tori kudo

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2012.3

(見張りを見張る 水や光りや)

 

見張りを見張る 水や光りや
国道沿いに 編まれた鉄塔
悪を知る手付きは職人
悪が悪を正すだろう と

 

豚の群れの中に送り込んで下さい
真直ぐなナビ
打ち砕かれる体罰の国

 

放射能の雨に打たれて
証の春雨に濡れて

 

戻ってみると 既に公会儀は進んでいて
妥協や根回し をしないで
コンクラーベ
アモスとエステルが 眼球のような明るさのバスの中へ入っていく

 

アゴバルドゥス
クラウディウス
ベレンガリウス

 

フィリピンからトルティーヤ
嘲笑う
ロック史が書き直されていく

 

見張りを見張る 上の上の上
国道沿いに 編まれた鉄塔
善悪を知る手付きは職人
悪が悪を正すだろうかと

 

 

(語群の白さに凹凸は板の印影を過ぎゆかせ)

 

語群の白さに凹凸は板の印影を過ぎゆかせ 
ツバメの来ない安心
と自閉の町に砂に顔を埋めてうずくまる過敏が 
プレビューでは
支配者のところに引き摺られてゆくのだから 
この映画のような皮膚を撫でて 
僕は川沿いのにおいを閉じた眼で聴く 音無川
ティベリウス, カリギュラ, クラウディウスⅠ, 
ネロ が流れて来る

 

きょうはあくまでも濁った白の李朝のように歪にくこんくこんと丸いチョコレートだ

 

影は一反の布になり 
そこにああ下手な字で「 むし 」と読めるから
うつむいて
平和を過ぎ行かせる と 
音が変わってゆく 
風邪に、それから落ち着いた緊張を受け止めるインクの紺に。 
不安障害が冷気のように夜に溶け出すと 
白と黄の斑になる 
光が板を刺し始めた

 

 

(資本の流れの中を)

 

資本の流れの中を
車椅子を押して遡る
川幅が狭まり
やがて車椅子も捨て
パーキンソンの両足で
涎を垂らしながら
左、右、と声を掛けながら
信条は前に進めない
後退も出来ない
門限は迫り
行く手の狭まりにわたしたちはブロックされる
老眼鏡の眩暈のように
視野を滑る故障の多さ
parts are adjusted automatically
確かにこれはわたしの病気だ
わたしたちが朽ち果てる時
テントを張る人はいない
十二年飼ったペットはみな散らされた
崩壊の中にドーランを塗って立つ
ヤニ質の貢ぎ物のように
陽光はにび色に暖色のまま冷めた
生々しい鞭の痕だらけである
慰めは寒色のまま加熱される
ギレアデにあるというその香は
岡山の夕暮れのように遠い

 

道後は道の終わりだ、と道後商工会議所会頭は言った
セシウムが踏み固められ
みんなの道は逆に広くなってゆくが
わたしの目に映るのはナメクジの跡のように
狭くなった一つの川筋だけである
屋台を建てテントを張る者たちは居なくなった
故障した機械は予言的な諧調に捉えられ
感興のさなかに呻いた
わたしの記念として
わたしの記念として
火星と金星の色が 二人の婦人に追い付いてゆく
思い浮かべるのは 光速で伝わる叫びや気の狂わんばかりの痛み
不完全さという落差と同じ電圧の感謝をもって 羊色のカーディガンを着込む
家紋がチェック柄であるような土地から
ディスティラリーの 滴るにび色の 常温の炎
場面という妊婦のような多面体に映る キノコ雲のような影
祝祷を述べ
狭まる川にパンを浸す
因習 の 水田記号 の
平坦な 井手 の 横の
梅林 の 上 の 斜面 の 住居の
記号に 実体の 果実の 汚れ
様々な 蜜柑 について
原稿に頼らず 話すなら
何の選考に勝利するのか
考え方、という道の静脈瘤 のような 駅は 川で 繫がれて
上流にある宝はガラス玉の目
焦点を ぼやけさせるものは 思い煩いや 石屋の資本、ボーダーの私服、としての制服、としての 苦く重い色の軽さ
制服としての霊に仕事を中断させられることには慣れている
オフィス街に落ちている触れないでおくほうが良い金管から
グリセリンのような身体と衣服の遮断
将来の見通しについて セルフのスタンドの券売機と同じようにみだらに語ることができる
工場や企業に対する強い願い 資本は 油のようにパーマを伝う
総務部長の浅い肺は水が溜まり 不安で 息苦しく 眠れなかった
友好的に失礼するためだけの
マイナス茶碗に張る雪解け水
暗い光、あたたかな氷柱、
冷たい土器。

 

 

 

血は河を逆流し
途絶えた先端が現在である
部屋は普通に明るいのに
暗闇の中で白く輝くように背景を木炭で塗り潰したのは何故か
何故枠の中に描かず 構図を後でトリミングしたのか
鏡を離れると忘れてしまうので見続ける
それはロスか
ボタ山の影のように 動機が横たわっている
動機が間違っていても
良い変化というのはある

 

 

銀は静かに生活しようとしていて
後ろ姿の黒い背広を見ている
麦のように真っ直ぐに立ち
請求書のようにピアノの周りを回る

 

歪んでいるので真っ直ぐに見えている
知らないでいた方が良かったのだ
良い思い出しかないというのはとても危険だ
思い出とは豚が転げ回る泥だ

 

 

(祈れない男が居ても)

 

祈れない男が居ても
三組に一組は離婚するにしても
生殖に関する

 

男が祈れないのは

 

会衆の中では祈れない男が居ても
非難する権利を持たない
三組に一組は離婚するにしても
憂う権利を持たない
月経中の女と寝る者
月経中の女の生殖器は傷つき易
い としても 禁じる権利を持たない
生殖に関する 権利を持たない
生殖に関して何か言う 権利を持たない

 

会衆の中では祈れない男が居ても
三組に一組は離婚するにしても
三組に一組は離婚する国で
月経中の女の生殖器は傷つき易いにしても
月経中の女の生殖器は傷つき易いから
何も言う権利を持たない
生殖に関する
祈るふりをするヴェイユの
祈るふりをするきみのヴェイユ

 

会衆の中で祈れない男が居ても
会堂の中で祈れない男が居ても
三組に一組は離婚する国で
月経中の女の生殖器は傷つき易いので
淫行を犯す独身者
淫行の独身者のように笑って立っていた
マスターベーションをする男が居ても
同性愛行為をする男が居ても
同姓愛行為をやめられない男
同性愛行為をやめられない男が居ても
マスターベーションについて
マスターベーションをする独身者のよう
に業務を怠って
マスターベーションをする独身者のよう
に ぼーっと立っていた
ぼーっと立っている間に 廃された
肢体の律法
家事のように 暴力的な 犠牲を
捧げる時も
会堂で
祈れない男
三組に一組は離婚する国で
月経中の女の生殖器は傷つき易く
同性愛者や淫行の独身者のように
ぼーっと立って笑っていた
ぼーっと笑って立っていた
ぼーっと立って笑っていた
死の香りの立ち昇る春の道で
死の香りの立ち昇る春のアッピア街道で

 

被疑者としてたまに寝息を立て
何の寄付もせず
乞食には金を遣らず
何の寄付もせず
満喫でjojoとか読んで

 

花を踏みしだいて

 

 

開花前日

 

静かにしてくれマスカット
昼何を 見ず知らず の 有精無精の
友人の 友人まで 汚損
づぼらな花壇
駅へはモオヴの裏道
取り敢えずきみを串刺し
吊られた快楽
器官を畜獣のサマリヤタクシーに乗せて
その後 王として
誰を支配するかは分からない
目を閉じると
却って別の店で沢山の人が手を挙げている
性は弁当箱のように揺れ
ぼくらの冬の病がまだ疼く
そして興味を失くした鳩のように去っていく

 

 

雨のない嵐

 

雨のない嵐に 晴れ 曇りさえ 関係なく
人を吹き飛ばしたことのない 風
を 限界なく 凶暴な ぬるさ に 変え、
潰れかけたラブホの塀を倒し
日本語名と並記のカタカナのgiven nameとの塀を倒し
半月を太らせ
死人を復活させる風を 吹かせ
東北から還って来た男の
東北から還って来た黒い甘さの暗い甘さの           
肌蹴た胸の 熊の半月を太らせ
死人を復活させる風を 吹かせ
風の中の和服の語尾の チャッという何かを閉める物音
風の中の 少数ながら良い反応を示す ダマリスという名の 和服の女の語尾の チャッという何かを閉める物音 
笹舟のような霄壤バッタの 影絵
下顎と半身の
順列の入れ替わった 或る感覚器の 測定する この暗黒の雨のない嵐の夜
真の暗黒は透明釉の下の斑のように滲んで明るい 
真の暗黒はブルーシートの下の斑のように明るい
正面を向いた魚の頭の創傷は捲れて
だましたのでだまされました、という動詞の複用は 散見されるベント口のようだ
いやしてください、そうすればいやされます、救ってください、そうすれば救われます、という動詞の複用は、構造物に散見されるベント口のようだ
どのようにして再び力を得るか という主題のもとに 雨のない嵐のなかに 立つ エレミヤ
竹の子の串揚げのように
縦に柔らかいもの
パラパラと竹コプターで朗読が立ち上がる
郵便局員の
パラパラと竹コプターで パシュフルに関する しっかりした復讐の朗読が立ち上がる
命の道と死の道と
莟を吹き飛ばしたことのない雨のない嵐と

 

 

a sphere

 

この球面を, 甞めつくしていく時間の影と雨。 濡れた球面を白いタオルでパンパンはたく。 蛇の時間が甞めつくしていく球面の、 影と雨。 濡れた影をはたく二本のタオルのような 時間の 白い命。月のない時間の影。 羊の汚れのような時間。 去年のような月のない濡れた機器のような身体の影。 着飾った礼子に続く木の日数のような時間。 発酵しない月に無視され、素通りし、 去年よりさらに遠くなる、 月、 時間、 影。

 

3月1日

#ものすごくうるさくてありえないほどちかい extremely loud & incredibly close 本と大分違う 自閉/アスペルが9.11PTSD経由でEMDR,みたいな

映画はもはや現実に追い付けない 現実のほうが職人的な手つきをしている

デイドリームビリーバンバン

きゃりーぱみゅぱみゅ @pamyurin
はーよ

 

3月2日

ヴァルター・ベンヤミンbot @w_benjamin_bot
サボテンの花。ほんとうに愛している者は、恋人が口論のときに不当なことを言うと、うれしくなる。『一方通行路』

http://youtu.be/a0i_A_SezQA

 

3月3日
ぼくがぼくを殺してしまって君と一緒に逃げるけど死体の処置に困って という夢
http://t.co/ESNHxgX0

吉本隆明bot @T_Yoshimoto
無意識も意識も荒れはて、傷つき、屈折しているのを、どうやってこえたかというのが、大衆芸の本質だといってよい。 『重層的な非決定へ』 http://p.tl/jqGg

http://kaleido11.blog111.fc2.com/blog-entry-1148.html …

@suzukimikikosun もうきみには伝書鳩にするよ

もうきみには伝書鳩にするよgogle gu

死にたい。もう金は使えない 
春の風外に居るのは犬、娼婦
鐘の音まで聴こえては夜の終わり
夜の終わりバイクの音が近付くと
白梅を見るため夜を開けにいく
白梅が白夢になり明けガラス
もう一度眠ってみよう、おやすみなさい。
じわじわと締め付けるように明けてきた
白梅や夜の終わりと世の終わり

打ちながら握ったままで寝落ちする巷じゃよくある話みたいね
背後に真露の並ぶカウンターに怯えた招き猫が立ち居り

土曜の夜はだから嫌いなんだ 耳鳴り芳一 無音がうるさい
あれは何あれは春風がらがらと音を立ててる遠い夜更けに
白梅は夜中に猫に起こされて夜明けに見たりするものですか
春風には放射能がよく似合う残酷な季節て荒地で言うじゃん
いろんな色の上に黒のクレヨン塗って引っ掻くやつあんじゃん(あーんな感じ)

 

3.4 ウェルピア

百人一首bot @onehundredpoems
06 : かささぎの 渡せる橋に おく霜の 白きをみれば 夜ぞふけにける(中納言家持)

 

3月5日
中原中也(非公式bot) @Chuya_bot
かくは悲しく生きん世に、なが心 かたく なにしてあらしめな。 – 無題

 

玄米正食 ビワの葉温圧 光線療法 ビタミン点滴
ゲマインシャフト ピアノの音圧 交戦状態 ビン?カン?見てきて
ゲルマン民族 琵琶湖ホテルいくつ 当然慎重 ビンテージ北素敵

 

のりっぺ∞(・-・) @pinknoririn5_ll 寝ても覚 めても痛いのじゃw

 

玄米正食 ビワ葉温圧 光線療法 強ビタ ミンC点滴
弦巻いていい?ショック 謂わば場を熱く
コンセンサス良好 今日旅さみしい天気

今朝も未だ滅びの東風(コチ)ゆ降り止まずこれ だけ降れば却っていいかも
雨除けのフードの女は店先に「釡めし」の幟を立てて消えたり

ゲルソン療法 枇杷葉温圧 光線治療 強ビタミンC点滴
ギャル曽根UFO グアバ押捺 高3死霊 興 味豚自民主天敵

 

3月6日

春はアケボノイズ

鈴木邦男 @SuzukiKunyon
この日は、「よど号」の奥さんたちも来てくれました。メイさんはお友達です。「よど号」の奥さんに、例の本の話をしました。飯山一郎さんの『横田めぐみさんと金正恩』(三五館)です。金正恩のお母さんは横田めぐみさんではないか、と言われています。

Phys.org @physorg_com
New Alzheimer’s marker strongly predicts mental decline http://tw.medicalxpress.com/250174495

批評は不公平で情熱的でなければならない。すなわち、排他的ではあるがより広い地平線に開かれた観点からなされなければならない。ボードレール1846

「はい、お姫様は泥のように眠っておられます」

http://youtu.be/kj_T5pYeHK4

 

3月7日
botで読めるのはツァラだけだ。他のは総じて詰まらない。twitter向きじゃないということだ。そしてなぜそうなのか、ということの方が問題だ。一語の立ち方、みたいなことなのだろう。

 

3月8日
旧姓は忘れ去られて鶯に

 

3月9日
それは抱き/締めたいからだ/きしめたい/か らだきしめた/い体軋め

ムーミン谷の名言bot @moomin_valley きみは、ここをでていくつもりなんだろ – ムーミン

見ろよ 満月だ

 

3月10日

 

(子供が二人いて)

子供が二人いて一人が溺れる夢をみてた
浅瀬のすべての石にはキズがあった

 

感情のないキミの尊き犠牲 原発テロ ウ グイスはまだヘタッピー 原発テロって歌っ てろウグイス春まだ浅いキス 洗脳された 弱者を送り込めよ 洗脳されたJoshuaを送 り込めよ 千の洒落た孔雀が舞う前に

 

シネマ尾道て前通るだけで涙出る

 

3月11日

ときがながれるおしろがみえる むくなこころはどこにある ナカハランボット

赤花に風花の巻く船着場
風花や蕎麦湯で溶かす胸の中

 

3月12日

電線に白鷺雪の仁王立ち
雪がコンビニの前をいやにゆっくり回りながら舞い降りている

奥村あっちゃんの効力もここまでか引っ越さないといけなくなった

春の雪が胃に降ってくる

ナツコが轆轤してるからしょうがなく居るけどほんとは帰って死にたい
アビシャグも暖め得ずや王の骨岩盤浴は石棺に似て
渇きとは星雲団のかたちして暗い葡萄の色をしていて

 

覚えの書

 

例えばアンテナの立たない広島の山中のホ
ールに向かいながら
リール トゥー リールの録音を聴くよう
な 気落ちした朝

 

そこに至る道は閉ざされ
そこに至る言葉の生垣の結び目は古び
若枝は外へ外へと逃げて
暗いトンネルになった道を
言葉による迫害は笹のように常態化してい るので
夜の囲いに群れを連れ帰る若い妻たちだけが 小便の臭いの中 蹴躓きながら車椅子を押 してゆく
ダニのように太いなめらかな声が
一瞬 建物を元の姿に戻したが
人々が一斉に開く本の頁の音で外は ポルノのような雨になった

 

強欲なぼくらは
一切の考えをトリコにして
黴をあつめて
じめじめした環境に置き
飛ばしたいんです

 

アムノンのギターで
私を追い払おうとするこの悪は
あなたが私にしたもう一つのものより大き いからです

 

駐車場の免責 看板ない

 

人が居ると
羽が生えて浮いてしまう
覚えの書の人々の中で
独身を保つ
この瞬間に
深い水が震える
貧しさ故に損なわれる

 

カテキズムの帽子のある
欠陥商品のような雑貨屋の祈り

 

神を愛するより快楽を愛する

 

最高潮を排除するのは
挟まった空豆のような 覚えの書が落ちてい る 夢のドブのせい
名瀬 世羅
最初の衝動は名前を付けること
妬みは二人の当事者の間に生じるのに
主人公に対する愛のような愛を崩したのは 誰か

 

混じりっ気のある鋳物の愛によって 失礼
しました
これが 被爆地からあなた方を連れ上った
あなた方のバールだ

 

きみを、天のように感じる
繰り返される
本心に立ち返り やがてほどなくしてバール に戻り
遊牧から農耕へ 使い分ける 本心
遊牧の本心 農耕の本心
左手で柱に触る子供
要求の少ない柱に右手で触り 左手から逃 がすだけ

 

耕す彼女から出なさい

 

空いた時間を
安息ととらえる最後のチャンス

 

万一の 毎日の 画像が飛び込み 記憶が 自尊 心を弱める

 

安易に傾く
要求の少ないものが人気

 

一人きりでも
携帯なくても
守る

 

名付け方から教えたものだ

 

 

3月13日

失語症の夢

満喫でヒミズ四巻読んで出る
ミックは調子悪かったみたい。薬を元に戻したらちょっと良くなったのでこれから営業するって
あと210円しかない死にたい
星がきれいだというけれどもうねる

 

3月14日

もうこの家はサラ地になるんだから床なんて拭いてないでゴミ屋敷にしようよ

赤石君のライナー書いたのに不採用らしいな ダダっぽいと思ったんだけどな

 

3月15日
ノンアルコールビールにマタタビ酒を入れたら「ビター」とか「エール」の味になります
仰向けにではなく俯せに寝る日低温火傷のような眠り
猫は常に「わたしとあなたとどっちがいい?」という問いかけである

公募展 間抜けな言葉だ エプロンまで思い浮かぶぜ

各駅で向かう確定申告日本は深刻ダンテの新曲厳選チョイス挑戦ゲーセン源泉チャーシュー乗っけて満州依然清国 
例えば蒲鉾で充たそうとしても充足しない部分がLIFE
「あなたの目を見ないで短歌を書きます」
だめな金の使い方をするとメタのイージーさに持ってかれるぜ
もう即興などやっている場合ではないように思います
むかいはたまにすごくいいやつなのにつぎのひになるといつものちえ
BELL RIVE2010安いし良くできてるんだけどどこかでドブの味がする

俺昔劇団に居たことがあってさ、風呂の後「ごちそうさまでした」、ていう奴がいたのを今思い出した。十文字夢外て奴だった。普通「お先にいただきました」じゃんねー

 

3月16日

吉本さんの晩年は、転向というより言質を取られるやり方で心外なことを広められただけというのが僕の印象です。@tokaiama

今となっては団塊のセクト性に歴史的な意義は認められない。サブウェイ・セクトで十分だった。

吉本さん、例えば生まれると産まれるの区別がつかない奴ばかりの世の中になったよ

百人一首bot @onehundredpoems
18 : 住の江の 岸による波 よるさへや 夢の通ひ路 人めよくらむ(藤原敏行朝臣)

声変わりした日にきつねにつままれて三つ編みの子に出会うんだよね

 

 

解(ホド)けて浮いてゆく

 

解けて浮いてゆく 
樽のような夕方のアテナイ
漂いながら免除されている
金と象牙で出来た 不安
人間に関心がないという 安心な僕らのグレー
たくさんいる たくさんいる
いるいる
再び吸収される
安い結論
この町の 地図のような暗く白い安さ
「私達は歩みません」
解けて浮き上がってゆく
方向修正が出来ない浮き上がり方で
解けたのはきっと会衆の安心な書物の帯
見据えた目の
きみの老いの
内部被爆者の解けて転写出来ないDNA
噛むと甘い鉛筆の六角
宇宙の霧が晴れて黒髪が垂れている
挙げた手の水掻き
郁子のように紫に腫れた顔
活発な人々、不活発な人々
それでも開いた埋葬所のように薄紫が揃った
ここで誰に仕えたのか
ここで元ヤンのゆうちゃんはエレミヤのトーンで
誰に演奏していたのか
針の筵の筈が
解けて浮かび上がっている
紫芋の変節したスピリットが
近親婚を弁護している夕方
私達はゆっくりと上昇している
変人よ 我に返れ
お針子が サタンなんて本当に居るの? と言う
秘められた所に住む者は
地震の後 ボタンを付け換えてしまった
僕の代わりに寝てばかりいる者は そのために
タツノオトシゴを飲まされる
ああ 中崎も良く寝てたな
歌が終わっても まだ続いている
白茶けたメール
教育とは 区別を教えること*
トーンがこのように上昇している時
何を区別してゆけばいいのか
初めて人間らしい欠伸をしながら
頭にも箍のようなものがあって
饒舌な夕方にそれが外れたまま浮き上がってゆく

 

間違い電話のようにしてしか
私達は元に戻れない

 

留守電のようにしてしか
私達は真理を伝えられない

 

反った手の平

 

着込む メモリアル

 

*教えるとは、目的、形態、根源を異にする事物がたがいにどう異なるかを示すことにほかならない。・・・それゆえ、事物の相違を識別することが上手な者は、教えることも上手である。 ヨハン・アーモス・コメニウス

 

 

3月17日

猫の爪は日常のストレスとの共存の提案である

@BruceFuck 金継ぎしようか?あるいはエボキシ系接着剤とブロンズ粉があれば自分でもできるよ

 

3.20 道後 芸術温泉

親譲りの無3.11鉄砲で小癌供の時から損ばかりして3.11いる。小学校に居る時分癌学校の二階から飛び降り3.11て一週間ほど腰癌を抜かした事があ3.11る。なぜそんな無闇癌をしたと聞く人が3.11あるかも知れぬ。別段深癌い理由でもない。

まことに小さな国が、開3.11化期をむかえようとして癌いる。その列島のなかの3.11一つの島が四国であり、癌四国は、讃岐、阿波、土3.11佐、伊予にわかれている3.11。

伊予の首邑は松山。城は3.11は、松山城という。城癌下の人口は士族をふくめ3.11て三万。 その市街の中央癌に釜を伏せたような丘が3.11あり、丘は赤松でおおわ癌れ、その赤松の樹間がくれ3.11に高さ十丈の石垣が天に癌のび、

さらに瀬戸内の天を3.11背景に三層の天守閣がす癌わっている。 古来、こ癌の城は四国最大の城とさ3.11れたが、あたりの風景が優美癌なために、石垣も櫓も3.11、そのように厳くはみえ癌ない。

この物語の主人公は、ある3.11いはこの時代の小さな日癌本ということになるかも3.11しれないが、ともかくも癌われわれは三人の人物の3.11あとを追わねばならない3.11。

そのうちのひとりは、癌俳人になった。 俳句、短3.11歌といった日本のふるい短癌詩型に新風を入れてその3.11中興の祖になった正岡子癌規である。

子規は明治二3.11十八年、この故郷の町に癌帰り、  春や昔十五万石の3.11城下かな  という句をつくった。癌多少あでやかすぎるところが3.11難かもしれないが、

子規3.11は、そのあとからつづいた石川癌啄木のようには、その故郷3.11に対し複雑な屈折をもた癌ず、伊予松山の人情や風景3.11ののびやかさをのびやかな癌ままにうたいあげている3.11点、東北と南海道の伊予との癌風土の違いといえるかもし3.11れない。 

 

3月21日
あっという間の闇だあっという間の
たしかにこれはわたしの病気だ

http://t.co/aft8Y93Q
http://t.co/bhXi9noa

 

3月22日
http://youtu.be/oYSen8qbESQ

(はい/いいえ)で訊いたら終わるなりある
布団の暖かさに(はい/いいえ)をいれてみる
(はい/いいえ)は呼び水だから決壊してもいいよ水浸しにして
(はい/いいえ)で死んでしまうきみは生き物

吉本隆明 @Voice_YOSHIMOTO
友人同士でひっきりなしにメールで、いつまでも他愛ないおしゃべりを続けていても、言葉の根も幹も育ちません。それは貧しい木の先についた、貧しい葉っぱのようなものです。

(はい/いいえ)の献身の誓いのあとオルタナティブな世間に墜落

ひとにひびかせるものとじぶんにきかせるものはどうしつでなければならない

ひとにひびかせるものとじぶんにきかせるものはどうしつでなければ

3月23日

すっかりと嘘が馴染んで初桜
化野(アダシノ)に虚空見(ソラミツ)ヤマトにサクラ貼る今年だけは嘘でもいいから

太宰治bot @osamu_dazai
とにかくね、生きているのだからインチキをやっているのに違いないのさ。

Robert Bresson @Robert_Bresson
もし表象に陥りたくなければ、断片化は不可欠だ。存在や事物をその分離可能な諸部分において見ること。それら諸部分を一つ一つ切り離すこと。それらの間に新たな依存関係を樹立するために、まずそれらを相互に独立したものとすること。

オマル・ハイヤーム @rubaiyat_bot
酒姫(サーキイ)の心づくしでとりとめたおれの命、今はむなしく創世の論議も解けず、昨夜の酒も余すところわずかに一杯、さてあとはいつまでつづく? おれの命!

 

風博士 雨です 

 

 

No peace for the wicked

 

磁器と陶器は全く違う。磁器は白を求める陶芸史の、終わりから出発するエリック・ドルフィーみたいなものだ。そこから逆行するのか、さらに未来のない荒野を進むのか、磁器の産地はその不毛で滑稽な苦闘のみを鑑賞されることになる。そうなると磁器はもはやプロセスの芸術であり、アニメ史を用いたケントリッジや石田尚志の仕事に重なる。だから萩焼まつりの体育館みたいな会場で床に粘土を敷き詰めその上をジープで走って轍をつける、という萩の三輪和彦のアクションは瀬戸内海を超えてぼくの地元の砥部焼(知らないだろうけど愛媛にある磁器の産地)まつりにも深刻な打撃をもたらした(筈だった)。筈だった、というのは実際にはぼくしか騒いでなかったからだけれど。

 

そんなことを考えながら「磁器の剥きだし」という今年の巡回展の準備をしていた頃、高知美術館のレジデンシーでモントリオールからジェイコブ・ウレンという劇作家が来るのでコラボしてくれという依頼が入った。ぼくは助成金アートで反国家性を維持するのは不可能に思えて怯えながらも生活のために承諾した。

 

ぼくの工房にやって来たジェイコブは甲高い声の、アメリカ映画に出てくるダメキャラによくあるタイプの、あるいはパンクのドキュメンタリーの狂言回しで自分もバンドをやってみて物を投げられて終わるみたいな、カッティングで言えば真ん中を抜いた三連のチャッカチャッカに乗せて「だれもぼくを好きじゃないんだ」みたいなことを歌うような、あ、だからダニエル・ジョンストンとかドラッグ・シティあたりのローファイ系育ちの奴だった。

 

彼は自分は本当になにも出来ないんだ、と言った。事実まったく不器用で、手でものを作ったことは一度もないらしかった。都会にしか住んだことがなく、ビールとワインと乳製品が駄目で、facebookだけを楽しみに生きていて、本や映画のことなら驚くほど知っているけれど、演劇としてはシェイクスピアなんて全く関係ないし、既成の演劇が詰まらない、ということだけで、数人で集まってモントリオールで今の(反)演劇活動のためのカンパニーを始めたらしかった。

 

そんな彼がなぜ十何年も家に帰らないでフェスティバルからフェスティバルへ招聘されてやってこれたかということにぼくは興味を持った。毎日付き合っていろいろ互いの内密なこともバラすようになってくると、彼は自分はユダヤ人なんだ、と告白した。カフカの趣味で彼と一致した。きみは焼き物の人々には音楽家だと言い、音楽の人には焼き物の話ばかりしてるけど、それってダブル・ライフだよね、そこが面白いと思うんだけど、と彼は言った。じゃあ会場にロクロでも持っていくかい、とぼくが冗談半分に答えると、彼は、それだ!と言った。

 

それでもぼくには、こんなことでもなければ、つまり文化庁の原発事故後の積極的な外国人誘致の国策がなければ、一人の男とだけ向き合って何かをでっち上げるといった受け身の努力をすることなどなかったであろう、という一抹の不安があった。ハイデガーじゃないけど、ぼくらは世界に投げ出されており、ただその「投げ出されている」と発語する時の語気だけがパンクであるような、そんな世代を生きてきたからだ。

 

彼の劇は主に観客を巻き込んだインタビューで構成されている。普段話したことがない内気な人が立ち上がって、自分のことを語りだす瞬間は美しい、とかれは言う。かれは人の話を引き出すことにかけてのみ、プロであるという自覚を持っているようだった。それはカナダという、アメリカン・ヒーロー的なものを拒絶する国民性の最良の部分であり、それは同じくモントリオールの初期ゴッド・スピード・ユーのヒーロー不在の集まり方とも通底するように思えた。

 

チェルフィッチュの岡田利規がイラク戦争の時書いた「三月の5日間」は画期的な小説だった。その短編は「私たちに残された特別な時間の終わり」という二編からなる小説集にまとめられ、その表題は確かに当時の気分を切り取って、それから意識の底に沈んだ。 「三月の5日間」の冒頭、六本木で劇が終わってからも喋り続ける女の様子が描かれるが、それが実はジェイコブの前回のスーデラでの公演なのだった。それは数人が集まって下手な歌を披露している体のもので、到底演劇には見えなかったが、ジェイコブによると、六本木の公演ではとても美しい瞬間があり、それは、通訳の仕事をしているという女性が立ち上がって、「今まで自分は人の話を伝えることしかしたことがなかったが、今夜は自分のことを話したいと思った、」と喋りだすと、さらに別の女性が立ち上がって自分も通訳の仕事をしていると言い、しばらく二人の話と互いの通訳が続いた部分である、ということだった。二人の女性は、ジェイコブの周到な反演劇的な仕掛けによって、その場所で、自分が誰でどこで何をしているかということに初めて思い至ったのだ。

 

かれの他の劇も観た。ひとつは両親と娘のモノローグとコンテンポラリー・ダンス的な動きからなる作品で、家族の対話はそれぞれが抱えたエレキ・ギターを一音だけ鳴らす、という場面があるのみだった。もうひとつは彼のカンパニーが自分の好きなレコードについて観客に語りかける、というだけのもので、床にLPがばら撒かれており、実際の演奏もあったが、片足を固定したまま遠くの楽器を鳴らそうとしたり、といった非常に不自然な姿勢で行われ、音として、というよりやはりダンスとして音が出ている、という感じだった。これらの音は非常に新鮮に聴こえた。劇中歌といった既成の音楽の位置はことごとく排除され、上手下手といった要素は元から度外視されており、要するに、劇としての音なのだった。

 

かれにとっては音楽も演劇も、世界さえも、どこか遠いものとして醒めて観察しているだけみたいなところがあって、誕生日もクリスマスも正月も関係なく生活しており、それがぼくの気に入った。モントリオールの多層的な言語環境のなかで、英語もフランス語も日本語も彼にとっては外の言葉なのであった。たとえ彼がイーディッシュを話さなかったとしても。ぼくもロックから遠ざかろうとして、遠ざかろうとしながらあきらめて近づいていくようなReturn Visit to Rockmass という三枚組のアルバムを作ったことがあって、その冷やっとした白磁的な感覚でやっとぼくらの気分のなかの何かが共有されたような気がしたのだった。

 

それは一言でいえば、音楽の外に出てみる、ということだった。そしてかれが演劇としての音楽を使うなら、ぼくは音楽としての演劇をそれにぶつけ、それらのせめぎあいの場を作る、ということで大まかな一致をみたのだった。そのために三つの円(job, music, pottery)を考え、それぞれの円の交わる部分を合わせると出来る7つのエリアについて参加者の言葉を引き出す、という方法が採られることになった。方法論は簡単であればあるほどいい。原発さえも入れない方法論しか原発を照射できない。ジェイコブの場合は簡単な二つの質問を用意するだけだった。音楽はカタルシスとして劇のために使われてはならなかった。音楽には終わりがなく、他の要因でなしくずし的に止むのでなければならなかった。参加者たちのダブル・ライフは、大きな優先順位がなくなり、垂直の価値観が地層ごと流された後の時代の、あれか、これか、という目の前の水平な選択の連続としての生を表しているかもしれない。そこに後ろからの声は聞こえているのか、というのが僕としての問題意識だった。

 

劇は横浜の演劇祭の一環として黄金町の会場で行われた。かれがぼくを指名してきたのは、ぼくがやっているマヘル・シャラル・ハシュ・バズというバンドの、カーデュー的な素人参加の側面に興味を抱いていたからであり、劇はマヘルの人々が自分の普段の仕事についてのインタビューを受けつつ楽器でループを作っていく、という形で進行していった。出演者に与えられたのはただ「自分自身であること」という指示だけだった。質問に対する答えは一々翻訳されていき、言葉の内容ではなく言葉と言葉の間の空間が劇を構成した。ぼくはロクロを回して一人に一つづつ器を作り、ロクロから出るノイズを言葉に置き換えて壁に書いていき、次いで全員がそれぞれのループを同時に演奏するなか、壁に描かれた文字をラップし、余興としてno doubble life for the wicked という the only onesの替え歌を歌い、最後は観客を会話に巻き込んでなしくずし的に終わった。

 

公演は一応成功し、かれはモントリオールに帰る飛行機の中でもまだ次のアイディアが沸いてくるらしく、こんどは三つの円についてこちらが質問するのではなく、参加者にダーツを投げてもらって、当たったエリアについて喋ってもらうことにしよう、とか、最後に実際に焼き物を火で焼き、それを囲んで全員で歌を歌おう、とか、躁状態でメールして来るのだった。

 

彼が去ってぼくは「磁器の剥きだし」という自分の個展のための仕事に戻り、急いで窯を焚いて大阪の会場に送った。会場でのインタビューを依頼されていたので、ぼくはその時間を利用して、ジェイコブとの劇で考えたことをもう少しやってみようと思った。

 

あの時ぼくが面白いと思ったのは、音楽そのものではなくて、音楽が演劇の土俵で鳴らされることだった。それと似たことは、以前、ダンスの人とやったことがあった。菊地びよ、という人だった。ダンサーはエレキ・ギターをぶら下げて踊り、ぼくはギターを持たずに弾くまねだけをする。そうすると、ダンサーが演奏していて、ミュージシャンはダンスしているように見える。ダンスとして出た音はそれなりに新鮮だったが、その時は、それが単に普段の光景と違って見えるから、ということだけだと、弱いような気がしていた。たとえば美術の世界だと、ものの見方が変わる、といった一面が表現の目的にすりかわっていて、それが助成金アートの床になっている気がしていたからだ。資本はそうした目新しさをジャンルの延命に利用しようとする。ものの見方を本当に変えるためには世界の外に出なければならないし、前線は常にジャンルの終わりや国家の死滅を内包したものでなければならないだろう。
それでも、音楽の内部で入れ替わる、というこよりも、音楽と演劇の入れ子状態のほうが音は新鮮だった。音楽の内部の話なら、例えば新宿の裏窓という店で、向井千惠と僕の立場を入れ替えたことがある。ぼくが彼女のステージ用の大仰な白いドレスを着て胡弓を演奏し、彼女はぼくのズボンとシャツを着てギターを持った。被造物の構造の内部でパーツが入れ替わるだけでは、ユーモアではなくてホラーになってしまう。

 

風の強い丘(プラトー)の上に音楽というフレームワークが吹き晒されている。風のように、その構造のうちそとを出入りすることはできるだろうか。

 

ぼくはそれでも音楽に留まりながら大阪の参加者が普段は主に即興ワークショップに参加する人たちであることを念頭に置いて、インタビュー形式の劇を考え始めた。即興ワークショップにはしたくなかった。依然としてロック史に向けられた試みのつもりだった。園子温が「映画史もロック史もない」と言い切るときの、その世代的な口調もここでいうロック史に当たるような気がしていた。即興ワークショップ的なものは内から外に向かい、ジャンルの異化ではなく混合のみを行ってきたが、ジェイコブの戦略は外から内に向かうベクトルにあった。参加者を状況に投げ入れるために籤を引く向井が演じてしまう巫女の役回りがジェイコブの演出に当たるが、こちらはカナダ的に自分の位置を消すことに成功していた。

 

インタビュアーとインタビューイが入れ替わる、ということを考えた。双方向コミュニケーションのテクニックはラボカフェなどによって認知されてきており、演劇的な実践としてロールプレイがあるけれど、それは模擬裁判といったディベートの授業に留まらず、父娘が予告なしに入れ替わるジェイコブの劇にも取り入れられている。「磁器の剥きだし」に関する質問は参加者によって前もって用意されているが、その質問は参加者自身に投げ掛けられることになる。例えば参加者Aは僕に関する質問を考えるが、その質問は僕から参加者Aに投げ掛けられ、参加者Aは僕になりきって答えなければならない。逆に僕も参加者Aに関する質問を前もって考えておくが、それは参加者Aによって僕に投げ掛けられ、僕は参加者Aになりきり、想像を働かせて答えなければならない、ということになる。真実は決して語られない。真実は言葉に依らず、自分になりきった相手の言葉に対する自分の演奏etcの表現によってのみ表される。現場のリアリティーは話し合いの中にあるのではなく、投げ掛けられる質問自体と想像による答えで多面的に照射される構造にある。相手の魂を借りて相手を演奏させるセッション。演奏は変化するにしてもループである必要がある・・・。

 

そこまで考えたところで、期日の2月25日は迫り、ぼくはインタビューの時間を迎えた。参加者が集まり、質問を書いてくれた。劇が始まり、赤ん坊が泣き出し、ぼくらは打ち合わせ通り赤ん坊よりも大きな声で泣いて劇は終わった。

 

3月11日が近付いたあたりで、音楽の揺り戻しがあった。ルー・リードが70歳になった、というニュースを読んでいて、ふと、間章が70歳くらいになったルーを見てみたい、といっていたのを思い出したのだった。彼が生きていたら、メタリカと吠えているのを見てなんていうだろう。裏切ること、スライドすること、もはやロックの外に出ることしか残されていない、とか?ルーはロックじゃなかったんだ。だからロックなんだ、とか?要するに、決して音楽内部の霊的進化論としてではなく音楽の外にあるようにして誰よりも内側にいるようなものを見てしまったら、彼はシュタイナーをやめたかもしれない。音楽はやめたと思う。音楽のために。音楽をやめたやつは沢山知ってる。ガルシア的に。でも今はそれとは違う
。状況が、地層が変わったんだ、もっと徹底的に。すべての音楽の終わりは近付いた、という予言的な言いまわしで、ぼくは投げ入れられた状況にコメントしたい衝動に駆られた。音楽は終わった。自然音や「偶然」を使う方法論も終わった。「わざと」クリシェを使うボサノヴァ風のカッティングをしたがるうたものも終わった。すべては音楽の内部の話なんだ。それらはもはやただ延命のための抗がん剤治療に似て、すべて世の中を含めて末期であるということがやっと認知されてきているように思える。はじまりはこうだった。なんで若いやつの部屋には必ずギターがあるのか。音楽をやめるやつとやめないやつがいた。でも両方とも死んだ。音楽だけが生きているように振る舞った。でも逆だろ?音楽が死ね
ば二人とも生き残れた。端的にいえばミュージャンと非ミュージャンによる即興ワークショップの時代も終わったんだ。ていうか「巫女」が機能しなくなったんだ。だから向井の悲劇的な光をみんなが感じていたんだ。そうじゃないか?そしてその総体がロック史なんだ、ってことだ。

 

そういう訳でぼくらはブラブラ病とリアル病に罹るしかなくなってゆく
地層のない、アミダのような平面を
野獣の像に命を吹き込むように、カラオケの駄曲に命を吹き込もうとして
きみは泣く
突然死にはエリック・ドルフィー、癌にはビリー・ホリデイ
きみはうたのたてよこを知らない
アミダを梯子のように空間に掛けてみせたら
金タワシの中を進むナメクジのようにぼくらは

 

 

放射能によって、今は人間が還元炎に晒されなければならない。
酸化は自然の、騙し果せている状態であったが、体は放射性物質を吸い上げて酸化する。
今は人が還元炎に晒されなければならない時代となった。
酸化したタリタクミさんは還元炎に晒された
或る音楽というフレームワークが風に晒されている
Begrudgingly
真理というのはフレームワークを理解している人々のもので、それがあるから亜流とかも出てくるのであって、それがないと亜流だとかを区別できない。

 

3月23日

はやくおきすぎてしまったあり

なかまはまだ寝ていました。ありははんぶん夢の中のままふらふら地上に出てしまいました。去年のルートを通って畳に出ると、おっ ありだよあり、目が覚めたのかな、パン食うか? という家のご主人の声が聞こえ、奥さんが焼いた、自分の体くらいの大きさのパンが目の前に置かれました。ありは最初は遠慮して通り過ぎようとしましたが、やはり折角だからと思い直し、戻って持ちあげようとしてでも久しぶりのこととて力が入らず、仲間もまだ寝ているので呼べないし、と途方に暮れていると、この家はどうせもうじき取り壊されてサラ地になってしまうんだから、床なんか拭いてないでゴミ屋敷にしようよ、と奥さんに言っているご主人の声が、金縛りにあったように固まったありの耳に聞 こえてきました。 

 

3月24日
あらしやみやみあらし ゆめやみやみあらし
あらしやまゆめあらし やまばとやまねずみやまあらし

 

TristanTzara @TristanTzarabot 僕もまた自分を主張する必要を感じている ーーいつわりの印象を与えないような真面
目な口調を教えてくれたまえーーだが、正 しいのはいつも他人なのだ。

 

大塚英志bot @otsukaeiji_bot 自らの言説が他者に作用し、そのことで他 者が変わっていく。他者とコミュニケート しようとする時、ぼくたちはこの耐え難い 欲望に直面する。自分の言説が他者のため になる、という願望、それによってぼくた ちは他者に言説を投げつけることを自分に 許容する。(「彼女たち」の連合赤軍p288)

 

あゆみあやめおやはやみ
やまはあめやみはやみ
あらしやみあさのやみ あさはやみやみはやみ

 

きみって大味だよ タスマニアのハマグリみたいだよ
病気になるほど働いたが何の益にもならな い

 

すべての人に何が間違っているか教えてあ げたいが、そうしないのは何故だろう。恥 ずかしいからか。憎んでいるからか。言う 資格がないと思うからか。
ああ、永遠の測量師さんですね

 

白磁に歴史は要らない。イランと中国の間で輪花鉢の伝票が取り交わされていたことなど今は忘れ去られてしまった。

 

いは @18iha 沖縄以外ではどうだろう・・・ 最近の米 兵の戦闘服は砂漠用の茶色っぽいのばかり だよね。(定番?の緑っぽいジャングル用 のものを着ているのを見たことない) 砂漠の無い日本防衛よりも、完全に中東向け の戦略だと思う。

 

サイドブレーキ引いてるのに飛ばされそうな風

 

3月25日

winkのできないきみの本当の片目はどこかに置き忘れてる

 

歴史家bot @historian_bot
個人を起点にして歴史を考えることは、自分の感覚を揺るぎなきものと信じ込むことではなく、みずからの裡に過去が闇のように浸み出し、個人が解体されるほどの危うさに身をさらすことでもあろう(磯前順一「解体の淵から」)

 

ほぼ日刊イトイ新聞 @1101complus
いちばん大事だと思うものを1番目におくと、計算が立たなくなるんです。ところがこれを、2番におくとできるんですよ。2番にしとくと、どんどん解決…(略)ー糸井重里ー元記事 http://ow.ly/9R7d6 [ほぼ日手帳・日々の言葉・2012年3月25日] #techo2012

 

6万の介護施設で8万の年金だから残りは2万

3月26日

よう見たら梅田の馬券売場の近くで拾た赤ペンやんか

3.27 京都アバンギルド mshb

参加者ひとりひとりが、これまで「別腹」のように見倣していた自分のダブル・ライフに気付き、それを生活の中の違うループとして意識の遡上に乗せ、Google=CIAにその覚醒を悟られないようにしながら、間諜のようにそのループを楽しむこと。
例えばよく見ると片足が五ミリ浮いている通行止めの舞踏警備員。
音楽内部のダブル・ライフは崩壊し瓦礫となって拡散させられる。音楽の他にもうひとつ、知られていないループを持たなければ、音を楽しむことはもはやできないのだ。
わずかに語りものとしての音に復権の可能性がある

松山市の水道事業は外国の会社に委託されてしまいました@_quo_

 

今日は調子いいね@tsurezure_bot

 

hot chipsてバンドの福島の子供らに向けたチャリティーの曲にボーカル被せてremix 曲はwe are the worldとか言いそうになっちゃう感じ。おればやるけどね。それにしてもバンド名なんとかならんのか

 

それ、死ぬ半年前くらいに一草庵で詠んだやつやね @Santouka_bot
とうとうICOCAを購入してもうたこれで俺も関西人やね 
大阪の子は楽しげに着飾って自殺するにしても派手そうやな
管さんtwitterやってんだな 何ハラになるのか 滑るのは人
京都の人達はシックだな自殺するにしてもひっそりしてそう

3.29

avon

泥水冬道ブルースバンド

疲労compile

生駒山街は走りて見通せるイソギンチャクのような光を

3.30 avon 2月26日にコモンカフェでやった<ピナ・バウシュ的なものに付随した音>の続編
mshb, taku hannoda, chieko yamaji, ytamo

住之江はいまはガラガラや

3.31 avon mshb,theatre project “Interviews”
2月25日にやった<演劇に付随した音>の続編