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2006年8月10日発行 ミュージック・マガジン8月増刊号 めかくしプレイ~BLIND JUKEBOX  聞き手:松山晋也

2006年8月10日発行 ミュージック・マガジン8月増刊号 めかくしプレイ~BLIND JUKEBOX  聞き手:松山晋也
 
 
ミルフォード・グレイヴス&ジョン・ゾーン「ルービング・ジャーニーズ」(“50th Birthday Celebration Vol.2″ Tzadik)
「僕も元々はハード・バップやフリー・ジャズをやってたんです。クラシック・ピアノをやった後、中学時代にブラス・バンドの先輩の影響でバド・パウエルなどを弾き始めて。ジャズ・ピアノの先生についてちょっとは理論なども勉強したり、バークリーに行こうかと考えたりもしたんだけど、結局ものにならないうちにやめてしまって。 高校時代に一度、代打で松山の歓楽街にあるクラブで演奏したこともあった」
―このドラマーには影響受けてそうな気がするんだけど。
「久下惠生・いやミルフォードかな。80年代初頭ニューヨークに住んでた頃、彼のワークショップを見に行ったことがあった。 演奏に関わる筋肉をどこでも自在に動かすことができるんですよ。当時は特に、彼のようなオカズの多いドラムが好きで、そういうのと、スティーヴ・レイシーのような音程のとり方と自分のロック的歌を混ぜ合わせた音楽をいつもイメージしてたんですが、メンバーがいなくてできなかった」
 
アンガス・マクリーズ「ヘヴンリー・ブル ーズ:パート4&5」(”Invasion Of Thunderbolt Pagoda” Siltbreeze)
「中東やインド音楽を勉強してないとできない音楽ですよね。そんな人、知り合いにはいないな」
ー全然知り合いじゃないです(笑)。
「現代音楽、特にシュトックハウゼンの影響を受けてる感じもする。なんかつらいことがあった人みたいですね」
ーヴェルヴェット・アンダーグラウンドの創成期のドラマーだったアンガス・マクリーズのソロ・アルバムです。
「名前は聞いたことある。ヴェルヴェットでよく聴いたのは『1969ライヴ』と、あとルー・リードの初期作品ぐらいなんだけど、『1969ライヴ』は、僕がジャズからロックに移っていくきっかけのひとつになった。簡単そうでしかも何事かを語れて楽でいいなと。パンクもそうだけど。地道に修行するのが苦手だから。でもパンクは実際にはほとんどがつまらなかったから、あまり聴かなかったけど。ロックで特に好きだったのは、イーノやボウイなどの70年代半ば過ぎの作品かな」
ー77年に東京に来て最初に参加したバン ドは、鳥井賀句さんやフールズの川田良などがやってたワースト・ノイズですよね。 
「鳥井さんはニューヨーク・パンク、川田がストラングラーズ、そしてヴォーカルのジュネがホークウィンド好きで。そこに僕のドアーズみたいなキーボードが入って。 結局最後は、元々バンドのファンだった礼子(工藤さんの現在の妻でマヘルのメンバー)と僕だけが残って、別のバンドに変わっていった。ダグ・ユールみたいなもんですね。心情的にはすごく遠いバンドだったりど、スタジオのとり方や“ヨロシク”とかの挨拶の仕方(笑)を憶えたりして本格にバンド活動に入っていくきっかけにはなったりしました。川田さんが八丈島の人だったので、夏に八丈島で合宿したこともあったな」
ー川田良はいろいろ伝説のある人だけど、どんな感じなんですか。
「ボルシェビキというかレーニン的なん1 1「ボルシェビキというかレーニン的なんです。実際、学生運動にもちょっと関わっていたし、確かおばあさんがロシア人だったと思う。僕はデカブリストというかナロードニキ的だから、全然合わなくて。でも礼子は元々川田さんのファンだったから、彼のおかげで僕らは知り合えたとも言え る」  
 グンジョーガクレヨン「35 3」 (『グンジョー ガクレヨン』PASS)
ーマイナー(吉祥寺のライヴハウス)周辺の知り合いかも。
 「こんなきれいな音楽やってた人はマイ ナーにはいなかったけど」 ーこのダブ処理は坂本龍一です。 「上澄みだけを掠め取る感じが彼らしい。 グンジョーかな。“天国注射の夜”のコンサートの時に、まだらの服を着てつま先だってギターを弾いてるのをよく憶えてる。 すごく上手くて、僕らとは別世界の人たちだと思った」
ー工藤さんのピアノだって、当時のアンダーグラウンド・シーンでは上手いと言われてたじゃないですか。
 「それは、素人というかパンクのリスナーたちが本物を知らないからですよ。僕はいつも知らない人を相手に素人芸を披露しているだけです。今だってそう。現代音楽の人がとっくの昔にやってることを、わかりやすい形でドサ回りの芸能として見せてるだけで。本物を知ってる人はアイロニーとして面白がってくれるかもしれないけど、実際そういう人は少ないと思う」
ーでもマヘルの場合は元々、完成されたスキルや様式をすり抜けて、アマチュアリズムの中に新しい方法論や美を探り出そうという提案をしているんじゃないんですか。
「それは言い訳ですよ。本当は上手くやりたいんです。時間もお金もかけて、音楽的にちゃんとしたものを僕はやりたい。でもできないんです」
ーたとえばマヘルのメンバーがすごい練習をして、ビシッと完璧なアンサンブルを作り上げたとしても、逆に今のファンは離れていくんじゃ?
「それが理想です。ファンはどうでもいい。自分の考えてる音楽を実現することだけが大切なわけで。僕の頭の中ではいつも完壁な音が鳴っている」
ーじゃあ現実の音とのギャップがさぞつらいでしょうね。
「つらい。だから変にほめられたりすると腹が立つんです」
ーでも、上手くはなれないというか、本当は上手くなりたくないんじゃ?
「そんなことないですよ(笑)、最近はみんなすごく練習してるし。ただ、僕の場合、上手いヘタの基準が、他とはちょっと違うかもしれないけど」
AMM「アフター・ラピッドリー・サークリング・ザ・プラザ」(”AMMMUSIC-1966” ReR)
「コーネリアス・カーデューのAMMですよね。90年代初頭、イギリスに住んでた頃に、焼き物の工房をあちこち見て回ったんですが、そのひとつに、民芸運動を推し進めたバーナード・リーチとその弟子のマイケル・カーデューの工房もありました。 マイケルはコーネリアスの父親なんです。 彼らの作った工房は、デザイナーと素朴な職人たちという、皆の善意で成り立つ集団であり、それはウィリアム・モリスのユートピア思想を受け継ぐ社会主義的な理想に基づいたものでした。コーネリアス・カーデューが主宰したスクラッチ・オーケストラなどを聴くと、結局彼は民芸運動とよく似た考え方で音楽もやったんだなと思える。 そして、僕と父も、カーデュー親子の関係にすごく返い。僕の父も、カーデューやリーチのやった民芸運動とほとんど同じスタンスで陶芸をやっており、僕はその後を引き継ぎつつ、音楽もやっている。で、なぜ僕がマヘルを始めたのか、その時わかった気がした。結局、大本がウィリアム・モリスだったんだなと。でも、それを越えなくちゃいけないとも思った。マヘルはとても開かれた民主主義的なものだと誤解されてるけど、実際は僕の書いた楽譜を僕の好むように素朴にやってるだけで、結局は、多くの〈僕〉の下で皆の個性は殺されてしまっている。今は、個人個人の作家性に立脚した活動を目指しているんです。音楽も焼き物も。マヘルは最近のライヴでは、メンバー各人が自分の思う基音をひとつだけ延々と吹き続けるというドローン合奏になっているんですよ」
ーそれだと新しいCDを作るのも難しいですね。
「ねえ、どうしましょう、作れないんじゃないかな(笑)」
パステルズ「マンダリン」(『モービル・サフ アリーキング)
「パステルズは最初聴いた時は失格だと思った。イギリス人て基本的にボアリング、退屈しきっているんです。日本だと緊張と地の繰り返しに逃げるんだけど、イギリス人はリリシズムに逃げ、すがろうとする。 でもそこには限界があり、また虚無に打ち負かされたりもする。最初彼らの作品にもその虚無を感じたわけだけど、つき合っていくうちに、町興し的な方法論も含めて、このやり方しかなかったということがわかり、好きになりました」