2005.text
1月16日
紅白も見ずに寝たのに鼻詰まり気味で新年を迎える。a song of the ascents(上って行くときの歌)。 I shall raise my eyes to the mountains / from where will my help come?(pslm121:1,2) BS2で「街道を行く」の朝鮮編をやっているので観る。サヤカという日本の武将が秀吉の朝鮮出兵のとき朝鮮側について戦った、慕夏堂先生と慕われ今でも国中の儒学者が年に一度集まる、移民で弱小なのだから栄達を望まず人間らしく生きるようにという彼の教えを守って今でも400人余りの子孫が農業をしている。犀から改まったメール。午前中メールはそれのみ。BDJの楽譜の整理。夕方サンフラワー号で志布志に向かう。明石大橋が右手に見え、「お台場よりいい」を思い出して切なくなる。携帯はじきに圏外となる。姉たちと生まれて初めて一等船室に泊るが二等の雑魚寝の人々を見ると心苦しい。レストランは混んでいたがヴァイキング方式なのに油濃くなく30種類くらいありおいしい。朝は日の出を見る前に並んで食事を済ませる。7時に太陽が昇る。人を撮るか太陽を撮るか迷いながら撮る。写真を送る。バスで霧島に向かう。髪をひっつめた女の子がビデオを覗きながら参道を登っていく。示現流の上段を構えたら似合いそうな目で屋台の豚バラを食べている。我慢して売店の裏の杉の木に触っていると頭がじーんとした。バスでえびな高原の韓国(からくに)岳の麓にある温泉にいく。朝鮮から連れてこられた陶工たちが祖国を見ようと上ったのでその名がついた。山は女仏が寝そべった形をしている。長い髪の毛や目や鼻、唇、肩、腋の下、胸、腹までリアルで、流し放しの露天風呂から見つめていると「わたしのおなかもわすれないでね」という声が聞こえた。内側に赤い漆を塗った大小の杉の桶を買う、350円と300円。あと竹のコップ100円、押し大豆350円、いい民芸品を見ると生きていて良かったとその時だけ思う。そのあと焼酎工場へ行き、地ビールを飲み、出産祝いにチェコ製の木の鳥の玩具を買う。竜馬とおりょうが寺田屋事件のあと西郷に招かれて泊まったという塩浸温泉を通る。20日後に京に戻り、その後やはり殺されるのだが、薩摩に滞在したその20日間の濃密さを思う。日本初の新婚旅行だったらしい。夕方また船に乗り込む。スチール写真の戦後史という番組を見る。イデオロギー対立ではなくもはやイスラムが鍵だということが明白に分かる。メールはずっと圏外だったのが心残り。犬星・・読み終える。百合子さんのように心を拡げることは自分にはできないと思う。竹内好と泰淳がスウェーデンでポルノに騒ぐ記述には閉口する。「めまいのする散歩」に移る。靖国法案に対する記述などから、泰淳の、どこにも組しようのない曖昧さを半恍惚と呼んでいるのだなと分かる。公園で「勇ましく進め」と歌っている一団の記述あり、「富士」の12章が「勇ましく進め」である理由も理解できた。彼にも終わりの日が影を落としている。彼らはまだいい。一瞬次の主題を捕まえたと思ったが知ってしまっている自分はいまさら彼の主題を主題にすることができない。
朝大阪湾の朝焼けを見る。やっとメールチェックする。梅田に出てJR西日本が総力を挙げて立ち上げたという感じのikariというカンティ―ンでコーヒーを飲む。去年は移動中の楽譜が重すぎて左膝を痛めたが急に右膝も痛くなる。今年の冬服は大阪なのに黒が多い。大型書店の詩のコーナーの貧弱さに呆れる。谷川俊太郎の一人勝ちとはどういう時代なのだろう。宝塚に帰って「街道を行く」を暫く観る。米沢藩の甲冑の愛の字のデザインは愛という字が否定的な意味でなく用いられた最初の例だった。嵯峨。石田光成。丹波。今日はそれほどは面白くない。民芸の場合もそうだが、無私の気持ちで夜郎自大にならず人のために生きたという人々の話を聞くとそのときだけ麻痺して気持ちがもって行かれる感じがする。本質から逸れたまま生きていけそうな気がしてくる。一瞬の間だけだが。夜有馬温泉の金泉に浸かりに行く。650円。銀泉と合わせれば1000円だが銀泉は行かなかった。まっ茶色のお湯。新札が使えないので女の係員が白いコートを着込んでコイン式駐車場にずっと立って出入りする車に声をかけている。行きの道は雪が解けていなくて危なかったが、帰りに有料道路を通ったらもっと危なかった。料金所を出たあたりなど雪かきもしてなかった。おまけに迷って西宮に出てしまう。「めまいのする散歩」。百合子さんの出自が明らかになっていく。どんどん自分の母と似てくる。同じ世代なのだ。最後の二編は「犬星・・」をただおっかけただけの記述で、晩年の泰淳が百合子さんにほとんどを負っていることが明白となる。読みかけで寝る。朝鮑(ただ堅い)など食べ、楽譜を整理して出発する。今朝は道徳観念についての怖れの意識あり姉に額に皺が寄ったままになっているのに気付かれる。空港に姉を送ったあと岡山の牛窓に寄ってみる。日本のエーゲ海という触れ込みにしては漁村だなあと思って走っていたが、中心から外れていたことが分かる。オリーブ園がある。そのまま海沿いの細い道を苦労して岡山市方面に向かう。タヌキが2匹轢かれていた。二号線沿いのインディゴというイタリアンでランチを食べる。マルブンのほうが先鋭的だがここも悪くはない。四国に渡ると空気があおい。東温市はTo-on cityと表記され、ma-onみたいで楽しい。空は金色で、ひらひら羽を動かすカラスはをたまじやくしのちぎれた尻尾のように黒い。家に帰りつくと年賀状は2、3枚来ている。あとceramic review誌。夜、上からの知恵はまず貞潔でなければなら2 ネい、という言葉にいきなり駄菓子を与えられた子供のような眩暈を覚えて一瞬軽くなる。「めまいのする散歩」あと数ページだったのを読み終える。共犯としての口述筆記、つまり舞台裏を明らかにして散文を自由にする、という彼のやり方は、今の自分とすこし似ていると思う。「口述筆記GIG」などというタイトルを考えつく。犀からわけのわからないメール。酔ってるみたいな。抜き忘れたお風呂のなかに玉のような藻のようなものがあるのでムシさんに新種発見のメールを、と思って水を抜いて良く見ると去年の柚子湯の柚子だった。犀にそれをメールする。普通の返事。夢でツアーしている。歌詞はないがdream baby dreamふうのベースライン。午前中姉から注文されたパスタ皿を作る。ムシさんから忌中だが挨拶が来て、今度は粘菌の説明をさせてくださいという。午後街に出て紀伊国屋に行く。「夜のピクニック」が松山では一位になっているのに驚く。黒田さん編集の三輪和彦の出ている新刊、「愛情生活」、ダモのインタヴュー等を立ち読みしてスタバに寄って幸福はバランスの問題なのか原則の問題なのか考えながら帰る。倉本君から春のツアーの日程確認のメール。夜川内温泉に行き、帰りに白井さんにopenfieldの楽譜、はらださんに夜稲のジャケットなどコピーする。白井さんに展覧会用の文章を書いて寝る。明け方紙をビービ―吹く暗いオーケストラの夢を見る。ビルの口笛の曲をやっている。幾つか磁土を手捻りで成型する。楽譜を送る。灯油を買いに出る。さびしいのでmixiをみていると曲を忘れた。裏窓から去年とはうって変わった脱力の賀状。うーれいへいさんの工場は暖房がないのに作業服しか許可されてなくて寒い。昼は食べない。
1月23日
昼蕎麦吉に行ったら岡本太郎の壁画の修復のえみーるさんとスタッフの人々が来ていた。
1月24日
「犬星・」のなかに、晩年のチェーホフの部屋を訪れたという記述がある。最後にそこで「桜の園」を書いて死んだ。泰淳も竹内好もその旅行から帰ってじきに死んだ。チェーホフと医師と妻が死ぬ間際にシャンパンで乾杯するようすがレイモンド ・カーヴァ‐のこれも最後の短編となった「使い走り」という作品に描かれている。作家魂の炸裂、という感じだ、と村上春樹は書いている。
百合子さんの本は他にちくま文庫で
ことばの食卓
遊覧日記
というのがあります
中央公論社の「武田百合子全作品」は品切れ中
2005.6.2 interview
2005.9.16 interview
2005.10.4 interview
2005.10.24 interview
やまばとデザイン事務所便り
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