tori kudo

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2005.text

1月16日

紅白も見ずに寝たのに鼻詰まり気味で新年を迎える。a song of the ascents(上って行くときの歌)。 I shall raise my eyes to the mountains / from where will my help come?(pslm121:1,2) BS2で「街道を行く」の朝鮮編をやっているので観る。サヤカという日本の武将が秀吉の朝鮮出兵のとき朝鮮側について戦った、慕夏堂先生と慕われ今でも国中の儒学者が年に一度集まる、移民で弱小なのだから栄達を望まず人間らしく生きるようにという彼の教えを守って今でも400人余りの子孫が農業をしている。犀から改まったメール。午前中メールはそれのみ。BDJの楽譜の整理。夕方サンフラワー号で志布志に向かう。明石大橋が右手に見え、「お台場よりいい」を思い出して切なくなる。携帯はじきに圏外となる。姉たちと生まれて初めて一等船室に泊るが二等の雑魚寝の人々を見ると心苦しい。レストランは混んでいたがヴァイキング方式なのに油濃くなく30種類くらいありおいしい。朝は日の出を見る前に並んで食事を済ませる。7時に太陽が昇る。人を撮るか太陽を撮るか迷いながら撮る。写真を送る。バスで霧島に向かう。髪をひっつめた女の子がビデオを覗きながら参道を登っていく。示現流の上段を構えたら似合いそうな目で屋台の豚バラを食べている。我慢して売店の裏の杉の木に触っていると頭がじーんとした。バスでえびな高原の韓国(からくに)岳の麓にある温泉にいく。朝鮮から連れてこられた陶工たちが祖国を見ようと上ったのでその名がついた。山は女仏が寝そべった形をしている。長い髪の毛や目や鼻、唇、肩、腋の下、胸、腹までリアルで、流し放しの露天風呂から見つめていると「わたしのおなかもわすれないでね」という声が聞こえた。内側に赤い漆を塗った大小の杉の桶を買う、350円と300円。あと竹のコップ100円、押し大豆350円、いい民芸品を見ると生きていて良かったとその時だけ思う。そのあと焼酎工場へ行き、地ビールを飲み、出産祝いにチェコ製の木の鳥の玩具を買う。竜馬とおりょうが寺田屋事件のあと西郷に招かれて泊まったという塩浸温泉を通る。20日後に京に戻り、その後やはり殺されるのだが、薩摩に滞在したその20日間の濃密さを思う。日本初の新婚旅行だったらしい。夕方また船に乗り込む。スチール写真の戦後史という番組を見る。イデオロギー対立ではなくもはやイスラムが鍵だということが明白に分かる。メールはずっと圏外だったのが心残り。犬星・・読み終える。百合子さんのように心を拡げることは自分にはできないと思う。竹内好と泰淳がスウェーデンでポルノに騒ぐ記述には閉口する。「めまいのする散歩」に移る。靖国法案に対する記述などから、泰淳の、どこにも組しようのない曖昧さを半恍惚と呼んでいるのだなと分かる。公園で「勇ましく進め」と歌っている一団の記述あり、「富士」の12章が「勇ましく進め」である理由も理解できた。彼にも終わりの日が影を落としている。彼らはまだいい。一瞬次の主題を捕まえたと思ったが知ってしまっている自分はいまさら彼の主題を主題にすることができない。

朝大阪湾の朝焼けを見る。やっとメールチェックする。梅田に出てJR西日本が総力を挙げて立ち上げたという感じのikariというカンティ―ンでコーヒーを飲む。去年は移動中の楽譜が重すぎて左膝を痛めたが急に右膝も痛くなる。今年の冬服は大阪なのに黒が多い。大型書店の詩のコーナーの貧弱さに呆れる。谷川俊太郎の一人勝ちとはどういう時代なのだろう。宝塚に帰って「街道を行く」を暫く観る。米沢藩の甲冑の愛の字のデザインは愛という字が否定的な意味でなく用いられた最初の例だった。嵯峨。石田光成。丹波。今日はそれほどは面白くない。民芸の場合もそうだが、無私の気持ちで夜郎自大にならず人のために生きたという人々の話を聞くとそのときだけ麻痺して気持ちがもって行かれる感じがする。本質から逸れたまま生きていけそうな気がしてくる。一瞬の間だけだが。夜有馬温泉の金泉に浸かりに行く。650円。銀泉と合わせれば1000円だが銀泉は行かなかった。まっ茶色のお湯。新札が使えないので女の係員が白いコートを着込んでコイン式駐車場にずっと立って出入りする車に声をかけている。行きの道は雪が解けていなくて危なかったが、帰りに有料道路を通ったらもっと危なかった。料金所を出たあたりなど雪かきもしてなかった。おまけに迷って西宮に出てしまう。「めまいのする散歩」。百合子さんの出自が明らかになっていく。どんどん自分の母と似てくる。同じ世代なのだ。最後の二編は「犬星・・」をただおっかけただけの記述で、晩年の泰淳が百合子さんにほとんどを負っていることが明白となる。読みかけで寝る。朝鮑(ただ堅い)など食べ、楽譜を整理して出発する。今朝は道徳観念についての怖れの意識あり姉に額に皺が寄ったままになっているのに気付かれる。空港に姉を送ったあと岡山の牛窓に寄ってみる。日本のエーゲ海という触れ込みにしては漁村だなあと思って走っていたが、中心から外れていたことが分かる。オリーブ園がある。そのまま海沿いの細い道を苦労して岡山市方面に向かう。タヌキが2匹轢かれていた。二号線沿いのインディゴというイタリアンでランチを食べる。マルブンのほうが先鋭的だがここも悪くはない。四国に渡ると空気があおい。東温市はTo-on cityと表記され、ma-onみたいで楽しい。空は金色で、ひらひら羽を動かすカラスはをたまじやくしのちぎれた尻尾のように黒い。家に帰りつくと年賀状は2、3枚来ている。あとceramic review誌。夜、上からの知恵はまず貞潔でなければなら2 ネい、という言葉にいきなり駄菓子を与えられた子供のような眩暈を覚えて一瞬軽くなる。「めまいのする散歩」あと数ページだったのを読み終える。共犯としての口述筆記、つまり舞台裏を明らかにして散文を自由にする、という彼のやり方は、今の自分とすこし似ていると思う。「口述筆記GIG」などというタイトルを考えつく。犀からわけのわからないメール。酔ってるみたいな。抜き忘れたお風呂のなかに玉のような藻のようなものがあるのでムシさんに新種発見のメールを、と思って水を抜いて良く見ると去年の柚子湯の柚子だった。犀にそれをメールする。普通の返事。夢でツアーしている。歌詞はないがdream baby dreamふうのベースライン。午前中姉から注文されたパスタ皿を作る。ムシさんから忌中だが挨拶が来て、今度は粘菌の説明をさせてくださいという。午後街に出て紀伊国屋に行く。「夜のピクニック」が松山では一位になっているのに驚く。黒田さん編集の三輪和彦の出ている新刊、「愛情生活」、ダモのインタヴュー等を立ち読みしてスタバに寄って幸福はバランスの問題なのか原則の問題なのか考えながら帰る。倉本君から春のツアーの日程確認のメール。夜川内温泉に行き、帰りに白井さんにopenfieldの楽譜、はらださんに夜稲のジャケットなどコピーする。白井さんに展覧会用の文章を書いて寝る。明け方紙をビービ―吹く暗いオーケストラの夢を見る。ビルの口笛の曲をやっている。幾つか磁土を手捻りで成型する。楽譜を送る。灯油を買いに出る。さびしいのでmixiをみていると曲を忘れた。裏窓から去年とはうって変わった脱力の賀状。うーれいへいさんの工場は暖房がないのに作業服しか許可されてなくて寒い。昼は食べない。

 

1月23日

昼蕎麦吉に行ったら岡本太郎の壁画の修復のえみーるさんとスタッフの人々が来ていた。

 

1月24日

「犬星・」のなかに、晩年のチェーホフの部屋を訪れたという記述がある。最後にそこで「桜の園」を書いて死んだ。泰淳も竹内好もその旅行から帰ってじきに死んだ。チェーホフと医師と妻が死ぬ間際にシャンパンで乾杯するようすがレイモンド ・カーヴァ‐のこれも最後の短編となった「使い走り」という作品に描かれている。作家魂の炸裂、という感じだ、と村上春樹は書いている。

百合子さんの本は他にちくま文庫で

ことばの食卓

遊覧日記

というのがあります

中央公論社の「武田百合子全作品」は品切れ中

 

2005.6.2 interview

2005.6.2 interview

 

NO WAVE  ジェームスチャンスとポストNYパンク エスクァイアマガジン 2005年7月13日発行

 

イーノは no newyorkを殺し、zeはその死体収集にとりかかっていた。

mako ishino “who’s afraid of the big bad wolf?” (SV-6380)

marsはたぶん小島さちほのやっていた「ロッキンドール」という紅とかげのファンジンにChina Burg の写真が載ったのが最初だった。写真に添えて、音はまだいてないけれどもきっと素敵な音楽に違いない、とあった。

“das” (ama-lab20102)

最初にネオンボーイズのライブを聞かされたのは国分寺の戦後っぽい市営住宅で、合掌してご飯を食べているような時だった。ノー・ニューヨークを西東京のカウンターカルチャーが準備していたことになる。 

amana “amana” (lakshmi record-01)

でもその頃生きていて未だに1979の気分を維持しているのはホームレスとダン・トレーシーくらいしか居ない。結局ノーウェーブは60’sに負けたのだ。

rod stewart ”human” (atlantic)

OZの店長でラリーズのマネージャーだった手塚さんと最後に中央線の電車の中で会ったとき、かれは今からナミさんを観に行くんだといってブールサイドのロックスターみたいな白いスーツを着ていた。

aquirax kobayashi  “best hits” (srcl-4068)

<関西no wave)の人たちに呼ばれて京都に行った時、ウルトラ・ビデのヒデ君の家に寄ったことがあったが、かれも、人前で演奏するならちゃんとしていけと言われた、といって父親の白いスーツを着て玄関から出て来た。

“sumeramikoto” (cragale crd-2050)

日本ではアルトでやっていくつもりなら間章やセリーヌを読んでなければならないようだったが、白石民夫は一回だけ黒ではなく白のスーツを着て吉祥寺のマイナーに現れたことがあって、一体何のハレなのかと思った。

tetsuro wada  “air.sul g” (Im-0185)

浜野は、何かについて全体の印象を述べるというより、コントーションズなら何分何秒目のドラムに一箇所だけ好い所がある、そこは、がばっと体を伏せて叩かないと出ない音だ、などというような言い方をする人だった。

john travolta  saturdaynight fever”

野心に燃えた駆け出しのプリンスがイギーの前座に出て、ギタリストに突き飛ばされたりしながら下着姿でへなへなと明い終わると白いスーツを羽織って正面玄関から出ていったが、その姿はジェームズ・チャンスと重なる。

“squat theatre book” written and compiled by Eva Buchmuller and Anna Koos (published by artists space)

このシアターにはコントーションズや二コ、ジョニー・サンダース、サン・ラ、デファンクト、などが出演していた。パーティーではカセットの音源に合わせて女の子がジェームズ・チャンスの真似をしてアルトを吹いていた。

“world wars and world fairs”  by noi sawaragi (bijutsu shuppan-sha Itd.)

(p282)。採じ曲げれば芸術だ、と岡本太郎も言った。

同時期といっても、〈マイナー・セッション〉には、ホークウィンドやカンが下部構造としてあったが、no new yokのバンドには下部構造をも振じ曲げる意思があるように思えた。それでその頃灰野敬二は音楽を右からジョイディヴィジョン、オンリーワンズ、レインコーツ、ときてマースを最左翼に置いてみせた。でも行ってみたら終わっていた。イーノはno new yorkを殺し、geはその死体収集にとりかかっていた。それでもジェームズ・チャンスは白いスーツを着てパトロンの前のジジ・グライスのような線の細い音を上下に明るく吹き分けていたのだった。ぼくは音楽とは関係なくリティア・ランチが好きだっただけなのでジャンルがどうなろうとどうでもよかった。

ただ一言印象を述べるならば、その頃までは下手な本物とか上手な偽物とかいう区別しかなかったが、その後 defunkt のような上手な本物とfounge lizards のような下手物とに再び分かれた。

 

 

自己紹介

音楽ではだいたい自分のことを半分、あとは合奏のサウンドシステムのことを半分、考えてきた。去年は古代の音階のチユーニングをあれこれ試してやっていたが、最近は、日本人が初めて接した西洋音楽であると思われるポルトガルのオルティスという人のスコアを即興演奏のフォーマットとして使う、というアイディアに嵌っていて、今度お返しにポルトガルにいくんです。

 

 

2005.9.16 interview

2005.9.16 interview

 

 

2005.10.4 interview

2005.10.4 interview

 

 

2005.10.24 interview

2005.10.24 interview

 

やまばとデザイン事務所便り

https://torikudo.com/?post_type=archive&p=8265&preview=true

 

AFTERHOURS#22  2005年12月10日発行 文・構成:大漉高行

今回のアルバム・コンセプトを工藤冬里さんはこう語る。「それはひと言で言えばサウンド・システムってことかな。今まででも効果音として室内の音を使ったことはあるけど、それを本当に……(芝刈りの音で聞こえない)……つまりとことん録音する環境にこだわるんだ。そのヒントとなったのはいつも夕方6時に聞こえる子供への放送。前にレコーディングしていた時にいきなりその放送がかかって、それがとっても不意打ちに近い感じでよかった。それでセミの鳴く声や鳥のさえずりやそういったものも音楽には……音楽を取り巻く環境にはそういうものがあるってことにやっと気づいたわけ」。今回の作品は工藤礼子の歌声と工冬里の演奏、そして自然の音が融合した作品に仕上がっている。夏から秋にかけ、田園風景と共に録音された工藤礼子5年ぶりの新作「人」。終始和やか(にぎやか?)な雰囲気の中、子供たちをゲストに迎えた収録曲、「夕日を見に行く」の録音風景をレコーディングに参加しながら取材させていただいた。

 9月の終わり、秋桜の咲く中、3人の子供たちをゲストに迎えいつものとおり工藤家でレコーディングが行なわれることになった。愛媛県松山市から車で30分ほど離れたところにあるふたりの家は、彼岸花に囲まれた田園風景が広がる緑と山々に囲まれた場所にある。夏になると近くの川で蛍が見えたり、滝や渓谷があったりと自然豊かな土地柄だ。今でも初めてここを訪ねた日のことを覚えているが、牛がいてもおかしくないような広い土地にぽつんと一軒家があり、さすが「田舎だからでかい音を出しても問題ないんですよ」と冬里さんが言うだけのことはあるなぁと感心したものだ。

 午後から子供のひとりがキャンプに行くということで、朝10時に工藤家にみんな集まることとなった。が、10時に到着しても誰もいない。仕方なく待っている間に庭の草花や風景の写真を撮らせてもらうことにする。庭にはコスモス、ローズマリー、いちじく、ざくろの木などなどたくさんの草花があり、周りの風景同様、自然が豊かでつい時間を忘れて写真を撮ってしまう。しばらくするとれ子さんが参加する子供たちを連れてようやく帰宅した。ここで3人の子供を簡単に紹介しよう。近所に住むふたりの友人の子供のようで、小学校4、5年生くらいになる女の子。名前はさおりちゃん、ひとみちゃん、ゆみちゃん。3人とも礼儀正しく僕に挨拶してくれた。キャッキャッと笑いながら家に入る3人を眺めていると、続いて冬里さんも帰宅。さっそく家に入り今日演奏する譜面とソプラノ、アルト・リコーダーを子供たちに渡す。「え一つ」と驚いてみせて、クスクス笑い出す子供たちに冬里さんがピアノを演奏し、どこでどの音を鳴らすのかを丁寧に説明する。その間に僕は機材のセッティングに取りかかった。まず真空管マイクのプリ・アンプ(ART Tube MP)を温めるために電源をオンにし、今日は取材をも兼ねている旨を伝え写真を撮らせてくれるよう子供たちにお願いする。ところが了承してくれるものの、写真を撮ろうとすると恥ずかしがってなかなか撮らせてくれない。これでは演奏にならないと判断して、しばらく様子を見ることにした。

 さー、演奏開始という段になって、今度は「じゅんちゃ~ん!」と猫のじゅんこさんにみんな夢中になり練習が一時中断することに。「この前この曲をやっていて煮詰まった時、不意に子供たちの演奏が頭に浮かんだんだ。きっと街やハーモニカやタンバリンでやったら素晴らしいだろうなと思ったのさ……道を行進しているようなイメージがあったね。子供の笛、太鼓で」と曲の構想を話してくれる冬里さん。これが今回の曲にイメージしているものらしく、子供には笛を、冬里さんがハーモニカとピアノを演奏することになっている(ちなみに冬里さんはハーモニカとビアノを同時に清奏する。他のレコーディングでもそうだったが、両手でピアノを弾きつつ水の入ったビンに息を吹き、ボーボーと鳴らしたり、片手でビアニカ、片手でピアノを演奏したり等々、何でもないことのように複数の薬器を同時に演奏するのだ)。

 と、冬里さんがおもむろにスティックを持って、食器、調理器具、本、箱などを何か確かめるように叩き始め、しばらく食器棚の引き出しを叩いていると思ったら「はいっ、この部分(引き出しの中のワイン・オープナー)とこのカボチャを叩いてください」と突然スティックを渡された(実はこれがタンバリンの代わりらしい)。続いてマイクのアンプの箱を叩き始めるがイメージする音とは少し違うのか、箱の中に焼き物(冬里さんは、陶芸家でもあり、この焼き物も彼の作品)を詰め始めた。しかし、まだイメージとは違うらしく、さらに大きい焼き物の中に茶碗ほどの焼き物を入れ、その上に先ほどの箱を置いてどうやら完成(別の録音時も家中の何十という食器を叩き、曲にあった音程、音色の出る食器を見つけ出していた)。そして再度スティックを渡され「じゃあ、これもお願いします」とまたお願いされた。

 何回かの練習の後、少し子供たちの演奏が安定したところで、最終的なマイクのセッティングを始める。ボーカルはいつもどおりの場所で、礼子さんの前にマイクをセット。ボーカル・マイク以外にマイクが1本しかないので、ピアノ、ハーモニカ、3本の笛、太鼓の音がなるべく均等に入るようにセッティング位置を探すが、どうしてもハーモニカの音が強くなりうまく決まらない。すると冬里さんがすかさずピアノのフタをはずしマイクとハーモニカの間に立ててくれた。 これでずいぶん音量のバランスが取れるようにあるが、まだ少し高音がきついようだ。音の安定しない子供には、冬里さんがリコーダーの常に押さえる穴をガム・テープで塞ぐ。そしてようやくレコーディングが始まった

 突如、冬里さんがフタのとれたピアノの中へハーモニカと顔を一緒にいれ演奏を始める。するとハーモニカの音にピアノは共鳴し、先ほどのきつい高音が柔らかくなった。今回のアルバムではピアノをフェクターのように使ったり、打楽器として使ったり、弾かない鍵盤をテーブや焼き物で押さえ弦を共鳴させながら演奏したり、普通の伴奏ではないリズムで演奏したりとさまざまな方法でピアノを活用された。「今までピアノをいっぱい弾いてきて。いろんな演奏や使い方をしてきたんですけど、そういうの久しぶりに思い出して、そういえばこういうこともやったよね、みたいに改めていろいろ試してみました。ヒアノを録音するというのはどういうことかっていうのをかなり突き詰めたよね」。確かにモーターでピアノの弦を演奏したこともあった。「そうね。あれだってやってる人はもう今まで星の数ほどいるわけですよ、グランドピアノの時代から。ただホーム・レコーディングで与えられた素材でいろんなことをやってみようっていう時に、今回は全部を総ざらいみたいな感じでやりましたよね。ピアノというのはまず打楽器であって、ひとつの本の枠と考えれば打楽器……叩いても打楽器にはなるし……あとはベタルを押さえれは全体がひとつのシタール、なんかゴワォ〜ンっていう音を出すための装置になるわけでしょ?」。

 確かによくこれほど臨機応変に次から次へへとアイディアが出てくるなぁと、毎回録音のたびに驚かされたのも事実である。テイク1とテイク2ですでに演義方法が変わっているということは毎度のことである、こういった多彩な演奏方法や、歌、アレンジなどのアイディアは、演奏時の環境音からの影響も何かあったのだろうか。「時間っていうのは刻々と流れてるんで、同じことを繰り返すことはできないんですよ。ひとつのノスタルジー……つまり自分を模倣することになりますよね。だから常にやるたびにやり方を変えていかないと音は生きたものにならないんです。だからその時間の変化は外の環境の変化を感じるっていうことでもありますよね。外が急に暗くなってセミが鳴きやみ、虫の声に変ったとか、そういうのがきっと影響してるんだろうけど、それに合わせて演奏法とか録音の方法もパッパッと変えていかないといけないんじゃないかと思います。そういうのって、即興演奏をやってる人、もしくはそういう経験のある人はみんなわかる.……わかるっていうか、とにかく繰り返せない体質になっちゃってるんですよ」。それは無意識に?「なんか自由みたいなことを、強迫観念みたいにして追来してるからだと思いますよ。たからたぶん、音楽をやっている人特有の病気みたいなもんだと思うんですよ、自由に関して。何ていうか生き生きとしたものに音楽を保つっていうことがすごく大事なことと思ってるから、とにかく腐らせないように生モノだからいつも違う形で提供しようと。同じ料理でもいつもちょっとだけアレンジを変えて提供されると飽きないですよね。そういう風なことを常にやっていく癖がついちゃってるんですよ、即興的な土壌の人は」。

 今回ビアノをいろいろな方法で演奏する契機になったのが収録曲「悲しんでいるようで」でピッチシフターを使ったことだった。といっても特殊な使い方をしたわけではなく、普通にピアノを演奏しビッチシフターをかけただけなのだが、冬里さんは打ち合わせなどなくいきなり使って、礼子さんも僕も録音されたものを聴くまでまったくそのことに気づかなかったのだ。聴いてみると当然礼子さんは真剣に歌っているのだが、ピッチシフターをかけたピアノは“ぐにゅっ”とピッチが変わっていて何か変におかしい。もちろんおかしくてミスマッチのような気がするのだが、なぜか元々そこにあったかのように歌を引き立てているのだ。「だからドレミを弾くためのものじゃない異物に変貌しちゃいますよね、ピアノが。そのグワーンという残響音みたいなのと、外の虫の音みたいなのが混ざるっていうのをやろうとしたんです。そのビアノの中の環境音みたいなものと外の音がつながっていて……自分の手の仕事はほとんど簡単に最低限のものにして、誰でもできるようなフレーズにして、テクニックを見せびらかすようなクラシック的なものではないやり方にして……。だからそういうホーム・レコーディングの方向性みたいなのを出して……ようするにパンクだっていうことを示したっていうんですかね。見てて”あぁ、それぐらいなら自分でもできらぁ” みたいなのってうれしいもんなんてすよ。だから音楽ってぐわーっとバカテクを見せられてオーっと思うのと、自分でもできそうだっていうのでうれしくなるっていうのとふた通り楽しみ方があって、僕はその前者よりは後者で育った世代なんですよ、パンクだったから。だから、ずっとそれを引きずっているのでフレーズ自体は簡単で、でも簡単なフレーズなんだけどどこにもないっていうか……かっこよさを追求するっていうロック的なものも変わらず持っていて、しかも楽してビッグになるみたいな世代ってあるじゃないですか。なんかそういうのの成れの果てみたいなとこるがあるんですよね(笑)」。

 ようやくレコーディングも無事終了し、ふたりとも満足そうにしている。しかし子供たちは本番であったことを知らなかった様子。ならばと再びレコーディングを始めるが、演薬を失敗したり音量調整のために立てたフタが倒れたりとうまくいかない。すると礼子さんが子供たちに「吹く時に夕日を思い浮かべるといいよ」とアドバイスし、すかさず冬里さんが色鉛筆と紙を取り出し夕日の絵を描き始める。

 

冬里  夕日っぽくないね(笑)。

さおり  何か太陽みたい。  

ゆみ     夕日ってね、海に沈むって感じよね?

ひとみ    ドコモの印みたいな感じじゃない?

さらに色を加え、子供たちの目の前に貼る。

子供たち    何か違―う! この黄色はいらなかった。黄色はいらないよ。そんなに夕日って明るくな

いもんね。       

冬里     え?   いらない?

さらに書き足す。     

子供たち     ちょっと違うよね。

突然絵をはがす冬里さん。       

子供たち  (笑)。      

冬里     黄色はいらないかぁ。       

ゆみ  じゃあ、私が描く。  

冬里     じゃあ、描いて、はい、夕日。

子供たち    ドコモの印だよ……なんかさぁ、だんだん雑になってきてない?夕日じゃない!夕日

じゃなくなってるよ!      

はしゃぎだす子供たち。  

子供たち できた~。

冬里  じゃあ、これを見て。

子供たち 何か違~う(笑)。

冬里 はい、モチベーションが上がったところで。

子供たち えぇー、今いち……。

冬里  今いち(笑)。

電球を夕日に見立てるため、電気をつける冬里さん。

ゆみ 私、目をつむったら想像できるよ。

ひとみ でも目をつむったらこれ吹けんよ。

夕日の写真が載ってある雑誌を持ってくる冬里さん。さらにたくさん持ってくる。

子供たち    微妙だね。ちっちゃいね。もういいや、目をつむったら想像できるもんね。

 

 と、そんなこんなで改めてレコーディング再開。途中失敗したり、冬里さんが息を吸い忘れたりとハプニングがあったものの再録音もようやく終了した。この日の録音はマイク 2本からマイク・プリふたつ→ Motu828→PC という形で録音された。この後のトラック・ダウン、マスタリングなどは専門の業者に頼むので、それぞれのマイクで録った音を別々のトラックとしてCD-Rに書き込み完成した。

 

実はこの日の録音、初の予定ではもう少し早く行なわれる予定だったが、子供たちの運動会があるということで急遽日程が変更された。変わりにその日は「人」に収録予定の「つばめ」と、同時発売が予定されているもうひとつのアルバム『草』に収録予定の「彼岸花」の2曲をレコーディングをすることになった。「彼岸花が咲いているうちに録音したいと思ってるんですよ」と礼子さんが語ったように、彼らの作品はその季節ごとの動植物、自然と音楽が密接に関係し成り立っていて、彼ら自身も自然に対してとても敏感である。今回レコーディングを手伝っていてそれは常に感じていたことだったが、彼らの録音はまず演奏、雰囲気がどうだったかということが最重要ポイントで、言い換えれば最高の状態で演奏できれば多少音が悪くてもいいようだ。そう思ったのはそれまで現場に立ち会って、実際にそういう場面に遭遇したからなのだが、冬里さんに関して言えばあまり録音したものすら聴こうとしない。

 「昨日セミが死にましたね」。「彼岸花」録音の日、冬果さんと最初に交わした言葉がこれだった。意味がわからなかったのだが、よくよく聞いてみるとどうやらその日の前日からセミの声がまったく聞こえなくなったそうだ。耳を澄ませてみると確かにセミの声は聞こえず静かな秋の虫の音だけが聞こえ、彼はここまで自然に敏感なんだと改めて感心したことを覚えている。その後レコーディングされた「彼岸花」は本当によい歌とピアノによる最高の演奏だった。演奏後すぐに「今のはよかったね」と本当にうれしそうに語り合い、そこに今年最後のツクツクボウシを見つけてさらに喜ぶふたりがとても印象的だった(もちろん彼岸花の曲の最後にその声が収録されている)。

 レコーディング後、ノイズ名義で発表された『天皇』から今回のアルバム「人」で環境音を取り入れるに至るまでの経緯について話してくれた。「いつもね、作るたびに違うことをしてるんですよ。ノイズっていうバンドをやってて『天皇』っていうアルバムを出した時は、オルガンとボーカルだけだった。大音響とエフェクターかけたトランペットとかっていう世界だったんですけど、次の『Fre Inside My Hat』っていう作品はピアノとボーカルだけだったんですよね。で、その『Fire Insice My Hat』っていうアルバムの次が『夜の稲』だったんですけど、その時は合奏。即興っぽい部分が入ってそれはよかったんですよ。で、次に何するかってかなり悩んでたんですけど、何となくその『Fie Inside My Hat』 みたいなピアノと歌のふたりの世界に戻ろうとしてたんですけど、それだと焼き直しになっちゃうから、じゃあ部屋で録音するっていうことを突き詰めるっていう、半分サウンド・システムに重きをおいたレコーディングをするっていう形にだんだん変わってきたんです」。ではなぜ限られた機材の中、多重録音ではなくボーカル、楽器、環境音を同時に録音することにこだわったのだろう。「それは何度も言うように、タイムマシンで過去に行った時は過去をいじってはいけないという掟があるから」。だから同時に録ったと……。「サンプリングってのはタイムマシンで過去をいじることでしょ?そうすると宇宙にねじれが生じて、取り返しがつかないことになってしまうんだよ、宇宙が。つまり過去のものを使うとねじれが生じちゃうの、宇宙にね。でね、そのねじれはDNAに損傷をきたす。その傷が我々をぐるぐるとねじれさせて、こう回転させ(回りだす)……それがさ、すべての悪のこんがらがりの始まりとなっているんだ」。じゃあ地球を救ったんですね。「そうなんだ! 僕は逆回転させて地球を救うことにしたんだ。あぁ……何を言ってるのかさっぱりわかんないや(笑)」。

 

ふたりとの出会いとレコーディングに参加した理由

text by  teruki

 

ここに登場するふたりと知り合ったのは、MaherShalal Hash Bazのライヴ会場で、僕が冬里さんに声をかけたのがきっかけだった。その後たびたび会う機会があり、彼らの機材と僕の機材を合わせれば、自宅でも何とかレコーティングができるのではないかという話になって、とんとん拍子にレコーディングの手伝いをするようになった。この録音スタイルになる以前からふたりだけで半年ぐらい録音していたそうだが、その当時をふたりに振り返ってもらった。ちなみにエ藤礼子、新作アルバム「人」と「草」は、Hyotan から来春早々リリース予定。

冬里 DAT でだいぶ録音したんですけど、いろんな試行錯誤を繰り返して、やるたびにアレンジが変わったりして、どうも決定打にかける感じでしたね。元々の問題は音が悪かったっていうのがあると思うんですよ。それが原因で決定的な雰囲気を掴むっていうことができなかったんで、なんか自分のアレンジがダメだと思っちゃったのかな?で、次々といろんな形を試してみるんだけど、やっぱりビアノの音がギスギスしてたとか、ボーカルが小さかったとか。だから、今回は2チャンネルに分けてレコーディングしたから、アレンジがどうこうっていう問題はあんまり気にならなかったよね?

礼子 うん。

冬里  その時に思いついたことを、すごいリアルな感じで元々そういう曲だったかのように弾けたんですよね。でもそれはアレンジがよかったからじゃなくて録音の仕方がよかったからアレンジが生きたっていのが本当なんですよね。だからアレンジっていうのはものすごい選択肢があって、今までのポップ・ミュージックの歴史とかを全部総動員してするわけだから何百通り、何億通りも選択肢があるんですよ、ひとつの簡単なメロディに対する伴奏の仕方っていうのは。だから問題はそのどれを選ぶかっていうよりは、どいう録音の仕方をするかっていうことの方が結局は大事だったということですよね、今回わかったのは。大から何でもいいんですよ、その場の雰囲気で、その日の自分の雰囲気で決めていいんですよ、伴奏って。ただそれが普遍的な価値を持つためには何か+αが必要なんですよ。そういう意味でも今回は第三者がいたっていうのが大きいと思うんです。キューを出す人がいて、時間を切り取ることによってひとつ作品化されたわけよ。つまり録音の仕方とテルキさんがずっとそはにいてやってくれたのが大きかった。だから3人でやったっていう感じかな。自分で機材を操作しながらだとできなかったでしょうね。宅録のひとりでやってる人はすごい大変だと思うなあ。

礼子さん  3人いると関係が客観的になるんだよね。

冬里さん 誰かがキューを出してくれないと僕らは自分を普遍化できないんだよ。

全員 (笑)。

礼子さん 今かっこいいと思ったんでしょ?(笑)

冬里さん  決めたなぁ(笑)。

 

アルバム『人』についてのメッセージ

text by reiko kudo

今詰いてみると”セミ”(みんみん)からさみしいセミ”(じーじー)と、“虫”と“鳥”が合奏に加わってくれたのがわかりました。猫の歌の時はうちの猫のじゅんちゃんがマイクの間をうろうろしていたのを思い出します。縁側の下の草の葉が私のほっぺたをなでようとしているのがわかります。そのように失われた被造物の間の調和と失われた人との思い出のような絆について、いつも歌が残りたいと季節ごとに壁を乗り越えて出てくるのです。そうでなければ失意と悲しみの山に埋もれてしまったところから這い出てきて、私を引っ張り上げてくれたのです。セミは盛り上がりを作るのが上手です。夏の盛りから夕立の夏の終わり、彼岸花が咲き始めて終わるまでの短い間、取り戻したものとそれでも崩れてゆく不完全な体と心とすべてをおおう”許し”の巨大テントに包まれているような。