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2015.7.27フラメンコに関する断章

フラメンコに関する断章

戦時下の哲学至上主義のようにフラメンコを流れている

哲学について熟慮しだすと、神や愛と同じく、我々には哲学が一切であるように思えてくる。哲学は、最高の効力と浸透力をもった神秘的な理念であり―我々を絶えずあらゆる方向に駆り立てる。哲学しよう―哲学を探求しよう―という決意は、奴隷解放の行為であり―我々自身に向けた攻撃となる。ノヴァーリス『断章』

フラメンコを4で知覚するような戦時下の3を流れている

「われわれがほんとうに世界を知覚しているのかどうかと怪しんではならない。かえって、世界とはわれわれが知覚する当のものであると言わなくてはならない。」メルロ=ポンティー -知覚の現象学

3でありなおかつ4であると思う、ここでは12など飲めない 中澤系
「そうでありなおかつそうでしかないと思う、ここでは牛乳を飲む」-中澤系

3がなくても4の人生は耐えられるか。4がなくても3は耐えられる。
「私は、ミルの言ったすべてのことの中で、「その面白さがなくても人生は耐えられる」というコンウォール・ルーイスの言葉に比較することができるものを思い出すことはできない。」A.ベイン -ジョン・スチュアート・ミル評伝

3がワインで4が料理の毎食の離婚
「われわれは必然的に、つねに同じことをくり返し書かざるをえないのだが、同じものにとどまり続けるものの発展は、まさにその反復のうちに無限の豊かさをそなえている」 -モーリス・ブランショ

告げる道を造というなら3と4の中に経絡を示してくださいと祈る
「真実は神に似ている。直接には現れず、私たちはその示顕によって真実を推測するほかはない。」ゲーテ -箴言と省察