◎2019.3
自然とはスマホ〈を〉フィールドレコーディングすること 入ってしまう風の音は最早美学的にはかつてのスクラッチノイズ、スクリーンのノイズだ いずれ「ボイスメモに入ってしまった風の音」というエフェクト機能が現れるだろう
最後は脳内SFや脳内ラノベとの戦いになるだろう。人生になるか映画になるかの隘路若しくは峰を門渡り
高校生のけい君がガレージバンドでなんか作ってるというので生楽器と機械音の区別など無いという話をしてモートン・フェルドマンとアルヴォ・ペレトを貸した。
ほこほこからほおはあになった
マハーと言うのが自然なのは知ってたがグリーンブックのピアニストがマヘルシャラルまで綴りが一緒 ピアノは映画が進むにつれて平凡に あと飲食物が尽く不味そうなのは野菜を摂取するシーンがないことから来る不安からではないかと
啓蟄や死にたいうごめく気配・きず
労働者諸君。平気なふりをすると体に来るから気をつけたほうがいいぜ。
singer songwriter,
sing along to a nightmare
with singing ears of consonants.
sin is resonant, longing for a rider.
デルフィーは神殿ではなくてその形からイルカの意である
グラデーションが曖昧で美味しそうなので食べてみようかと思う
בְּרֵאשִׁית
ベレーシートと振られているがbedhashechのように聞こえるジェネシス冒頭の「初めに」
アメリカにロックは存在しない。他ジャンルとの関係において語ることしか出来ない。抽象化し得たのはイギリスにおいてであった。ところが、イギリスはアメリカとの関係においてしか存在しない。宙吊りにされたまま転がるのは、そうだ!yo-yoだ。
ある日どこかでというのを観た。1979に戻ってからの最後の演技が冗長で、なにも死ぬことないじゃんと思った。アーサーをうまく使ってああ夢だったんだ、でも、くらいに濁すだけで良かったのでは。1914世代についての話なので、死後結ばれるとかの安易さを垂れ流されると尚更そう思えるのかもしれない。
今生きている世代は三日絶食して死ぬことくらいしかすることがないのだろう
死ぬならシネマの
κᾰρπός 実
So the song of the tyrants is silenced. singy song, singy song, singy singy singy song.
フランスでは歌は彼を世に引き戻すための反動勢力として裾を拡げている
スズメ目ツグミ科ジョウビタキのオスが庭に去来
寡黙
運び屋を観た。かのストレートストーリーより確実に現在である。先取りにはいつも少しの希望がある。映画の主流となるであろうビッグコミック的な老いを先取ってさらに進めてみせたのである。
老いとは若造を恐れぬことだ、老いては長ける狡知たれ、その余禄を使ってアナーキーであれ、と。
それを俺はシニア割で観た、と。
明け方は他者の心臓入れるから自我には最も危うい時間
向こうでは赤で渡ると出羽守
ラジオから〽︎けれどもようやく虹を見た
公園と道路の端境の緑樹列の平らに刈り込まれた天辺を匍匐したくなりしたら捕まり帽子を取ろうとしたなど主張したが罰金4100円、無いなら貸すと言われ連れられて行く公園内の茶店には刑期を終えた不適格者の食事の集いで新参の女同士の被虐加虐が透ける演奏を夢では既知の皆が観ている。
除草剤 分別のある分別に萌える 猫砂にする横綱のゴミ出し 除草剤散布で蔓延る土筆 美しい我孫子
乱射シャ乱Q 安倍ベア リベラル墓場 ベラベムベロ 蚊がいる 加害者
果肉はletter かにくわないやつ 春雷ステークス 粧ひ信田嫁入
フーコー明媚 カール大帝 ひとりしりとり トリチウムの多い料理店 天路歴程バーミヤン 光速ヤスパース 春雷大滅
春雷かジェット機かわからないこれは私の愛する子 そら光りとうとう宇宙が血に至るまで逆らって泡立つとそのあと大風が吹いた柿の木に 小堺の白い肉ショッカーの如く溶け地面カルシウム照り首枷ワンダーランド首輪認証ベラベロ ラベル貼り音凪ワイン出来上がり ランボレロギーニ飢え乾くダリ臼一世風靡
そのあと雨 雨はまっすぐ下りる 光りで音が増すとまっすぐではない ジョボジョボボジョレー 死と使徒ピッチャーメガデス丼おわりちかいおかわり地下一階 ご飯無料と思ったら百円取られた家系の苦い思い出トリ公
バンクロフトラブクラフトバンクラプト 天が怒っている 来春までには死ぬ 犬のにおい ベラペムベロ プライベートベンジャミン 便座ミンフランクリン クリントイースト菌 ウドー音楽ムショ アニメ韓 村上君鬱 統失制限ネコの白内 吐き癖見破る漢方医 タイムカード押しといてやるから帰れば? 早退性理論
娼婦殺しに至る経緯を予想させるいくつかの要素
インドの人と一時間話した。後退するリベラルは妄想が現実化する歯止めを演じている。私の曲が浮いている。この神殿はガレージのように掃除してほしいか。
とうとう音楽同様詩の場所にもアンビエントが!
夜、役立たず2を書くという古川君と飲んでクライスト・チャーチと相模原事件を結びつける着想を得た。コーちゃんと金田一さんとレッツゴー役立たずという曲をやったのも思い出した。
役立たず1は伊牟田の前くれた台本に似ている。それもゴドー系の二人劇で車椅子の何とかって女優が伊牟田に殺されてしまう。
アンビエント ツイート
人生がひとつのメロディだけに収斂していった
the last song of my life
昔店でピアノを弾いてたら彼の付き人にいま裕也さんが来られるからロックンロールを弾けと命令されたので弾かなかった
ロールはrevolutionやd/evolutionの語幹に含まれる転がるという意味を共有する。進化論ならロック史も要らない。私たちはただアンビエント詩学の中を移動し変化しただけだ。
支配的近代環境とはアングロサクソンであった。その意味で阿部のサックスはアングロサクソフォンであった。アングラ はアングロであった。その中を転がっただけなのだ。裕也は静止しておりロックではなかった。前近代であった。彼の付き人は正しくroleをロールしていた。それらの要素が場をロックにした
物語が与えられ続けることによって良心が変化する。TLは逸らされていくために存在している。物語を与え続けることによって人を逸らすことができる。すべてのものに勝ってあなたのTLを守れ。
日時と、望むなら場所も記録される呟きは決定的にアンビエントであり、人類史において初めて”芸術”を後退させた。
エコロジーの領域にあるそうした呟きは、工作員アカウントの物語を軸にロマン主義を残存させていく。
エコミメーシスによる案内としてうちの市を呟く。近所には刑務所(不法入国者の面会に行ったことがある)と豚コレラによって閉鎖された養豚場跡地と射撃訓練が五月蠅い陸上自衛隊基地がある。刑務所には不法入国者への面会に行ったことがある。干からびた川が、伏流水を見たことはないが、流れている。
カーペンターズのclose to you の最後のリフレイン群の中には、十二分の一拍早く始まる回が一つ、十二分の一拍遅く始まる回が二つある。このアルバムに参加しているドラマーはスピードの速さと早さのセルフ・コントロールの点でアメリカ内ではラモーンズなどよりロックだと思う。
punkからLuddite へ 無予算機材によるアンビエンスとしてのノイズ
音楽は演劇の一部であると言う以上に、もはや表現全般が批評の一部でしかないという頭に転換しなければ最期の歌は始められない。
ジ・エンドやシスター・レイの水準をすべての歌に求めるといった若書きでは不充分で、そこから先はないという滝の部分を特化すべきだ。白鳥の歌だとか認知の臨終に澄み渡る頭だとかそういうロマン主義からは離れた、外の侵入のエコロジカル・ライティングとしてのシャンソン・デルニエールを世に投ぜよ。
音楽家に音楽などやめてしまえと言うのが今最もエコな原爆製造で吉報はロンドンマヘル解散の憂き目。
3.23
@forestlimit
Maher Shalal Hash Baz with UMMMI.
“平成最後のマヘル・シャラル・ハシュ・バズ/heisei n’existe pas”
マヘシャラ海/海マヘシャラ
左が映画で右が人生とするとこの峰伝いに歩いてゆくわけです
年末のフォレストで「蜘蛛とハエ」をやりましたね。あれを見ていた福岡さんが、海さんの映像で同じようなことをやったらどうか、と考えたのが今回の企画のはじまりです。手がかりは海さんから送られてきた2枚の写真だけで、どんな映像かはその場にならないとわかりません。よく見ると、同じ部屋を撮影したものだとわかります。左の写真は黄色っぽいです。音凪店内で撮るとこういう風になんでも黄色っぽくなりますね。右の写真は青いです。どちらも灯りが点いていて、どちらが昼か夜か一概にはわかりません。真ん中の線は僕が引いたのです。これが映画と人生を分ける分水嶺です。映画とかサッカーの魅力というのは時として人生より大きくなります。映画の中の生き死にに逃げるか、実人生で実際に死ぬか、僕らはいつも選択を迫られています。どちらに落ちても命がない峰づたいに登頂している気持ちで、フィルムを見たいと思います。左か右か、各自がどちらに寄っているかを判断しながら音を出すフォーマットを作ります。その部分に演奏者の自由があります。賛同いただける方はふるってご参加ください。
このスコア(the last song of my life)を演奏する他に現実界を表す楽音以外のノイズを準備してください。
3.24
@forestlimit
w/tamio shiraishi, takeo suzuki
白石さんは僕と礼子と昔下北かどっかのサーティーワンに居た時「昨日俺もとうとう31だよ!」と言った。僕らより10歳年上なのだ。サーティーワンでは奢ってもらったような気がする。僕らはいつでも彼に強請っていた。さぞかし迷惑だっただろう!
3.25
@hikarinouma
“pianoise”
東京は3日目のこの日がまったくのpianoiseで、オーレンのところから出すやつの前哨戦のようなものになります。
窯にまかせてという益子のチャンスオペレーションは萩の龍作和彦、エドガー・フローゼとクラウス・シュルツ、旭洋酒とビオ信者並の対立項を生み出す。勝ちに行くのか負けて勝つのか、野球は九回裏ツーアウト満塁ツースリーからだと星一徹に教わったものだが、ベイトソンからデヴィッド・ダン、ティモシー・モートンへの流れから、自然と思っていたのがやさしい日本人だったというような被曝エコロジーが4月20日京都にも続くテーマとしては、ある。
即興のために音楽をやるというのは即興を意図した時点で即興ではない
音楽のために即興をするというのは音楽を意図した時点で音楽ではない
音楽も即興も意図しないというのは意図しないのだから音楽でも即興でもない
音楽も即興も意図するぜというのは音楽と即興を意図した時点で音楽でも即興でもない
即興のために音楽をやるという考えは本末転倒していて気が狂っている
音楽のために即興をするという考えだと、即興的に即興音楽の会場で場違いなジャンルの音楽をぶつけるということくらいしかすることはない
即興のための境界線は無限に引ける
ゆえに即興は存在しない
境界線が存在するだけなのだ
ビリー・ホリデイの系譜のように即興のための境界線がはっきりしている場合、音楽はその即興のための境界線を引く行為によって評価されてきた
境界線に優劣はない
音楽そのものに対して境界線を引くこともできる
音楽の外で何かをすることができる
音楽をやめることは音楽のために大変有効な手段だ
公演をキャンセルすること
ヴェニューを爆破すること
それによって負債と咎めを受けること
それによって音楽の外に立つこと
〇〇とは波か粒子かの絶え間ない選択である
〇〇の中には即興とか音楽とか何を入れてもいいがそれを固定してはならない
麦の不揃いな頭等突立ちてをれば眼の痛き
不揃いな麦の頭等突っ立ち90年代のような夕方
外を世界ではなく環境と言い換えるとほどける或いは溶ける
セカイ でもいい
はるは二元論組合闘争の終わり
わ!かれ!わかれ わかれ
登場人物が画面に向かって話しかける映画は大体面白いね
作品かと思った
ロシアは作品かと思った
生き死にに繋がる失敗と
同じ平面に食い込む根の冗談
死に際の冗談
「ロシア民衆」さえも冗談
オーソン・ウェルズのimmortal storyを観た。イザヤ35章のシェークスピア的世俗へのパラフレーズであった。 Then shall the lame man leap as an hart,を貝に成就させた。