tori kudo

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2011.2

”net cafe mystery” のための解説

net cafe mystery (uramado cassette)

1.

bass: toshiki fukuoka recorded at uramado, tokyo 2004 by toshiki fukuoka and tahei nishikawa

 

2.

bass: mitsumune tsuru

recorded at studio hototoguis, matsuyama, 02/03/2011, by mitsumune tsuru

photo: yuzi yoshizawa

ネット・カフェに寝泊まりする元兵士の脅迫神経の管が山の中に伸びて行き蔓になり岩に填め込まれた自転車となっている

 

 

2月12日

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苦いを甘い、甘いを苦いと言う都 生温いチョコレートの海に浮かぶ島 遺された唯一の島が発狂者の笑顔であるというなら その島はかつては地続きだった 芥正彦の演出で芝居に出たことがあった アコーディオン弾きの役だった 愛しているよ、という台詞を稽古した それじゃあいけないよ、芝居だからね 芥さんは母音をはっきりと あいしているよ と 腹式呼吸の野太い声で発声してみせた ぼくは今だったらそれをどんなふうに発音するだろう やっぱり発音できないだろうな その日芥さんと中島葵さんと四谷の焼肉屋に入った ぼくがアメリカに行く、というと芥さんは 腹式呼吸の野太い声のまま それはおおいなるだいがくだね と言った ぼくは今だったらそのとき のぼくになんと声をかけるだろう 旅は長いよ、コーヒーをもう一杯どうだい、とでもいうのだろうか その夜サックスを持って歩いていたら赤坂離宮の近くの交番で捕まった 爆破を考えた 今のぼくだったらそのときのぼくになんと言うだろう 復讐はきみのものではない、と言えるだろうか その頃高橋悠治はボブディランの声質を、決まって、タバコ喫みの、というフレーズで描写していた 腹からの声で歌ってはいないというわけだ ぼくは東京にも腹から声を出す人と胸から出す人がいるな、と思ったんだった その頃までにブレヒトを観たりアルトーを読んだりして背骨に来る音楽と胸に来る音楽があるな、と感づいていた ワルシャワ労働歌や不屈の民をパンクに編曲したが それはきっとナチにも 使えることをぼくは知っていた 君が代もこちら側に使えるだろう でもアルトーは とぼくは思った ナチにも国家にも使いようがない だから うたの真実は胸や腹に来るに違いない その頃角谷美智夫は笠井叡に傾倒していて ノートには小さな字で惑星がどうのこうのといったようなことがびっしり書き込まれていた (今だったら角谷は人のことを呟いたりしないだろうな、それは確かだ いつも自分のことで精一杯だったから) 角谷は背骨のほうじゃないな と一目で判った 角谷と金子とツアーしたんだった 曲など出来る訳はなかった 背骨と胸と腹がごちゃまぜになってたたかっていた 今だったら何を演奏するだろう 何を演奏しているぼくらが見えるだろう いや、なにも変わらないだろう   京都の人たちはぼくらよりずっとスマートに見えた ぼくらは展望もなくなんの基盤もなかった ぎりぎりの演奏だった 二人とも死んでしまった 今だったら演奏を終えたぼくらになんと声をかけるだろう いちど発狂の夜という店で 子供の学費のために睡眠薬を飲んで鞭で打たれているおばさんから言われたことがあった わたしは音楽のことはわからないけれど、あなたの今日の演奏には目のかがやきがないわ 別の日に同じ店で ゼロ次元の残党に声をかけられたこともあった きみは弦が切れても弾き続ける人だと思っていた 弁解しようとすると もうきみと話すことはない といわれた ぼくが青山トンネルの入り口に佇んでいるのが見える 今のぼくはきみに声をかけて忘れるようにとは言え ない きみがそれから20年経っても相変わらず円盤で演奏を断られることになったりするのだというようなことを前もって告げたりはできない 円盤の演奏を終えて高円寺を歩いているぼくが見える ぼくはその日の演奏をなかったことにしようとしている 今のぼくはかれになんと言えるだろうか ああ、いくつかの星屑を消してしまった、と安藤昇の歌を歌って聞かせるだろうか コーちゃんがいつも歌っていたあの歌を コーちゃんが生きていたらなんと言うだろうか ちらしずしを作って持ってきてくれるだろうか ちらしずしを食べて泣いているぼくが見える ああそうか 泣けばいいんだ