tori kudo

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2015.10

10月01日
霊魂の万聖節という訳は確かユイスマンスのさかしまに在ったので覚え、口のなかで転がしていた。
もはや秋というより冬が始まって久しいが。
徒花綺羅星ともいうべきヨシヤを名を挙げて予告しておきながら自らは同業に騙されライオンに殺された人の死体には蜜はなかった
騙した人については謎が多すぎる。列王記略
冬物語やめて傷物語にすればいいんだよ12月までの繋ぎに
ベルセバのフルキズはばっとしなかったけどね
秋から春に第一の月が移ったのはエクソダスから。それまでは方舟が着地したのもアダムもおそらくイエスの誕生も今月だった。
新学期が日本だけ春なのはきっと変更されたニサンに従順だったからだ。
変更された春始まりを教暦という

大抵の人は、愛を、言葉で表現するだけの感情とみなしている
世間は表裏さだめ難く人生の天変は暫くもうつりやまない。生活はつねに酷薄できびしく些かの仮借もない。 山本周五朗 柳橋物語
天一で知り合いのバンドのやつと会ったので12月のピカをシーザーでやれないか訊いたり

10月02日
こんな雨の晩に死んでゆく人がいると思うと
コンビニに寄る

ライブには人は来ないと思うけどやりたいことははっきりしている
こんな雨の晩に死んでゆく人がいると思うとコンビニに寄る
家賃が払えないくせにぽろぽろと小銭で酒を買ったりしている
大きな雨粒が車の屋根に当たりき我を責むるがごとくに
コンビニで酒などほろほろ買いしかば財布は空になりにけるかも

the が、フォーカスします。

日本液炭てふ会社あり液化炭素ガスを供給するならむ

初対面だったけど、とても、空虚に見えましたよ。

金がなくて東京いけない

10月03日
ゼノフォビア
クセノフォビア
クセナキス

あと千円あと千円の贅沢

きみのお母さんはね、昔はアイドルだったんだよ

10月04日
寝てる間はメールとかしない方がいい
電源からも遠ざかって
ひたすら休む

ネットで切られて仲間外れにされていじめられて死ぬのはわたし

あるところにおじいさんとおばあさんがいませんでした
桃は流れていきました
海なので腐りません
桃太郎は塩漬けになりました
雑談には応じるものの事件への関与に関しては黙秘を続けているもようです

make mention of the deeds
remember thy wonders
meditate upon thy
muse on thy doings
remember the works
meditate thy work
talk of thy doings
政治的同盟は常に嫌悪されるべきものである

10月05日
トウィラー トウィララー
荻窪地域区民センターは公民館運動で一度やったことがある。unknown happinessをパンクでやったら小堺が喜んだ。

たったたった
どしたどした
だっただった
いれたあれた
うれたえれた
おれた

口口口
口中口
口口口

口口口
口口口
口口口

口口口
口内口
口口口

口口口
口炎口
口口口

朝朝朝
朝お朝
朝朝朝

朝朝朝
朝は朝
朝朝朝

朝朝朝
朝よ朝
朝朝朝

朝朝朝
朝う朝
朝朝朝

ゆっくりしてたんじゃ遅す
ぎる と言っても早く過ぎ
る訳ではない

いまからのちの空気は野菜の甘さ

10月06日
電気窯が毀れて9日の盃が間に合わなくなった。

10月07日
辰巳ヨシヒロの映画がシンガポールで作られていたのを見つけて観ました。
tatsumiというタイトルで、劇画のままアニメというか、あのタッチがそのまま動いていてびっくりします。
社会派ですが、チェコとかとぜんぜん違う。劇画は好きですか

日の出理容院 すっかり雰囲気変わりましたね。
そうですね。野毛の夜はジンビームのにおいがします。
ラブレターはやはりカタカナでしょうか。
そうですね。ライムを数滴垂らします。

そこが彼に物足らないところで、同時に彼の仕合せなところである。彼は物足らない意味で蛇の頭を呪のろい、仕合せな意味で蛇の頭を祝した。そうして、大きな空を仰いで、彼の前に突如としてやんだように見えるこの劇が、これから先どう永久に流転して行くだろうかを考えた。(彼岸過迄)

もうすぐ徹夜明けの空です

夜が明けて花欄の実の際立ち始め
青の限界として茶はありてしも

まり四歳ね

嘘しか言わない誠実な人だった
本当のことしか言わない嘘つきと、嘘しか言わない誠実な人と、どっちと付き合いたい?
どっちでもいいよ

人が減っていく ずるいなあ
こんな青空

文体を生きているやつは死ぬまではつまんない

青空にみんな死んでくソフトポア

10月08日
間違った情報が流れて困っているので、しばらくそっとしてください。

かなしみは消費されるか
されないか
苦難の水と虐げのパン

かなしみを消費して進んでいく
自分を食べながら進んでいく
芋虫のように絶えず内側を表に出しながら
列車のように

chou chou train

 

mshb「一台のグランドピアノのためのメダカくままつり」荻窪地域区民センター音楽室

伊地知一子が杉並区民なので、昔よくやっていた荻窪の公民館を「常盤会」名義で借りて自主企画をやってみることにした。国立でもそうだったが、公民館を借りるときはサークル名はいつも「常盤会」なのである。

ブリュッセルのマクラウドが面白がって送ってくれたMaher islandという島のウィキを見て、そのタイトルを最初は考えていた。マヘル島は南極大陸の近くにあり、グーグルアースで見ると真っ白で島とは判らない。昔、「地続きの島を恐れるな」というタイトルのコンピレーションを出したことがあったが、地続きになるためには干潮ともうひとつ、氷結という手があったのだ、と気づいたのだ。呼びかけ文を載せて、参加を呼びかけたが、人が来るかどうかは大変心もとなかった。

 

「これはマヘルとして今年唯一の自主企画です。

参加者にはうちの庭で作った杯を差し上げます。それを使って演奏が行われます。

 

「やることは指を少し濡らしてめだか班とくままつり班に分かれてピアノをこすり共鳴音をだす、というものです。

めだかとくままつりにそんなに意味はありません。こする方向で、時計回りはめだか、下から上はくままつり、という区別があります。音楽化のために、一人(たぶん僕)は音を出さずに鍵盤を押さえ、聴衆は移り変る残響がマイクで増強された状態を聴きます。今年の春からやっている奏法で、今回が集大成になります。弦楽器では珍しい奏法ではありませんが、ピアノでは弦に竹籤を刺す内部奏法が禁じられているホールで有効な方法だと自負しております。ピアノとはなにか、というイヴェントを小石川図書館でやったときは、打楽器の側面を強調しましたが、今回は弦楽器として扱うということです。最近草月ホールであった灰野さんの八八人ピアノに対抗するわけではないのですが笑、参加した人が何人かいるので、終わった後感想を聞くのも面白いと思います。

 

「音楽室のレンタル料は自発的な寄付によって賄われます

参加希望される方はご連絡ください。

 

「マヘルは島なのか星なのか

星だとしたら地続きの星はあるのか

死んで星になるなんて嘘だ

あればネフィリムたちの死骸

死は地続きになるか

島のように

 

「あるところに熊ピアノがいました。捕まえられて犠牲になりました。螺旋のめだかは、空に上っていきます。私たちがめだかと思っていたものは、実は鮭だったのです

 

当日、東京マヘルのすでに死んでいる面々が予想通り大体集まり、めだかってなんですか等の質疑のあと氷結の合奏は指示通りに行われ、録画もされたがアップされなかった。四,五人の観客は詰まらなそうにそれを鑑賞した。草月の八八人ピアノを企画した新井も、「これは観ないといけないと思って来ました」などと言って、札を数枚置いて帰っていったのでなんとかホール代は賄えた。僕らは数人残って荻窪の駅近くで熱燗を飲んで、散解した。

 

三次元を二次元に移し換えるのではなく、目の二次元を手の三次元に移し換えること。
ピアノばっかだとギター弾きたくなってくるな

三つの層があった。死刑囚watchの例の偽悪のやつと病院内部の乾いたリアルとナイーブな少女漫画的短歌。どれも他人同士のようにたまに言及し合うが、決してそれで彼女全体が明らかになるわけではないように配置されている。

10月09日

この池の中には放り投げられたアイフォンがひとつ沈んでるんだよ

コゼバ(Cozeba)はたぶん、「うそつき」と訳すしかない。アドラムの西南西5㌔の所にあるテル・エル・ベーダ(ホルバト・ラヴニン)と暫定的に同定されている。コゼバの人々は陶器師だった。(1cr 4:23)嘘つきの町。陶器師たちの住む。フフ。砥部。

ハウスホールド マネージメンツという名称で企画宣伝することにした。
トイレに財布落とした
直販は、MSHB Direct Sales, MDS
Kudosのレコード会社は「瓢箪記録、hyotan records」
納税の屋号は「やまばとデザイン事務所」、
そして企画が、ハウスホールド マネージメンツ
です
昔はflying midheaven products とかも言ってた
2番目のカセットのあたりね
カセット部門は独立していて「繋船ホテルレーペル」という。
Rは昔牧野とdependent direct sales.,dds というのをやっていたが今はないので名前を考えている。
ピーターペレットが復讐レーペルというのをやっていてかっこいいと思っていた。
ジンビーム飲みながらハウスホールドマネージメンツの会議してる
ハウスホールド マネージメントとはギリシャ語でオイコノミア、家政の運営という意味。エコノミーの語源となった。
経済とは畢竟、家政なのだよ。

今日の空と海はほぼ同じ色だが海は波の分だけ斑がある。上下逆だったら怖いだろうなと思った。

それで、今日は東京は晴れてるわけ?

アカウントがまだ生きていて 新宿
死んだってやっと言えた酔っぱらって
くだらない恋はすべて捨象していまは彼女の芯だけ見てる
街路にはインターロックが嵌め込まれ「きみの歩幅は覚えています」
ゴールデン街行く泥水冬道が「きれいなねーちゃんきれいなねーちゃん」

ハウスホールドマネージメンツは明日のタコとシェシズの宣伝はしません。
そんなのは模索舎が草枕の宣伝するようなものだ。ハウスホールド マネージメンツはエゴイスティックに工藤家の利益だけを追及します。

10.10 青山 lastwaltz

草原の実験というカザフスタンの台詞が一切ない恋は原爆より上に来ないという映画を観た。

10.11 白楽 bitches brew

いくら音楽を聴いても駄目だったね
ごらん新世界のようさ

相模では空は見ず、ひたすら錦に沈潜する

一緒にやったシシリーの男は雑誌のアンケートでは世界のソプラノ奏者の65位に入っているそうだがレイシーにあまりに似すぎていて客ゼロで哀しかった。

10月12日
sdlxで山羊座の歌
平山美智子→シェルシの段階ではその目論見はヨーロッパを個人的事件に引き下ろすことであったが、平山→太田真紀の位相では、再びシェルシの指示の「継承」がテーマとなったが故に舞台芸術として成立したきらいがある。そうであれば太田ではなく美空ひばりにやらせたかった。
来年ここでやるジェイコブ・ウレンの、自作曲を他のバンドにやらせるという作品も、音楽ではなくその「継承」の部分を演劇と捉えるものだ。継承はメタと重なりあう部分があるが、大抵はなにか大事なものを根こそぎにしてしまう。延命のために真の命を殺す、みたいな。

10.13 高円寺 goodman

飽和状態で推移している

頼まれたスパイスがなかった。高円寺は冷たい。持ってく先が違う。バンドやってたとしてもだ。
それでも主題を見つける。持ってく先が違う。ジョイ・ディヴィジョンと、あとなにと。それらは湿ったものを冷たく昇らせる。円柱のような設えのなかに。
太田真紀のキャミソールもゴングもむげん堂に売ってる。ホットプレートを抱えた茶髪と全身オレンジが眼下を嬉しそうに。高円寺には安いハッピーアワーと冷たい商品がなんでもある。
冷たいんじゃないな
寒いんだ
つまりきみはユニットバスのにおいがする

終わったあと鎌田さんと裏窓に行く。「オレも(奥さんが死んだ)あんときは一年ぐらい演奏出来なかった。それでオレはプロじゃないなって思ったのよ。」極楽で裏窓というハードコアを見つけて買おうと思ったが高くて買えないと言ったら、栃木の万引きチョコレートの借金というのを呉れたので、裏窓で流してもらったら前にかかっていたパティよりましなところがあったのだったが、唄い方の割には歌詞が素直すぎてぼくの世代にはあかんかった。

アニソンのメタル速弾きとか、ベクレても味は変わらぬ産地米を応援するみたいなとこある

10月14日
富士そばのトリ天失敗した

城から城
日高屋から日高屋

SFのSF化という現実
ベルクで貰ったBLUE’S MAGAZINE、蟲文庫にもおいてあるぞ。興文堂にも置けよ
美術畑という畑

オネットム
オネストマン

オネットムヤムクン
オネストコールマン

10月15日
暗いマーシー’s ジャッジ

締め上げられたパイプのジョイントのボルト、溶接された薄い踊り場の鉄筋、突き落とされる代わりに見上げる鋭角

Sea Of Love
Like a spring rain that saturates the earth.

背骨をさまざまに捩じ曲げて居場所を作ろうとする
開くか 閉じるか 不真面目さを量っている

10月16日
ひょっとして今日は晴れているのか?

EM菌信者が川に撒く見えぬ希望のようなDM置きぬ

Sea of love の聴き比べしてたんだ。ロバートプラントやイギーまでいった。やっぱりキャットパワーが凄絶だということになった。ぼくのも聴かせた。

げんぱつせんだいできるかな
せんだいさきまでおせんされ
できるのはちょうへいきょひとのたれじに

夜空

言葉に埋もれて夜空が見えない
どれがアルデパランだったか
月がなくても夜は巡る。おれはもう少し歩かなければならない。
共倒れの星の下 月なしの移動
なんか甘い酒とかないの
黄色い街路灯がロンドン
ジンビームにシトラス
ああ暗い暗い
描ける人は多いが見える人は少ない 見えないからね
ぶっとい電線
あ、見えた
死んだあいつは見えてたかなあと
双六みたいに進むだけ
飛ぶときは定型じゃない
星の糸にぶら下がり
苦しいです三多摩リア充
戻った
いつもこうやって戻ってくる
お前らにゃあわかるめえ
戻る術を感謝と言うなら
ありがとう、よくがんばったね

 

言葉に埋もれて夜空が見えない  どれがアルデパランだったか

月がなくても夜は巡る。  おれはもう少し歩かなければならない。

 

共倒れの星の下 月なしの移動

 

 

なんか甘い酒とかないの  黄色い街路灯がロンドン

ジンビームにシトラス   ああ暗い暗い

 

描ける人は多いが見える人は少ない 見えないからね

 

ぶっとい電線  あ、見えた  死んだあいつは見えてたかなあと

双六みたいに進むだけ   飛ぶときは定型じゃない

 

星の糸にぶら下がり 苦しいです三多摩リア充

戻った

いつもこうやって戻ってくる お前らにゃあわかるめえ

戻る術を感謝と言うなら ありがとう、よくがんばったね

 

共倒れの星の下 月なしの移動

 

10月17日
Baby 失火role

浴場かと思っていたら登山の挙げ句眼下のぬるそうな池に案内者がざぶんしかしてガメラと見紛う棲息者ら叫びたち

10月18日
くノ一

きネ零
くノ一
けハ二

厄厄

厄厄

海のそばに家を建てて

 

新しい世の苦痛まで先取りして

上のものは素人の乱的に下にあり

「海のそばに家を建てて」

自分ではない人に叶うのを慶び

 

土地の配分について

復活の順序と

不義者の教育について

 

「希望の原理」はいまや全く古びて

嫉妬を隠して笑顔を貼り付ける練習

テムポ正しく握手をしませう

 

生き残れないどころのさわぎじゃない

生き残ってからの騒ぎの話

 

猫背の首吊りみたいに

海老を伸ばして真っ直ぐに

蝦蛄も伸ばして真っ直ぐに

未来を矯正する

 

ウゴウゴルーガをアフォーダンスアニメと呼ぶのは初めて知った。

 

詩集二〇一四

思うに2011ー2014的情況とは詩の場所をどこに据えるかを問題にするということであった。
その総括とは断じてアーカイブ化ではない。沈潜する定着を色分けし、提示するのは今の作業なのだ。このまま亡びてはいけない。フィールドワークは民俗よりも心に向けられるべきなのだ。
そしてそれは定型と詩を峻別する作業でもあった。
つまり定型とは世に片足をつけるということなのだ。
飛ぶときは定型ではない、しかし飛んでいるときそこにあるのは詩だけではなかった。その詩以外の部分が身体を伴うリアルであった。それはジョイ・ディヴィジョンに少し似ていた。

逆さに吊って干した玄米は陽を食べているよう
2年後すべての魚は食べられなくなる
いまはまだいいけど

10月19日
Silverhead “Hello New York”
mshb new album “hello new york” is coming soon. it includes “sweet jane” and “happy”.

3.11以降、放射能は何よりも神学論争であった。滅ぼしてくれる絶対者を見出したからだ。SF映画の主題が神対人間に収斂していくなかで、様々な反動も現れた。「放射能無害」は大江用語で言えば当然の進みゆきであった。裏窓関係はみんなおれが殺したと言われた。言論によるソフトポアで。

徹夜明け何だか晴れちゃって困ったねえ
ヤッホーてキテるのかなあ
だる暗い

いまはヨブというよりヨナでしょバタバタ死んでかないから

ヨナよなの月面画報つらい

国々をあげつらう層にいるやつはもうだ目だ
ヤッホー
残る音源て少ない。友達関係だからとか活発にやってるとか同情とか関係ない。音楽しか残らない。

このごろは泡立草がまた増えて

最近のヘルメットて虫みたいなのな砥部中の自転車の子ら蟻に見える

けけっ

エケケケ

10月19日
へび少女怖くてトイレ行けない

10月20日
胡桃は銀杏と同じような処理をする
水に浸けて果肉を取り除く。野生の胡桃の木が実をつけているなんて知らなかった。
景観条令から捻れてへび少女に変わった。他にもカマスがサワラになったり、渋谷のマインドトラベルがトラウマトンネルになったりする。

想像だけで当てずっぽうに引き出しを開閉する官吏

すっぱいくるみもふきとばせ
夏鳥の箸落としたる土橋かな 永田耕衣

けふといふけふはかんべんならねえ

安全靴なのに釘踏み抜いて
青空を踏み抜いて

「ガラ携」のミックスだいぶ進んだ
ライフワークて評価されないものだ

結局クリス・コーエンとムーピートーンしか残らない。

10月21日
音楽に関して、ではなくCDを取り巻く音楽に関して。或いは音楽を取り巻いていたCDに関して。
Chris Cohen と Movietoneしか残らない。リールのコミュニティと同じ結論に達した。
CDを巡る情況は音楽ではなく。何を選ぶかを主題にしたら対極は「TSUTAYAでレンタルしたCDをランダムに流すdj威力」みたいな言い方になる。(実際は違ったけど)
ふつうに話す

物事の様相というものは思っていたものとだいぶ違う。進み行きというものは、旧来の一般論のようではなく、巻き込まれ方によってのみ没入が生じ、舵を取られていく。例えば年に二回のフラメンコがそうだ。おそらく無意識が船頭で、漕ぎ手はコギト笑、女は海だ。
ジャンルや職種というものはそういう放下によって決められていく。フォーク野郎の金魚を引き連れ、窪溜りにライブのハコが向こうからやってくる。宣伝が無意味だというのはそういうことだ。こちら側からの働きかけではジャンルの島々は一ミリも動かない。

手をかざすペーパータオルの空箱の下から風は出て来なかった

ヒットエンドラン
ヒットエンドラン
マテ茶熱くて食道癌

ナメクジ食べてるみたい
死にたい
人生で楽しいことなんてあったかしらん
思い出してみよう
思い出せない
ねこ炬燵とノミとどっちを取るかだ

リズムの僅かな遅延でも効果があること
メロディーの僅かなずれだけでも効果があること
リズムの僅かな遅延がないと効果がないこと
Happyのあとに黙示的であること Freedom Farrell Williams

飼育され、潤いさえも与えられて

美術が音楽を使うように音楽が女を使う。音楽が美術を使うように女が音楽を使う。

さなそあ
しにたい
すぬちう
せねつえ
そのてお

辺境性のみが耳を欹たせる
タンゲくんはわたしのねこだよね?

 

青空

 

青空の奥 見えない流星群

青空の奥には星が流れまくっている

青空の裏に流れる流れ星

青空に、流れ星

青空に流れ星流れている

流れ星流している青空

流星だらけの青空

青空なのに流星だらけ

流星なのに青空 青空なのに流星

流星の青空

流星の線は引かれて青空

青空に星が見えると嘘を言い

今まさに線は引かれつつあり

半球の内側に増殖する線の記憶

青空は線でほんとは傷だらけ

昼が星を見ようとして首を捩っている

青空の裏側は厨房のように死体でいっぱいだった

青空の裏側は厨房のように鶏ガラの出汁をとっていた

青空の裏側は厨房のようにごきぶりがいてはいけなかった

青空の裏側の厨房ですべてを混ぜ合わせるとカフェオレ色になるのかカレーになるのか

流星の代わりに鍋には那智黒を放り込むことがあった

青空の裏側は俎のように傷だらけだった

星座は男の格闘技であった(梶原一騎談)

だから星巡りの歌を歌う男女は生臭いのだ

青空の裏側は動物園の裏に似ている

10月23日

包囲網狭まってるけどあそこらへんやだなあいっぱい死んでるし

スイスではアートブックを編むことが盛ん。
アートではなく。

収穫したオリーブは苛性ソーダに浸けないで重曹か塩水に漬ける。海に浸けておけばいいのにと思う。
ロンドンで友達になったトルコの女の子の彼氏の部屋で、3人でずーっとオリーブを食べながらワインを飲んでいたら、すべてがケヴィンエアーズ的にどうでもよくなったことがある。
近所の人からオリーブを大量にもらい、あとポポーというマンゴーと梨の中間みたいな味の実をもらい、それらばっかり食べている。あと糠漬けと。

玄米三合は多すぎだよ賢さん

 

10月24日
タンニンがないのよルイボスティーは。
じゃあ学年主任は?

ニヒリストサーフィングループのエゴサーフィン
安里屋ユンタでクルド人が来るど
秋のkilling so
高円寺にはロックの神様がいると思っていたけど、それはやっぱりサタンだったんだ、みたいな

やはりカッパとのduoが規準を満たしている

中西亮太の宙空一派 没後レコード。広島の夜空におけるクラインーゴルドン方程式

Gustave Coqiot “Bulky” 恐怖の合唱アルバム
Gustave Coqiot ”Pony Blows” 筑波で、死ぬほどおいしいものを食べてだから今晩死んでもいいと思い続けて生活するというのもひとつの方法だ。

Shiu2009年ハンブルク
当然名盤
Baby it’s you とかもやってる

cacoy “human is music” djの死はほかの人間の死とは違う。死んだ人は心の中で生きているが、djは再生機の中に残っている。手仕事が多い分残酷である。

Fly Pan Am (Constellation Records1999)
カナダの個人主義はUSのそれとは様子が違う。ゆえに、人が集まると曲にならない。shiuはそれを個人でやってみせたが、彼らはそれを集団の手法としてみせた。

Piu mosso!
いろいろ血のついた絆創膏とか錠剤とかラップされているので剥がすと異臭がする
他にもいろいろ入っていて

The Watery Graves of Portland ”Caracas” 2005
ピアノですべてやろうとしているのがプログレ臭を醸し出すがセキフぽくなるという

Fennesz, Fenn O’Berg オルーク、mego なつい

rodrigo y gabriela 11:11
格闘技などという邦題がついているがバカビリーバー読んでたほうがましだ

ZA! – MEGAFLOW
これは確か南仏でもらった
ウサギを食べながら聴いた
暑苦しい

10月25日
ソルジャーガレージ 赤い星 psf
星が赤い! かっこいいじゃないか。清水沙さんのブログを確認
今日はこれでやっと寝れるよ

ノアミ酸

Modest mouse
Baron von bullshit rides again 2004
フランスのライブではあるが、普通にロックをやるというのは正気とは思えない。

混沌コントロール ambient works vol1
この人にはランボーの朗読mixがあり、それはそれで「ロックで」いいのだが、廃寺ゆうことかと比べると、体のオルガンがだいぶおじいさんである。世代だから仕方ない。

Tara Jane O’Neil  Wedding Bell ep 2008
タラの友人の結婚式用のプライベート盤だからなにも言えない。低いチューニングがもはや貫禄あるね。

ワールドイズコインタウン 世界
昔小倉でやった、素敵な夜にしようねという曲が好きで、今はなきミュージックオルグで再会した時もやってくれてうれしかった。九州で無条件に受け入れることができたのはクラヴィノーツとこのバンドだけだった。

Indian no echo sign bine not
2013 ムジカジャポニカのライブ 私家版
中尾眞佐子さんのバイオリンが好きだ。サトエリに聴かせたいといつも思う。

BILL WELLS ”SUMMER DREAMS”
”Doesn’t play”に至るまでの悲しくひねくれたトータルアルバムである。ジャケットはナミオ。

Federico Durand ”El estanque esmeralda”
アルゼンチンの音響は日本が飽きて放棄した部分を丁寧に進化させ続けている。向こうのほうが金融危機とかあって大変なのに、日本の人は見倣うべきだ。

Iku Sakan
猫のような音色が気に入ってこれは名盤だと言ったら本人も覚えてなかった。スティールパンだけでここまで多彩に展開するのは並大抵ではない。パレドキョートが楽しみである。

various sigh horns ”いろんなためいき”
中尾君が三多摩になったようなのづやま君のクラリネットはとことん生活寄りである

ねっセイタカアワダチソウ嘘血だわ赤大切ね

10月26日
ようやく空も荒れてきた
暖まってるよ夜って待ったあ?
自傷ワイルド

PhaseⅡ漸く空が荒れてきた

地方の市議会レベルでは(無所属が多いため)これまでも共産党が第一党だったので、アメ国日本県東北郡宮城町議会の結果は驚くことではない。それにしても仙台が町でさえないなら生政治のチャンスだ。組内で芋炊きでもしたらどうだ。
争点はTPPとか言ってるけど米は逆さにして干さなければ美味しくない。種を奪還して家族農業に戻れなければ本当はなんの解決もない。

UG Kawanami “have a good time”
一曲目、想い出すのはヨーテボリの Martin McFaulである。冷たいブギーの空気感が共通しているのだ。連絡とってみたら?

Brabrabra “Mango” 2013
彩子ちゃんのやってるガールズバンドでベルリンマヘルのメンバーでもある
和太鼓リズムのtrack3が脱亜入欧している

田中トシ ”光の水・風楽” 2013
和だが、まだ若い。 Gracias a la Vidaという感じである。角谷ならなんというだろう。

カミッサが送ってくれたこの手の大量の
カミッサ関係
Greem Jellyfish – John Cage Silence

GーFu
Trip to Ma Soul Part.1
伊豆のケイコのソウルにいる娘のヒップホップで
いっかい対バン断っちゃってすまなく思ってるよ
こっちが彼女メインでボーカルやってる歌もの

Billy Mahonie ”Dust” 2003
さっきのソウルのバンドは検索かけても出てこないけど、このロンドンのバンドはwikiにある。だからというわけじゃないがネットに乗ってるんだぜみたいな安心感の上でやってる感じがする。

Andrew Keeling ”Blue Dawn”
瓢箪レコードの「人、草」を買ってくれたイギリスの作曲家で、まったくの現代音楽だが楽器の使い方がわれわれと似ていなくもない。

Bonnou no mukuro ゙tape days゙
生理的なリズムに重いところがある

breakbeat era 1998
ブレイクビーツは60’sを一見加速させたように見せかけ実際はデジタルの部屋に閉じ込めるものだ。五反田のキャバレーウラシマのバンドマンのドラムのほうが抜けがある

Cast ”Beat Mama” Polydor 1999
castにはMagic Hourという曲がありそれは曲名が好きだがこのCDシングルはいいところがなかなか見つけられなくて困ってしまう。

V.A. incense orange record 2008
レーベル10周年コンピだが3.11以降聴ける曲があるかどうかは疑問

Psychotic Quartet – Sphaleron
フィラデルフィアの即興なんだけど、カバーのタイトルがSpharelonでrとlが反対になっている。外人でもrとl間違うんだねどうでもいいけど、

Mason Jones ”The Crystalline World Of Memory” 2002のソロギターなんだけどやっぱりソルジャーガレージのほうがいいな。ループマシーンは気を付けたほうがいいよ。あとさびしい、だけではだめ。

Jesse Krakow “Oceans in the Sun” 2004
ニューヨークでベーシストが弾き語りをするとこうなるということか。西村かヨンジンのほうがいいな。

だんだん聴いてると生悦住さんぽくなってきたな
いかん
みんないいところはある
やってる地層が違うだけだ

Renato Rinaldi – The Time And The Room 2004
部屋のうちそとの環境音の即興とのミックスという手つきはなかなかのもので、これは部屋のうちそとがない日本のものより優れている。

青空や水が恐いのは地のように呪われてないから

10月27日
ズラウスキー コスモス 東京国際映画祭
僕のゴンブローヴィッチ体験は中学の図書室の恒文社現代東欧文学全集6の「コスモス」でありました。シュルツの「肉桂色の店」も入っていました。

たとえば彼女はぼくにとって横浜のdivaであるわけだがそれはしばらく付き合って練習したからジャンルが引き寄せられてきたからであって、そんなものといえばそんなものだと、とくに女性の場合は、渋谷さんが毎回グッドマンに女性ボーカルを呼んで練習して臨むというパフォーマンスをしているのも。

F for Ache ‘Faüxmish’ 2011
ロスのアートロックでギター寄り、ちょっとゴス、マヘル関係。

JAMES TENNEY “PICA-DON”
タイタニックと同じくらいの名盤。

Black zinc galvanizing darkness ”suicide note (sample)” 2015
田野君と同郷がウリのハーシュで気合入っててかっこいいぞがんばれ

LVV (LUV)
音というより伝達をテーマにしたまったくのアート。

christian helman cummings “SOME MUSIC TO HEAR”
メモリースティックに入れられたソフトなヒップホップぽくないアジテーションと即興で、本人はこんな作品を作っている。ロスのマヘル関係。

ようやく雨が降りだして手錠を嵌められてうちそとが一致した

立花のかめやに金を落とす
昔大街道にあったかめやと本当に同じ味かなあ、さぬきとかを経てこちらの舌が変わったのか、こんなに甘くなかった気がする。高校の時毎日食べてた。170円だった。
違う。銀天街だった。
人のブログを覗くと味は変わってないという人が多い。
ぼくがいつの間にか変わっていたのである。
ここはムシさんが看板を見て入りたいと言うので来たことがあった。彼女は亀が付けば味は何でもいいのである。でも味も気に入ったと言っていた。
そのときは味が変わったなどということは考えなかった。もしかしたらきょう食べた肉うどんではなくかけを頼んだからかもしれない。肉うどんはゴボウが入って味が濃いのだ。
昔僕は肉うどんを注文する人たちを軽蔑していた。うどんに限らず、何でも自動的に肉を選ぶのは無知蒙昧であると嘆き、なるべく大豆由来の食感で代用していたのだ。
かめやはJR駅前のキスケの一階にもあり、最近も味についてはなにも考えずきつねとかを食べていた。ということは、肉うどんを食べるようになったという意味においてのみ、僕はきょう、以前とは違っていたのだ。
或るブログによると、かめやで肉うどんを注文する者は全体の6割に達するという。かめやは変わらず、僕が多数の方に移動したという意味で、変わったのであった。それはぼくが自民支持に回るような変化であった。
肉うどんの味は朝日やことりといった鍋焼うどんの名店の味に近い、河原町の焼け跡に立ち並ぶバラックの屋台の、砂糖でくっきりさせた味覚にほかならない。
要するに貧困の味なのだ。それが空爆で焼け野原となった松山の原点である。僕の身体がそういうものを欲したということは、無意識が、なにかに備えよと教えているのかもしれない。
僕はきっとさらに貧乏になるのだろう。

問一
作者の気持ちは次のどれか
イ) マイナンバー制に反対である
ロ) ムシさんが最近遊びに来なくて寂しい
ハ) おれにまとまった金があったらなあ
問二
伊方再稼働に関する作者の気持ちを述べよ

10月28日
今からリナちゃんがギター習いに来る
アタチャイ・フェアテックスて強すぎるな
でも前に出した足を持ってひっくり返せばなんとかなりそう
禁止だろうけど
まえそれで勝ったことある
型の美しさに気を取られてるタイプには有効だ

アンドリュー・チョーク ナホトカの幻 siren 2009
非情なまでの作り 超レアなんだぜ

Andrew Chalk 狂詩曲の波間に浮かぶ四十九の風景 Faraway Press2012
日本趣味のパッケージを作ることに重きが置かれた人生てなんなんだろう。厳密に言えば日本の額装屋の仕事ではないし。ただ引出し易いのは確か。

福田君の映像がこれしかない
ラケットが空気を切る音が聞こえますか

雲と青のバランスが四国に戻った。

じゃりんこ
というか
がきんちょ

森の中に折りたたみ椅子があってワンカップの蓋とか落ちてる。今日辺りから日向の方が気持ちよくなってきた。ぼくもそこにしばらく座ってまた畳んで去る。

SNSが出始めの頃はどうやって与えられたフォーマットを脱臼させるかばかりを考えていたが、やがてそうした動きは淘汰されていった。我々は人との距離の取り方まで操作され、面倒なので諦めてそれを受け入れ、そのなかで喜怒哀楽と生き死にを生じさせ、要するに完全な奴隷となったのである。
SNSにおける感情表出はわれわれにとって徹底的な敗北であった。
死にたい
悲しみべろべろ

異なる梢の揺れのなかで糸を張る蜘蛛の信仰が陽を浴びている

また晴れちゃった

泥水冬道ブルースバンドは、クリス・スペディングのギター・ジャンボリーに範を取ったもので、本来楽しい筈なのだが、ベースが悩みの種で、12小節が体に入っている人が案外少ないのには吃驚する。

 

ランボー

 

工作員としてわたしたちは死ぬ「言葉に対する罪」があるなら

「人道に対する罪」などない

無意識によくこれ以上人を殺すなと言われる

仕切られたプールの部屋で公然とセッションが行われ、

(無意識)という名前を発音するのに一年半かかった。

その後著しい改善が見られた。

それもこれも(貴方)と呼ばれてから始まったこと

わたしたちは腫れ物のよう

それを二人称複数にするランボー

セッションから遠く離れて

言葉から逃亡して

豪毅なことだ

それにしても、写真はひとつも届かなかった。

 

蜜蝋の部屋で取り調べは続く

あ、鬱

工作員としてわたしたちは死ぬ言葉に対する罪があるなら
工作員としてわたしたちは死ぬ 「言葉に対する罪」があるなら

10月29日
「人道に対する罪」などない
無意識によくこれ以上人を殺すなと言われる
仕切られたプールの部屋で公然とセッションが行われ、(無意識)という名前を発音するのに1年半かかった。その後著しい改善が見られた。
それもこれも(貴方)と呼ばれてから始まったこと
わたしたちは腫れ物のよう
それを二人称複数にするランボー
セッションから遠く離れて
言葉から逃亡して
豪毅なことだ
それにしても、写真はひとつも届かなかった。

蜜蝋の部屋で取り調べは続く
あ、鬱

きみが反米主義なのか、陰謀論者なのか、スポーツ狂か、はたまたそのすべてなのか、判別できない。たぶんどれでもない、分散し薄められたかたちなのだろう。それが第一印象だ。

うそ泣き腫らすメント

言葉を毀すものを探して時間を削った
鳥の大群が来て柿を食いつくしていった
目的地までは勾配しかなかった
風化する前の岩盤のみを相手に
それでも写真は切り取らなかった
乾燥だけが現象のすべてだった
晴れ間の陶工に手を挙げた
雲見の思い出など他人のもので

調べてみると、言葉を殺した罪、というより、意味の的をずらして宙吊りにすることで、工作員というその単語だけを殺しているのであった。

10月30日
良心の痛みで目が覚め、その麻痺で起き上がる。その中間に一人称複数を使う。

ルドルフ・主体無〰

暗い青空の下で地の呪いは弛められた。洪水前の明るい曇天が、今となっては懐かしい。
悪意の言葉を集めた。
それもおれの狂気の善意のひとつなのだ。
裏返った女の中身の子供が外を覆うような言葉たちがおれの仲間だった
見えていないときは表面を磨く作業に没頭する
だがそれも乾上がってしまえばお終いだ
化け物が友達の筈じゃなかったのか?
何故端から煉瓦を積もうとする?
真顔で矛盾に向き合ったことがないのか?
夜の道に未整理は溶ける
それを花道と言って仕舞え
射殺される前に
そのまま家に帰らなかった
空の腹に光を入れて
台湾の田舎のコンビニの前で停まる
忍耐
悪意の言葉たちは一方通行路ですれ違う
歩行する善意を謎めいたものとして遺して
一台はイモ天を食道に詰まらせる
もう一台は汚れた水滴で携帯の画面を濡らす

どうせ的を外しているのであれば悪の哲学を持ち歩いている奴の方がまだ可愛気がある

10月31日
紅葉始街路自成階調

おれも盆地の出口に氷鳥の羽撃くのを見、空に忌まわしい十字を見ていた。
どこでもいい、デカブリストの場所へ出ていくと言うとき、力点はこの場所への別れに置かれていた。
言葉の力点とは常に未来完了形の断言に置かれるものだ。
砥部の連中は自分で土を掘り始めた。
トンブリは燃える柴だ
くつを脱げ

旅に出たいではなく旅をしてきたと言い切ることが彼らの自恃だ
腰に帯を締め、地を行き巡ってきました、
あらゆる闇を通ってきました、と
だがそれだけではサタンと一緒だ
上昇と下降のみが、
この勾配のみが旅なのだ
金は旅のために減っていく
独りでも、場所に支払う金が欲しかったと供述し
「蜜蝋の部屋で取り調べは続く」

ランボー

工作員としてわたしたちは死ぬ「言葉に対する罪」があるなら

「人道に対する罪」などない

無意識によくこれ以上人を殺すなと言われる

仕切られたプールの部屋で公然とセッションが行われ、

(無意識)という名前を発音するのに一年半かかった。

その後著しい改善が見られた。

それもこれも(貴方)と呼ばれてから始まったこと

わたしたちは腫れ物のよう

それを二人称複数にするランボー

セッションから遠く離れて

言葉から逃亡して

豪毅なことだ

それにしても、写真はひとつも届かなかった。

 

蜜蝋の部屋で取り調べは続く

あ、鬱

きみが反米主義なのか、陰謀論者なのか、スポーツ狂か、はたまたそのすべてなのか、判別できない。たぶんどれでもない、分散し薄められたかたちなのだろう。それが第一印象だ。

うそ泣き腫らすメント

 

言葉を毀すものを探して時間を削った

鳥の大群が来て柿を食いつくしていった

目的地までは勾配しかなかった

風化する前の岩盤のみを相手に

それでも写真は切り取らなかった

乾燥だけが現象のすべてだった

晴れ間の陶工に手を挙げた

雲見の思い出など他人のもので

 

調べてみると、言葉を殺した罪、というより、意味の的をずらして宙吊りにすることで、工作員というその単語だけを殺しているのであった。

 

良心の痛みで目が覚め、その麻痺で起き上がる。その中間に一人称複数を使う。

ルドルフ・主体無〰

 

暗い青空の下で地の呪いは弛められた。洪水前の明るい曇天が、今となっては懐かしい。

悪意の言葉を集めた。

それもおれの狂気の善意のひとつなのだ。

裏返った女の中身の子供が外を覆うような言葉たちがおれの仲間だった

見えていないときは表面を磨く作業に没頭する

だがそれも乾上がってしまえばお終いだ

化け物が友達の筈じゃなかったのか?

何故端から煉瓦を積もうとする?

真顔で矛盾に向き合ったことがないのか?

夜の道に未整理は溶ける

それを花道と言って仕舞え

射殺される前に

そのまま家に帰らなかった

空の腹に光を入れて

台湾の田舎のコンビニの前で停まる

忍耐

悪意の言葉たちは一方通行路ですれ違う

歩行する善意を謎めいたものとして遺して

一台はイモ天を食道に詰まらせる

もう一台は汚れた水滴で携帯の画面を濡らす

 

どうせ的を外しているのであれば悪の哲学を持ち歩いている奴の方がまだ可愛気がある

紅葉始街路自成階調

おれも盆地の出口に氷鳥の羽撃くのを見、空に忌まわしい十字を見ていた。

どこでもいい、デカブリストの場所へ出ていくと言うとき、力点はこの場所への別れに置かれていた。

言葉の力点とは常に未来完了形の断言に置かれるものだ。

砥部の連中は自分で土を掘り始めた。

トンブリは燃える柴だ

くつを脱げ

旅に出たいではなく旅をしてきたと言い切ることが彼らの自恃だ

腰に帯を締め、地を行き巡ってきました、

あらゆる闇を通ってきました、と

だがそれだけではサタンと一緒だ

上昇と下降のみが、

この勾配のみが旅なのだ

金は旅のために減っていく

独りでも、場所に支払う金が欲しかったと供述し

「蜜蝋の部屋で取り調べは続く」

去年の夏に会ったときアーリントンは自分のデザインした縞模様が採用されたらしく、靴まで全身サンローランで、いっときの田尾君状態だった。彼は絵もダンスもやるし、春の祭典の画集も完成させたので、誰も知らないだろうから誰に向かって言っているのかわからないけど、滋賀に見に来たらいいと思うよ

進化論とは退化論以上のものではなくてその意味に於いてのみ正しい
というようなことをいつまで言わされ続けなければならないのか
間怠っこしいといえば主題にする必要のないことを新たに主題にして売り出していく歩みは科学より始末が悪い
ジャンルたちが他のカテゴリーを横目で見ながら融合と離反を繰り返しているのは哀れだ
ベンチに座ってちょっと考えれば分かることだ

あまりにかなしいトカゲの夢を見た