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中川裕貴、バンド – 音楽と、軌道を外れた  に対する依頼されたライナー

中川裕貴、バンド – 音楽と、軌道を外れた  に対する依頼されたライナー

1.映画の一シーンのような既視感があり、音も家電ぽくて合っていると思います。順番に慣らすのは個性なのでどうこう言えませんが、相手の音をよく聞く古典的な合奏をスローに定着させたような演奏で、この演奏でなければならないというところをこそ歌詞以外の言語のフレームにしなければならないので大変と思います。ぼくでしたら言葉をこういう風に扱うのであれば母音と子音に分けて同時に発音するやり方にすると思います。最後の種明かしのような朗読はサービス精神の表れと思いますが、なんちゃって感あり、それが土台の脆弱と思われると損です。

2.これもみな経験したことがある情景で、フィールドレコーディングとピアノは幼児番組のようにうまく絡み合っていると思います。歌詞は飼育員の声なので、track1と同列に扱ってしまうと、演奏のやり方が一と同じなので、言葉に対する罪が浮き上がってきてしまいます。ただここでの本当の言葉は無邪気なものです。その無邪気さに水をかけるような温度は、水族館の受付に硬貨まじりの札を投げ落とす時に起きる風の冷たさと等しい。

3.ノンミュージシャンという概念は、今世紀にはもう失われたものです。呼応がないということは音楽の死を意味し、歌詞はその意味で正しくこのトラックと呼応していて、ここでは言葉にならない言葉は喪われています。

 4.ここでも言葉は最初から失われていて、様相は高柳幼稚園です。演奏しているのに録音に含まれないというフレーズはいじめがあることを想起させます。ピアノがロック史に引っかからないことが演奏を昏くしている原因ですが、言葉はここでぼくのギターソロに丸投げされます。

5.京都に愛がないことが、東日本の私たちに愛を気付かせてくれます。三・一一以降リスナーとは、全員東京の人で、京都の人は東日本の人の耳を生やしていなければCD一枚聴くことさえできません。羅漢風に言えば、京都は存在しない、というのがすべての始まりだと思うのですが。

6.このトラックはこのアルバム中最良のテイクで、「京都は存在しない」というテーゼを敷衍していますが、特筆すべき抒情があります。

77.ハープが横浜市教育委員会から最終的にいじめ認定されて喜んでいます。でもそれは夢です。このアルバムはコンセプトアルバムではありません。京都の土俗は普通のフュージョンでした。だからこれは京都ではありません。やってはいけないことを入れるのが拡げられたコンセプトなら、これは大江戸線から上野駅に移って落としどころを見つけようとした、というところでしょうか。集団就職の坊主頭の群れの中の(リスナー=ぼく)が見えます。アメ横のハムカツトライアングルは崩れて、今は五軒くらいになっています。上野も様変わりしているのです。年賀状もめっきり来なくなりました。ロック史に掠ろうとするならこのテイクはdeterioratedの鏡。東の不幸。イカも回遊するからだめです。応援なんてしなくていいから。