2015.5
2015.4.30-5.8
木股展
4月30日
ネパールで地震。短期滞在450人くらいのうち友人は3人、あと100人くらいはその知り合い、道には死体ゴロゴロ、でも略奪は起きていない。温厚な国民。今はハイになってるけれど。中国の介入が心配。
みんな並んで、笑ってるじゃないか。築き上げたものが壊れた、とかじゃない。だって今まで何も築き上げてないもの。カラフルなのは布地だけ。ゴミ屋敷の、形がちょっと変わっただけ。ptsd発症しないことを祈る。
ラインに救援のスタンプできてるけど、赤十字、やだ。
これでシャンバラ破壊とか言ってる奴いるけど木股さん、昔みたいにそれを上回る滅茶苦茶なこと言ってくれよ、にやにやしながらさ。そしたら俺がもっと真っ当なことを言ってあげるよ。もう死んでるのか?生きてると思って演るよ、
安西美佐保を読む堀江敏幸蝶は五月の空を開けるか
人間は汚染水の詰まったただの言葉袋である
小綺麗なデザインのアホダンスaffordance
舞踏公演「見舞」
桐の後にはアカシアが
@twitter「いまどうしてる?」って?どうもしてねえよざけんじゃねえよ
たまに大きな雨粒があって車の屋根に大きな音がする
そりゃゴキブリを食べるから居ていいとは言ったよでもこの部屋じゃなく
子供作るなら軒下とか雨の当たらないとこがあるでしょうが
最近米に胡椒入れて炊くのが流行ってるよ。花椒の痺れや唐辛子の辛さじゃなくて胡椒を形容する適当な言葉がないのは何故だろう。
ワキツレの意味が判る夢だったよ
毎年この時期はロルカのフラメンコを数曲づつマスターしています。リズムが恐ろしく難しい。そのあととばっちりを受けるのはマヘルですけど笑
「マリア」「なんだ、そこにいたのか」
包囲網は狭まって
カインは慰めを得た
イノセント、無修正にこだわって現地で観てきたという評論家が居たりしたことは覚えています。ヴィスコンティが生きていた頃は濃いスープの入った重い鍋がいつもぼくらの肩にのしかかっているようだったが、去ってからはそれが薄まり、鍋の重さは変わらないのに軽くなったような気がしていた。
5.8
木股展
博多 月
w/3c123, ryo goizuka, harumi yamazaki, reiko, etc
「庭に来る鳥の啼き声が I should’ve been thereと聞こえる」と真顔で言われて
フェリーで柳井に着いて田布施を通って光市。上からの目線は擂り潰される。
ふくつ市
5.9
博多 tetra
山谷争議団の頃の友人がテトラの前を通りかかって、何曲か歌ってもらった。今は社青同開放派かなんか。
5月11日
ことばに いみがなかった いみには ことばが なかった- ねむりのもりのはなし 長田弘
ボイス的な物と物との神秘的な照応の時代は終わった。アイコンは廃れるだろう。というより、アイコン同士、なんの関係も持たなくなるだろう。すべては個人に戻ってゆく。
obsession of “αντιτυπος-τύπος” typology had marged into personal moments, like only ones’ no peace for the wicked, even serpents shine, etc.
ホタルそろそろなのに台風
5月12日
啼き声は嵐の夜明けに切れ切れに数秒続く多分子猫だ
生ぬるく鳥多く雲の多種類
消去出来ない道に枝の散乱
多種類の緑盛り上がっている暗さ
5.13
mshb+shiu
道後 ワニとサイ
東に移る雨にふられた西の、おきざりにされた青空
5月14日
Shiuが来たので久し振りに松山城に上ったのだが宇和島城と比較して松山城に足りないものは私にも足りないものだなどと底の方では思っている。
5月15日
タイツを先にはいてしまったときは空手チョップの真似をしながら力道山怒りました力道山怒りましたと言う
5月16日
17日にピカとやる曲、ひとつはa boogieかな、あとはswitch back、それとtoo many wives、、などと考えていたら夜が明けてきたじゃないか
話さないことが強さであるような
ミステリーのために
承認欲求を見殺しにしてきた
約束はあった
選ぶ自由と決める権利の違いも分かっていた
筈だった
私は本当に何に
このような
5.17
徳島 jiro”s guitar bar
w/pika
ピカと坂本弘道のツアーに誘われてまた徳島に行った。
当日はピカがドラムを叩いて、楢山節考、ムジゲ、a boogie、switch back、とかやった。
5月18日
鳴門インター近くの「かわい」は「もうちょっと生きてみようかな」という気にさせる優しい味だったのに、おばちゃんが居なくなって薄っぺらい化調味になってしまっていた。二日酔いだったからかな。もう生きていてもしょうがないかな。
5月20日
送信者のないメールが来た
5月21日
万緑に花のいっしゅんとだえたり
5.23
ダンス公演「見舞」
mshb ダンス公演「見舞」@八丁堀七針 collaboration with Florencia Rodriguez Giles
2015.5.23 ダンス公演「見舞」collaboration with Florencia Rodriguez Giles
5.24
アーと@ー
鹿沼 興文堂
5.25
椎名町サロン
カプセルの共同浴の先客は目を合わすことなく出て行きたり
5.26
阿佐ヶ谷 harnes
5月27日
あの頃は金があったらしく
5月28日
夢の中のような
鳥喜魚躍
5月29日
つまり、諸個人が依存関係でつながりあっているにもかかわらず、お互いパラバラになって示し合わせがつかないことが、疎外が起こる原因だということになります。(松尾匡)
今週末の アートで田んぼ の日は予報では雨なので参加者は長靴で来てくださいということでロスキルデみたいになりそうですね。駄目だったら脱穀場でやるそうです。前日から泊まれます。マヘルは今のところ7人、東京からは大谷だけ。やるのはエチオピアとか大味なロックです。
5月30日
いい人は死んでまだ生きているカスは一段昇ったふりをして
映画『山谷(やま)―やられたらやりかえせ』 新井輝久
でもこれは本当の地震です深いから
うその地震で死ぬよりいいでしょ
人に殺されるよりいいでしょ
自分に殺されるよりいいでしょ
本当の地震は本当はいちばんこわい
でも本当の地震で死ねなかったことはそれよりももっとこわい
5.31
mshb
アートで田んぼ
香川県三豊市
「完全な愛」の不完全さが、不完全な愛の完全さへと
不完全な「愛の完全さ」が完全な「愛の不完全さ」へと
高速を追い抜いていく完全な愛はどちらの完全なのか
県境を越えて香川に入りしかばオリーブの木の看板薄し
「奥の部屋」から”that’s all I know”派を断罪するmission
「表現」は存在しない。
「俺が知っているのはこれだけだ」というのは一見誠実に見えるけれども表現ではなく芸であって、そう考えている自分を眺める外からの視点が導入されていない限りロック史からは外れる。すべてを知っているのは無意識だけである。バクーニンの文体はそれを意識しているように思われる。