tori kudo

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2009

1.11

welpia iyo

 

1.12

 natural tripper

松山 星空jett

 

 

1.18

/くどうなみお

三津 木村邸

 

1.24

 mick & the livingdead/工藤冬里

新宿 jam

寿徳忌

 

1.25

高円寺 無力無善寺

 

1.27

渋谷 ギャラリールデコ

 

2009.1.31 interview

-Is there a particular work of art that has moved you?

Jan Fabre’s “Warrior of despair”

-What is it and can you describe the experience?

It is a sculpture made from beetles. When I saw it in a museum, I thought it was the most beautiful thing ever.

2.20

東高円寺U.F.O.CLUB
百の瞬き
Maher Shalal Hash Baz
jugz
小さいテレーズ
葉っぱの裏側シスターズ

 

2月25日
今日メンチカツを作った。 玉葱一個<≪は≫>微塵切りにしミンチ250gと混ぜる。塩胡椒を施した後丸め、小麦粉を塗し卵を付け更にパン粉を塗す。 熱した油の中でキツネ色になるまで揚げる。 油を切り皿に盛りキャベツを添えて出来上がり。  たまに東京に行くと電車内の映像で女の子が料理せずお玉持って騒ぐだけの画像が続くのはどうかしてると思う。 関西ではミンチカツと言う。 5個出来たが試食で一個食べてしまい、家に来たカズエさんと大ちゃんに半分づつあげたので一人一個づつでした。 吉祥寺の佐藤のが丸いのは油が充分にあり転がして揚げているからであろう。火が通ったかどうかの見極めが大事である。

2月26日
ホキ徳田の歌とピアノってすげえうまい。on the sunny side of the street を聴いたら泣けた。コンビニの前にリトルバー系の捨て犬が居てでかおにぎり買ってやったら食べた。横でパニックで過呼吸の女の人が車の中で口を押さえて見てた
立ち読みしてたら美味しんぼの和歌山編になってて茶粥が出てきて中上健次を思い出した。
春光亭は一人で杉本君みたいな人が最初からいらっしゃいませすみませんとかいいながら作っていて無化調で海鮮だし系だがあまりに溶け合っているので個々の素材を感じさせない。調理台は広くてすっきりしてるし魂込めてるからこんどうちの雑誌で特集しよう。
図書館で源氏物語返して電気回路の本借りる

3月7日
tumblr化計画「侘助」の由来

「侘数奇(わびすき)」からといふ説

千利休の下働きをしてゐた侘助といふ人物に由来する」といふ説

文禄・慶長の役の際、侘助といふ人物が朝鮮半島から持ち帰つたからといふ説

薄田泣菫『侘助椿』
「利休と同じ時代に泉州堺に笠原七郎兵衛、法名吸松斎宗全といふ茶人があつて、後に還俗侘助といつたが、この茶人がひどくこの花を愛玩したところから、いつとなく侘助といふ名で呼ばれるやうになつたといふのだ」

Posted by と 2009年04月13日 22:21 イタドリが切池の土手に生えている。子供の頃「すかんぽ」、といって剥いて食べていた。タデ科でルバーブと同種だからジャムを作ってみた。ムシさんのお母さんにあげたい。
Posted by と 2009年04月23日 23:21
部落の放送があり観光センターと思ったらその裏手の山が火事で、一時は煙が空を覆っていた。一段落した頃寄ってみたら消防団の法被を着た佐川の昌ちゃんが今しもカブのエンジンをかけたところだった
そいで結局どないなったん 
わりとすぐチンカした 
原因はなんやったんじゃろかなあ 
どうせタバコやろ 
まあごくろうさんでした 
消防団お入りや若いやつがおらんのよ若いててうちらぐらいやけど
ああ団員がよう倉庫の前で飲み会しよらいなあ
っは。ほたら

3.16

春日井CAFE CAWA6周年記念イベント
/川手直人

 

3.17

名古屋KDJAPON
mshb
小さいテレーズ
gigi

 

3.18

岐阜pand
/川手直人

 

3.20

奈良sample whitroom
/川手直人/中川裕貴

 

3.22

京都yugue

/川手直人/他

 

3.28

姫路ease

/川手直人/ゑでぃまあこん

 

3.31

mshb/calvin johnson/karl blau

@松山 more music

 

2009.4.2
美代子阿佐ヶ谷気分 のパンフレットのためのプロフィール

maher shalal hash bazはロックに対する罪悪感から出発し、やがて「諦めて近付いていく」という方法を採ったから、メンバーは最初から超絶技巧の人々の集まりだった。そのあまりの超絶技巧故にギタリストのワンダウンストロークだけで高円寺の店(名前は忘れたけど当時原マスミさんがよく出演されていた)を撮み出される程であった。その後も吉祥寺マンダラⅡ、最近でも高円寺円盤等に出入り禁止を言い渡されている。その様な訳で、超絶技巧故の人々の妬みに対処することがバンドの課題であり続けてきたが、いくら工夫し努力しPAにテムポ正しく挨拶しても世に近付き下手に演奏することが出来ず、禁令下エチオピアの演歌バンドの様な状態に置かれてきた。メンバーは常に下を目指しながら、それでも日夜練習は怠らず、幻想の高円寺の幻想のロッククリティークの主催する来るべき幻想のベニューへの幻想の出演依頼を待ち設けており、現在は主に(無善寺に出演料1000円払うことも出来ず、ここなら只なので)高円寺南口ロータリーで合奏している。主な記録には、京都で録音された「マへル京都へ行く(org)」、シアトルで録画された「マへル本店に行く(黒猫音像研究所)」などがある。

2009 美代子阿佐ヶ谷気分のパンフのためのプロフィール

 

4.3

鬱陶Ⅰ

artland
mshb

2009鬱陶

4.4

showboat

/朝生愛/樋口久人

4.5

工藤礼子 工藤冬里

@くにたち市民芸術小ホール スタジオ

“桜バス”

4.12

welpia

 

4.25

cockc’nell
osaka@musicajaponica

4.26

kyoto@yaso

4.27

nanba@bears

 

Histoire du rock

@裏窓

4.29

工藤冬里 w/西村卓也
   -「それから」~ニル・アドミラリ、或いは ロック史 [ロックの誕生編]-
.30

   -「それから」~ニル・アドミラリ、或いは ロック史 [アートロック編]-
5.1
-「それから」~ニル・アドミラリ、或いは ロック史 [インディー/オルタナ編]

4.29-5.6

exhibition 鬱陶Ⅱ

asagaya@hinemosunotari
5.3  performance w/shinoda video, sekishima+nakao

5.3

mshb

kokubunji@morgana

holidays in the sun

5.5

shinjuku@jam
+nishimura, kuge, nakao

 

5.7

shimokitazawa@basement bar
mshb

 

5.9

汎瀬戸内ミュージャン’s guildⅦ
takamatsu@rokuroku

 

5月10日
小倉の龍に似せたカレーを庄司君ちで作った。カレー粉とお好み焼きソースとコーラを混ぜて五分で出来る。

5月12日
久米の彩華が閉店したのは何よりさびしい。これであの気品のある薄味の系統は永遠に失われた。私たちはそこで落ち着きを取り戻し、何回かの危機を乗り越えてきた。鮑と黄ニラの炒めが高くて食べられなかったのが唯一の心残りだ。ご主人の快復を願う。

5月13日
もみの木は重信に越してきた晩に最初に入ったファミレスだった。地味なので潰れるかと思っていたが、その後自然食のバイキングに変え、朝750円で地元のオーガニックのものを中心に出すので俄ベジタリアンが安心して行ける場所になった。朝の従業員は3人だから、この食材ではモーニングに20人来ても儲からないだろうし、まさに捨て身だなと思う。

昼すぎ良寛展を見に行く。寒天自愛と思っていたのが天寒自愛だった。宇波君訂正します。

 

 

 

 

5.14

omuta@club fuji

マヘル田川気分

5.15

tagawa@colors
/kappa. momoko maruyama, etc

5.17

live earth matsuyama

@matsuyamacastle

今年のライブアースは松山城でやります。
ぼくは自転車発電でギターをやるつもりでしたが
上野原のUAのベースも弾きます
ダブのベースなんてできるかなあ
でも社会におけるサーファーの特質についてよく把握している歌詞で、探せばつながりはあると思いました。
ぼくは田中優と水車発電の話なんかをしているとき、かれが環境大臣になればいいのにと思うことがあります。
最近、田中角栄が好きだった女の子のことを思い出しました。
彼女は僕の後に黒色戦線社に勤めて、その後ドイツに行って行方がわからなくなりましたが、ルイス・フュ-レイを訳してフールズメイトに持ち込んだりしていた人でした。
彼女は直感だけでものを言っていたのですが、
アメリカからお金をもらっていた岸とかの流れよりも
日本国内で金を集めた田中の流れのほうがより反米だったという意味で
世界史的な意義があったことは確かです。
両田中のように潰されながら泳がされ
ぼくらはだまされながら女性の直感をよりどころに
波を切っていくしかないのか

5月18日
ジョイフルの裏技

炭酸飲料の機械の右上のボタンを押すと炭酸水だけが出てくる

氷にティーバッグを入れてしばらくすると水出しの濃いのができる

カプチーノは最初にミルクだけ出てくるので二つカップを用意し、ロイヤルミルクティーにする。残りは濃いエスプレッソになる。

まあそんなにおいしくないけど

ジョイフルでヴェジタリアンでも大丈夫そうなのは豆腐サラダくらいである。チーズがokならアスパラとトマトのピザもある。田川でも東温でも豆腐サラダとファインブリューだった。

5月21日
ずっと西田整形外科にレーザー治療に通っている。リハビリセンターは壊れかけたロボットの修理工場のようだ。
・全盲写真家の写真集
フレームはぼくらの言葉だ
森山さんだって覗かないわけだし

・エデイ・スリマンの撮った2006年のコートニー・ラブの写真集
ロック史をフレームにしたDIOR HOMME

・手のないピアニスト
喪失した分だけ円熟するんだと言い残して頭で鍵盤を叩いているうちはまだよかった。
頭も擦切れてなくなり、最後は猫の食べ残したような乾涸びた肝臓が鍵盤に貼り付いていた。

 

 

5月23日
ヴェジタリアンになった翌々日あたりから3本目が悪くなった
いつもの八重桜と藤の公園で寝ていたら悲しくもないのに涙がでてきた。そのあと本屋に行ってユリイカを見ていたら鍵盤の上に手が乗っている写真があり、急に悲しくなった。死んでから死にたいというようなものだ。先走る体は心を病ませることさえ出来ない。

高校の頃から、ある水準を超えるところまで弾くことを習慣にしてきた。そこに行けたらその日は大丈夫だったことになる。
それがあるから円盤で出入り禁止になろうとゴロツキ共に何を言われようと平気だった。

手が震えて画けなくなっていた阿部さんの小説を読んでみる。アックスが勝手に手直しばかりするので嫌気がさして止した、と言っていた。油絵は描いている、これは永島慎二先生の遺品の油絵の具で描いた、といって見せてくれた。田川には暗い川があり、(彦山川というらしい)、その橋の上で胴衣を着けた中学生の彼に会うような、黒と赤を塗りたくった抽象。ぼくはシンガー・アンド・ソング・ライターもやっていたんだよ、メロディーは忘れたけど歌詞は翁二がまだ持っていて。。

コーちゃん、もうだめかもしれない。きみも最後は片足が動かなくなったね。

 

5.24

iyo@welpia

5月25日
山頭火が最後の一年を暮らした家は護国神社やロシア人墓地の近くにあって、石田誠君ぽい乞食姿の写真や、井泉水の「一草庵」の良い篆刻がある。遺品の鉄鉢等は子規記念館のほうに移ってしまったらしく部屋はがらんとしているが、朱燐堂の結社の面影を彷彿とさせる句会が死の当日まで本当にここで行われていたのである。松山はそんなにおちついて死ねそうな場所にはとても思えないが、
おちついて死ねさうな草枯るる
おちついて死ねさうな草萌ゆる

等詠んでいる。

裏山を上ると土饅頭などひっそりとあり清澄な感じで、石手寺裏の猥雑さとは違う霊が吹く。

夜、ウェルピアでフェブリエ盤のサティを全曲超超超ピアニッシシシシシシシシシモで弾いてみる。ホテルの二階では右翼の決起集会が開かれていて、客のほとんどは知らないおばさんたちだったが、二階の喧騒をよそに一階はお通夜みたいにしんとなってしまった。知っている人で聴いていてくれたのは、書いておきたくなったのでここに記すが、玉柳君、神山君、大浜君、武智健一君であった。
音が鳴ることとおちついて死ねさうな草があることは如何なる関係にあるのか知らん。

5月26日
毎晩ホタルを見に下の川に降りるが、ひとりだと怖くないのにふたりだと怖い
草刈りが大変なので急にミニヤギを飼う事を思いついて調べたりした。ついでにミニブタや羊も検討したが矢張り石田君とかと共同してヤギ貸し出しビジネスだろう、などと考え、夢が膨らんでゆくのが自分でも哀れだった

オーネットのインタビュー。きょうだいらしいというので

「煙が目にしみる」と「ふたりでお茶を」を弾こうとしたが矢張り痛くてだめであった

「夕食」のライブで、彼らの旅費捻出のため「夕食ボウル」というのを作って料理と一緒に売ることにしてノコギリナツコと相談する

給付金がまだ来ないのであと268円しかない

朝考えて、昼近くまで我慢し、フライパンにオリーブオイルを敷き残りのパスタに生姜と貰い物の島こしょうとワインと貰い物のアボガドを加えて買い物に行かずに済ませた

アカシア、羊、精錬術、鋳造、アザラシの皮、亜麻、織物師、刺繍師、薫香、

let seven times pass over me

5月28日
吉増剛造の「キセキ」を二日間かけて見る。
良かったのは

池袋の「死人」で聴こえる高柳さんの一瞬、呼び出しの「東若乃花、西名寄岩」。立川高校で母の二年後輩だったらしいから、その世代の関取であろう。

折口信夫の「なにわでら あみだがいけにいる亀も、ひなたこいしく浮くが かそけさ」
死者の写真や貝殻に語らせる手法は折口さんの「死者の書」からヒントを得たのでは。

鏡花の眼と太田省吾の眼の先が似ている
ことを捕まえた点。

浮島で中上健次がナギの葉を裂く本歌が定家だったと分かるところ。

ミホさんのハイビスカスを接写して「ソクーロフだってつかまえられなかったぜ。」「これが恋の手本だぜ」

gozoさんも大変な映画を作ってくれたものだ。

5月30日
投企さ

刻一刻

耽落(Verfallen:ヴェルハーレン)
ただもう
ラアラア ラア
ラア

 

6月21日

F#/C F#/C F#/C F#/C B/F B/F F#/C F#/C C#/G B/F F#/C F#/C

http://vimeo.com/12736408

6.7

iyo@welpia

smoke gets in my eyes

 

6.20

+福田真也/ドラびでお

@高松 リッキー

 

7月11日

9月のアートランド「剰余価値鳥葬工場」のためのプロフィール

maher shalal hash baz

“人類史が壮大な誤謬だったと気付くだけではスキャニングは工場経営者のように拡散してしまう。誤謬ではない思い込みの地層が希望(絶望)であり、それがなければ組織体のオイコノミア(ハウスホールド・マネージメント)は成立しない。”

2009年夏のアートランドのフライヤー

 

 

8.1

mshb

@渋谷 イメージフォーラム 「美代子阿佐ヶ谷気分」上映会

8.15

mshb/今井次郎/久下恵生/中原昌也/中尾勘二/田尾創樹/西村卓也&高橋朝/小さいテレーズ/ジジキ

@新宿 jam 

-“玉雑音購蝉燔祭 tamanokoeseminomigawari”-

8.20

mshb

@渋谷 o-nest “『セ・ラ・デルニエール・シャンソン』ツアー”

8.23

@uramado 

-tori kudo piano solo“le feu follet”-

8.26

mshb

@京都 アバンギルド “『セ・ラ・デルニエール・シャンソン』ツアー” 

9.1

灰野敬二/工藤冬里/早川義夫+水橋春夫

@新宿 jam

-“三羽の侍 -tres samurais-”-

2009.9.24 initerview

 

9.26

/dennis driscoll/野村和孝/cap lori

@幡ヶ谷 bar sem nome

9.27

@uramado 

-tori kudo piano solo“le feu follet”-

10.12

/tzitziki

@新宿 jam

-“桃青peach blueアメリカ時雨”-

10.17

mshb/tzitziki/jirox dolls show/鈴木健雄/セッション要介護3/あの世のできごと

@新宿 loft-

“drive to 2010 鬼火 le feu follet par uramado”

10.18

+3C123 duo

@uramado -le feu follet-

Tuesday, November 24, 2009

Toshiharu Osato(1958-2009) lived entire decade of 70’s and was not a musician in this 15×decade-long human history.

 
12.8-20

exhibition “鬱陶 −マイナス茶碗−”

@博多 tetra

12.8

w/reiko kudo

@箱崎 水族館喫茶室 “水族館のくさむらに”

12.18

@tetra

12.20

mshb 

“まどかさん(camps),有田桃子,まきちゃん(ロロ),諸岡光男,城戸英章,小山冴子,他未定”

@tetra

12.25

mshb/早川義夫+熊坂るつこ+佐久間正英/早川義夫+mshb

@新宿jam -“喫茶サルビア”-

12.26

w/今井次郎 -le feu follet 3days-

@uramado

12.27

w/向島ゆり子

@uramado

12.28

w/中原昌也

@uramado

2009.12

鬱陶

宅急便着きました。ありがとうございました。  工藤さん、あの5枚の板の風景は、いったいどの季節からやってきたのでしょう、ひと言に「美」とも言い知れぬ其処は隠れてて尚馴染すら感じ、ひびに優しささえ見落とせませんでした。子供のころよく水溜りに映った景色を覗き込む時間が、駄菓子屋で買ってきたお化けのあぶり出しを楽しむ時間と平行してありましたがそのような・・ 「鬱陶」展ありがとうございました。    すいません、いちファンの者ですが、ちょっとお聞きしたいのですが、鬱陶、というのは、この陶器のことを鬱陶というのですか、それとも今年やっている個展のことを鬱陶と名付けているだけですか。

鬱陶というタイトルを思いついて個展をやろうと思い、それから作品を考えはじめましたが、浮かんだのはまな板みたいなものでした。買っていただいた皿は鬱陶第一号で、磁器の陶石を山から切り出して洗ったときに出る粉が池に溜まっているのを勝手に取ってきて磁土として使ったものです。普通の粘土ではないのでうまく成型できず割れてしまうので添い寝して世話しても完成に至るのはごくわずかです。皿として使えるように最低限の足はついていますが、中国の漢代の四足の伝統を踏まえて裏返すとわかると思いますが動物の足みたいになっています。個展では普通の茶碗なども要請されて作らなくてはいけませんが、メインはそのまな板みたいなやつです。最後に博多でやりますが、その時には現代美術のギャラリーなので思い切って板だけにしようと思っています。板の皿を作ろうとして作為を排除していくとまな板みたいなものに行き着くのは果てみたいなあきらめきった感じがしていいと思っています。まな板みたいな皿を見て、「まな板みたいで泣けてくる」という人がいました。というわけで不景気の折、懐石料理店が大量に買い上げてくれるというようなことも望めない今、あれに4千円も出してくださったことを感謝します。漏れはしないと思うので魚でも乗せて使ってやってください。あと、死んだら回顧展に貸してください。

東京拘置所で室生犀星の『幼年時代』を読んでからクリスマスイブにその独居房にてラジオでポール・マッカートニーの『wonderfulchristmastime』を聴いてクリスマスに出所してから一ヶ月くらいしたら工藤さんの陶芸品が欲しくなったのでひねもすのたりに行って鬱陶のことを聞きました。最初「鬱陶0」に行こうと思っていたのですが矢張り遠くて行けず、「鬱陶1」が近付いた頃にはお金がなくなっていて、仕方なしに当日西岡兄妹の漫画とデイビッド・リンチのDVDを売ってお金を作りました。いくらだったら買いますかと言われた時にこれには6000くらいは出さなきゃいけないなと思ったんですが4という数字が好きだというだけの理由で申し訳無い気持ちで4000円という金額を提示しました。デイビッド・リンチのDVDボックスがちょうど4000円で売れたんですが、テレビを持っていないこともあって鬱陶の板をそのお金で買えたのは安い買い物だったなと帰り乍ら思いました。ぼくはまだ暗礁にひっかかったことも無いので果てというのを理解するのに時間がかかりそうですが、第一号は大切に使わせていただきたいと思います。回顧展にも提供したいと思います。今度お金が貯まったら非実用の陶器というのを蟲文庫に買いに行こうと思っているんですがもし売り切れていたら造ってもらうことはできますか?というか工藤さんは、過去に造ったもの(に近いもの)を造ってほしいと言われたらつくることは可能なんでしょうか?もしそれができるのならぼくは太陽の塔が欲しいのですが…。