2011.3
3.4
namba@bears
w/lsd march
大谷さん田村さん福田さんが来られるようです
3.15
夕食1st sale commemoration
matsuyama@moremusic
3.19
「実録港の人」
noge@minato
w/michinori toyoda
3.20
piano
shinjuku@uramado
“overdubbing on nishimura/nakao duo”
-TZITZIKI experimental overdub semi-sessions-
工藤冬里+tape
3.21
mshb
hacchobori@nanahari
Teilnehmer werden begrüßt
3.22
kichijoji@artland
koenji@muzenji
3.23
giroppon@sdlx
山小屋にて
ワラビや葛は猪が食べ尽くしてしまったが
ワラビはある種のシダの若い芽で、先が渦巻きになっています。春に食べます。
葛はよく繁る夏の蔦ですが、根を粉にして食用や薬用にします。
猪は凶暴な野生の豚で、山に広く生息しています。
オニシダは朝陽を浴びて透き通っている
オニシダは大きめのシダで、節分という行事ではそれを使って鍋で豆を煎ります
分かれた葉の間に螺旋の芽が解(ホド)かれようとしている
オニシダの若い芽も螺旋状態から徐々に解けて伸びていきます
枯れた葉にも光が当たって
桜は三分(サンブ)咲き
桜の開花を段階的に一分咲き、二分咲き、三分咲き、五分咲き、という具合に言い表します。
季節は終わりだが椿が滴っている
椿は冬から春の終わりにかけて、ずっと咲いているので、季節感を超えて存在しています。
その赤い花は、花弁を散らすことなく、首を切られたようにそのまま落下します。
蝋梅も終わってほんとに蝋になっている
蝋梅は冬から春にかけて咲き、transparantなその黄色は蜜蝋を思い起こさせます
季語の縛りがなければ
季語は俳句の中に入れなければならない、季節感を表す言葉です。
縛りとは規則ということです。
きみたちのことも歌ってあげるのにな
きみたち、というのは椿や蝋梅など、春に存在するのに春の季語にはなれない者たち、ということです。
連続テレビ小説はてっぱんだった
連続テレビ小説とは、毎朝NHKが放送するテレビドラマのことで、国民の大多数が観ています。
3.11の震災当時、朝の時間帯に放送されていたのは「てっぱん」というドラマでした。
鉄板(てっぱん)はお好み焼きや焼きそばを調理するときに使います。
大きな地震があった
この春は写真を撮るのももったいなくて
眼に刻もうとしている
シャッターを切ると見えているものは失われるだろうな
終わりは 色なのか?
津波の写真を撮ろうとして死んだ人が大勢いたので、震災直後の春は、写真を撮ることもはばかられるような気分がしていたのです。
視察
三角形の残滓が白い火事のようにラインを作っている
三角形はピラミッド型のヒエラルキーや差別意識を表します。ラインはここではtwitterのタイムラインの
ことです。タイムラインにRTやメンションが集中することを「炎上」と言います。
山は悠大過ぎて 眉を顰めた歩行は常態化している
日差しが眩しいと、眉をひそめた険しい表情になる人がいます。大きな力の前で、無力感が普通になっています。
突然の風に軽トラが揺れて
軽トラとは自家用の小さいトラックです。横なぐりの強風が吹くと、車体が転倒するほど揺れることがあります。
ユキヤナギはゼカリヤ的である
ユキヤナギは春に咲く非常に白い花で、風景がゼカリヤ書の幻のように色彩的になります。
第一声の揺れは要塞の上を彷徨う
第一声とは選挙の候補者が選挙運動を始めるときの最初のスピーチを指します。大抵は宣伝カーで名前を連
呼するだけですが。そうした音声は耳には届きますが、要塞のような意識の内部には届きません。
低空飛行の蜂が地面の埃を円形に吹き払う
ある種の熊蜂は初夏に地面に巣穴を作ります。それは(救援の)ヘリコプターやオスプレイが離着陸するときのようです。
泣いて食事をしようとしなかったハンナとペニンナの感情の受け分
1Samuel 1:1-8 ペニンナは子供の数に応じてハンナよりも多くのものを夫から受け取りました。
この春は美しすぎて
写真に撮るのも勿体無い
外には戦い、内には恐れ
2cor7:5
ただ朝の連続テレビ小説があった
「てっぱん」のことです
山は悠大過ぎて
点在する家は孤立していた
津波によって孤立した集落が沢山ありました。
ラフだけの連載マンガのような白い夜行
ラフとは漫画の下書きのことです。ここでは殴り書きのデッサンの連続のような物事の進展、その余白の白
が際立つ夜の旅、という意味です。夜行とは有名な日本のアングラ漫画雑誌のタイトルでもあります。
死も 生も み使いも 政府も 今あるものも 来るべきものも 力も 高さも 深さも またほかのどんな創造物も
romans8:38
on an inspection
タイトルの視察、ということです。上位の権威の、私たちへの検分という意味合いを兼ねています。
涙をもって蒔く種もなく
与えられる結末もない
pslm126:5,6
自分や他人の延長線上にさえない強さ
おせっかいな密告 meddle
ゲーム画面の山道が続いてゆく
この世は基本的には皆さんに敵対しています
政府の高官による被災地への視察と、キリストに検分されるべき個人、という二重の混乱した意識が描かれています。
場所が消えた
地層が消えた
洪水で押し流された実際の地層と、自分の意識の諸階層の双方を表します
場所さえ消えた
実際の災厄で消滅した集落と自分が拠って立っていると思っていた階層の双方を指しています
名指した途端に
震災後のそうした場所に関するシニフィアン(signifiant)とシニフィエ(signifié)の関係の変化のことを言っています。
終わりは色なのか
と書いた
色が消えた
フィルムを巻くたびに
磨耗していく
アナログのカメラのことです
今日のわたしは昨日のわたしになる
石から白黒の花
写真のことを言っています
危機は鈍い心を素通りしていった
洪水の処理だけしていた
リンゴが手を叩く
ドアのない家で
喜ぶべき理由がない
芳香剤が効いて腐臭がしない
リンゴが足を組んでいる
リンゴは女の子の名前でもあります
白い手袋を嵌めている
手を頬に当てている
「まだ滅ぼしていないのは
何と幸いなことでしょう」
これは地震や津波ではなく最終的な社会全体の滅びについて言っています
報告など見ていなかった
津波の後 石の心は凪いでいる
1tim4:2