for the poetry book of Shibuya
for the poetry book of Shibuya
自分の書くものは現代詩だと信じるシブヤくんは、自分の書く言葉にどこまでちからがあるかどうかを知りたくて、女に自分の詩を歌わせさらには他言語に翻訳してから歌わせることまでして、これはもうほとんど伝わらないだろうというところまでもっていく。これは美術の手法である。そこまでしてリアリティーの行く末を見る。あるいはわれわれに、それを案じさせる。結果少しでも残ったものがあれば、あるいはなければ、それが現実というものだ。
シブヤくんの肩はイカのように均質で、たまにいる、人が折角揉んでやると肩こりってなんですかと言うタイプの非地球人であることがわかる。松本圭二は地球人を詩人、聖人、それ以外、の三つに分け、詩人と聖人だけが救われ政治家哲学者等はなんの価値もないと喝破したものだったが、もうこれでお分かりのようにシブヤくんは地球人ではないので、その三つのうちのいずれのカテゴリーにも入らない。エデンを目撃する第三者を仮想するのは不可能だ。それでもなお、ライターと歌手という仙台のメジャーごっこの仮想のなかで、かれは最初からぼくらの救いとは関係のないところでちからそのものを試そうとしてくれているのだ。