◎2011.5
五月のさよなら
桐の花が夕暮れの青に溶けて見えなくなっ た頃
スペイン語のいくつかの会話がなされたエ ントランスから
ひとつの微笑みが
ボール紙の箱のように開いたのだが
白いセイウチのような光の芽が
五月蝿い土曜の夜だ
the devious
音楽が 白アリに喰われている
children of wrath
良い事を愛しながら悪い事を愛する
五月のさよなら
ブログ廃墟
まだ見てるんですね 見ないでください 消えないのは「白く塗りたる墓」という本当のことを含んだ大きなサイトのレイヤーだからです わたしはブログです ブログが自殺したらおかしいですか わたしの肌はくろい あなたの目ははとのようだ どうかぼくにすいとんを食べさして下さい きんとんでもよい、何でもよい、わたしはブログです ブログにも意地というものがあります わたしは風にそよぐ意志です クラウドの girlyでgoryな 一般意志2.0 へへへ 私はユダ どうかぼくに栗きんとんを食べさしてください 最初のもの それは到来した 本当のことを云おうか
今日の山と雲は鮫のようだ
本当の事を云おうか
管理人の自殺した家がジャスミンで覆われている。死体には蜜はなかった。
東電株主総会
株主が「我が社」という時の
いいようのない所有格が
立ったまま終わりを迎えている
オホーツク海のシシャモは
アルミホイルに溶け出した頭
を 横たえて終わりを迎えている
原始共産制のように
所有物は 分配されなが
ら終わりを迎えた
伸びすぎたタンポポの中で
日光は 終わりを迎えた
ATMは 機能を継続し
たまま 貨幣は その交換価値
を 維持したまま レジや財布の中で 終わりを迎えた
空気は
粒子レベルで 終わりを迎えた
街灯も 霧も 黄砂も
同じことだった
日本語は 相変わらず 話され
多様なフォントは 失われないまま
書物の中で文字として突然終わりを迎えた
黄色い車を買ったが
黄色い車の黄色は そのままに
黄色としての終わりを迎えた
パイプ式折りたたみ椅子が
蛍光灯の下で光り
光は光りながら終わりを迎えた
私は 私の株主総会で
終わりを迎えた
「あなたの舌は立派ね」といわれて
高台に逃げようとする舌は
発語の形を残したまま終わりを迎えた
終わりの前に
終わりは 終わりを
迎える
・ ・ ・ ・
次は絵かな
絵の終わり
抽象の線は検証されたことがない
関係性のないのが終わりの空間の活性だとしたら
線のイデオロギーに分解される
-線を引きながら終わりを迎えるな
株主の線を引いてはならない
追分
娘は
占い師になってしまった
ネットカフェで毛布を被り
占いのなくなる世の中がくればいいのにねと囁き合う
巣篭もりを断念するツバメのように
娘は
初めてぼくの名前を呼び寄せた
霧の中の紫の刀のように
課金された見えない電波の飛び交う村で
娘は
毎晩うたった
どのうたも同じだった
ジュヌスが表層土に染み込んだとしても
異貌の空が地面から生え
粒子の渦になって
DIVAのかたちを繁らせた
それから娘は
娘ではないものの一切を
捨象した
among the women
三六〇度から見られている
さまざまな視線の突き抜ける
土俗的な追分の 立体
(不憫な兄貴だ)
不憫な兄貴だ
白い船が海月の川を上っていく
敬子は桃色の泡を吐いて死んだ
あんたにゃ わかるめー
必要なのは情報じゃない 色だ 終わりは色だからだ
長い戦車が熱帯魚色をしている俺は本当は刺したくなかったムカデだ
万引きするならトタンの家から出て来い
万引きするならそのトタンの家から出て来なければ意味がない
各停のように追い抜かれるクマノミの色
リスまでマスクしてる
赤い舌のような携帯
ヒールはzuccaだ
アンパンマン的な総体が被爆している
濃い緑と黄色と赤
赤旗白旗が点滅する
全ての色は愛していると言うがそれは五%しか信じられない
ガリバーがブラックスワンの真似をするくらい空しい
地均しの欲望
浮き上がる車の山吹
垂直に下に掘ることで子供の頬を守ろうとする
呼吸できない色がある
神社でさえvent=抜けがない
塞がれたドームの中の事象
北改札の物神性
レモンを口にくわえたまま死んでいく
銘柄選びに似たメタ選択
酸に逃げるベクトルが海遊している
タイ政府の援助で
レモングラスの学問
高木ルイそっくりのOL
日々ロックそっくりの上京少年
安岡力也似の役員
青い水からレモングラスに意味は変わった
色ガラスの街
レモングラスの切っ先がドームの内側に触れる
危機の弛緩とハードボイルド
あたふたするパーマネント
帽子の下の愛
帽子の上のドーム
背筋の音楽 哀願する眼
汎が窒息する
デザイン主義者のような努力
だから美学的結構の無意味
眼を閉じれば消える美
成長した恐竜のように
眼鏡をかけ直して
眼をしばたたかせる
地名性という岩の陰に身を隠しても
カレーのための香辛料を混ぜ合わせても
人の子は総武線のような各停で死に向かう
色のない緑の堀端
市ヶ谷のような入院や東中野のような介護〓
一つだけ余計な朝が立ち食い蕎麦のかたちをした返歌によって終わりを迎える
エレベーターの上下運動の間だけ忘れていられる
5.20-25
物原 漏れる器 exhibition”leaking pots, found in garbage field near the kiln”
asagaya@hinemosunotari
「漏れる器」fall leaking pots, found in garbage field near the kiln
遼の時代の焼き物が好きです。騎馬民族で、焼き物なんかに割く時間がなく、きっと恋と戦争に生きているんです。センスは宋代のくせに轆轤はえらくスピードがあって、ささっと挽いてささっと焼く感じです。背景はキャラバン風プログレのくせにデカダンでパンクをやるって感じですかね。というわけで、最初はいろいろやっていたんですが、そのうちだんだん形や色はどうでもよくなってきて、「漏れなければいい」というところまで行きました。言ってみればハードルを低くすることで幸福感を得ようという処世術でしょうか。ああそのうちにとうとう今年は、「漏れてもいい」というところまで基準が下がりました。ぼくらの人生みたいだね。そこまで行くと見えるものがやはりあるにはあり、もはや他の「作家さん(いやなことばだ)」の焼き物を見ても、金のにおいしかせず、ただ意匠を売っているだけのように見えてきます。ぼくは、焼き物そのものを売っている感じが焼き物らしくて好きです。売れませんけどね。