tori kudo

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◎2013.6

うしをだますこさん懐かしいな

 

テーマは「演出(家)とは何か」ということだと思います。だって船を標榜する以上 演出家は原発でも反原発でも頼まれれば演出する。「終わり」だって演出する。責任は自分を晒すことで引き受ける。例えば被 爆してみせることで表現をゼロ地点に引き上(下)げる。 演出は自分を捨てることを前提にした最後のすきま産業なのだ。 ドラマ剣ーたあよく言ったもので それは 役者ではなく演出家を刺すものなのだ  特権的肉体(菅孝行)とはもはや役者のものではない。役者はなんだっていいんだ。 役者のリアルを引き受けるのが演出家の肉体であるべきなのだ。 演出家よ殉教せよ 役者は大根のまま泣いたり叫んだりしていればいいのだ。そう考えると最大の演出家はキリスト・イエスであった 死すべき人間の場合はこうなる 「物云わ ぬ駄獣(演者)がものを言いバラム(演出家)の歩みを妨げた」 音楽家じたいが「越境」することなど出来ない。ジャンル間のセッションなど茶番である。「ジャンルの横断」は無意識にせよ音楽家に押し付けるべきではない。それは演出家による仕事だという風に峻別されなければならない。 音楽家と演出家が役割を交換し、しかもゼロ地点に立つような出し物こそが最大の悲劇なのだ。それが「アンダーグラウンド」 だったと言ってもいい。

夜道で、手で麦を脱穀して食べた

 

6.21

ラストワルツ

走馬灯(kaleidscopic)Ⅰ

 これまでの写真+ビデオを逆さに映して自分が落下するところを投影

6.22

幡ヶ谷(kaleidscopic)Ⅱ

  同じく

 

 

 

 

マレイ・ペライア

顔文字の 人が 水切りの 最初の 着水の ような タッチで 水と石の 境目を
縫ってゆく 妄想と覚醒 甘さと苦さの 境目を 縫ってゆく

 

 

ライン

 

刈り込まれた初夏

横顔の海中

メリケン粉の白

ドレスの階調

 

抜かれた巻貝

パンチのショベル

石灰に地衣類

差し出す醤油差し

 

セリの中に吊るされた背

トルコ靴の反り

胞衣を縛り

横顔のラインは枕カバーが覆い

花柄のブラウスは星団のように重い上掛け

が覆う

 

 

熱中症

 

熱中症が食い尽くしてゆく

ミディアムとしてのボディーに

夕暮れの水を注ぐ

泥の上の

選挙権は得体の知れない樹木

バッテリーを入れ直してはコツッと閉める

尾を切られる羊

コツッコツッと

澄ました樹海に落ちる

アスペの痙攣

色とりどりの肉を逃げ

車に戻るバタン

今宵の青は意味を成さない

骨は曲がり

特別な注意を向けられた川の干上がり

どうか、と願われている夕方

料理する婦人たちのボウルの耳

鈍く光るステンの

冷たいストレートなデザインに

羊の尾の熱が反射する

カスケード

棚引く行雲は絵画的に巻きおこり

小動物たちは夕闇の穴に潜む

犬的な表情で気遣う

髪を逆立てたヘルニアの頭陀袋

追放される陶片の夜の

仕事は明るく噛み砕かれたウェハースのいくつかの層のまま

蛍光灯に照らされている

ブルーシート上のケーブルマイクは

安弁当の記憶を投げ出す

どさっ

ヘルニアは髪を逆立てて叫ぶ

池にしゃあしゃあと放出する

汚染水の詰まった袋としての人体

食い尽くされた

熱中

串刺しにして焼かれる故意の罪

部位による名称

冷えた脂灰の夕暮れ