヘル~の牧歌的な音に比べ、ソロ・ビアノはシリアスです。なぜこんな音をアルバムに収録しているのですか?
工藤 CDに何かピアノ・ソロを入れてくださいと言われて、スタンダードを入れるはずが、間に合わず昔のテープから比較的聴きやすそうなのを選びました。
●現在、東京を離れて音楽活動を続けておられる理由は何ですか?
工藤 コーネリアス・カーデューという作曲家は、「シュトック・ハウゼンは帝国主義に幸仕する」という発言で有名ですが、楽器に触ったことのない人々にオーケストラの曲を演奏させた『ポーツマス・シンフォニア」というLPによって、大きな影響を与えましたが、去年こんなことがありました。やきものの展覧会場である窯の紹介のビデオを観ていたとき、そのBGMとして流れているマイク・フィンチという人のキターに興味を引かれました、彼はフォーク・バンドで南アフリカをツアーしていましたが、今はお父さんのレイ・フィンチを継いでそこでやきものをやっているということでした。その窯はもともとは僕の好きだった今は亡きマイケル・カーデューという陶芸家が築いたもので、コーネリアス・カーデューはマイケル・カーデューの長男としてその窯で生まれたのだということをそこで初めて知りました。マイケル・カーデューはバーナード・リーチという人の最初の弟子で、そのバーナード・リーチは、富本憲吉という人と共に民芸運動というのを指導した人で、その民芸運動というのはもとを正せば、ウィリアム・モリスという人が、職人のユートピアを求めて19世紀末に考えた社会主義的な発想からきています。僕の父も同じような背景で陶磁器デザインをやっていましたから、僕もマイク・フィンチもコーネリアス・カーデューも、同じ社会主義的な流れの中にいる陶芸家の父に反抗して音楽をやったことになります。でもコーネリアス・カーデューのやり方も、僕が縛られていた考え方もウイリアム・モリスから始まった流れの中にあることが分かり、自分がなぜここにいるのか説明されてしまったような感じでした。マイク・フィンチが今は焼きものをやっているのを見て、何となくもう僕もやってみてもいいかもしれないと思って去年ロンドンから帰ったとき、東京に戻らずに四国の砥部というところに来て、そのままになります。
●前作が、3枚組/全88曲(オルグ・レコード) という大作になった理由は?
工藤 (オルグの)柴山君がバンドのカセットを聴いて、京都のライヴに呼んでくれました。そこでバイオリンを弾いていた渡邉浩一郎君が鬱で自殺してしまったのでそのライヴ盤を出しました、その後、今までの楽譜をスタジオで録音することになり、どうせならあるだけ録音してくださいと柴山君が言って、1000万円くらいかけて5年間毎月大阪から東京に通って完成しました。稀にみる数奇者というべきであろう。
●このアルバムには「音を演奏することに対する純粋な喜び」を感じます。なぜこんなにも楽器に、そして音に自由に対時できるのですか? 工藤 その人の内面がリアルに表れてしまうシステム(即興とか一発同時録音とか)を使えばその人そのものが音に出ます。それで楽器と音に自由に対峙するためには、その人自身が内面的な自由を獲得していくための床のようなものが必要になってくると思います。そして突き詰めれば、〈横死への恐れ〉といったものからの自由が得られなければ、真の明るさは得られないと思います。